こういうことのようです
一般人3人が被ばく…日本の原発初「炉心溶融」
東日本大震災
福島県の東京電力福島第1原発1号機
東日本を襲った大地震に見舞われた東京電力福島第1原発1号機(福島県大熊町、沸騰水型軽水炉)で12日、爆発が起きた。作業中の東京電力社員ら4人がケガ。周辺では放射性物質が検出され、日本の原発で初めてウラン燃料の一部が溶ける「炉心溶融」が発生。周辺住民は半径20キロ圏からの退避を強いられ、一般人3人が被ばくしたことが明らかになった。原発の安全性は大きく揺らぎ、地震発生から1日で深刻な事態に陥った。
東京電力によると、12日午後3時36分ごろ、福島第1原発1号機建屋で、ドンという爆発音の後、白煙が上がった。NHKなどのニュース映像によると、建屋が爆発して白煙に包まれ、骨組みだけが残った。作業中の東電社員ら4人がケガをして病院に運ばれたが、命に別条はないという。
枝野幸男官房長官は夜の会見で、爆発について「建屋の壁の崩壊で、(原子炉)格納容器が爆発したものではないと確認した」と説明。爆発前の同3時29分に1号機の敷地で測定した放射線量が1時間に1015マイクロシーベルトで、一般人が年間に受ける放射線量の限度に相当する値だったが、同6時58分には70・5マイクロシーベルトを示したことを明らかにした。
しかし、福島県によると、10キロ圏内の双葉町の病院にいた患者のうち3人を検査したところ3人とも被ばくしていることが判明。県は第1原発の住民避難の範囲を半径10キロから20キロに拡大した。
1号機は、大地震で自動停止し、冷却機能を喪失。周辺では12日、放射性物質のセシウムとヨウ素が検出されていた。
セシウムとヨウ素は炉心のウラン燃料が核分裂してできる物質。経済産業省原子力安全・保安院幹部は、「炉心溶融」が起きたとの見方を明らかにした。日本の原発で炉心溶融は初めて。
沸騰水型原発は、内側から(1)炉心の入った原子炉圧力容器(2)原子炉格納容器(3)原子炉建屋――の3重構造となっている。1号機は今回の地震で、(2)の格納容器の中に何らかの原因で蒸気が充満し、気圧が高まって放射性物質が漏えいしていた。
東電は格納容器内の圧力が高まり、容器が耐えられずに破損するのを防ぐため、12日未明から容器内の蒸気を外部に放出する作業を進めたが難航。炉心の水位が低下し燃料が徐々に水面から露出、冷却できずにこもった熱で溶けたとみられる。夜には、原子炉圧力容器内の温度を下げるため、消防ポンプを使って海水を直接注入して炉心を冷却する作業を始めた。
炉心溶融は、1979年の米スリーマイルアイランド原発事故でも発生し、このときは燃料の約45%が溶け落ち、周辺に放射性物質が拡散した。
12日には放射線医学総合研究所の「緊急被ばく医療支援チーム」(REMAT)が福島県原子力災害対策センターに到着。REMATは昨年発足し、実際に現地で活動するのは初めて。陸上自衛隊は、10キロ圏内にある老人ホームと病院から計195人をヘリコプター10機で圏外へ移送するなど厳戒態勢が続いている。
<「安全」性強調は5時間後…>事故原因や安全性などの説明があったのは約5時間後。当事者たちの危機意識の欠如と混乱ぶりをうかがわせた。経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官らは爆発後、断続的に記者会見を開いたが、こわばった表情で「情報を収集しながら対策を検討したい」「詳細について確認中」と述べるだけ。地元福島では県庁に急きょ災害対策本部が設けられたが、報道陣への説明にあたった生活環境部の荒竹宏之次長は額に汗を浮かべ「情報がありません。確認できていません」。当事者の東電も全く同じ対応。東京都千代田区の東電本店では、吉田薫広報部長らが記者会見を開き「ご心配をおかけして申し訳ありません」と謝罪したが、爆発の影響などを尋ねられても「しっかり評価しなければ分からない」と、踏み込んだ回答を避けた。枝野官房長官が会見で事故の詳細を説明し、安全性を強調したのは約5時間後のことだった。
◆炉心溶融 原子炉の温度が上がりすぎ、燃料棒が溶けて破損する事故。冷却水が失われて炉心の水位が下がり、燃料棒が水面上に露出した場合、燃料棒中の放射性物質の崩壊熱が除去できず、温度上昇が続くために起きる。想定されている事故の中でも最悪の事態。1979年の米国のスリーマイルアイランド原発事故では、大規模な炉心溶融が起きた。
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2011年3月13日 06:00
出来るなら、逃げてくださいね。
東日本大震災
福島県の東京電力福島第1原発1号機
東日本を襲った大地震に見舞われた東京電力福島第1原発1号機(福島県大熊町、沸騰水型軽水炉)で12日、爆発が起きた。作業中の東京電力社員ら4人がケガ。周辺では放射性物質が検出され、日本の原発で初めてウラン燃料の一部が溶ける「炉心溶融」が発生。周辺住民は半径20キロ圏からの退避を強いられ、一般人3人が被ばくしたことが明らかになった。原発の安全性は大きく揺らぎ、地震発生から1日で深刻な事態に陥った。
東京電力によると、12日午後3時36分ごろ、福島第1原発1号機建屋で、ドンという爆発音の後、白煙が上がった。NHKなどのニュース映像によると、建屋が爆発して白煙に包まれ、骨組みだけが残った。作業中の東電社員ら4人がケガをして病院に運ばれたが、命に別条はないという。
枝野幸男官房長官は夜の会見で、爆発について「建屋の壁の崩壊で、(原子炉)格納容器が爆発したものではないと確認した」と説明。爆発前の同3時29分に1号機の敷地で測定した放射線量が1時間に1015マイクロシーベルトで、一般人が年間に受ける放射線量の限度に相当する値だったが、同6時58分には70・5マイクロシーベルトを示したことを明らかにした。
しかし、福島県によると、10キロ圏内の双葉町の病院にいた患者のうち3人を検査したところ3人とも被ばくしていることが判明。県は第1原発の住民避難の範囲を半径10キロから20キロに拡大した。
1号機は、大地震で自動停止し、冷却機能を喪失。周辺では12日、放射性物質のセシウムとヨウ素が検出されていた。
セシウムとヨウ素は炉心のウラン燃料が核分裂してできる物質。経済産業省原子力安全・保安院幹部は、「炉心溶融」が起きたとの見方を明らかにした。日本の原発で炉心溶融は初めて。
沸騰水型原発は、内側から(1)炉心の入った原子炉圧力容器(2)原子炉格納容器(3)原子炉建屋――の3重構造となっている。1号機は今回の地震で、(2)の格納容器の中に何らかの原因で蒸気が充満し、気圧が高まって放射性物質が漏えいしていた。
東電は格納容器内の圧力が高まり、容器が耐えられずに破損するのを防ぐため、12日未明から容器内の蒸気を外部に放出する作業を進めたが難航。炉心の水位が低下し燃料が徐々に水面から露出、冷却できずにこもった熱で溶けたとみられる。夜には、原子炉圧力容器内の温度を下げるため、消防ポンプを使って海水を直接注入して炉心を冷却する作業を始めた。
炉心溶融は、1979年の米スリーマイルアイランド原発事故でも発生し、このときは燃料の約45%が溶け落ち、周辺に放射性物質が拡散した。
12日には放射線医学総合研究所の「緊急被ばく医療支援チーム」(REMAT)が福島県原子力災害対策センターに到着。REMATは昨年発足し、実際に現地で活動するのは初めて。陸上自衛隊は、10キロ圏内にある老人ホームと病院から計195人をヘリコプター10機で圏外へ移送するなど厳戒態勢が続いている。
<「安全」性強調は5時間後…>事故原因や安全性などの説明があったのは約5時間後。当事者たちの危機意識の欠如と混乱ぶりをうかがわせた。経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官らは爆発後、断続的に記者会見を開いたが、こわばった表情で「情報を収集しながら対策を検討したい」「詳細について確認中」と述べるだけ。地元福島では県庁に急きょ災害対策本部が設けられたが、報道陣への説明にあたった生活環境部の荒竹宏之次長は額に汗を浮かべ「情報がありません。確認できていません」。当事者の東電も全く同じ対応。東京都千代田区の東電本店では、吉田薫広報部長らが記者会見を開き「ご心配をおかけして申し訳ありません」と謝罪したが、爆発の影響などを尋ねられても「しっかり評価しなければ分からない」と、踏み込んだ回答を避けた。枝野官房長官が会見で事故の詳細を説明し、安全性を強調したのは約5時間後のことだった。
◆炉心溶融 原子炉の温度が上がりすぎ、燃料棒が溶けて破損する事故。冷却水が失われて炉心の水位が下がり、燃料棒が水面上に露出した場合、燃料棒中の放射性物質の崩壊熱が除去できず、温度上昇が続くために起きる。想定されている事故の中でも最悪の事態。1979年の米国のスリーマイルアイランド原発事故では、大規模な炉心溶融が起きた。
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2011年3月13日 06:00
出来るなら、逃げてくださいね。
ラベル: 社会
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