武田先生のご意見
なぜ、「規制値内」でも安全ではないのか?
「連休明けの生活」で私の野菜の計算がなかなか難航しています。
農水省やスーパーが安全だと言っているものを、わたくしが「˜連休あけの生活」を決めるために
計算している理由は次のようなものです。
政府が「規制値内なら安全だ」と言い、自治体も教育委員会も、スーパーもみずから判断することをせずに、「政府が言っているから」と責任を回避しています。
・・・・・・・・・
ある子供が、学校に通っていて、校庭で「その子供としてはぎりぎりいっぱいの被曝量」、つまり1年間に1ミリシーベルとの被曝をしているとします。
現実に文科省は子供に対してより厳しい基準を決めていますので、子供は校庭でぎりぎりいっぱいの被曝をしている場合が多いと思います。
その子供が学校の給食や家で食事をするときに、さらに野菜から被曝を受けることになります。
・・・・・・・・・
こんなひどいことが起こるのは、役所の縦割り行政だからです。
「縦割り行政」というのは自分たちだけのことをしか考えず、受け手の人、この場合は子供のことは全く考えていません。
その結果、
1.
文科省は学校での被曝のことだけ、
2.
農水省は食事のときの被曝のことだけ、
3.
観光庁は旅行の時の被曝のことだけ、
しか考えていません。
つまり、お役人は自分の守備範囲で起こる被曝のことだけを考えています。
ところが子供にとって見れば、学校に行き、食事を食べ、修学旅行に行きます。
だから被曝というのは、「放射線を出す方」に基準を置いてはだめで、「放射線で被曝する方」の計算をしなければならないのです。
・・・・・・・・・
特にひどいのが文科省で、子供が学校にいる時だけのことを考え、しかも文科省の法律で決めていること・・・被曝は外部被曝と内部被曝の合計である・・・ということすら考慮していません。
だから文科省の基準に従うと学校に行っている子供は、もともと学校で基準以上の被曝を受け、さらに家に帰ったら、「食事もせず、呼吸もしない」という状態でなければならないのです。
もちろん給食やスーパーで売っている食材が、まったく放射線で汚染されていなければ大丈夫ですが、「地産地消」などと理屈を言って、放射性物質が含まれているけれど「基準内」という野菜を売ったりします。
そうすると、結果的に子供たちは学校でぎりぎりいっぱいの被曝をした後、家に帰ったら、食材から放射性物質をとり、呼吸したら、空気中の放射性物質をとるということになります。
つまり子供の立場に立ってみれば、学校での被曝の限度というのはその他の生活全部で受けるものを引いたものでなければならないのです。
・・・・・・・・・
わたくしが連休後の生活の指針で、計算しようとしているのは子供の立場に立って、生活を設計することです。
それは、ホウレンソウ一つだけが汚れている時ではなく、校庭も汚染されているし、水道も少しではあるけれども汚れているという時に、
「子供たちは一体、どのような生活を送ることができるか」
ということを計算しようとしています。
・・・・・・・・・
計算はなかなか難しいので、一部の読者の方にも応援をいただき、少しずつ前進しています。
また、子供を中心に計算するのは、
1.
大人よりも子供の方が地面に近く、よく運動すること、
2.
もともと放射線に対する感度が高いこと等、
から子供の例を計算しておけば、大人はより安全になるからです。
少しずつ進めていきますのでもうしばらくお待ちください。
(平成23年5月1日 午前8時 執筆)
武田邦彦
「連休明けの生活」で私の野菜の計算がなかなか難航しています。
農水省やスーパーが安全だと言っているものを、わたくしが「˜連休あけの生活」を決めるために
計算している理由は次のようなものです。
政府が「規制値内なら安全だ」と言い、自治体も教育委員会も、スーパーもみずから判断することをせずに、「政府が言っているから」と責任を回避しています。
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ある子供が、学校に通っていて、校庭で「その子供としてはぎりぎりいっぱいの被曝量」、つまり1年間に1ミリシーベルとの被曝をしているとします。
現実に文科省は子供に対してより厳しい基準を決めていますので、子供は校庭でぎりぎりいっぱいの被曝をしている場合が多いと思います。
その子供が学校の給食や家で食事をするときに、さらに野菜から被曝を受けることになります。
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こんなひどいことが起こるのは、役所の縦割り行政だからです。
「縦割り行政」というのは自分たちだけのことをしか考えず、受け手の人、この場合は子供のことは全く考えていません。
その結果、
1.
文科省は学校での被曝のことだけ、
2.
農水省は食事のときの被曝のことだけ、
3.
観光庁は旅行の時の被曝のことだけ、
しか考えていません。
つまり、お役人は自分の守備範囲で起こる被曝のことだけを考えています。
ところが子供にとって見れば、学校に行き、食事を食べ、修学旅行に行きます。
だから被曝というのは、「放射線を出す方」に基準を置いてはだめで、「放射線で被曝する方」の計算をしなければならないのです。
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特にひどいのが文科省で、子供が学校にいる時だけのことを考え、しかも文科省の法律で決めていること・・・被曝は外部被曝と内部被曝の合計である・・・ということすら考慮していません。
だから文科省の基準に従うと学校に行っている子供は、もともと学校で基準以上の被曝を受け、さらに家に帰ったら、「食事もせず、呼吸もしない」という状態でなければならないのです。
もちろん給食やスーパーで売っている食材が、まったく放射線で汚染されていなければ大丈夫ですが、「地産地消」などと理屈を言って、放射性物質が含まれているけれど「基準内」という野菜を売ったりします。
そうすると、結果的に子供たちは学校でぎりぎりいっぱいの被曝をした後、家に帰ったら、食材から放射性物質をとり、呼吸したら、空気中の放射性物質をとるということになります。
つまり子供の立場に立ってみれば、学校での被曝の限度というのはその他の生活全部で受けるものを引いたものでなければならないのです。
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わたくしが連休後の生活の指針で、計算しようとしているのは子供の立場に立って、生活を設計することです。
それは、ホウレンソウ一つだけが汚れている時ではなく、校庭も汚染されているし、水道も少しではあるけれども汚れているという時に、
「子供たちは一体、どのような生活を送ることができるか」
ということを計算しようとしています。
・・・・・・・・・
計算はなかなか難しいので、一部の読者の方にも応援をいただき、少しずつ前進しています。
また、子供を中心に計算するのは、
1.
大人よりも子供の方が地面に近く、よく運動すること、
2.
もともと放射線に対する感度が高いこと等、
から子供の例を計算しておけば、大人はより安全になるからです。
少しずつ進めていきますのでもうしばらくお待ちください。
(平成23年5月1日 午前8時 執筆)
武田邦彦
ラベル: 社会
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