2012年4月17日火曜日

死のうと思ったその日から

わずかではあるけれど、心が変わっていく。

可愛いがいとおしい。
美しいはけだるい。

生きてせん無き人生を。
安岡力也の息子は立派だな。

ラベル:

2012年3月19日月曜日

自分は正しいは思わない

必ずしも自分の考えは正しくはない。
ただ、それだけのことを思うことができない。

同じように自分の感じたこともまた正当なものとは限らない。

ただし、その自分の考えたこと感じたことを押し付けてくる相手には断固対峙すべきだ。

この国は、そこに存在するものを見ないことによってすべてを帳消しにしようとしているようだ。
原発に関して経済的な意味を論じることは恥ずかしい。
原発は存在していいものかどうかを論じる対象だ。

ラベル:

2012年3月12日月曜日

3・11

マスコミの3・11に対する騒ぎようは異様だと思う。
そんなに楽しいのだろうか。

あんな映像を何度も流されえて被災者はたまったものではあるまい。
もう一度災害に襲われていることとなんら変わりはしない。

ラベル:

2012年3月4日日曜日

今日と変わらぬ明日

「今日と変わらぬ明日」が来ることを疑わぬこと。
その変わらぬ毎日に身を任せられること。
それが幸せということかもしれない。

疑いだしたらおしまいだ。

ラベル:

2012年2月20日月曜日

2・19脱原発杉並デモ

このデモ(約5000人)について、やはりマスコミは大きく取り上げはしない。
人の声はどのようにその国の意志決定に届くのだろうか。

脱原発の声は 根深く強い。
便利を放棄しても安全を願う声を一度本気で考えてはどうだろうか。

それとも人間は一度得られた快適を捨てる勇気を持たない動物なのだろうか。

ラベル:

2012年2月19日日曜日

テレビの影響

テレビ芸と寄席芸はまったく異質のものであるのはご承知の通りだが、この違いは意識して知っておいたほうがよいようにも思う。
寄席の芸は寄席に行かなければ味わえない。
それは寄席の空気の中にあるものだからである。
もっと言えば、寄席芸はその芸人の空気とともに味わう種類のものでテレビのように空気を隔絶したメディアから程遠い。
映画には3Dというものがあり、取りざたされているが、あれはそれほど画期的なものかどうかは若干怪しい。

要は場の空気なのである。
それ故芝居やライブや寄席に存在価値が生じる。
まあ、寄席の存在価値はあんまり人気がないようなのだが…

で、書き留めておきたいのはわたしたちの日常もまたテレビで行われるものと近似しいているということで、そこから寄席芸のような雰囲気はなかなか生じはしない。
それは寄席を気楽に見ていた時代よりさらに深刻だと思う。

実はテレビ芸はテレビ芸でかなりやっかいなものなのであるが、それは芸と言われるのだから意識されたもので、そこにうまい下手は生じる。
けれども気楽に見られるテレビの中にそれを感じようとする視聴者は少ない。
というわけで、わたしたちの日常はテレビ芸の軽佻浮薄さだけを受け取って、ますます意味もなくわいわいがやがやである。

テレビは消せば見なくともすむが、日常は消すことは出来ず、いやでも目に映り耳に入ってくる。
テレビ芸の進化でますます日常は面白みがなくなる。

テレビは人を洗脳する。

テレビ芸を行う一流の演者は意識的であるが、それを見る視聴者は気ままに洗脳されるに過ぎない。

世に学ぶべき人が少なくなる所以である。

言い切ってしまえば、テレビ芸の極致は素人くささである。
素人くささをいかに演じるかに長けた者がテレビを制する。
それは、資質である。
けれども視聴者はそれに毒され何も気づかない。

できれば、もう少しましなものと付き合ってほしいが、それも難しいのが当今なのかとも思う。
人と人はもう少しまともに付き合えるのではないかとわたしは思っています。

ラベル:

2012年2月14日火曜日

天やの天丼


久しぶりに天やの天丼を食べる。
油がきつくうまくなかった。
はじめからそうだったのだろうが、以前はうまく思ったものです。
たったの五百円だし。
それをわたしの口がイヤだと思うようになってしまった。

贅沢になったものだ。
そのようにわたしは食い物も人も見ていくのだろうか。

ラベル:

そぼ降る雨

新宿小田急百貨店前の喫煙所に横たわる初老のホームレスのおじさんを見た。
おじさんの顔に生気はいまだあったものの、わたしが最初に見たときぼんやり立っていたおじさんは、帰りがけには横臥していた。

わたしも含めて誰も彼を心配する様子はなかった。

おそらくこんな風にこの世から次第に姿が消えていく人々がこの国には多くいるのだと思う。
そういう人々を抱えながら何も見ようとしないのがわたしたちだし、この国なのだろう。
(見ないものはなかったこととして)

アリとキリギリスの童話。

あのキリギリスはそんなにひどいことをして生きてきたのだろうか。

ラベル:

2012年2月12日日曜日

何かに興味を持たねば

何にも興味がないという状態をわたしは知っています。
なかなかにつらいものです。

興味を持つのは何だっていいのですが、逆になんだって面白くないといえばそういえるわけで、困ったね。
要はきっかけなんですが、持続するにはおそらく仲間がいります。

どうです、仲間は確保していますか。
おざなりでもいいんですよ。
頼りにはならないけれど、でも仲間は大事ですね。

ラベル:

平凡な日々を生きる

平凡な日々を嫌わず、淡々と生きていく。

まさにそれだけで素晴らしい資質だと思う。

そういうかけがえのない人々の平穏な日々を壊し続けてきたのが近代なのかもしれない。

壊し続けた末に「冷温停止状態」というありもしないおためごかしを話し出す福島原発。
基地問題もTPPも沖縄基地問題も…問題も何もかも破壊に向かってまっしぐらではないか。

ただ縁側で日向ぼっこしていたいだけの人々に対して。

ラベル:

2012年2月9日木曜日

生きるよすが

生きるよすがとして最も頼りになるのは、何かを愛することだと何度も書いてきましたが、その対象が人であるならば手っ取り早い。
手っ取り早いですが、他の誰かを愛し続ける作業は意外にやっかいなものです。

それは、思いを寄せるのが目の前の相手であっても、よくよく眺めれば、実際思いを寄せているのはあなたの心の中に生じた相手のイメージだからです。
そして、愛する相手が人間の場合、都合よくあなたの心にあるイメージと同期してくれないのです。
ここら辺が厄介で、熱が冷めるとなんだこりゃ、となってしまう。

要は、期待するから裏切られるので、あなたの期待をはずし、ただ愛すればいいのですが、こいつが難しい。

ま、いずれにしいても人は何かを愛していれば、随分生きることが楽になります。

老いも若きもせいぜい愛情豊かに生きていきたいものです。

ラベル:

2012年2月7日火曜日

忽那汐里、武井咲、剛力彩芽

オスカーのこの三人の娘が力をつけているのなら、上戸彩はオスカーにおいて、もはやいらぬも同然。
それは、上戸の望んでいたことでもあるのですが、人にはいろいろと未練があります。
上戸という娘にもそれはあり、引退や結婚やもろもろなにやかやが平和にいくかどうかは難しいところですが、うまくいけばいったでよかろうとわたしは思っています。
それなのに、上戸はそうは思わないようで…

新しい上戸になりたいなどと言っております。

それこそが未練。
人は未練のために生きているということがよくわかります。

わたしは、上戸の哀しさが今でも好きですが、人が生きていく未練も上戸のこの一件でよくわかります。
もちろん、わたしも未練がうえの生。

困ったもんです。
上戸も、わたしも…

ラベル:

また2号機ですか

ご存知でしょうが、福島原発の事故は収束などしていないし、これからもしばらく…、しばらくと言うのはあなたが生きている間はということですが、残念ながら収束しません。

福島の事故はそういう事故です。
ですから、鳥取の梨が迷惑をこうむったというような出来事はこれからも起きますし、おそらくそのほとんどが実被害で、風評被害として扱うべきものではありません。
そういう時代に入ってしまったのです。

放射能に関してはそういうことですし、それ以外のもろもろの出来事もこれからは落ちていくばっかりと考えていいと思います。

落ちていくだけの世界に対してどう向き合うかの意識がない限り生きていくのはつらいかもしれません。
けれども人間そのものが、生れ落ちたそのときから、厳密に言えば堕ちていくだけの存在ですから、驚くことはありません。

まあ、気楽にやりましょう、ということですね。
好きな仲間と酒でも飲んで…

ラベル:

2012年2月6日月曜日

いつかは暖かくなる

今日の雨の日は、少し暖かだった。
明日はもう少し暖かな雨の日。

そして、いったん寒気は戻り、いつの日か暖かになる。

そんなことを淡々と誰かに言ってほしいような夜です。

ラベル:

2012年2月5日日曜日

妙な予感

ぶらりと散歩しているときに、ある人のことを思い出し、その人が逝ってからもう20年が過ぎたことにふと気づく。
生まれ変わったとして20歳かそこら。

どこかで出会うやも知れず、出会えば誰よりも大切にしなければならぬ人ゆえ、しばし頬が高潮し、だれがその人かと思いやる。
あてなきことにあらず。

もしや、あの人かと思うだけで金縛りにあいそうです。
無駄に生きたと露悪が過ぎるのもよろしくないか。

仕合せがあるかもしれない…

ラベル:

2012年2月3日金曜日

郡山から戻ってこない娘

郡山の学校を卒業して東京で健気に働いていた娘さんがいたのだが、年末に帰郷してそのまま帰ってこない。
どうなったことだろうと気になることがある。
わたしが気にしても致し方ないのだが…

福島は、今も非常事態であるし、それは福島にとどまる話ではない。
わたしたちは状況を詳しく知っておく必要があるが、情報はなかなか開示されない。
情報は、今の時代、大きな要素で、場合によっては世界を動かす。
ということは、われわれもアンポンタン政府の情報操作で動かされているし、福島に帰ったきりの娘もその娘の家族も情報に翻弄されているだろう。

とは言ってみても、郡山に戻った娘はそのままどこかの人と結婚してしまったかもしれないし、わたしが心配するほどのことではない可能性も大きい。
けれども、福島というだけで何かしら胸騒ぎがしてしまうというのは悲しいことだ。

ラベル:

人間などというものは

人間などというものは実にしようのないもので、生きていくことはそのしようのなさの真っ只中を駆けていくようなものである。

そのとき、自分のしようのなさを知悉している必要があり、その点では聡明でありたい。
また、他者のしようのなさには多少なりとも目を瞑りたい。

けれども、しようもない人間に足を引っ張られ、いやな思いをすることだけは何度されてもいやなものである。
そういう迷惑をかけておきながら、他者のことをあれこれ言うやからは、自分を正しいとはじめから自分を神棚の上に祭ってでもいるようだ。

厄介な連中である。
やつらは、ばかで自分だけを大事にすることに躍起になるがゆえ、あまり相手になさらぬように願いたい。
彼らの理屈は、あなたを理解しようなどという殊勝な心根がどこにもない。

何が楽しいのやら。
ただ、そいつらが政府の決定権を形成したりもしている。

無垢に生きようではないか、生きられるところまでは。

ラベル:

2012年1月31日火曜日

笑いの質

ただ笑っていればいいものではないと思う。
色々な笑いがありまして、浅はかな笑いや嘲笑もありますし、嫣然たる笑いというのもあります。

枝雀の求めた笑いは、おだやかなものでありましたし、そういうおだやかな笑いは人々に許されたものであるはずです。
そのおだやかさを楽しむ権利を昨今は次々と奪っていきます。

意味などどうだってよかったのです。
とくに生きる意味など。
それが、それ、考えなければならなくする。

噺を聞いて幸せな気分におだやかな笑み、外に出てやけに薄ら寒いのは単に上空に居座る寒気のせいばかりではないのだと思います。

この国は、構造的に壊れています。
もう少し、静かに瓦解していってはくれまいか、

ラベル:

見捨てられる人

見捨てられる人の特徴の一つには、確かに仲間と合わせないというところがある。
ただ、思うがままに行く。
行き着く先はどん詰まり。
ならば、その道を行かなければいいのだが、それが、この人種には難しい。

世間の生き方に習わないのだったら、特殊な方法で生きていくしかない。
特殊な方法で生きていけないのならば、末は野垂れ死にです。

野垂れ死にには野垂れ死にの理由がありますが、それでもわたしには彼らの気分に感じるところがあります。

「浮浪者のラーメン」

を読みました。
ほんの短いブログですが、あれが、精一杯だったでしょうか。

ラベル:

2012年1月27日金曜日

大震災の影で

ホームレスの数も着々と増えている。
わたしもほとんどホームレス。

この問題ももっともっと大きくなればいい。
何もかも順調そうにこの国が進行することはもう無理なのだよ。
それでも情報は操作し続けられるのだろうが。

ラベル: