2011年12月14日水曜日

大震災

大震災における津波や放射線汚染の罪は日常に死の感覚を持ち込んだところで、おちおち生きていられない。
生きるということはもっといい加減なものであったはずなのに…

「死」というものをありとあらゆる方法を使って頭から追い出し、能天気に生きる。
それが生きるということであって、それ以上の何ものでもない。

愉快というものはそういうものだと思っている。

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