2010年11月20日土曜日

KY

人それぞれがもつ物語とは、その人の命綱ゆえ決して離してはならないものである。
そういう風に決まっていたし、程度の差こそあれ、我々はそのように生きてきた。

その自分の意思で持つ物語を他者がおし着せるようになって来たのはいつごろのことだろうか。
心ある何人かの人が指摘するようにそれは最近のことではなく、遠く明治に遡る歴史を持つ趨勢であった。(信頼の置ける人がそう指摘し、その指摘によって歴史を振り返れば、なるほどと首肯せざるを得ない。とんでもない歴史を我々は持っている。)

とにかく、事ここにいたって自分独自の物語を持ち、周りをきょろきょろせずに生きていくことはとても難しくなった。
変わり者は生き難くなっている。
みんなと同じようであることがとても大切になってきている。

かつて、学校にはみんなが同じである必要はないという空気があった。
その量の多寡は別として確かにあった。
その異なる者を許容る力の減少は、家庭にも地域にも学校にも押し寄せる。

明治維新の頃、その力をもっとも激しく持っていた地域は長州の萩であったし、薩摩の下鍛冶屋町である。
圧倒的に異なる者を内包する力が、そこにあった。
革命とも見られる明治維新の人材の多くがそこに産み出された。

KYとは、体制に準ぜよという標語である。
われわれの言うとおりにしなさいというわけである。

体制とは、国だけではない大小色々とある。

自分の物語を持つ者の生き難い所以である。

空気など読む必要はない、と言い切りたい。
しかし、その先には「いじめ」がある。

さて、どうするか。

はてさて、困った世になりました。

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