2011年2月28日月曜日

ジャスミン革命

チュニジアで起こった革命をこう呼ぶ。
一人の青年の焼身自殺からこの民主化運動は始まる。
(あとは、自分で調べてね)

この民主化運動は、エジプトへ飛び火し、今は、リビアで騒動になっている。

他のことはどうでもいい。

この一連の革命に関してはアメリカを抜きに考えてはならない。

現在、世界には四つの全体主義がある。

中国
ロシア
北朝鮮

そして、アメリカの「ティーパーティー」です。

アメリカの国は利権で動く。
利権で動きながら「民主化」と高らかに叫ぶ。

ビン・ラディンもフセインも最初アメリカが、彼らの利権のために育てた。
都合が悪くなって、民主化のために制裁しようとしている。

この国、日本はそのアメリカに支配されている。
ウィキリークスをたどれば次第にわかってくるはずです。
あるいは、手っ取り早く「他策ナカリシヲ信ゼント欲ス」若泉敬著をお読みになってもいい。

ANYWAY

今回の中近東の革命の影にアメリカを見ていなくてはならない。
あいつらは、傀儡政権を作ろうとしている。
民主化と称して軍隊を送り込みたくて仕様がない。

そのとき、日本にも要請が来る。
あの馬鹿な菅直人内閣が、それにどのような態度をとるか見逃してはならない。

幸せなことに、中近東の革命を行っている多くの若者たちは、反アメリカも主張している。
アメリカがどれだけ腐った国かを知っている。

キミたちは知っているか、アメリカの非道を。

今回、アメリカは、石油利権とイスラエル(アメリカではユダヤ人が強力な力を有している)のために動く。

原油価格は、ニューヨークで管理されている。

中近東は、原油を自分の手に戻し、自分の手で売り買いしたいのだ。
アメリカの石油メジャーなどどうでもいいと言いたいのだ。

キミたちは「七人の魔女」と呼ばれる「セブン・シスターズ」を知っているか?

ああ、日本に革命は起こらないわけだ。

この国は、あのあほなバラエティ番組を見て、AKBに熱中するだけの、おろかな民衆で成り立っている。

この国で信用できる人間の数は、驚くほど少ない。

せめて、キミだけには、世界の様子を少しはわかってほしい。

ついでに書けば、アフリカはすでに中国が強力に食い込んでいる。
パックス・アメリカーナもすでに中国の恐ろしさを自覚している。

何が尖閣問題だ。
あの島は、とても複雑な問題をもっている。
日本が、中国が、自慢して自分の島だと主張できるような簡単な話ではない。

あれもまた、資源問題だな。

だから、もちろん、中国がごり押しをしているというのも歴史的に見れば、そういえるかどうかは難しいところだ。

田岡さんなどがこの件に関しては詳しい。

田岡さんが地上波に登場しない所以である。

堅苦しいブログになってしまった。

妄言多謝

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2011年2月27日日曜日

浮気娘

最近、一人の娘とメールのやり取りをしているのだが、こいつがなかなか家に帰ってこないのだ。
「夜風の中から」を地で行く浮気者で、どこで、どうして、飲んでいるのやら、どんな男とつき合っているのやら。

言っておくが、浮気娘よ。

世の中にいい男なんぞほんの一握りだぞ。
早く家に帰って、ほろ酔い気分で料理でもしていなさい。

そのほうが、ずっと幸せだ。

キミには、幸せになってほしい。

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里美香奈

女流棋士界にも里美香奈という天才がいる。

順調に時が過ぎれば、3月2日で、彼女は20歳になる。

島根県出雲市に住む娘さんだ。
現在、

女流名人
女流王将
倉敷藤花

の三冠。

圧倒的強さを持ち、新しい将棋を目指す。
彼女をもって、健気と呼ぶ。

男性棋士も数多く破っている。

あの、林葉直子が男に走らなければ、ここまで行っていたかどうか。
いやいや、男に走る女は所詮…

では、女に走っているお前は、どうかとお尋ねですか?

わかるでしょう。

人間のクズですよ、わたしは…

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別れ話

別れ話をする前に
優しい瞳を見せないで
別れ話をする前に
冷たい夜空を仰がないで

あなたが好きだった
いまでも好きなのよ、ねえ

別れ話をしたあとは
きつくわたしを抱きとめて
別れ話をしたあとは
わたしの涙見ないでよ

あなたがいたから
あんな男も愛せたの、ねえ

別れ話のすぐ後で
あなたと再び出会えるね
別れ話のすぐ後で
あの日みたいに出会えるね

あなたがいないと
わたしの心は流れてく、ねえ
港なくした船のよに
一人ぼっちでどこまでも
どこまでも
どこまでも…、どこまでも…

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氷見の寒ブリ


氷見の寒ブリなるものをある富山の人からおすそ分けしてもらいました。

これは、うまいです。
けど、めっぽう高いものらしい。

多謝

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彼女が消えた浜辺

イラン映画で女の馬鹿さ加減のよく出た映画である。

はっきり言っておくが、女は基本的に馬鹿である。
正確には、馬鹿で可愛い。

その、可愛さを除いた部分でこの映画は進行する。

ああ、ハリウッド映画は、何とつまらないのだろうと、感じさせた映画でした。

誘ってくれた娘に深く感謝した所以である。

なかに、こんなセリフがある。

「永遠の最悪より、最後の最悪がいい」

男と別れる女のセリフだ。
遠い昔、わたしも同じようなことを言われたことがあります。
今でもそんなことを思っている女性は多いのだろう。

ラベル:

遅くまで起きることが多くなっている

他でもない、それは、お前のメールを待っているからだ。

浮気者め。

オレが、お前の携帯番号を何故聞かないかも、お前は、わかっていないのだろう。

いまごろ、どこで、どうしているのやら。

嫉妬は、思わぬところから襲い来る。

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2011年2月26日土曜日

第36期棋王戦第二局

ゴキゲン中飛車という戦法がある。

久保対渡辺の棋王戦は、その戦いになった、

で、渡辺の研究の局面になり、圧倒的な勝利を収めた。

愛する渡辺明。
今日の対局は、素晴らしかったよ。

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別れる辛さと、別れられない辛さ

わたしがこの世でもっとも愛した男は、Sである。

わたしが、そう出来るなら、なるだけ、長く一緒にいたい唯一の男です。
その男の一度の離婚は、彼が何と言おうがわたしの責任が若干、含まれます。

その男と最近よく電話します。

そのときに感じた言葉です。

別れる辛さもあれば、わたしのように永らえる関係性をもつ辛さもあります。
わたしの細君は、わたしには、もったいないほど、よく出来た女性です。

何度となく、離婚を申し出ましたが、彼女は受け入れませんでした。

彼女の言い分は、こうです。

次に、あなたと一緒になる人に会わせなさい。
その人に、懇々と言って聞かせます。
あなたが、どういう人なのかということを。
それでも…という人なら、わたしは、あなたと別れます。

わたしは、若い恋人に三回、妻に会ってくれとお願いしました。

その度、彼女たちは逃げました。

Sよ!

別れられない辛さもあるのだよ…

ラベル:

眠れなくて、眠れなくて

睡眠剤を嚥下して眠ります。

サイレースとマイスリー

オレなんて、
もう二度と起きてこなければいいのに…

ラベル:

明日は(今日は)早くから

約束があるのにもかかわらず、2EN1を聞きまくっていましたが、ようやく眠りにつく決心がつき、ピアフを聞き始めました。

水に流して
ミロール
パダンパダン

そろそろ眠られそうです。

あなたも安らかな、そしてもう一度、起きてくる眠りにつくことを願って。

密やかな酔っ払いが愛をこめて、
そう願っております。

愛しい人よ。

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2011年2月25日金曜日

タイトロープ


「タイトロープ」を観たのは 二度目です。
名作だった。
緊迫感がたまらない。
上に貼り付けた画像は「コールガール」。
このアラン・J・バクラ監督の作品でブリー役のジェーン・ホンダはオスカーを手にするんだよね。
不思議なことにイーストウッドは、アカデミー主演男優賞は取っていない。
助演男優賞も取ってない。
その代わりと言ってはなんだけど、イーストウッドは、アカデミー賞では、監督賞を取っている。
1992年 「許されざる者」
2004年 「ミリオンダラー・ベイビー」
けど、アカデミー賞の選定委員が、本当に映画をわかって賞を与えているかどうかは怪しいものだと思うよ。
「タイトロープ」と「コールガール」を並べたのには意味があって、
ブリー(ジェーン・ホンダ)とブロック刑事(イーストウッド)の役どころに似たものを感じたものだからです。

さておき、
「わたしのルーツはジャンル映画の製作にあるということだ」

と、イーストウッドは、「クリント・イーストウッドーレトロスペクティヴ」リチャード・シッケル著(名著ですよ、眺めただけだけど)の序文に寄せて書いている。
そうなると、「ダーティーハリー4」と約一年違いの「タイトロープ」の比較が俄然面白くなる。
まあ、それは、それぞれがやればいいことだけどさ。
ついでに書いておくと、「タイトロープ」は、R・タッグル(「アルカトラズからの脱出」を書いた脚本家ね)の初監督作で、イーストウッド のまわりにジェヌヴィエーヴ・ビジョルドとかダン・ヘダヤなんかの芸達者をつけているんだけど…、何といってもイーストウッドの娘のアリソン・イーストウッドが可愛くて、美しい。
この娘さんは、「ブロンコビリー」が初出演だったと思うけど、あの映画、イーストウッドの愛人のソンドラ・ロックも出演していたでしょう。
アリソンはマギー・ジョンソンとの間の娘だからねえ。

クリント・イーストウッドも何を考えてんだか(笑い)
ちなみに、アリソンは、いまは映画監督をやってるみたいで、2007年に「レイルズ&タイズ」っていう佳品を取っているんだよね。
今回のブログ、長くなっちゃったね。
ごめんね。

ラベル:

ベンダ・ビリリ

BENDA BILILI !」
この映画は、心ある人なら見たほうがいい。

といっても、下高井戸シネマでしかやっていないから難しいね。
くどくど説明する映画ではない。

生きる姿をみせてくれる。
といいながら、わたしは、途中ですやすやと眠り込んでしまい、後で、一緒に行った女性にどやされたのでした。

けど、これもまた、人の生きる姿ではありませんか!?

ラベル:

また、中途で起きてしまいました

「アレキサンドリア」を観る。
「ヒアアフター」「恋とニュースの作り方(?)」「漫才ギャング」…、5本ほど試写会に行かなかったもので、悔しい思いをしていました。
わたしは、けちで、しみったれなのです。

「アレキサンドリア」はアメリカの意向を十分に反映した映画です。
つまり、あの糞アメリカは正しいという主張がこめられている映画です。

それでも、愛についてあなたが悩んでおいでなら、見る価値はあります。
もし、あなたが愛なんて露ほども気にしないロクデナシなら、見なくてもいいです。

それにしてもレイチェル・ワイズの演じた知的な女性には、いろいろ考えさせられました。

あれは、レイチェル・ワイズのせいだったのでしょうか?

ラベル:

迷惑をかけた!? それがどうした

ヒトは迷惑をかけながら生きる。
それが人の姿です。

生まれたそのときを想像するだけでいい。
そのときにまわりにかけたのは、迷惑だけです。

だからこそ、迷惑をかけることを恐れてはいけません。

オレがかけた迷惑をどうのこうの言う間抜けの言葉に耳を貸しなさんな。
あいつらは、人生を知らない怠惰な人々です。

助けられた日々は、いつか、その人ではない誰かに返す。
それが人類の歴史です。

中沢新一に詳しい。

とにかく、人に迷惑をかけながら生きているあなたよ。
胸をお張りなさい。

それが、どうしたというのだ。
あなたの素敵さは、それでは、そこなわれない。

なんら卑下することはないのですよ。

わたしなぞ、迷惑が服を着て生きているようなものです。


ラベル:

2011年2月24日木曜日

2NE1


2NE1の動画を見ていると、

美しいこと
かわいいこと
脚線美
スタイルのよさ
  ……

そういうものたちが、とてもつまらないことに気づく。

2NE1が革命的である所以である。

ラベル:

KARAと少女時代

その比較は、もはや無意味だ。

トゥエニーワン

がいる。
その前では、KARAも少女所時代も論ずるに値しない。
ただ、可愛ければ、足の美しさを見たければ、彼女たちを見ればいいのではないだろうか。

わたしには、そんな下らんことは、なんらの興味を引かない。

トゥエニーワンがいる。

それ以上、いまのわたしは何を望むのだろう。

ラベル:

トゥエニーワン Fire

「トゥエニーワン」を動画で見た。

可愛いとか美しいとか足がきれいとか、…そういう一切の評価の外にある。
このグループは、圧倒的だと思う。
あなたもネットで探してみてみればいい。

このグループが日本でダメだとすれば、それは、そのまま、日本の視聴者のレベルが低いに過ぎない。
この娘たちは、必ず世界に行く。

はっきりわかった。

ミュージシャンの美しさは、顔や、足や、スタイルではない。
それを超えたSOMETHING だ、

トゥエニーワンは、それを持っている。
稀有なバンドだと思います。

ラベル:

2011年2月23日水曜日

トゥエニワン

この春、2NE1が、日本上陸だ。
これで、女性Kポップのそろい踏みとなる。

「GO AWAY」

が、初シングルだが、エイベックスも商売上手だ。

わたしは、とくに彼女たちに興味はないが、日本のジャリタレが一掃されるのを見るのは、楽しみだな。

こいつらは、すごいと思うよ。

ラベル:

体調は戻り

何度もKARAと少女時代を見比べたのだが、センスのいい言葉が見つかりません。

この課題は、もう少し伸ばしてしまいます。
別の表現で書けば、もう少し、熟成させてください。

心身ともに健康になリつつあります。

うまくいけば、今日は、「アレキサンドリア」の試写会にわたしをいつも助けてくれるご婦人と参ります。

そのためにも睡眠をとらなければと、昨日の夜は、コーヒーを放棄しました。

ねえ、お互いに大変だね。

ラベル:

2011年2月22日火曜日

イエペスのギター

イエペスのギターの中で横たわっております。
わたしの部屋が、イエペスに包まれています。

ゆっくりと、進んでいるか、どうか、さえわからぬほどゆっくりとわたしの心が静かになり始めています。

イエペスに助けられています。

NARCISO  YEPES

ご存知でしたか?

わたしは、若い奴らの愚鈍な無神経さを憎悪しますが、それより何より、奴らの穢れた空気をこの身のすべてのなかから払い出してしまいたいです。

ラベル:

CDを止めるのを忘れて

こんな午前3時半に起きてしまいました。

双極性障害は徐々に激化しています。
本日、17時半に精神科医と会います。

それまで、何とかもたせます。
心ある読者の方には、ご心配をかけます。

ラベル:

2011年2月21日月曜日

大変申し訳ないです

この直前の「KARAと少女時代」の続きは、しばらくお待ちください。

わたしに、双極性障害が起こり始めています。

ラベル:

KARAと少女時代

KARAと少女時代の違いについて書き始めようと思いました。
けれども、にわかに、眠くなったので、この先は、明日の朝にでも…

おやすみなさい。

ラベル:

アイアンマン


昨夜は疲れきっていたので、ふとテレビのスイッチを入れました。
「アイアンマン」という映画が映りました。
つまんない映画です。
あんなの放り出して「タイトロープ」でも再度、見直していれば幸せな夜だったのに。
映画もまた、いい物に出会うためにくだらぬものを見続けなければならない。
まあ、映画を見るなんて、楽なことだしね。
(こんなことを言ったら、ある男が映画を見るのは大変だ、と激怒しました。
 そういうやつは、自分がちゃんと生きていないことさえ自覚していないんですよ。
 見るなんて容易い。
 作るほうは、駄作であってもしんどい。
 だから、見られるんですよ、駄作もまた。)
そりゃあ、駄作でも撮るほうは大変なんだから、罵倒したり、足蹴になんかは、ボクだってしないけど、ほんとにつまんない映画だった。
観客をわくわくさせることだけ考える、型にはまったハリウッド映画として作っただけのことだ。
あんなもん作って、楽しいかねえ。
ただ、わたしの好きなグウィネス・パルトローは、相変わらず素敵だった。
あんな映画に、でなければいいのにあの娘は。

ラベル:

あなたの哀しみ

つき合うクズどもと別れるときの辛さは、きびしい。

それは、あなたがすでに、そのクズに触発されたイメージをあなたの心の中に抱いてしまったからです。
そのイメージは、あなたの心が美しければ、美しいほど、清く正しく輝いています。

あなたがそんなに哀しいのは、クズどもが離れていったからではない。
あなたは、あなたの中のイメージと決別する辛さに耐えているのです。

そして、哀しいことにあなたのなかのその美しいイメージをあなたに喚起させる力を持つのは、離れていったクズの男や女なのです。

繰り返します。

あなたはあのクズ女やあのクズ男と別れたから苦しいのではない。

あなたのなかにそのクズ女やクズ男によって作り出したイメージとお別れするのが哀しいのです。
その哀しみが、あなたに涙させるのです。

わたしも、幾度か涙しました。
そうして人を見る目を磨きました。

心配しないでほしい、愛しき人よ。

わたしが、傍にいるではありませんか。

ラベル:

本物と出会うためには

いい酒と出会うためには、まずい酒を数多く飲まなければならないし、
いい音楽と出会うためには、どうでもいいような音楽を聴き続けなければならない。

人だとて同じことだ。
いい人間と出会うためには、クズのような人間を信じ、付き合うしかない。
別れるときの辛さは、ひとしおだが、それでこそいい人間と出会える。

多くの場合、いい人間は、あなたの周りで黙ってあなたに付き添っている。

見逃してはならない。
その大切な人を。

われわれは、大切な人と出会うために、クズどもともたまには付き合わなければならないのだ。
人間関係のルールは、それは、恋愛のルールと書いてしまってもいいのだが、このような非情さを隠し持っている。

