2007年10月31日水曜日

夕暮れが短い

冬至に近づくにつれて、夕暮れがますます短くなる。
外に出ることのあまりないわたしにもちょっとした用事の後、外の暗さに驚くことがある。

黄昏に関する天文用語は三つある。

市民薄明―灯火なしでの野外活動ができるほどのころ
航海薄明―明るい星と水平線がともに見えるころ(わたしには後悔薄明か)
天文薄明―太陽の光が星明りより弱くなってしまうころ

それぞれ、水平線と太陽の関係からは

市民薄明―水平線の下、六度に太陽がある
航海薄明―十二度に太陽が
天文薄明―十八度に太陽が

知っておいていいことがあるかどうかはわからないが、いいことがありそうに思えるところが素敵だ。(そんな風に思えませんか。)

夕暮れ、あるいは夕べというとき、それは市民薄明を指しているのだろう。

はっきりとわかるほど、日が短くなってきましたね。

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2007年10月30日火曜日

エゴセントリック プレディカメント


だれでもが苦脳を持っている。
もしあなたが自分の苦悩を意識していないとしても、あなたの意識があなたの手の下へ戻ってきさえすれば、苦悩はいつかあなたの眼前に顔を出すだろう。
たとえそれがこの世のうちではないにしても。

しかし、もしそうだとしても、そのことを少しも気に病む必要はない。
もちろん、本人である私やあなたはその苦悩にときとしてダイレクトに向かい、悩みの真っ只中に放り出されてしまうのかもしれないが、それでも気にする必要はないのだと思う。
その苦悩がよそから与えられたものでなく、自分が生み出したものであるならば、いつかはその苦悩とさえ親しく酒を酌み交わせるのではないのかと、わたしは密かに思っているのです。

お察しの通り、いま、わたしはすこぶる調子がいい。
だから、こういう風に思えるのだろう。
それでもわたしの極度の不眠のなかでの生活を考えれば、多くの幸運に支えられて夜空のホームズ彗星を見ることのできるこの機会を逃さぬように、ここにその思いを書きとめておきたく思います。

苦悩と親しく酒を酌み交わす仕合せな状態が実際にはどのようなものであるのか、実はうまくイメージができないのですが、そういう予感があるとだけ知っておいてください。

苦悩もまた私が生み出したものであるならば、闇雲に切り捨てることなく懐深く抱え込んで自他の区別をすることなくともに生きていきたい、そのように自分の生きていく世界を形作っておきたいという願いがわたしにはあります。
苦悩もまた他ならぬ私なのです。

ある娘は顔の上にあるほんの小さなキズが自分に落とす影におびえ、ある青年は外から見れば何も変わらぬように見える他者との差の影におびえている、…そういった人たちのことが昨日紹介した上原隆の本には書かれている。
そして、彼らがその苦悩とつき合っていく様子が、愚にもつかない抽象で語られるのではなく、具体的なある日の彼や彼女の姿、それは一瞬の表情やしぐさであったりもするのですが、そのことが書かれているのです。

人はだれでもが、自分中心の視座から世界を眺めています。
その視座をはずして、まったく違う世界を新しく眺めなおすことはとても難しいことです。
もし、あなたやわたしにできることがあるとすれば、自分はおそらく特殊な視座を通して世界を見ているのだろうなという認識です。
それがあなたの生きている世界で、その世界が他ならぬ自分を通して形作られたのだろうという淡い気づきだけです。
そのようにぼんやりと思いながら、それでもなお自分の視座からしか眺められない自分がいる、あなたの視座からしか眺められないあなたがいる、そんなことを今ここに書いています。

そういう世界のなかで生きているのだとしたら、その世界を形作るかけらのひとつに手触りのある、ある場合は持ち重りさえするあなたの苦悩があなたの世界のなかに在ることはとても大切なことだと思います。
あなたの世界以外では何の役にも立たないであろう苦悩、その苦悩があなたの世界を形作る大きなかけらだとしたら、それは決して捨ててはいけないものではないでしょうか。
そういう風にあなたの苦悩をわたしは眺めています。

ごく最近、次のようなニュースが流れました。

○ホームズ彗星
ペルセウス座の方向にあるホームズ彗星が25日までのわずか2日間で約40万倍も明るくなり、肉眼でも観測できるようになりました。
アウトバーストと呼ばれる現象で、彗星の核からチリやガスが一時的に吹きだし、太陽光を反射して明るく輝いているらしい。
今回のような大幅な増光の観測例はなく、各国の天文台も追跡を続けている。
 
渡部潤一・国立天文台准教授は「研究者としてこれほどの増光に立ち会える機会は一生に一度あるかないか。とても興奮している。観測を通して、現象の解明も進むかもしれない」と話している。

○「メラノーマ」温熱療法
悪性の皮膚がん「メラノーマ」に電磁波をあて、がん細胞を殺す治療法の開発に信州大学が世界で初めて成功しました。
信州大学が研究を進めてきた「メラノーマ」の温熱療法は、酸化鉄の微粒子をがんに注入して電磁波を当てることで患部の温度をあげ、がん細胞だけを殺す世界で初めての治療法です。

こんなニュースをわたしの世界のかけらとして置いてみたい。
とりわけ前のニュースを。

何ものにも邪魔されることなく、わたしはわたしの中で生きていたく思います。

あなたもあなたの世界のなかでひっそりとたたずんでいられればいいのにと願っています。
そうして相手のことなど何もわからぬ者同士として、ふたりで二人の世界を通しながら静かに酒を酌み交わそうではないですか。

そういう夜を過ごしてみたく希求しております。

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2007年10月29日月曜日

JR病院での出会い


「喜びは悲しみのあとに」(上原隆著)は、わたしが玄冬社アウトロー文庫として2,3年前に買っていて、その当時、なかなかやねえと思いながら通読した作品だが、その日、つまりJR病院で大腸ポリープを摘出したその日、10月12日に読んだ「喜びは悲しみのあとに」はさらによかった。

毎日のように会っている人が違って見えるときがある。(そんなことはないのかな?)
人の場合は会っているその人自身も日々変わっているし(あなたは、変わっていないのかな?)、見ている側も変わっているのでさらにややこしい話になるが、今話しているのは本の話だから少しはわかりやすい。

本の場合は、前に読んでふとそこに置いたまま、いまも疑うこともなくそこにある。
そんな人がいると助かるのだが…、あのときのままいつまでもそこにいてくれる人。
なにか叱られそうなフレーズだな。

置いたままの場所にある本をもう一度手にとって読んだとき、その本の印象が変わっていたとしたら、それは自分の何かが変化してきているに違いなく、その意味でその本を通して変わってしまった自分に出会ったということなのだろう。
JR病院で会ったのは、上原隆であり、あのときの(10/12時点での)わたしなのだろう。

