2011年5月8日日曜日

何ゆえに彼らは基準値を20ミリシーベルトに上げることが出来たか

それは、一口に言えば、他人事だからです。
傍観者、部外者の取る典型的姿勢です。

彼らは、最終的には、責任を取る覚悟がありません。

「想定外だから」
「初めてのことだから」
「みんながそう言うから」

彼らの好きな言葉です。

けれども、「想定内」にしなかったのは、彼らです。
「初めて」と言うのなら、あらゆることが、指揮官にとっては、「初めて」のことです。

「みんな」…、そういうことです。
彼らは意思決定過程に参加していないで、意思決定に同意を示すのです。

彼らを信じてはなりません。
彼らは、腐っております。


政府の原子力災害対策本部は4月19日、福島県内の学校や校庭利用の際の年間被曝線量の上限を20ミリシーベルトに定めたことが問題となっている。
 もともと20ミリシーベルトは、原子力の施設で働く作業員を対象とする年間被曝量の上限値だったが、これを子供に適用する決定については、依然として多くの抗議や反対が表明されているほか、この決定をめぐり、小佐古敏荘内閣官房参与が辞意を表明したり、原子力安全委員会が正式な委員会を開かずにこの基準を決定していることが明らかになるなど、決定の過程にも多くの疑問が生じている。
 京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、もともと一般の日本人の年間の被爆上限は元々1ミリシーベルトまでと定められているにもかかわらず、ぞれを現状に合わせるかのように20ミリシーベルトまで場当たり的に引き上げ、しかも子供にまでそれを適用するというのは到底許せないと述べる。
 小出氏によると、子どもの放射線への感受性は大人よりも5倍高いため、年間20ミリシーベルトの放射線というのは、これをを浴びた子どもの25人に1人が癌にかかる可能性がある、あり得ないような数値だと小出氏は言う。
 政府が引き上げた子供の被爆上限値の年間20ミリシーベルトをどう評価するべきかを、神保哲生と福島で現地取材を続けている医療ジャーナリストの藍原寛子が小出氏に聞いた。

プロフィール
小出 裕章こいで ひろあき
(京都大学原子炉実験所助教)
1949年東京都生まれ。72年東北大学工学部原子核工学科卒業。74年東北大学大学院工学研究科原子核工学修了。74年から現職。伊方原発訴訟住民側証人。著書に『放射能汚染の現実を超えて』、『隠される原子力 核の真実』、共著に『原子力と共存できるか』など。

藍原 寛子あいはら ひろこ
(医療ジャーナリスト)
1967年福島県生まれ。1990年千葉大学文学部行動科学科卒業。同年福島民友新聞社入社。マイアミ大学医学部移植外科、フィリピン大学哲学科などの客員研究員、国会議員公設秘書を経て、2011年よりフリー。

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小出先生部分の要約

・(20mSvを子供に適用することについての意見は?)私はやってはいけないと思う。日本では普通の人は年間1mSvという基準があるのに、突然20mSvにするのは、20倍まで危険を我慢しろという意味。しかもこどもは大人の5倍くらい放射線の感受性が高い。到底許しがたい。

・(長崎大の山下氏が、放射線防護基準は発がんリスクと生活崩壊リスクを勘案して決めると言っていたが?)その通り。避難をすると生活が崩壊する。チェルノブイリで被曝を避けて避難して生活が崩壊するのを見た。どちらも選べないから私は原発をやめることを目指している。

・(20msVというは現状に合わせて上げた?)それ以外にないだろう。被曝はあらゆる意味ですべきでない。

・(住民から科学的根拠を示してほしいという声があるが、その問いと、それへの答えがかみ合っていない感覚があるが?)被曝で発がんの可能性は増える。1mSvは2,500人に1人が癌で死ぬという数字。20mSvなら125人に1人。こどもは5倍だから25人に1人が癌で死ぬ数字。20mSvという基準は、それを我慢しろという意味。

・(浜岡の停止要請をどう評価するか?)私は日本中の原発を即刻止めろと言ってきた人間。だから、浜岡停止は歓迎するものの、それほど嬉しいとは思わない。が、菅さんの決断は評価しなければいけないだろう。

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