to be continued

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2011年2月20日日曜日

とても哀しいこともありましたが…

わたしのブログを読んでくださる方が、60000人の数を超えました。

うれしい限りです。

ありがたい限りです。

日々、精進いたします。

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2011年2月19日土曜日

若い娘とつき合っております

タイトルを

若い娘とつき合っておりました

に、代えなければならない事件がありました。

まあ、人生、色々ですね。

わたしは、いま、少し淋しいです。

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2011年2月18日金曜日

自分を確認するために

わたしはこのブログを自分確認のために書いている風情もある。
そういう意味で、今日の内田樹のブログは共感するところがある。

内田さんのブログはなかなかいいことを書いているのだが、ちと、えらっそうだ。

たぶん、自分が利口だとでも思っているのだろう。

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オレの愛した女が…

オレの愛した女が…

この世で、最も美しい女が、
歌舞伎町の焼き鳥屋で、
焼き鳥を焼いている。

なのに、
どうして、
あの娘に
オレは会えないのだろう。

ときどき、
つらくなりすぎるときがある。

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KARA再び

KARAの代表作は、
「ミスター」ではない。

たぶん、
「ジャンピン」



「ルパン」

だろう。

あの振り付けは、誰がやっているのだろう。

会いたくはないが、ク・ハラは美しい。

たとえ、それが、化粧であっても、整形であってもです。

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いやなメールで起こされて

こんな時間にまだ、起きています。

決して、その人をうらんでいるわけではありませんが、
やはり、恨んでしまいます。

何とか、もう一度、眠ろうと思います。

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2011年2月17日木曜日

安住

人は、ごくごく自然に、いまある自分を認めようとする。
認めなければ、そこが安住の地にならないからです。

けれども、人が前に進むためには、安住の地を一端、捨てなければなりません。

そこが、哀しいんですよ、雲峰先生。

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2011年2月16日水曜日

まあ、くだらんことだけどさ

今回の八百長相撲関係の番組に登場する杉山邦博さんっていう元NHKのアナウンサーの方がいらっしゃるでしょ。

あの人は、ずっとずっと前から大相撲の八百長のことを知っていてね、なんとかしなけりゃいかんですよね、と二子山親方なんかとお話をなさっていた方ですからね。

それが、まったく知らなかったという顔で、嘆かわしい顔で、テレビではしゃべっているわけですから…

報道には十分に裏があるということですよ。

杉山さんが悪いと言っているのじゃないですよ。

彼が、真摯に話すなら、そのような自分と八百長相撲のかかわりまで話すべきかも知れないなと思ったりするのです。

けれども、それは、大手テレビ局が止めてるんでしょうね。
杉山さんひとりを悪者にするわけにはいきません。

そう言えば、みなさんはご存知なんでしょうかね。
日本には、藤原新也という大人がいましてね。
この件に関して、とても大人の発言をホームページでなさっています。

わたしの発言の数倍、大人です。

こういう人をマスコミは遮断するんですよ。

わたしも学びました。

八百長は、相撲文化の一つなのですよ。

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2011年2月15日火曜日

華きゃべつ

麴漬けの一種であるのですが、なかなか乙なものであったので書きおきます。
銀座若菜という会社のもので、

きゃべつ、かぶ、鮭、人参、昆布、菊…などが重ねあわされ、漬けられております。

ちょっと小粋な器にのせれば、なかなかなもので、味もそう悪くはないと思います。
ただし、値段が少し張ります。
写真で600円ほど。

どなたかとの食事での箸休めの一品としては、上出来ではないでしょうか。
かといって、う~ん、これは美味だわいと、うなるほどのものではありません。

彩を食べると考えていただければ、納得がいかれるのではないでしょうか。

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遠い昔のあの娘

わたしの個人史上最も愛した娘がいる。

その娘が、そのとき、わたしに何を言ったのかは、今となっては、はっきりとしない。
記憶の彼方だ。

けれども、そのとき、その娘に返したわたしの言葉は、はっきりと覚えている。

「いいか、正直に言わなければダメなんだぞ」

娘は、直後、わたしに背を向けて部屋の隅に行き、何やらぶつぶつとしゃべっていた。
そうして、わたしの方に戻ってきて、真剣な目でわたしをみつめた。

「ちゃんと、掃除機に言ったよ」

その娘も、いまは二十歳を過ぎた。

わたしは、今でもあの頃のお前が好きだよ。
わたしの個人史上、あんなに可愛いと思った娘はいなかったよ。

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Elsa

パソコンで作業をするとき、音楽を流すことはまれですが、それでもときどき聞いているのは、Elsa のシャンソンです。
どんな人かは知らないんです。

たしか、昔、若かった女(ひと)です。
誰でもそうじゃないかと茶々を入れられそうですが、そうでもないんですよ。
昔、若かった人って言ってみたくなる人って限られていましてね、エルザさんはそのひとりです。

わたしは彼女のCD、「Premier Album」というのをたった一枚もっておりまして、なぜもっているかといえば、かみさんのものを借りてそのままもち続けるという隠匿行為をなしたわけで…

まあ、そういうことも相まって、(どういうことだ! すびません…ペコリ)Elsa が好きでねえ、いまも「Mon Cadeau」という曲が流れています。

わたしはフランス語が出来ないのですが、「わたしの贈り物」という意味だと、ずっと以前、細君が教えてくれました。

というわけで、(それ以外の理由も多いのですが)かみさんには頭が上がらんのですよ、わたしは。

それに、いまの小娘たちのように逃げ惑ったりしない芯の強い、とても怖い方だし…

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2011年2月14日月曜日

リーサルウエポン

久々に「リーサルウエポン1」を見た。

たいていのものは二つに分けられる。
(色々な二つがありますけどね)

たとえば、ジェットコースターと鈍行列車。

たいていのハリウッド映画、それもアクションものはジェットコースターで、見終わった後、楽しかった時間はあっても何も残りはしていない。
そういうものが大半です。

SO WHAT ?

てな感じですね。

けどね、この「リーサルウエポン1」は、何かが残るんですよ。
映画を見終わったとき、メタファーで言えば、ジェットコースターに乗って、ああ楽しかったと降りたとき、元の場所とは、乗ったときのあの場所とは違う場所に降り立つ風情があるんですよ。

それを解説するのは、関西弁で言えば「ざんない」ですのでいたしません。
いたしませんが、どこか心に深く響くものがあるんですよ。

よかったなリッグス、マータフと会えて、という感じがね。

おそらく、リーサルウエポン4作のうちで、これが最高作ですね。

あくまでも私見ですがね。

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さらに八百長相撲

キャンきゃら、キャンきゃら、と、うるさいわい。

八百長を言うのなら菅内閣と官僚の八百長政治は何故取り扱わない。
今回の組閣が、官僚によって導かれた増税内閣だと何故きっちりと主張しない。

マスコミは、クズだ。
アメリカと日本政府の八百長を何故に取り上げない。
そのために犠牲になる沖縄に対して何故マスコミは加勢し、反アメリカを押し出さない。

言っておくが、沖縄にいる海兵隊は日本を守るためにいるわけではないんだよ。
米軍は五つの組織からなる。

陸軍
海軍
空軍
海兵隊
沿岸警備隊

あとは、ご自分でお調べになればいい。
通称「殴りこみ部隊」と呼ばれる海兵隊は、防衛はいたしません。
アメリカ本土防衛を請け負わない海兵隊が日本を守ると思っているのか。

思いやり予算は、何のために支払っているのかご存知だろうか。

念のため言っておくが、在日米軍は、陸軍、海軍、空軍、海兵隊だ。
それぞれがどこにいるのか調べたらいい。

何をやっているのか、おわかりですか、この国の政治家たちが。
最低の八百長を無知の中でやっているのですよ。

話を戻せば、八百長相撲の始まりは調べなければわかりませんが、わかりやすいことを言うと53連勝を達成した千代の富士、現九重親方は、八百長相撲の積み重ねで53連勝を達成したのです。

ぎゃンギャラ言うマスコミは何故それに触れないのか、あいつらは権力に尻尾を振る、クズだからですよ。
そんなに八百長がどうのこうのと騒ぎたいなら、千代の富士の持つ名誉を剥奪すればいいじゃないですか。
声高に、ウルフと呼ばれた千代の富士もまた八百長相撲をしていたと過去に彼が犯した罪を暴き立てればいいではないですか。

根性なしのマスコミが何を騒いでいるのですか。

あ~あですよ。

ただひとつ、最後に言わなければならないことがあります。

いま、八百長相撲批判の矢面に立たされている放駒親方、現役時代の魁傑は、すばらしい相撲取りでした。
わたしはテレビで彼が批判に答えているのを見るたびに哀れでならない。
見るにしのびがたい。

九重親方を矢面に立たせればいいんですよ、あの千代の富士を。
(正確に書いておけば、千代の富士は、強いことは強かったんですよ。八百長をやっていたというだけのことです)

以上、聞き流しておいてください。

ラベル:

2011年2月13日日曜日

先生とわたし

この文章に接するのは二度目となる。

わたしがこの文章に初めて接したのは、2007年雑誌「新潮3月号」だった。
その表紙に四方田犬彦「先生とわたし」(長編評論400枚一挙掲載)とあって、買ってしまったのだった。
その文章を読み始めるまで、四方田と由良君美の関係さえも、わたしは知らなかった。

そのときも、読後にそうかと浅く感動したのを覚えているが、いまこうして新潮文庫で読み始めているとこの本が、いかに端倪すべからざる物かよくわかる。

表現において最終的な判断は、いつでも受信者が担う。

そう言い切ったのは、わたしだが、この本はまさにわたしを照射し返してくる。

透明感の中に漂う四方田の哀切は、限りなく抑制されており、語られる由良との思い出も際立ったエピソードを作るという姿勢はない。

ひとつの名作として位置している作品だと思う。

けれども作品もまた読者を選ぶ。

この作品をあなたに勧めはしないし、あなたにとって重要な作品だとも言わない。

ただ、今のわたしの心にはどこまでも深く入り込んできてしまう作品であることをここに表明しておきたい。

ラベル:

KARA

KARAが日本を席巻する。

韓国のアイドルグループの育て方は日本と大きく違う。
日本にそれに近いものがあるとしたら「エグザイル」だろう。

先日、パフュームという三人の女の子のステージを見たが、見られたものではなかった。
アマチュアと訓練されたプロの差である。

もし、万が一、完全に視界が曇っている日本の芸能界ファンの目がはっきりと見え出したら、Kポップにかなう日本のグループはほぼいない。

KARAが所属事務所ともめたことも、わたしには自立する女としてへの評価として高い。
お調べになればわかるだろうが、韓国のアイドルグループの育て方は特殊で圧倒的な先行投資である。
人の心など薄汚いもので、いったん売れればその先行投資を一挙に取り返そうとあらゆる仕事を取り始める。
この構造が、KARAと音楽事務所の争いの根本にある。

このような争いをするほどの頭は日本の芸能人にはない。
ただ威張るだけの、英語の達者なHAが、ビッグな程度の日本芸能界だ。

KARAは、しかも粒ぞろいに可愛く、その可愛さは発展途上の可愛さだ。
残念ながら、わが上戸彩も対抗は出来ない。
上戸は、もはやただのおばさんになりつつある。
早く結婚することが一番だ。
エグザイルのヒロなら申し分ない。
上戸の心は美しい。
それだけの女だが、それでいいではないか。
仕合せになるべき資格を持つ女だと思う。

さておき、
わたしはKARAのなかでは、「ク・ハラ」という娘が個人的に好きなのだが、いまだにどの娘がク・ハラなのか見分けがつかない。

ま、それはおじさんの悲哀として、仕方なく受け取ることにしている。

しかし、KARAの映像を見ると心が沸き立つなあ。
あなたも、ご覧になったら、いかが。

ラベル:

斉藤佑樹

初登板だって。
わたしは内容を見ていないが、この選手、それほどの選手ではないと思っている。

一流の投手は身勝手なものです。

ボクは何かをもっています。
それは仲間です。

なんていう、お子ちゃまのようなことを言う一流の投手をわたしは知らない。
まあ、うまくいくかも知れないけれど。

ダルビッシュからは、はるかに落ちるし、田中将大の足元にさえ及ばない。
もし、そうでなかったら、ほんとにすごいことだ。

わたしは彼に頭を下げる。

マスコミはこんなようにして、選手を潰しにかかる。
斉藤はマスコミによく耐えている。

頑張れ!

そこそこの選手になれ、斉藤。

ラベル:

デパケンR200mg

なんだかなあ…

医者に変な薬を処方されちまったぜ。

オレってそんなに異常なの。
この薬飲んだら、オレの個性が消えることってないの?

個性が消える云々をかかりつけの医者に話しかけると、若い彼はにやりとしながらうつむいていた。

イヤだなあ、こんな薬飲むの。

ラベル:

わたしが愚劣だと思うものたち

わたしがこいつは根っからの馬鹿だと思う者は、知識の多さからの判断ではない。
可塑性を言っている。

人は、いったん信じ込んだもの、信じ込まされたものにとても従順になる。

たとえば、日本の政治家がアメリカに対する態度のように。
日本人が、エジプトの人々になれないように。

それは、自分を疑い、変えることをしようとしない態度に根幹の問題があるのではないかとわたしは思っている。

わたしが、だれかにあいつは馬鹿だから話す必要はないと言うとき、その「馬鹿」は、すでに自分の考えを持っており(大半は、刷り込まれており)、それを決して変えようとはしない態度を持つ人間を指す。


もう一度だけ繰り返します。

わたしは、その人の可塑性によって、その人を判断します。

わたしが、今井凌雪を愛する所以です。
わたしが、いまだ伊藤雲峰と別れぬ所以です。

「可塑性」

あなたはあなた自身による可塑性をお持ちですか?

あなた以外の者の意思によって、すでに凝り固まってはいませんか?

ラベル:

炎の好きな少年



わたしは炎の好きな少年だった。

いまだに実家では薪で風呂をたくことを偏愛している。

都会ではそのように炎を楽しむ機会は少なく、その代わりといってはなんだが、すぐに、火のついてしまいそうな女性に引き寄せられる。

たいていは悪女だが、とても素直な女(ひと)もいる。

わたしのその性癖を女房は、女好きと呼び、わたしの彼女と勝手に自覚する女はわたしを浮気者と呼ぶ。

しかしてその実態は、…

わたしは、単に炎の好きな少年が、そのまま大きくなってしまっただけに過ぎない。

その証拠に燃え尽きてしまった女性にはまったく目もくれない。

ま、ろくでなしと言うことか…

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いい男がいいセリフを口にした

久しぶりにいい男と会った。

で、その男がいいセリフを口にした。

「ロバが旅から帰ってきたからといって、馬になったわけではない」

久しぶりに人の口からいいセリフを聞いた。

人は、経験すれば利口になると思っているが、そうではない。
馬鹿はいつまでたっても馬鹿にしか過ぎない。

昔、キミも10年経てばわかるようになるよなどとほざいていた人がいた。
10年経ってわかったのは、そいつが馬鹿であったことだけだった。

人が成長するには細工がいる。
ただ年老いるだけでは何も変わらない。
それがどういう細工かはここで触れるわけにはいかない。

とにかく

「ロバが旅から帰ってきたからといって、馬になったわけではない」

ということだ。

気をつけたまえ、諸君。

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2011年2月12日土曜日

第四回朝日杯将棋オープン戦

本日は、朝日杯将棋オープン戦という大会の準決勝、決勝がありました。
わたしの渡辺明も準決勝まで、つまり、ベスト4に残っていたのですが、木村一基八段に敗れ去りました。

決勝は、羽生対木村。
で、羽生先生には申し訳ないですが、千駄ヶ谷の受け師木村一基が勝って優勝。
それで、まあなと思いましたが、渡辺くん、このところ久保利明、木村一基と二連敗ではないか。

本当に三月二日はA級順位戦を勝ち抜いて、最終的に名人挑戦権を手に入れてくれるのだろうな。
でないと、わたしの生きている甲斐がないではないか。

君は、いまやわたしの恋人のようなものなのだよ。

などと、将棋の下手なわたしは胸の底から心配するのです。

明くん、
頑張ってくれたまえ、わたしのためにも。

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4C

フレンチの食後の4Cの話をしましょうね。

知っておけば、いやな男たちが、フレンチのディナーをご馳走してくれた後に黙ってしまうから…、知っておく価値はありますよ。

だって、たいていの男たちは馬鹿ですから、あなたがご存知のように。

Cafe
Chocolate
Cigar
Cgnac

コーヒーとチョコレートと葉巻とコニャック。
ケーキがCで始まっているのに含まれていないのは、すでにフレンチのコースの中に含まれているからですね。

わたしが、まだお酒が飲めて、お金持ちの友人にご馳走になるときは、決まってコニャックを飲みました。
コニャックってブランデーのことですよ。
コニャック市周辺で出来たブランデーをコニャックと呼びます。

けれども、実を言えば、わたしはコニャックよりアルマニャックが好きでした。

昔の話です。

つまり、節操のなかった昔の話ですよ。

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因幡のくりまんじゅう

写真は、ホテイ堂の「因幡のくりまんじゅう」です。
鳥取県の物産展にでも行く機会があったら探してみてください。
鳥取市寿町で作っているくりまんじゅうですが、ぴか一と言ってしまってもいいだろうと思います。

自分の身体があまりに疲れていたので、熱~い深蒸し仕立ての煎茶とともに食しました。
わたしは雨風ですので、こういう甘いものにもとてもうるさいです。

だから、バレンタインにおいしくないチョコレートをもらうことを忌み、バレンタインデイまでとても嫌いになってしまいました。

好悪の感情はそのように個人に属すもので、社会的な事情などどこ吹く風なのです。
ましてや商業主義に煽られたバレンタインなど、騒ぐ人々を嫌悪します。
(わたしの心の奥底で、そっと嫌悪します)
でも、ゴディバの中のあるチョコラティエなら、にっこりしてしまいます。

何のことはない!
節操のない人間なのです。

ANYWAY

冒頭に紹介しいた「因幡のくりまんじゅう」。
美味ですぞ。
趣味によりますがね。

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今日の予定

少し早く起きすぎたので、今日の予定を書いておきます。

本を読まなければなりません。
一冊は、鶴見俊輔「詩と自由」
一冊は、坂口安吾「日本文化史観」
一冊は、藤野千夜「ネバーランド」

合間に、島朗「読みの技法」

本当は、「沈黙の春」をつらつらと読んでいたかったのに。

今日もまた底冷えがします。
雨戸を開けずに、そのまま布団の中で、ノートにメモしながら、一日読書。

贅沢な一日を過ごさせていただきます。

疲れたときに、また、書きますね。

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2011年2月11日金曜日

眠りから遠ざかって

眠りが遠くわたしを置いてきぼりにしてしまう、朝までまんじりともしない、そんな夜を幾晩も過ごすと今夜のような眠気は神様のようにさえ思います。

多分今日は、ゆっくりと眠れます。

ただ、これだけのブログを書いていてもいいのだろうかとも思いますが、あなたの安眠も願って書いていたということで、どうかお目こぼしを。

今宵は久しぶりに志ん生を聞きながら眠ろうと思います。
「惑星」ではなくて…

眠るのは、少し先だけど、
おやすみなさい。

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一人の人のメール

一人の人からのメールの返事を待ち望むことがあります。
少し淋しくなっている時です。

もちろん、相手にとっては切羽詰って書く理由などありません。
それでも辛抱強く、命のよすがのように待つメールがあります。

それが、一通の手紙であったときもあるでしょう。
「たちぎれ」の話の中心にそれがありますね。

そんなとき恋焦がれる自分とその焦がれた香りが相手に届かぬ絶望感のようなものさえ感じてしまいます。

まあ、なんて乙女チックなブログなんでしょう。

実は、待っていて、来なかったメールが一本と待ちわびていて届いたメールが一本あったものですから、こんなことを書いてしまいました。

それにしても不健全な魂をもってしまったものです。
あ~あ。

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久保利明

いま将棋界には7つの大きなタイトルがあります。

名人   羽生善治
竜王   渡辺明
王将   久保利明
王位   広瀬章人
棋聖   羽生善治
棋王   久保利明
王座   羽生善治

こんな分布図です。

興味のない方もいらっしゃるので、深く言及しませんが、このうち王将戦と棋王戦が現在進行中です。
王将には若き天才、豊島将之六段が挑み、棋王戦には渡辺明が挑んでいます。

久保には特徴があって、先手では三間飛車、それも石田流を多用します。
一方、後手では中飛車、ごきげん中飛車を多用します。
この二つの先方の研究は日進月歩で、久保は毎回その新しい研究と立ち向かわなければなりません。

その対応の華麗さは、彼を「さばきのアーティスト」とまで呼ばせています。

その久保の王将戦第三局と棋王戦第一局を眺めましたが、アーティストの名に恥じない美しい将棋で勝利を収めていました。

渡辺と羽生にばかり目がいっていたわたしは間違いでした。

久保利明は、渡辺にとって大きな壁です。
渡辺がどのように乗り越えていくかは知りませんが、久保利明は渡辺明へのひとつの大きな課題だと思います。

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雪の中にこもっていると

いろんな人を思い出します。

ゆっくりゆっくりまわる走馬灯のようです。

今日は、そんな一日になればいいと思います。

人に許されることでのみ存在を許された男の人生が、そこには、のっぺりと実在しています。

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雪が降っています

母の愛 夜降る雪で 降り積もる

わたしの母の生まれた里は、鳥取県米子市です。
この冬の大雪で有名になったあの大山のある場所からクルマで1時間ほどの、とても寒い山陰の片田舎の村です。

わたしはその母の実家で4月3日に産み落とされたと戸籍上ではなっていましたが、実はそうではなかったことを母がなくなって2年ほど経ったその実家で伯母から聞かされました。

わたしは、その年の3月には生まれていたそうです。
多分、3月20日前後ではなかったかと伯母は言っていましたが、そのときには、もう、わたしの耳は閉ざされ遠い母の思い出に心が向かっておりました。

さっき、あまりに寒いので雨戸を締めるとき、雪降る街を見ました。

また、自分が自分の誕生日を知らない、戸籍の上の誕生日で生きているという、他人から見ればどうでもいいことに、哀しくなりました。

あなたの街はどうですか。

わたしの街では、いま雪が静かに静かに絶え間なく落ちています。
今日は、眠れないかもしれません。

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2011年2月9日水曜日

いい顔の男は少ない

身体の悪さを押して、大切な人と会うために街へ出かけた。
見かければ、生きることに気持ちの入った人は少ない。

もちろん、そのようにわたしが感じるだけで、わたしの目に曇りが生じていれば、すぐさま撤回しなければならない。
ではあるけれども、それはあらゆる判断行為が持つ宿命なので、甘んじて受け止め、わたしの主観を書き続ける、

男と比べ、女性の方にいい奴が多いと感じる。
これを専門用語でエコ贔屓と呼ぶ。

女にうぶなわたしの特徴です。

けれども、わたしの大切な人が来る前の時間、そうやって、待ち行く人々を眺めておりました。

それは、実は、当事者性と部外者性の話しにそのままつながります。

いまは、身体が辛くて、そこまでは、言及できません。
つまらぬブログで申し訳ありません。

深謝いたします。
わが友人である読者の方へ。

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2011年2月7日月曜日

この寒さに体調を壊してしまった

することもなく寝入ってしまっているとき、いつもわたしのそばに流れるのは落語である。
けれども今は違う。

身動きできない身体になってから流しているのは、朝は「ブランデンブルグ協奏曲」、朝以外はいろいろだが、調子のいいときは、バイオリン協奏曲が多いかもしれない。
メンデルスゾーンやシベリウス、サンサーンスのあのヴァイオリン協奏曲。
それから、ピアンソナタがときどき…

面白くないですね、こんな病人のたわ言、もう少しよくなったら、また書きます。

とにかく、落語はいまは苦痛です。

わたしの個人史の中では、初めての経験です。

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2011年2月5日土曜日

すぐ人を信じてしまう男

「すぐ人を信じてしまう男」とはわたし自身のことだ。

わたしは、何人もの男を信じ、少なからずの女を信じた。

けれども、本当に信頼できる、少なくとも少しは信じられる男は少ない。
女はさらに少ない。
(その代わりに女のそれは見知らぬ深さをもっている)

わたしはだまされてもだまされても、人を信じる。

わたしは、まだ知らぬ信じるに足る男と女を待ち続けながら生きているのだと思う。

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2011年2月3日

よく知っている中国の女性からプレゼントをもらいました。
中国の正月は、旧正月が中心で、今年の旧正月は日本では節分にあたる2月3日です。

プレゼントの中身は、

落花生

蜜漬け金柑

塩胡桃

金銭餅

でした。

落花生は一粒の種から多くの実を結びます。
そのことから商売繁盛の願いをこめたものです。

蜜漬け金柑の「柑」の字は中国では「木」偏に「吉」と書きます。
たくさんの金と吉を呼ぶものとしての食べ物です。

塩胡桃は胡桃のその固い殻に包まれていることから丈夫で長生きという意味を指します。

金銭餅はその名の通りです。
みなさんにお金が貯まりますようにとの願いです。

彼女にもらったプレゼントから中国の旧正月を祝う習慣の一端をしたためてみました。

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プリティウーマン

テレビで眺めた映画だったけれど、何度も涙してしまいました。
いい映画というよりは、わたしにとって心に深々と突き刺さる映画でした。

遠い昔、ビビアンに似た仕事の娘に夢中になったことがありました。
人が本気で生きる姿をまざまざと見せつけられました。

もちろん、現代の社会通念から離れた生き方で、人としてほめられた人間ではありません。

ただそのまなざしの深さは、尋常ではありませんでした。
長い話なので、ここで切ってしまいますが、ジュリアロバーツを小柄にして、その顔をもう少し端正にすれば、アニーと呼ばれていたその娘になります。

人は、哀しいですね。
今、書き起こしていながら、不意に哀しさが襲い来ました。

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2011年2月4日金曜日

食の師匠曰く


市販されている料理本に書いてあることは本当のことなのですが、書いてないことがあるんですよ。

その書かれていないところを知っており、そこへ注意が行くというのが、料理人ということで、その注意の行くレベルを知れば、その人の持つ料理へのこだわり、その人の力量がわかるということです。
そんなことをおっしゃっていた。
ま、その極致が西健一郎というわけです。
とにかく、その料理本には書かれていないこと、あまり強く強調されていないことのひとつをあげれば、(ほんとは、ダメなんですよ、こんな企業秘密を公開するのは)何だそんなことかと思われるようなことなんです。
そこで、何だそんなことかと気にもとめないようでしたら、あなたは料理に向いていません。
(料理に向いていないのは、決して恥ずべきことではないですよ)
おぉ、なんて思ったら、料理はあなたを深めてくれます。
しっかり、これからも料理にかかわってください。
大根と油揚げの煮物を師匠に食していただいたときに、師匠曰く
山本さん、大根の青い部分があるでしょう。
あの部分は、繊維質が多くてこのように大きくきった大根の煮物では使わない方がいいですよ。
やっぱり、ほっこりとした大根の食感を味わいたいじゃないですか。
知らなかった。
わたしは、まったく知らなかった。
大根の先の方が、辛味が強いことは知っていたが、こんなことは知らなかった。
一種の衝撃でした。
写真は、青首大根です。
その葉っぱのついているほうに青い色のついている部分があるでしょう。
ここは、煮物に向いていないと師匠はおっしゃるのです。
では、どのような料理に向いているのか。
それは言えませんよ。
ここまでだって、無理して書いているんですよ。
師匠に内緒で。
ばれたら、また大目玉だな。
こわいぞ、きっと…。
たまには料理もいいですよ。
深い深い…

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会話のキャッチボール

その内容に意味があろうとなかろうと、会話を交える人がいることは幸せなことです。

それは、自分の存在そのもののようなものだからです。
人は、自分自身を直接見ることが出来ませんから、自分を知るためにときどき他者を必要とします。

これは、鏡が必要になることがあると言っているのですね。

で、この鏡、良質であるに越したことはないのですが、この良質が厄介で、わたしの敬愛する人は以下のようなことをわたしに投げかけたことがあります。

一緒に同じテーブルでお茶を飲みながら、ゆったりとした気分で言葉が行き来しなかったとしたら、それは家族とは言えないのではないか。

この場合、「ゆったりとした気分」が大事で「言葉の行き来」は二の次です。
けれども、「ゆったりした気分」を自分の中に浸透させていく「言葉の行き来」があって、(変な人とでは無理ですよ)、その会話のキャッチボールは時として、自分を救ってくれたりもするものです。

意味のある論議も必要でしょうが、言ってもいわなくてもいいような会話を充足された気分で交わしているということは、とんでもなく幸せなことなんですよ。

大事にしなさいね、そんな人を。
めったに会えるものじゃありませんから。

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「京味」を味わってみたい

西健一郎さんは今年で74歳におなりになる。

急がねばならない。
彼の引退前には是非、「京味」を堪能してみたい。

けれども、先立つ金もなく、今何とかしようと思案している。
西さんの料理はもちろん、彼の接客、いや、というよりは彼の姿を拝見したいのだ。

ほれぼれするだろうな、そのときわたしは。

ラベル:

初期の鬱症状の場合

かつて、欝状態のときは、人と話したほうがいい、というとんでもないとそのとき思われたアドバイスをもらったことがあります。

それが、どうやら真実であることに、ようやく気づきました。

昨日はわりに長い時間、師匠とおしゃべりさせていただきました。
はじめは苦痛でしたが、徐々に心が緩み、随分楽になって家路につきました。
感謝以外の何ものでもありません。

おそらくそのせいでもあるのでしょう。
今は、随分と症状が軽いです。

明日は、心療内科の原先生と会います。

このあたりのことを、相談しながら、はっきりさせたく思っております。

会田師匠、
ありがとうございました。

深謝、いたしております。

ラベル:

2011年2月3日木曜日

欝症状辛し

まだ本格化はしていないが、確実な欝の足音が聞こえる。

致し方なく、料理の師匠を頼り、お茶でも飲みながらしばらく気を紛らすために(会田さんには迷惑な話なのですが)出かけることに決めた。

このまま引きこもっていると欝状態が長期化する恐れもある。

欝はもうイヤです。

わたしの躁の季節に辛い思いをした人もいたでしょうけれど、それはそれ。
社会から冷たくされ続けた(つまりは、この社会のある思想をプリンティングされた人々から無意識のうちに冷たくされ続けた)わたしの意趣返しと笑ってお見過ごしください。

失礼な話だと思われるだろうけれど、それが、プリンティングされてしまった人間のごくわずかな不幸なのですから。

ラベル:

「将棋界の一番長い日」が待っている

将棋界の連中は来月3月2日(たぶん)を「将棋界の一番長い日」と呼ぶ。

毎年、3月2日をそう呼ぶわけではない。
ただこの日にちあたりにその日は来る。

「A級順位戦最終戦」

名人挑戦者がほぼ決まり(挑戦者決定戦を別の日にする可能性もありますので)、二人の陥落者の決まる日である。

今回の名人挑戦可能圏に残るのは二人。

森内俊之
わが渡辺明

陥落危機にあるのは五人。

木村一基
藤井猛
久保利明
三浦弘行
丸山忠久

と陥落危機の五人の名前を列挙しましたが、この五人、めちゃくちゃ強いんですよ。

将棋界の詳しい話は捨象しますが、将棋界のもっとも大きな位は名人位、そこに居座るのが羽生善治です。

読売新聞が、名人位よりも竜王位のほうが上だというために賞金を猛烈に上げて本紙に掲載しいている棋戦が竜王戦。

私見では、名人、竜王は同格というものの格はその歴史から名人が上ではないでしょうか。

竜王は新しいタイトルだし、賞金や挑戦者になるシステムをのぞけば、王将位を抜いてさえいるかどうか難しいいところ。

けれども、羽生と渡辺が将棋界の第一人者を争っているというのは中立的な将棋界通の見るところで、そのため今のところ王将位はあまり大きく取り上げられません。

ちなみに現王将は久保利明。
若き天才豊島将之の挑戦を今受けておる途中で、現在、1勝1敗です。


この豊島六段は最年少王将位挑戦者で、王将戦第二局では148手目に1九金打ちというとんでもない手を出現させて勝っています。


ついでに羽生、渡辺に次ぐのが久保利明で、この久保がどれぐらい強いかは、2月6日に始まる棋王戦五番勝負、久保利明棋王対渡辺明竜王である程度わかるだろうということになっております。

