2010年4月18日日曜日

わたしはわたしの話に酔う

それをナルシストとは呼ばない。

わたしがあなたに話すとき、聞き手はふたりいる。
あなたとわたしだ。
わたしは確かにあなたに話しているが、自分にも話しているのだ。

その聞き手であるわたしは自分の話に聞きほれてしまう。
それはそうだろう。
話し手と聞き手の好みがぴったりと一致しているからね。

このことは亡くなった二代目桂枝雀も言っていた。

わたし、自分の話聞いてて、よう笑うんですわ。
そりゃそうでっしゃろ、話し手と聞き手の気持ちがおんなじなんですから。

このところのわたしもそういう気分だ。
枝雀はそのあとこう続けた。

わたし、話し手と聞き手、どっち、なりたいと聞かれたら、聞き手になりたいんですわ。
けど、聞き手になっても、わたしの好みの噺をする人がおらへんでっしゃろ。
そやから、しょうがなしに話しているような次第で…えへへ…

こんなことを在りし日の枝雀もしゃべっていた。
あのときの枝雀の声が蘇ってくるような。

枝雀さん、あんさんの噺とわたしの話、比べようもないんです。
けど、わたしもこの頃、よう思うんですわ。
なんか、この人(=わたし)の話、めちゃくちゃええなぁ。
じんわりしみてくるようやわ。

ほんででっせ、涙流したりするんです~。
聞き手のわたしが、話し手のわたしの話聞いて、泣いてる、ちゅうことでんな。

なんや、あほらしいような、うれしいような。

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