自分で書いて読んでいて(書くという作業には読むという作業が微妙に含まれていて、わたしもこのブログの読者なのです。だから、しょうもねえな、とよく思ったりもするのです。)妙に納得してしまいましたが、このお話は何も終わっていないので少しだけ続けることにします。

この本の良さは「あとがき」にある上原氏の言、この本をなにを思って書いたかに集約される。
以下に引用する。

「私が考えていきたいテーマがハッキリと見えてきた。言葉にするとこうなる。
『つらいことや悲しいことがあり、自分を道端にころがっている小石のように感じる時、人は自分をどのように支えるのか?』…」

この本が美しいのはその支えた瞬間をすくい取っているからである。
支えた瞬間の描写は多くはしぐさや表情による。

少なくとも薄っぺらな観念で支えた瞬間を描写しているのではない。
(上の一文は、昨今の死に落ちの作品のことを揶揄している。
<=主人公の死に向かって物語が単調に進行していくあの作品群。
そこには作者の安直な何の吟味もされない観念だけがうずまいている。
そしてワイドショーで飼いならされてきた読者や観客はそれに接し、涙する。
しかしながら、その涙はけっして読者である、あるいは観客であるあなた本人が流したものではない。
なぜなら、その本を閉じたとき、あるいは映画を見終わって明るい外へ出たとき、そこにあるべき痛みがあなたの心にも身体にも、ましてやあなたの骨のどこをさがしても、ほんのひとかけらも残っていないからだ。
当事者性をもって流された涙は、あるいは引き受けられた感動はある種の痛みを持つ。
そのことが細い糸ではあるが感動への身体による確認だ。>)

作者の目線がとらえることのできたしぐさや表情を文章にするという作業は、われわれに見えなかったものを提示してくれる。

そこに見えないものを存在しないと断言するような愚はしないでほしい。

この作品はある痛み(=「つらいことや悲しいこと(それはもちろんひとによって大きく違うのですが)」)を描くだけに終始するのではなく、その支える姿を描くことで作品として、その人の人生として結晶させるという新たな手法で、われわれの知らなかった他者の生きる物語の世界を教えてくれる。

稀有な作品といっていいと思う。

ただ、「つらいことや悲しいことがあり、自分を道端にころがっている小石のように感じ」たことのない人が読んで興味深いかどうかはわからない。

おそらく何の興趣もわかないのではないだろうか。

人が作品を選ぶように作品もまた人を選ぶのである。

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2007年10月27日土曜日

わたしは、何に動かされてしまったのだろうか?


尾篭な話で恐縮だが、ようやく下血がとまりそうだ。
少し安堵しながら、鏡の中のまっちろけな顔を見て、ぜいぜいしていたら(血液が尻からこの二日間常時流れていったものだから鏡の前まで歩くのに十分な酸素がまわらんのですよ。)どういうわけなのか、ふとあの評判になったミラノのポスターを思い出した。

ミラノコレクションでは、サイズ38 (日本の7号程度)以下のモデルは使わないようにと呼びかけているというが、今年のMiss Italia、シルヴィア・バッティスティ(18才・身長180cmでサイズ38)に審査員が肉付きが良すぎるとコメントしたのは有名な話だ。

写真はミラノコレクションの1週間のみ、イタリア主要都市に貼り出された「NO 拒食症」というアンチ「スリム至上主義」のキャンペーンポスターだ。

枯れ葉のようにやせ細った全裸の女性が写っているが、彼女はここ数年、深刻な拒食症に悩んでいるフランス人モデル、イザベル・カロ(Isabelle Caro)。
現在の体重は30kgちょっとだという。
撮影はオリヴィエロ・トスカーニ、イタリアでもっとも著名なカメラマンのひとりだ。
仕掛けたのは「Nolita」。

ミラノコレクションの次期は世界中からファンションジャーナリスト、バイヤー、VIPと集まってきていて、このあまりに衝撃的なポスターは、各メディアや公共機関を巻き込み、大きな話題と物議を提供した。

このポスターに対するミラノ市の取り扱いはさらに話題を呼んだが、そのことはニュースで追ってほしい。

今回の「NO拒食症」のメッセージは大きな問題提起になったと思う。
しかし、いくら「NO拒食症」と叫び続けても「スリム至上主義」のファッション業界が変わらない限り、やはりモデルを目指す娘たちは拒食症と一蓮托生なのだと思う。

選び取った人生ならば、それでいいとは思うが、誰かに操縦された選択であるかどうかの見きわめは難しい。
どこかやるせない話だ。

わたしの下血はかっとなった末の死をも恐れぬ蛮行によるものだが、さすがに出血量が増え、血圧が下がり続けすぐに息が上がるようになると救急車を呼ぶことを考える。
一時的な世迷いごとの判断は、拒食症まで行くだけの根性もない。

彼女たちはなにをどのように考えて、ああなるのだろうか。
それとももはや自分で何かを決めることさえも何かに捧げてしまったのだろうか。

自分が死から少し離れると、気が楽になってそんなことを鏡を見ながら思った。
現代はいろいろなものを闇雲に巻き込みながら猛烈な勢いで進んでいる。

こういうポスターを見るとぞっとしてしまうが、形こそ違え、わたしもこんな風になっているのかもしれない。

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ダルビッシュ・有



本日より日本シリーズの開始だ。
わたしは個人的にはダルビッシュ・有に勝たしてやりたいと思っている。
まあ、肩入れしているわけだ。
初戦が彼の登板だが(本当にそうだろうな)、このときの相手が中日の川上憲伸になるだろう。
この川上憲伸はもっとも相手にしたくない投手だ。

詳しくは野球好きの人たちが語ればいいことなのでよくわからないわたしは書かないが、この初戦は両チームともに勝ちにきているわけだから2勝の価値があることになる。
1勝すべきところが1敗になるわけだから差し引き2勝というわけだ。
このシリーズはこれで決まりみたいなものだ、何かほかに大きな力が働かなければ。
野球もまた流れが決める。
だから、わたしはせめて初戦だけは見ておこうかと思っているところだ。

いま、何かほかに大きな力と書いたが、じつはそのことに触れておきたい。

今年の日本ハムの開幕直前、3月22日に勇翔寮寮長の菅野光夫氏が亡くなった。
その悲報を聞いたダルビッシュは練習中、目を閉じたままボールを握り、口づけをしたという。
あの05年、つまりは彼の1年目キャンプでの喫煙問題が発覚した後ダルビッシュは、沖縄から鎌ケ谷へ“強制送還”された。そこで謹慎生活に入ったのだが、そこでのことだ。
寮長になったばかりの菅野さんは彼に毎日反省の日記を提出することを要求した。そうして、人目を忍んでキャッチボールの相手をしてくれたという。
そのとき、どういうやり取りがあったのかは知らないが、彼の死に際し、目を閉じたままボールを握って口づけをしたとき、彼が夕暮れのキャッチボールを目の当たりにしていただろうことはわかる。