やはり長くなってしまいましたが、やはり名人は将棋界ではとても大きな存在で、その挑戦者を争うA級順位戦の10人のメンバーは将棋界のトップ10とほぼ思われています。

細かいことを言えば、広瀬章人の話もしなければならないし佐藤康光(すでに来期のA級順位戦復帰が決定しております。わたしはこの人のファンでもあります)の話もしなければなりませんが、興味のない方には面白くないだろうから止めますね。

というわけで(少しは理解していただけたのでしょうか)、将棋界トップ10の誇りをかけての¥将棋界で一番長い日」A級順位戦は、もうすぐです。

NHKの衛星で毎年放映があります。
興味のある方は、日本将棋連盟のサイトなどでご確認のうえ、ご覧ください。
死闘とも思える姿がそこには映し出されております。

わたしにとって、テレビがあって幸せだと思わせる数少ない一日です。

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2011年2月2日水曜日

厄介なわたしの精神状態

本格的な病気とは言わないけれど、わたしの精神状態は病気の一歩手前のことがままある。
わたしは、それを躁の季節、欝の季節と呼んでいるが、その季節はそれぞれ躁病、鬱病の手前で、場合によっては軽度の欝病になってしまうこともある。

躁病はまだない。
いや、あるのかもしれないが医者に相談したことはなく、薬を処方されてはいない。

欝のほうは、どの程度か知らないが、デジレル、レキソタンという薬を処方されているのだから立派な鬱病持ちであるが、その薬を多用するほどのことはない、その程度だ。

そのわたしのここ最近は、躁の季節だった。
何もかも順調に進み、ばら色の未来が(老い先短いというのにお気楽な発言だこと)あるように実感していた。
それが、躁の季節の特徴です。
そして、他者に攻撃的になる。
他者への攻撃の根拠はしっかりしているのだが(間違ってはいないのだが)、攻撃する必要があったのかどうかは難しい。
けれどもこの時期、売られたけんかは倍にして買う。
相手は、恐ろしく思うかも知れない。
なにしろ論理に乱れはなく、真っ直ぐに相手を倒しに行くのだから…

まあ、それはさておき(相手は、さておきどころじゃないのだろうが、こちらでグダグダ考えても仕方はない)、今、躁の季節から欝の季節へと変わろうとする予感がある。
わたし自身との長い間のつき合いでそのことだけはわかる。

このブログは、わたしの精神の命綱のようなところがって、何とか書き続ける必要がある。
書き続けることによって、わたしの精神を保ちます。

今後、更新の頻度が衰えたときは、あいつ、欝の季節に入りやがったと、笑ってやってください。
決して、嗤ってくださいますな。

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相撲に八百長が!?

勘弁してくれないか。
相撲に八百長があったことは、暗黙裡に認識されていたことではないか。

それをことさら大声を上げて何を言い募っているのだ。
ああいうものは自分たちで、相撲界自身で、極秘に変えていくもので、それ以外には道はない。

この国は、何に目くじらを立てているのだ。
今まで八百長相撲を見ていながら、八百長でないと思っていた相撲ファン自身が何を言い立てているのだ。

少し前に週刊ポストで取り上げていたではないか、あれは確か裁判になったのではなかったか。

で、今回は何かが動いたのか。
こんなに大事になって。

知らないぞ。
えらいことになるぞ。

今、やり玉に挙げられている力士たちは、相撲界の伝統をただ引き継いだだけで、結局はババを引かされただけのことだ。

そんなことより、その伝統を打ち破り、八百長なしで連勝し続けた白鳳をきみたちは潰す気か。
わたしは、八百長なんかより白鵬のことが心配だ。
白鵬の連勝は、千代の富士のそれとはまったく異質な連勝なのだ。

その千代の富士を称えたのはキミたち自身ではなかったか。

相撲には以前から八百長はあった。
その事実を知っていながら目をつぶっていたきみたちは何故いまそれを問題にするのか、まずそのことを教えてほしい。

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冷たい熱帯魚

さて、懸案の「冷たい熱帯魚」だが、ぶっ飛びますぞ。

もちろん、園子温監督作品につき合ってきた人なら大丈夫だろうけど、わたしはこの映画が彼との初めての遭遇だったから、それこそ数メートル吹っ飛ばされました。
おかげで左隣のクソみたいな兄ちゃんの横柄な態度も忘れました。
内心、殺してやるとは思っていましたが。

映画は活動写真であることがよくわかります。
よき映画の寡黙性はその体現なのですね。
(過度の饒舌は寡黙性なり)

この映画、ファーストシーンからの怒涛の流れ、これが今の活動写真のスピードかと翻弄されました。
マージャンでいえば、ホンロートイトイ三アンコ、はねましたね、というところでしょうか。

そして予定調和を許さぬ才能のそのシナリオ。
ああ、びっくりした。

それにしてもわたしが企業秘密にしていた性と暴力こそが対空間(わたしの造語です)を作る最も強烈な武器だということを余すことなく披露しやがって…

園子温、ろくでなしです。
忘れられない名前になってしまったではないか。

みなさんもなるべくこの映画は見ないように。
この「冷たい熱帯魚」だけは。
身体に悪いですぞ。
さらに、精神にはもっと悪いですぞ。

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2011年2月1日火曜日

ヒアアフター

「冷たい熱帯魚」の衝撃の上映後、誘ってくれた友人から8日の夜の試写会にも誘われた。
なんとイーストウッドの新作ではないか。
まさに映画づく日々だ。
友人I氏を真似るわけではありませんが、
「どんな映画でも見たほうが見ないよりはいい」
という若者用の意見を採用し、しばらくは時間の許す限り映画につき合うとしようか。
もともと見てこなかった分、感動も新しいのだから。

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映画づく日々

毎月一日が映画の日ということを知らなかったわたしにまたも誘いがかかりました。
今日の夜、「冷たい熱帯魚」を見ないかという話です。

わたしのような燻りにも声をかけていただける。
わたしが、このごろ生きていけると思うのはこういうところに因を発するのでした。

世の中捨てたものではなく、何も知らずに又聞きの又聞きだけで、勝ち誇ったようにわたしを批判する人もいれば、何があってもわたしを信用してくれる人もいるのです。

こういう人のために生き抜きたく思います。

甘ったるい話に、もし、聞こえるなら、それはもはや、あなたがわたしの側の人間ではないからです。

仲間とは甘く辛いものなのです。

料理にある甘辛煮。
もっと具体的に、わたしの好みで言えば、有馬煮のようなものをよしとすべきではないでしょうか。
あくまでも私見、個人的嗜好なのですが。

誰かを大切にするというのは、誰かから大切にされるというのは、決して二次情報、三次情報に左右されない関係性の中にだけ存在します。
第三者の話を基にあなたを批判したり、忠告したりする者たちの中には決して存在しないことをあなたへのエール(わたしも含めた)としてここへ書きとめておくことにします。

幾重にも重ねた細心の注意の中で、仲間とともに生きていこうではありませんか。
わが友よ。

ラベル: