2011年5月27日金曜日

命令されるのが好きな人々

大変失礼な物言いで申し訳ないのですが、この国がわれわれにプリンティングしてきたものをある角度から眺めれば、命令待ち人間として生きるという姿になる。

われわれが教えられてきたものは、すでに正解があり、その正解に如何に早くたどり着くかという競争であったのですが、この世の中には、あらかじめ正解があるという場合のほうが圧倒的に少ないのです。

つまり、正解のない暗闇を歩くというのが、現実に生きるという行為を示すのであって、たとえば、この男かあの男かと結婚を選択せざるを得ない場合、どちらかの男に正解があると思いたいでしょうが、そんなものはありません。

どちらも正解であるし、どちらも間違いなのです。

だったら、どうしたらいいのよ!?

そうそう、それが命令待ち人間の特徴です。

そのとき、どうすればよいのかを人は、心に植えつけながら生きていくものなのです。

福島原発事故の指揮を取る吉田さんは、とても希少な方です。

命令待ち人間たちは、彼の取った行動がいかがなものか議論します。

義捐金にしても、政府の保証にしても、茶葉の測定にしても同じ行動です。
正しいものはどれか議論します。

けれども、正しいものはないのです。
そのように人類は、考えながら歩いてきたのです。

いま、今後の原発政策をどう進めるか考えている政治家が何人いるのでしょうか。
正しい答えを弄っているだけです。
残念ながら正解などありません。

わたしが、お前が好きだといえば、好きであると決定するように、われわれには、最終的には決断しか残されていないのです。
その決断に対して、いかに真摯に向き合えるかどうか、このことは、逃げ回ってばかりいた、正解があると信じこまされてきた、エリート諸君にはわかるまい。

地べたをはいつくばってきた人間だけが(メタファーですよ)、その決断に一歩踏み出せるのです。

日本に何人かの心ある学者がいたことを、東電に吉田さんがいたことを、そしてわたしの、いまだ知らぬあなたがいたことに心より感謝しております。

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