菅野さんの葬儀のときに報道陣に問いかけられたダルビッシュは「ちょっと…」と口ごもり手を顔の付近で力なく振るだけだった。そして、大阪への移動が始まるまで待機場所となったバスの中、じっと故人が眠る斎場を見続けていた。

おそらく高校球界で有名だったダルビッシュはとてもつまらない男だったのだろう。
そういう風になってしまう男は多々ある。
その男が
「今もまだ亡くなったって信じられないのですが(葬儀の時に)、心の中で日本一になるって誓ったんです」と言っている。
ダルビッシュは2年連続日本一の称号を手に入れてから墓前に向かうつもりだ。

あのつまらない男が、このごろのインタビューを聞くと嘘のようだ。
人はこんな出会いを持つことがある。
わたしは二度と彼の手に戻らないこの出会いへのはなむけとしてこのシリーズは彼に勝たしてやりたいと思っている。
いい人に会えて、本当におまえはよかったと心底思っている。
あいつを菅野さんの墓前に行かせてあげたいではないか。

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亀田興毅


本日、正確には昨日、終日マスコミに亀田興毅および亀田史郎がさらし者にされた。
マスコミのやることはいつもこうだ。
もちろん彼らに非があることは否めないが、マスコミの非が一切捨象された。

いっておくが、小悪党であるが彼らは確かに生きてきた。
そのことをわたしは過小評価しない。
きみらは意識的に生きているのか。
小金を得られればそれでいいのだろうが。

小悪党であるがゆえにマスコミに踊らされ、十二分に彼らは踊ったのではないか。
事実、内藤大助戦の直後でさえTBSのスタッフや赤井氏や鬼塚氏は大毅を将来ある有望な選手とほめていたのではないか。負けて強くなっていくとほめていたのではないか。
その発言は今どこにある。

持ち上げるだけ持ち上げて、落とすときは落とす。
それもすべてのマスコミが同じようにだ。(もちろん少しの例外はあるが、今はいいだろう。)

マスコミは亀田史郎はあれは踊らすべきではなかったと表明すればいい。
三人だけをこれからは踊らしていくといえばいい。
同じように和毅も踊らすのだろう。
楽しいだろうきみたちは。

いまやマスコミは大衆の代名詞だ。
大衆はマスコミの言うように踊る。
亀田一家ならいい。

政治に関しても同じことだ。
小泉を持ち上げ、安倍を持ち上げたのもきみたちだ。
大衆はそのたびに喝采した。

今回の亀田の会見、君たちは醜かった。
マスコミの状態が手に取るようにわかる。

朝から晩までいったいなにを放映しているのだ。
意識的に亀田問題を選び取って放映していたのか。

おまえらに踊らされるのだけはごめんだ。
クソレポーターとクソコメンテーターの諸君。

数少ないが、この国にも意識的に生きていこうとする仲間がいる。
恐怖心だけはもっておいてくれ。

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2007年10月23日火曜日

茫然自失

どういういきさつであったのかはわからないが、ケイタイをなくしてしまった。
それほどケイタイに頼った生活をしていたわけではないと思っていたのだが、この茫然自失は何ものなのだろうか。
なくしてしまって始めて知る大切さというものがあるが、その類か?
違うだろう。
なくしてしまったたわけさに対する唖然だろう。
それならば何度もある、あれかと納得がいく。
たまたま知り合いからあなたのケイタイが高井戸交番に届けられているとパソコンにメールが入る。
あわてて取りにいってほっとする。
たわけさも中くらいなり… といったところか。

昨夜は確か高井戸「ちゃんぷる亭」で飲んでいたはずなのだが…
飲むといってもわたしの酒は、意識がなくなるか金がなくなるまでで、ほかにもだれかに根こそぎ盗まれるまで…要はすべてを無くしたくて飲んでいる。

どぶに金を捨てるとはこのことで、周期的にオレは金をどぶに捨てようとする。
それは復讐のようにであるが、そうしないと何かのバランスが取れないのだろうか。
だとすれば、そのバランスとはなんなのだろう。

もっとまともに生きていけるはずだと思うのだが、こうまで醜悪であっては話にならない。

つまらない愚痴でしたが、ほんとうのことです。

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2007年10月22日月曜日


「南アを代表するレゲエ歌手、子どもの目前で射殺される」 (ヨハネスブルク 19日 ロイター)

南アのレゲエ歌手のラッキー・デューベ(43)が18日夜、息子と娘の目前で何者かに射殺された。
ほかに射殺したほうがいい人間はいっぱいいるのに、たとえばオレとかさ、よりによってだ。
SABCのラジオ局の報道によると、デューベは自動車強盗に銃撃されたとみられ、警察が現在容疑者3人の行方を追っているという。
デューベは南アで最も売れているレゲエ歌手で、これまでに国内外で20以上の賞を受賞している。
それよ何より音楽を聞くことのないわたしが年に一回ぐらい聞く歌手である。

追悼の意を込めてここに書いておくことにした。

まいったな。

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2007年10月19日金曜日

小沢一郎の実力



「福本じゅんいち」という男はいま、政界でとても重要な存在になりつつある、あるいはなってしまったのか。
以下は、公明党離党に関する彼の見解だ。

私の離党決意への理由について、新聞紙面では『公認されなかったことが不満で離党を表明した』という論調がほとんどだと思いますが、離党決意の最大のきっかけは、党からの非公認の理由説明にあります。

去年4月、冬柴幹事長に呼ばれ、神崎元代表同席のもと、公認しないことを告げられました。
『理由は何ですか』とお尋ねしたところ、神崎元代表から、『秘書の葬儀問題』とすぐに返事が返ってきて、冬柴幹事長もうなずいて同調されていました。
党議拘束に従わざるを得ない状況を察し、その場はひとまず引き取りましたが、"秘書の葬儀が理由"だとすぐに指摘された事に対して、承服できない気持ちはぬぐえませんでした。
5月に入り、太田代表が一次公認を発表した際、『後進に道を譲り勇退する』と言明され、支援して下さった方々に自らご説明する機会もないまま、私の非公認が公表される形となりました。

私の元政策秘書は去年1月に癌で亡くなりました。
当時ご遺族が決定なさった、ある仏教宗派の寺院で葬儀を執り行う事について、党から問題であると指摘されました。
さらに、考え直すよう、ご遺族に説得する指示を受け、私はご遺族に事情を説明しましたが、ご遺族が望む会場で、望む形で葬儀を行う事に、反対を強制することはできません。
一政治家である私が、信教の自由を奪うことが出来るわけがありません。
結局、葬儀に参列することも許されず、前日に自宅に伺う事しかできませんでした。
その宗派以外の形式であれば、他宗教であっても、当然のことながら何ら問題にはされません。
信教の自由に対して、『上司としての監督責任がなっていない』などと指摘されることは、誠に理解に苦しみます。
私が『アンチヒューマニズムの政党』と表現した理由はここにあります。
政党としてこのような判断を下す事に対し、異義を申し上げるのです。
この点では、あくまで党の判断を問いたいのであって、信教の話に触れてしまうという意味でも、また、ご遺族のお気持ちを尊重する意味でも、具体的に公表することは控えておりましたが、多くのご質問にお答えする為、ご説明させて頂きました。

この福本じゅんいちを小沢一郎が抱き込んだ。
そうとしか思えぬ質疑が国会で行われた。
先日の石井均氏の質問だ。
ここで彼は冬柴に「P献金」について尋ねる。
「P献金」とは何か。
「P」とはPresident。つまり池田大作だ。
公明党は彼に献金をしている。
この噂はもともとあったものだが、こうまで公にされたのははじめてだろう。

なぜに民主党はいま公にできたのか。

おそらく小沢が動いたに違いない。
そして彼が動く価値ありと判断したのは先の参議院選挙の勝利で証人喚問の権利を得たことにある。
先の参議院選挙勝利はかくも大きな力を小沢一郎に与えた。

公明党はなぜ自民党と組んでいるのか。
それもまた証人喚問できる自民党の力によるものだろう。
池田大作を国会に呼ばれ、政教分離のまやかしを暴かれては困るのだ。
政教分離は公明党の生命線だからだ。

もちろん小沢は池田大作を国会に呼んだりしないだろう。
その代わりに公明党から何かを得るに違いない。
それは何か。
政局を眺めていればわかる。
いま大きく政治は動いている。

野中レベルの男がいま自民党に入るのだろうか。
こういう世界だから政治は楽しいのだろう。

小沢一郎恐るべし。

だれか死ぬかもしれんなあ。

ちなみにこのことを三大紙は取り上げていない。
取り上げたのは日経、中日、時事通信。
マスコミはいまだに国民を馬鹿にしきっている。

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セシリアはいいね



神田うののような下衆な女を見るたびに「セレブ」などという耳障りな言葉に辟易したものだが、ただ金に尻尾を振る、ついでにけつを振る見るに耐えない女たちを「セレブ」と呼ぶのはいい加減にしてほしい。

そもそも「セレブ」とはいったい何ものだ、そう思っている矢先にわたしの眼前にその「セレブ」が登場した。

セシリアはいいね。
心底言っているわけではないが、それでもスカーッとすることこの上ない。

最近では、テレビで亀田親子を見ない日はないが、あの親父、「すいません」じゃないんだよ。
「おまえら殺すぞ!」くらいの迫力でわめきながら散っていけばいいんだよ。
ヤクザもんのおまえにしてからが、保身のかたまりだ。
亀田親子はもともとどぶ泥のような存在だ。
マスコミにおもちゃにされ一時この世に浮上したに過ぎない。
内藤の眼を潰そうとするような残虐非道なことをしておいて「すいません」はないだろう。
荒くれればいいんだ、最後まで。
ちんけな悪党だよ、おまえらは。

そこへいくと、いかなくてもいいんだが、なんといってもセシリアは素敵だ。

仏史上、現職大統領の離婚は初めてだという。
いいねえ。

セシリアはIsaac Albéniz(イザアク・アルベニスス)、スペインの有名作曲家のひ孫である。
社交界の花形的存在で、独立心が強く、華麗な交際歴で知られたというのだから根性の入ったいけ好かない女、つまりはこれが「セレブ」というものなのだ。
いいだろう。
で、この女、「大統領密使」としてリビアを2度訪問して、当時の最高指導者カダフィ大佐との直談判で、拘束されていたブルガリア人看護師らの解放を勝ち取ったりもしている。
あなどれんな。

大統領を袖にする。
これが「セレブ」の心意気。

こうでなくちゃいかん。

日本の巷では心意気のない奴らが氾濫している。
おまえらは「セレブ」じゃないよ。
 

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2007年10月18日木曜日

ご神木



朝早く起きてしまったので、神田川沿いに散歩をした。
その足を久しぶりに大宮八幡までのばしたのだが、いつも見ている男銀杏・女銀杏に目がいった。

神社によく見る御神木は神様が下りて来る時の目印で、境内の中でひときわ大きな木が指定されるわけだからこの2本の銀杏も御神木なのだろう。
それとも御神木とは1本で、大宮八幡には別に御神木があるのだろうか。
こういうところがわからない。

そういえば、15日(月曜日)に江戸東京博物館の「夏目漱石展」に出かけたのだが、その帰り両国「回向院」に寄った。
そこにも大きな銀杏があったがあれが御神木であったか。

神社の御神木、自然と決まるものなのだろうか。
御神木は1本でなければならないのか。
1番大きな木でなければならないのか。

いくつかのことがわからず、不思議に思ったのでここに記すことにした。
ちなみに写真は地蔵寺の御神木。
こちらは杉である。

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2007年10月17日水曜日

竜王戦第1局、渡辺明制す



本日、18時44分、114手まで。
渡辺竜王、第1局を制す。
消費時間は佐藤7時間57分、渡辺7時間45分。(持ち時間8時間中)

渡辺は強かった。
まさか前回の竜王戦で格付けができてしまったのではないだろうな。

結果として、佐藤がとった渡辺の攻めを呼び込むような作戦がまずかったのだが、佐藤にして受けきれることが困難な渡辺の攻めなのか。
それほどの攻撃力なのか。

なぜかこの結果にうれしいわたしがいる。
こういう感情がわくとは思わなかった。

わたしは渡辺明を応援しているようだ。
もちろん、その先には憎き羽生善治がいる。

谷川に今ひつ精彩がない昨今、わたしはどうやら渡辺が羽生を倒す瞬間を待っているようだ。
(羽生と渡辺のタイトル戦はただ一度。羽生王座に挑戦した渡辺が敗退するものだ。このときが渡辺明の最初のタイトル戦挑戦だった。)

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一瞬の風になれ



「一瞬の風になれ」は吉川英治新人賞と本屋大賞を受賞しているので読まれた方も多いのではないだろうか。
残念ながら第136回直木賞は逃した。
選考委員の眼だ。
仕方あるまい。
ここに選考委員の評がある。

井上ひさし 「美点の多い作品である。また、走ることを書き切るために疾走感のある軽やかな文体を採用      したところにも感心したが、物語の展開があまりにも定石通りだった。」「やや鈍重な、お約      束の結末になってしまったのは残念である。」

林真理子  サークル(引用者注:自分のセンスに合った読者だけ得ればいいという志)のしっぽをくっつ      けているような気がして仕方がない。」

渡辺淳一  「優しく爽やかで軽すぎる。」「作家が異性を書くときは、その異性の感性から生理まで書け      る自信がなくして、簡単に挑むべきではない。」

平岩弓枝  「のびのびと書いていて明るく読みやすい。スポーツを背景におくと人間が描きやすいという      利点を上手く使っている」「友情の裏にある闘争心をもっとむき出しに書いてもらいたかっ       た。」

阿刀田高  爽快なスポーツ小説にはなっているが、――もう少しドロドロしているんじゃないのかなあ       ――人間のリアリティーを感じにくかった。」


北方謙三  「丁寧に、よく書かれていると思う。しかし、汗の臭いがたちのぼってこない。」「挫折や苦      悩や嫉妬や屈辱という、マイナスの情念が、実は小説ではプラスになり得るものかもしれな       い、という発想が排除されているという気がする。爽やかさに、手放しで拍手を送れない、と      私は感じ続けていた。」

なるほど選考委員はコンクな作品がお好きらしい。
ちなみに第137回直木賞受賞作は「吉原手引草」だが、その評を読んでみるとほぼ全員が絶賛している。
それはそうだろう。
松井さんのあの作品はコンクそのものだ。

さて、以下ここでわたしは「一瞬の風になれ」をほめようと思っている。

社会科学に「合成の誤謬」という考え方がある。
この話から始めたい。

「その人にとっては合理的な行動なのだが、多くの人がそれと同じような行動をとることによって、社会全体にとって不都合な結果が生じること。」

社会科学にとっては、ちと頼りない定義だが、ここでわたしが語るなかでの「合成の誤謬」はこの程度の意味で理解してもらえれば十分だと思う。

これをさらに下世話な話にしてしまう。
小さくはあなたと彼女、あるいはあなたと彼のことを考えてもらえばいいだろう。
わたしがこんなに努力しているのにあなたはなんなの、なにを考えているのといった類のことだ。
しかし、ことはあなたの思っているようなことではないのだ。
あなたが努力しているように相手もまた努力している、にもかかわらず二人の関係はまずくなっていく、そういう話なのだ。

家族に置き換えて考えてもいい。
オレがこんなに家族のためを思って働いているのにおまえらは(ここでは家族のほかのメンバーのことを言っている)なにを考えているのだ。
案ずることはない。
彼らもまた家族のことを思い、生きているのだ。
それでも家族自体は冷え冷えとしたものになっていく、そういう話をしているのだ。

そういうことが生じる。
「合成の誤謬」を知らなければ、ややもすれば相手をなじりたくなることもあるだろうが、彼らもまたあなたと同じように一生懸命生きていたとしても、結果ますますうまくいかなくなるということはあるのだ。

「一瞬の風になれ」はすぐれてこの「合成の誤謬」をいかに乗り越えるかを書いた作品である。
おそらく作者である佐藤多佳子にその意図はなかっただろう。
若者たちを主人公にしたビルドゥングスロマンを書こうとしたのではなかったろうか。
もちろんその視点で見てもこの作品は上出来であろう。

「神奈川県立春野台高校陸上部」

これが、「一瞬の風になれ」の舞台だ。
つまり、この陸上部が彼らの限定された社会である。
そこに描かれる陸上という競技のあり様は興味深い。
走るということを始めて読者は知らされる。
作者の取材の周到さだ。
このリアリティが「合成の誤謬」へ立ち向かう彼らを映し出していく。

「一瞬の風になれ」は三冊の構成になっている。
1 イチニツイテ
2 ヨウイ
3 ドン
となっているが、うまいもんでしょ、このタイトル。
佐藤多佳子はセンスがいいのだ。

この「3 ドン」の「第4章 アンダーハンド・パス」が「合成の誤謬」に立ち向かう彼らの姿を書いてとくに美しい。
それぞれがそれぞれに努力しても離れていく夢を彼らはどのように近づけようというのか。
佐藤多佳子は陸上という競技の中で「4継(100m×4 リレー)」を特化させる。
特化させたとき、彼女の頭に「合成の誤謬」の超克はなかっただろう。
先にも書いたようにおそらくは青春の成長過程を書くのに必要な設定だったのだろう。
それが予期せぬものも引き寄せた。
ひたむきさが時たま起こす仕合せである。

人には人の心がわからない。
おそらくそのふたりの間には言葉の入りこむスキもないだろう。
思いつきの言葉ならなおさらだ。
だとしたら人は心をこめる人にどうして相対したらいいのだろう。

寄り添うことだけなのだろうと私は思っている。
寄り添い、寄り添い続ける、そのことだけが残された道ではないかと思っている。

だからさ、寄り添ってくれる人をあなたには大切にしてほしい。
あなたには大切な人に寄り添っていてほしい。

「人間」と「人間関係」は似たように見えるかもしれないがとても遠い存在だ。
相手のことがどれほどわかり、自分のことがどれほどわかったとしても、二人の関係が見えるかどうかはそんなところにはない。
関係を支えているものはあなたの手にも相手の手にもない。
では、どこにあるのか。
以下はせつなく長い話になるが、このことはあらためて作品にするためここではこれ以上言及しません。
申しわけないです。

「一瞬の風になれ」はたくまずして人間関係を描いた作品になってしまった。
選考委員は言う。
「人間が描かれていない。」
「女性への理解が足りない。」
それはそうだろう。
この作品は、結果として人間を描いた面に誇るべき美点は薄いのだから。

選考委員の評を読んで思う。
彼らは人間と人間関係がまったく違ったものだという基本的なことを理解していたのだろうか。
理解していたとして、この作品をあのように評価したのだろうか。


※今回のブログは一度書き上げたときに事故で一切が消えてしまったものです。
その落胆のなかで書き直したものなので随所にその気落ちが見えます。
あらためて少しずつ書き直し、当所のものに近づけていきたく思っています。

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2007年10月16日火曜日

エクスマキナ



JR病院で読んだもう一冊「喜びは悲しみのあとに」上原隆著を紹介したいのだが、そのまえに書いておきたいことやものに日々出会うのでなかなかこの一冊の話にたどり着けない。

何にも出会わずにただうだうだと生きているに過ぎないと思っていたのだが、それでもこうやっていくつかのことに出会っていることに改めて気づくと妙な気がする。
これを生きているという実感というにはあまりにたわいなさすぎるように思ったりもするが、生きていることがもともとたわいないことなのかもしれないと思ったりもするのだ。

「エクスマキナ」という映画の試写会に行ってきた。
原作:士郎正宗  監督:荒牧伸志  プロヂュース:ジョン・ウー 音楽監修:細野晴臣
とあるが、原作と監督がわからない。
アニメ映画としてどのあたりに位置する映像かわからない。

それはそれとして、映像を見たわたしはぶったまげた。
その前に見たのこの種のものは「スチーム・ボーイ」でこれにもぶったまげたが、アニメ(?)の世界ではこのくらいのレベルは当たり前なのだろうか。
お宅のような人に言わせればいろいろあるのだろうが、わたしなどはその絵に圧倒されっぱなしだ。

西暦2138年がその舞台だが、描かれるものは愛に代表される古くて新しいテーマだ。
時代設定や人物群が変わってもテーマは大きく変わらない。
主は変われど…、というわけだ。

それでいい。
このテーマが基調低音として流れていなくてはと思えるのだ。

ここで「エクスマキナ」のことをごちゃごちゃ書く気はないが、悪役というか敵役が魅力的であるとエンターテインメントは一気にしまる、という持論があるのだが、この映画の敵役はこの世のものとは思えないほど魅力的で美しい。
それが、なぜだかはよく理解できるのだ。
それはこの敵役が、実際にこの世のものではないからだ。
それにしてもなんという美しさ。

しかしながら、あらためて思う。
はじめて見る美しいものはいつも激しく感動的だ。

思えば、あのときおまえも…     なんてね。    

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2007年10月14日日曜日

フェイスフル スパイ



JR病院で読んだ本の一冊目は「フェイスフル スパイ」です。
この作品は、ここで紹介しようと思わなかったのですが、思いのほかだったのです。

「フェイスフル スパイ」は2007年度MWAの新人賞で、とても評判を呼んでいるものです。
評価の高い作品だと聞いていたのですが、なるほどそうでした。
わたしはこの手の作品はあまり好まないのでそうそう作品世界に引き込まれることもないのですが、ラストへと続く一連の流れには納得させられました。
最後の100ページあまりと言っていいでしょうか。
十分なエンターテインメントだったのです。

この作品ではあのアフガン、イラクへのアメリカ侵攻が書かれているのですが、この作者アレックス・ベレンソンのこの戦争に対する位置とわたしの位置は違う。
しかし、作品の価値は政治的立場から判断してはならない。

似たような話だが、ハリウッド映画の多くは批判されて仕方がないものだが、これもまたその作品批判の中心にあるのは政治的なものであってはならないとするのがわたしの立ち位置だ。
多くのハリウッド映画は彼らの文法のもとに作られた鋳型に設定や役者や音楽に少しだけ味付けをして流し込んでいく、その安直さが批判されるべき中心だ。
しかも自国の政治的プロパガンダとして使っている。(しかし、この批判は作品批判ではなくアメリカ批判だ、このことに注意しておきたい。)

ともかく、「フェイスフル スパイ」にわたしは具体的ないくつかのアメリカ人の姿とイスラムの人々の思いがどのように具現化するかを教えられた。
情報的にもストーリー的にも新人作品として秀逸だと思う。
それが巷間言われるようにジョン・ル・カレに並び立つ可能性をもつ物かどうかをわたしは知らないが、思いのほかの収穫だったのでここに記しておきたい。
記さないと不公平になってしまうと思ったからです。

というのは、わたしが本当に書きたかったのはそのときに読んだもう一冊の感想だからです。
その本を心ある人に読んでいただきたい作品として紹介したく思っているのです。

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2007年10月13日土曜日

ネットはどちらにとっても恐ろしい

ネット情報では、インド洋の給油のために仕入れている軽油の仕入先が明らかにされつつある。
あの軽油はバーレーンの国営精製所から米艦船用の船舶燃料として、在バーレーンの「シェブロン社」プラントから、通常の2~3倍の価格で買い求めているらしい。
それを海自は、タダで米艦船等に給油しているというわけだ。
で、どこが儲かるかといえば、仲介する日本の2商社とかかわっている政治家。
それに米ではシェブロン絡みのライス長官。
もちろん、以上は正確に裏を取る必要がある。

だから、だめだと言っているのではないのです。
このことも情報として取り入れてインド洋の給油問題を考えようと主張しているのです。

JR病院で読んだ2冊の本のことは後ほどに。

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2007年10月12日金曜日

一度や二度寝たとしても

わたしの身体はあちこちが少しづつ悪くなっていて、この前は虎ノ門病院へ腎臓の精密検査へと出かけたが、今日は今日とて新宿JR病院へ大腸ポリープの摘出に出かけた。

わたしの大腸ポリープ摘出は片山原子(かたやまアトム)先生が一手に引き受けてくれていて、彼へのわたしの信頼は厚い。
彼を一言で表せば変態である。
この場合の変態は変態性欲じゃないよ、正常じゃないという意味ね。
まず、手術の話をするときの彼のぎらぎらした目はネクロフィリアのごとき趣がある。
そら見ろ変態性欲ではないかと指摘されるかもしれないが、ここはもっと大きく括っておきたい。
片山さんはおもろい人だ。
そして、わたしをひどく疲れさせる。

今日も「山本さん、今回はありませんね~」と言いながら内視鏡を大腸の奥へ進めていたのであったが、
「ああ、ありました、ありました、盲腸のあたりですねえ、こんなに奥にまだ残っていたのか、で、どうします?」
「――どうしますって、片山先生、放っておいていいんですか?」
「~ん、まずいでしょうね」
「じゃあ、取ってくださいよ」
「うん、そうしますか、痛いですよ」
「痛い? 痛くないじゃないですか、いつも」
「まあね、いつもはねえ~、痛くないですかね、じゃあ、取りますよ」

というわけで、すったもんだがありながらもわたしは最後の大腸ポリープの摘出に成功したのでしたが、
さらに片山先生は追い討ちをかけたのでした。
「山本さんの大腸って憩室がいっぱいあるでしょ。」
「はあ」
「気をつけてくださいよ。」
「はあ~!」
「あの憩室が破裂したら、緊急開腹手術ですからね、うへへへ」
「うへへへってどう気をつけたらいいんですか?」
「まあ、破裂するほどいっぱいうんこを貯めなきゃいいんですけどね、うへへへ」
「……」
「片山先生、オレ帰るわ」

今日は、タイトルの通り出会いのことを書こうと思っていたんだけどさ、片山さんのことを書いているうちにオレ、熱出てきた。
今日はここまでにするわ。

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2007年10月11日木曜日

国会中継


先のブログで睡眠薬のことを書いたが、楽しみが増えたのに深い思いはない。
わたしは強い自殺願望者ではない。
ふとそう思うことが多いといった程度です。
このブログそのものが戯言なので読み流してくれればいい。

聞いていた国会中継を聞き終わった後、深夜近く米国防総省から発表があった。昨夜のことだ。
米空母キティーホークは日本の給油艦ときわから受けた(米給油艦ペコスを介した間接給油であるが)67.5万ガロンを3日間で使い切っており、対イラク戦に使っていない、といったものだ。
2003年2月25日の話だ。

これはこれでいい。
論点が、イラク戦に使われなかったと証明できないではないかというところにあるからだ。
これで証明できたのかどうかはわからないが、アメリカにとってこの給油が重要なのはわかった。
国会での論戦直後のグッドタイミングで発表してくれたからだ。
この自衛隊の給油・給水がそれだけ軍事上の意味が大きいのだろと考えていいのだろうが、本当にそれだけか。

じつは、これにはもうひとつ大きな意味がある。
大々的には報道されていない。
朝日新聞系の人間がかなりのところまで事実関係を握っているが、発表するかどうか。
たとえば週刊朝日の編集長はこのことに詳しいが、発表できるか。

アメリカは軍産複合体の国家である。
戦争がなければ食っていけない国であってこの給油でもかなり潤っている。

つまり日本はこの給油のために定期的にあの油をアメリカから買っている。
それもアメリカの中枢部が関係している会社からだ。
その商売がなくなる損失はあまりにも大きいし、そのことでアメリカ政府に圧力をかけたはずだ。
詳しい内容をわたしも読みたいが、書いてくれないだろうか。
ちなみにその買い付けには日本の商社2社もかかわっており、彼らも給油がとまるのが痛い。
インド洋での給油の重要性は経済的な重要性でもあるのだ。

そのポイントは一切国会では取り上げられていない。

だれが潤っているのか。

それはイラクで戦っているアメリカ兵ではない。
日本の庶民でもない。
高みからそれらを操っている人々だ。
2003年頃の調べだが、米上院・下院の議員の息子で戦地に赴いているのは1人に過ぎない。

では、だれが戦っているのか。
アメリカそのものではないはずだ。

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レンドルミン

何かの拍子に日常と違う世界に入ると、そのまま何日もそこにい続けてしまい、
日常に戻るためには不眠と妄想と吐き気のなかで横になったまま無為に過ごす。
その状態にはわりと強い鬱状態も入り込んでくるので、何か読むことなどとても叶うはずはなく、ラジオをただただ聴いて時を過ごしていることが多い。
電話にも出られはしない。(とても失礼しました。)
そんなラジオのなかで拾うことはあまりない。
今回は国会中継を聞くことが多かったなあ。

それが、二、三日続くと徐々に日常に戻ってくるというのが、わたしの生きている姿なのです。
あまりにこんな姿がわびしく、すこし上向いた状態になったわたしは精神科医の元に向かいました。
日常と違う世界に行くのはよいのですが、戻ってくるのがこんなにつらく長いのは困るのです。

まずは、酒を飲まなくしなければいけない。
飲まなくしないまでも自己コントロールの下で飲んでいたい。
完全なコントロール下でなくとも、向こうの世界に入っていくだけの飲み方はしたくない。
そう強く思ってのことです。

わたしにおいて鬱と酒と不眠は一緒くたでいつもどろどろと螺旋状に襲ってくる。
なんだかんだと医者に言って、今手元に睡眠薬がある。

レンドルミンは酒と飲むとややもすると危険な状態になるわりと強いベンゾジアゼピン系睡眠薬だ。
わたしの友人のもっているハルシオンが超短時間型なのに対し、こいつは短時間型だ。
一般に睡眠薬は超短時間型、短時間型、中間型、長時間型の四つに分かれているが、最初にしてはいいものをもらえた。
わたしの好みではさらに中間型のユーロジン(武田薬品の開発した唯一の睡眠薬)、長時間型バルビタール(聞いたことがおありだろうか。最後に芥川が使用したあれだ。)をねらっている。
先の話だが、楽しみは増えた。
しかも昨夜服用したが結構効いてくれた。
6時間弱も持続的に眠れた。
何ヶ月ぶりのことだろう。

これで不眠とはおさらばだし、酒で不眠を押さえて無理に眠るようなことをしなくてもよくなる。

すこしはましな人生になるだろうか。

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2007年10月5日金曜日

この国の民度


映画「クローズド・ノート」での“不機嫌騒動”で沢尻エリカ(21)がピンチだ。
そんなニュースがこの国をにぎわしている。
末世じゃのう。

もともと沢尻エリカがクソ女だというのはわかっていた話ではないか。
立派な女性だとでも思っていたのか。

長嶋茂雄という男がいる。
棒を持って球に当てるのが唯一のとりえの男。
そのクソ男を奉ったこの国。
長島の技術に手をたたくのはいい。
しかし人格者としてあの男は立っていない。
何を考えている、ワイドショー、そしてこの国の民であるあなた。
長嶋茂雄は単なるクソ男で素敵だ。
そのように素敵な男として江夏豊がいたし、勝新太郎がいた。

愛するのはその芸でその人格ではない。
要求するな、人格を。

沢尻エリカはいい役者じゃないか。
それで十分だ。

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2007年10月4日木曜日

羽生王座戦16連覇達成


「目の前に見えていないものをないという愚鈍さ」
そう言ってしまったのはだれだったのか。
忘れてしまったわたしの脳裏にいまもその言葉だけが鮮やかだ。

羽生には何が見えているのだろうか。

将棋を知る楽しさはそういうところにある。
羽生のその指し手、一つひとつを追いかけていくとき、わずかにフラッシュが瞬く。
羽生には見えてわたしには見えないもの。
垣間見る一瞬だ。
だが、ほんとうに見えたのか。

森山大道に見えてわたしに見えなかったもの。
橘外男に見えてわたしに見えなかったもの。
ことを大げさにすれば、ますます見えなくなる。

目の前に見えていないものはないのだという愚だけはしたくない。

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2007年10月3日水曜日

虎ノ門病院へ行く


虎ノ門病院の近くにはなぜか金比羅宮がある。
有名な話なのだろうが、わしゃ知らんかった。
驚いたぞなもし。

久し振りに都心に出ると何が違うかというと、目的場所に着くまで本が読めるということだ。
だいたいがわしは自宅でしこしこと内職をしとるんもんで、本なんぞ自宅では読まんのだ。
だから今回、午前6時前に自宅を出たわしは(ラッシュが怖いんでな)電車と病院の待ち時間に思う存分本を読んだぞなもし。

読んだ本が、よかった。
うれしかったですたい。
久しぶりに入ったパチンコ屋でリーチからいきなり当たりが入ったようなもんだ。
確変に突入するかどうかは別にして、なかなかの作品だった。

「吉原手引草」松井今朝子著
三人称多視点といっても単なる多視点ではない。
寄ってたかって語る中で、主人公を浮かび上がらせるあの手法をとっている。
そして、たくらみとして作者は主人公「舞鶴屋の葛城」だけでなく「吉原」を浮かび上がらせるのです。
つまり主人公は「舞鶴屋の葛城」だけでなく、あるいは、ではなく「吉原」なのです。
これが読み取れていないとこの本の良さはわからない。
でないと鍛えの入った作者の語り口がわからない。
作者はかなり歌舞伎にのめり込んでいるはずである。
もし、誰かがこのあたりのことを書こうと思うならそばに置いて十分価値のある本である。

いいですねえ、何にしろ鍛えの入った芸というのは。

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2007年10月2日火曜日

アサギマダラあるいはオオカバマダラのこと




上の写真はオオカバマダラだ。
そのことで思い出すことを書いてみます。

むかし、高井戸「ちゃんぷる亭」で飲んでいたとき峰井さんに出会った。
峰井さんは気象庁の人だが、チョウ追い人として名高い。
なに、すべてはわたしの中での話だ。

峰井さんは気象庁の人で、いまは小笠原にいる。

わたしにアサギマダラを教えたのは峰井さんだった。
峰井さんがチョウの人と知ったとき、わたしは長年よく理解できないチョウの話を聞いた。
「峰井さん、―― 
 そのチョウは木に鈴なりになってとまるらしいんですよ。何頭も何頭も重なりながら…、それでね、ひど い場合はその枝が折れてしまうらしいんですよ、チョウの重さでですよ、そんな話、あるんでしょうか。

「それはオオカバマダラです。
 
峰井さんはそれから北米の渡りチョウ、オオカバマダラについてひとしきり話してくれた。
チョウ追い人特有の熱のこもった話は酒場にしばしばチョウを舞わせていたかもしれない。

オオカバマダラの話が終わった後、峰井さんは内緒話をするように続けた。
それでね、その渡りチョウ、アジアにも一頭だけいるんですよ。
そいつが日本でも見れてね……

それがアサギマダラだった。

峰井さんの話だと、アサギマダラも休息のときは一本の木に幾重にも幾重にもとまるそうだ。

「チョウの木」

峰井さんが教えたのかそのときわたしが思ったのか忘れた。
その言葉と一緒にわたしのなかにその映像がある。

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国家よ、さらに非道たれ


昨夜映像で見た沖縄の集会、11万人は壮絶だった。
あの島でこれまで何が行われてきたかまざまざと想起させた。
あの島での出来事の多くは知られてはいない。
リゾートアイランドの面が強調されてきた。
そのことで島の持つ歴史はすこしずつ捨象されていった。
また、島の人たちも積極的に多くを語ろうとはしなかった。

あの集会にはわたしの知人も出かけている。
今回の出来事の広がりを見るとき、この国の人々は完全に飼いならされたわけではないと思った。

国家はさらに非道に振舞えばいいのだ。
「日本軍強制」を復活させると、はや言い始めている。
きみたちは腰抜けだ。
この国の総理が「沖縄の人の気持ちはわかりますよ」と言う。
そうか、きみには人の気持ちがわかるのだ。
なんという傲慢な腰抜けだ。

腰抜けでいい。
どうでもいいから、もっと非道に振舞ってくれないか。
たとえば無理矢理徴兵制でもひいたらどうだ。

国家が非道であり続ければこの国はもしかしたら変わるかもしれない。
そのときはわたしも一命を賭そうと思っている。

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2007年10月1日月曜日

原寸大の地図



「原寸大の地図」という話があります。
(別にボルヘスのあの小説のことを話そうとしているのではないのです。)
地図とはある世界をあるいはその一部を縮小して表現したもので、原寸大だと正確ではあっても持ち歩けないしあまり役に立たないというお話です。

逆説的に書けば、地図とは不正確であることをもってわれわれの役に立つわけです。
不正確とはこの場合、縮尺することで見えないものが出てくることを言っています。
たとえば五万分の一の地図にあなたのおうちは載っていませんものね。
現実にはそこにあなたが住んでいてさっき庭先の花に水をやっていたとしても五万分の一の地図にそれらはありません。

地図は現実世界の写し絵ではなく、たとえばどこかにたどり着くのに必要なものだけを抽象し、あとのものは捨象していくところがあります。
その場合、大事なひとつの山を捨象するのはとても困るのですが、地図を作る際の縮尺には山を消滅させる力はないのでそれは心配ありません。
地図製作法はしっかりしており、現実と地図の間はなかなか堅固に結びついているのです。

社会科学のモデルにも地図によく似たところがありますが、これは危ういことがあります。

文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除・修正された問題で、29日午後3時から宜野湾市の宜野湾海浜公園で開催された「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(同実行委員会主催)には11万人が参加、宮古、八重山の郡民大会も含めると、県内外から11万6千人(主催者発表)が結集した。

歴史もまた地図のごとく原寸大のものを求めることはできません。
われわれは別様に縮尺された歴史という地図を何枚か持っているにすぎません。
今回のこの事件はそのなかの一枚の地図、「日本軍は正しかった地図」の話ですが、その地図を完成させるには、ひとつの山(=日本軍強制)を消し去る必要がありました。

しかし、その山は消し去るにはあまりにも大きすぎる山ではないかというのが今回の結集です。
もともと「日本軍は正しかった地図」自体、それほど必要なものでもないのですから。

わたしも日本はひどい地図を作ろうとしていると思いますし、このムーブメントを全面的に支持します。

ただすこし気になっていることもあります。
時としてこのムーブメントのなかに「真実の歴史」という言葉を聞くときです。
「真実の歴史」は「原寸大の地図」のようなもので、ともに存在させるに難しく、有効性にも無理があります。

さらに、真実の歴史をもつことは真実の地図をもつことよりもずっと大変かもしれません。
ごくごく限られた場所なら、その場所のそこらじゅうを歩きまわることで、われわれはそのごくごく限られた場所での原寸大の地図をほぼ手に入れることができるでしょうが、そのように歴史のなかを歩き回ることは至難だからです。

一方、「ほんとうのことを知りたい」は、よく考えられた言葉でとても限定的な物言いになっています。
そこが「真実の歴史を知りたい」とは違っています。

沖縄の今回のこの運動には限られた集団自決の周りをいやというほど見てきた人がいます。
それをある高校生は「わたしたちのおじいやおばあが……」と集会で話していました。
あれは限られたほんとうのことを強調しています。
その限られたほんとうのことをわたしは「山」と言いました。
その山をその足で歩き回り、その目で確かめ、その手で触った人がいるのに、
なかったことにしようという無神経で酷薄な暴挙。

確かな場所から発信する11万6千人の民衆の力はとても誇らしいものでした。
わたしもあんなふうに輝いてみたく思います。

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