2007年6月19日火曜日

韓国映画

昔好きだった女が、好んで着ていたのが、ジャン・フランコ・フェレ。
彼が、一昨日の日曜日に脳内出血に対する必死の治療にもかかわらずミラノで死んだ。
終戦の一年前に生まれて(1944・8・15生)一時はクリスチャン・ディオールのチーフデザイナーまでしていた男だった。
ただ、わたしには昔そばにいた女から何度か聞かされた名前としての記憶のほうが大きい。そして、その個人的記憶は、彼のデザイナーとしての価値よりわたしのなかでは大きい。
個人史のなかでは、よくそういうことが起こる。

このことは、映画においても起こることだ。
だからといって、その映画の思い出をあたりかまわず語っていいものではないが(個人的な体験にしか過ぎず、客観性を持たないからだ)、大事なものであることに変わりはない。
かように、個人のなかでの語るに足るものとしての存在とその語りがもつ叙述としての一般的な重要性はずれているものである。
注意しなければならない。

韓国映画についてメモしておきたい。
わたしの好む映画は
「殺人への記憶」 監督ポン・ジュノ  ソン・ガンホ キム・サンギョン
「オールド・ボーイ」  監督パク・チャヌク チェ・ミンシク ユ・ジテ カン・ヘジョン
「悪い男」 監督キム・ギドク チョ・ジェヒョン ソ・ウォン キム・ユンテ
「トンマッコルへようこそ」  監督パク・クァンヒョン チョン・ジェヨン シン・ハギュン カン・ヘジョン
「ペパーミント・キャンディー」監督イ・チャンドン ソル・ギョング
「二重スパイ」 監督キム・ヒョンジョン ハン・ソッキュ
といったところか。
これに「シルミド」(監督カン・ウソク アン・ソンギ)「シュリ」(監督カン・ジェギュ ハン・ソッキュ)を加えてもいい。
韓流四天王と呼ばれる中では、イ・ビョンホンを愛する者で、作品の中では「甘い人生」を愛する。「甘い人生」のなかでは、雨の中でイ・ビョンホンが涙を流し、その涙を執拗に映し出すシーンを愛する。あの穴に埋められる前後のところだ。
ペ・ヨンジュン、ウォンビン、チャン・ドンゴンにさしたる興味はない。いや、チャン・ドンゴンに個性的な役をやらせてみたらという興味だけがわずかにある。

それよりも、
ハン・ソッキュだろう。ソル・ギョングだろう。ソン・ガンホだろう。チェ・ミンシクだろう。

女優に関してはいまのところあまり興味はない。

以上、走り書きをしておきます。

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2007年6月18日月曜日

Hezbollah(ヒズボラ)

以下、ヒズボラに関する資料を載せておきます。

July 21, 2006
No, This Is Not 'Our War'
by Patrick J. Buchanan
My country has been "torn to shreds," said Fouad Siniora, the prime minister of Lebanon, as the death toll among his people passed 300 civilian dead, 1,000 wounded, with half a million homeless.
Israel must pay for the "barbaric destruction," said Siniora.
To the contrary, says columnist Lawrence Kudlow, "Israel is doing the Lord's work."
On American TV, former Israeli Prime Minister Binyamin Netanyahu says the ruination of Lebanon is Hezbollah's doing. But is it Hezbollah that is using U.S.-built F-16s, with precision-guided bombs, and 155-mm artillery pieces to wreak death and devastation on Lebanon?
No, Israel is doing this, with the blessing and without a peep of protest from President Bush. And we wonder why they hate us.
"Today, we are all Israelis!" brayed Ken Mehlman of the Republican National Committee to a gathering of Christians United for Israel.
One wonders if these Christians care about what is happening to our Christian brethren in Lebanon and Gaza, who have had all power cut off by Israeli air strikes, an outlawed form of collective punishment, that has left them with no sanitation, rotting food, impure water, and days without light or electricity in the horrible heat of July.
When summer power outrages occur in America, it means a rising rate of death among our sick and elderly, and women and infants. One can only imagine what a hell it must be today in Gaza City and Beirut.
But all this carnage and destruction has only piqued the blood lust of the hairy-chested warriors at The Weekly Standard. In a signed editorial, "It's Our War," William Kristol calls for America to play her rightful role in this war by "countering this act of aggression by Iran with a military strike against Iranian nuclear facilities. Why wait?"
"Why wait?" Well, one reason is that the United States has not been attacked. A second is a small thing called the Constitution. Where does George W. Bush get the authority to launch a war on Iran? When did Congress declare war or authorize a war on Iran?
Answer: It never did. But these neoconservatives care no more about the Constitution than they cared about the truth when they lied us into war in Iraq.
"Why wait?" How about thinking of the fate of those 25,000 Americans in Lebanon if we launch an unprovoked war on Iran? How many would wind up dead or hostages of Hezbollah, if Iran gave the order to retaliate for the slaughter of their citizens by U.S. bombs? What would happen to the 130,000 U.S. troops in Iraq, if Shi'ites and Iranian "volunteers" joined forces to exact revenge on our soldiers?
What about America? Richard Armitage, who did four tours in Nam and knows a bit about war, says that, in its ability to attack Western targets, al-Qaeda is the B team, Hezbollah the A Team. If Bush bombs Iran, what prevents Hezbollah from launching retaliatory attacks inside the United States?
None of this is written in defense of Hamas, Hezbollah, or Iran.
But none of them has attacked our country, nor has Syria, whom Bush I made an ally in the Gulf War, and to whom the most decorated soldier in Israeli history, Ehud Barak, offered 99 percent of the Golan Heights. If Nixon, Bush I, and Clinton could deal with Hafez al-Assad, a tougher customer than son Bashar, what is the matter with George W. Bush?
The last superpower is impotent in this war because we have allowed Israel to dictate to whom we may and may not talk. Thus, Bush winds up cussing in frustration in St. Petersburg that somebody should tell the Syrians to stop it. Why not pick up the phone, Mr. President?
What is Kristol's moral and legal ground for a war on Iran? It is the "Iranian act of aggression" against Israel, and that Iran is on the road to nuclear weapons, and we can't have that.
But there is no evidence Iran has any tighter control over Hezbollah than we have over Israel, whose response to the capture of two soldiers had all the spontaneity of the Schlieffen Plan. And, again, Hezbollah attacked Israel, not us. And there is no solid proof Iran is in violation of the nuclear nonproliferation treaty, which it has signed but Israel refuses to sign.
If Iran's nuclear program justifies war, why cannot the neocons make that case in the constitutional way, instead of prodding Bush to launch a Pearl Harbor attack? Do they fear they have no credibility left after pushing Bush into this bloody quagmire in Iraq that has cost almost 2,600 dead and 18,000 wounded Americans?
No, Kenny boy, we are not "all Israelis." Some of us still think of ourselves as Americans, first, last, and always. And, no, Mr. Kristol, this is not "our war." It's your war.

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2007年6月16日土曜日

ハマス

パレスティナ情勢がかまびすしい。
ハマスがガザ地区を統制したことによる。
これでパレスティナ内の内戦の様相を呈してきた。つまりハマス 対 ハタファである。
ハタファが穏健派、ハマスが過激派といわれるが、実はそうではない。
どちらも過激派であり、イスラエルから見ればどちらもテロリストである。もちろん、パレスティナから見ればイスラエルはテロリストである。(テロリストであるかどうかの分かれ目は、どこに視点を置くかであり、客観的に決まるわけではないことに注意しよう。)

さて、このパレスティナの分裂には、アメリカもイスラエルも困った。
話し合いができないからである。
また、武力闘争かよ、ってなもんだ。
ある種の統制が相手側に取れていないと力を加えるしかなく、その相手としてパレスティナはいやなわけだ。

これだけではなく事情通によれば、さらにパレスティナにはレバノンにヒズボラという組織がいて、こいつが動き出すのが恐ろしいらしい。
ヒズボラのバックにはイランがいる。資金も豊富でザルザルワンという射程の長いロケット弾を持っており、こいつを使用されるとどうにもならないらしい。どうにもならないとは本格的な戦争に突入するということだ。
とにかく、ここしばらくは目が離せない中東情勢だが、この情勢の変化が日本に何をもたらすかの分析はまた、今度ということになる。

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2007年6月15日金曜日

エクセルコダイヤモンド

十四日午後五時五分ごろ、東京都中央区銀座四の貴金属店「エクセルコダイヤモンド東京本店」に、外国人風の男二人が押し入り、女性店員三人にスプレーを吹きつけ、時価二億円相当のティアラ(王冠)とネックレスを奪って逃走した。三人は目に軽傷を負った。
 警視庁築地署は強盗傷害事件として、男らの行方を追っている。男二人は中南米系と白人系で、中南米系の男が入店後、ティアラのショーケースに向かい、後から入店した白人系の男が店員に紙袋から出したスプレーを噴射。中南米系の男がショーケースの鍵をこじ開けて商品を奪ったという。ティアラは計百カラットのダイヤモンドが使用されているという。男はいずれも四十歳ぐらいで紺色のスーツ姿。中南米系があごひげを生やし、身長一メートル七五-八〇、白人系は身長約一メートル八〇。現場は銀座四丁目交差点から南東に二百メートルの晴海通り沿いの繁華街で、警察OBが常駐する地域安全センターの目の前だった。

これは、やらせではなかったか。
CIMAには悪いうわさが付きまとう。

NOVAの猿橋(さはし)望社長と自民党の中山泰秀衆院議員(大阪4区)が関淳一・大阪市長を訪ね、解約時の精算方法の正当性を訴えていたことがわかった。
というのもなんだかねえ。

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2007年6月14日木曜日

岩手県

岩手県の三大麺といえば、「わんこそば」「冷麺」「じゃじゃ麺」ということになるが、どれもそうすぐれたものではない。値段がとうまさの関係が誇れるほどではないのである。うまくても高すぎてはいかんだろう。名物は高いのである。
まあ、名物というのはだいたいがそういうものだから、文句を言っても仕方はない。
ただし、一度は食べてみる価値はある。
それに「じゃじゃ麺」は安いではないか。特に「白龍」のじゃじゃ麺は。

「じゃじゃ麺」は平打ちのうどんに肉味噌がかかった、あれである。何でも、稲川方人さんは盛岡を散策しているうちに、行列が出来ている店を偶然、見つけて、入ってみたというのだから、見事な勘というしかない。「決して上品な食べ物ではないですよね」と稲川さん。たしかにおろしニンニクとショウガ、ラー油と酢をかけて、よくかき混ぜてから食べ、同じ皿に玉子を割入れて、スープにしてもらうのだから、お世辞にも上品とはいえない。しかし、その下品さがじゃじゃ麺の身上だろう。稲川さんは、それ以来、盛岡に立ち寄るときには、必ず白龍ののれんをくぐられるのだそうだ。東京の三軒茶屋にも、じゃじゃ麺の店があるらしいが、稲川さんは、白龍のイメージを壊したくないので、あえて行かないというのだから、かなりの通である。

とは、城戸朱理の言葉だが、はたしてそうか。
通というのをどういうふうに取るのかにもよるが、あの「白龍」に行列する連中が通といえるかどうか。
うまいまずいはかくいうほど難解な部類に属する。
東京で行列する連中もほぼ同じである。
通は果たして、行列するか?
辛辣な問だったりする。

うまいは高いに関係してくるが、この関係性をクリアしてさらに誇れる食い物は少ない。

秋田県横田市とは川口の町だが、その横田市が焼きそばの町として何とかしようとしているらしいが、どうだろう。
卵の黄身を混ぜながら食べるのが正式の食べ方だなどといっているのは、どうだろうか。

昔、銀座の「らんぶる」で「モカマタリのダブル」を呑んだときミルクを入れようとする客にあわててママさんが止めにきたのを覚えている。また、「灘コロンビア」の新井さんもまたビアタンブラーからビアタンブラーへと注ぐのを鬼のように止めていた。
この二軒は日本でもここといわせるだけの店だから別格だっただろうか。

食い物、飲み物合わせて食に対するこだわりとはそういうものであって、どこが日常を一線画す。
それがこの話の肝で、無意味なものに毅然として一線を画す、この感覚がなければ、何も始まらない。
そして、それを語るには、日常の食に対する確かな意見もさらに必要になってくる。
それは「物喰う日々」を読めばわかるだろうし、これを読んでわからなければ食は語らぬがよい。

そういうことだ。
そういう先に辻静雄やポールボキューズがいる。

残念ながらわたしがどこにいるかはわからない。

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Goblin Market

恒川光一郎の「夜市」がどこに出しても恥ずかしくない名作であることは疑うことのできない事実だが、ときとしてそれと比較される「Goblin Market」が私には理解できない。「Goblin Market」あるいは「小鬼の市」はChristina Rossetti の物語詩という形式の小品で魔法物語詩として名高い。同時に作者も<ラファエル前派>の創立者ダンテ・ゲイブリエル・ロゼッティの妹でありメアリー・シェリー、「フランケンシュタイン」の子孫としてもつとに有名である。 しかし、まわりの肩書きがいくらわかっても本編になんとも感動しないのだから、哀しい限りである。荒俣氏の訳で読んだのだから、訳者の問題ではない。 この詩の魅力のヒントをどなたかくれないだろうか? ぜひともお願いしたい。

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Goblin Market

恒川光一郎の「夜市」がどこに出しても恥ずかしくない名作であることは疑うことのできない事実だが、ときとしてそれと比較される「Goblin Market」が私には理解できない。「Goblin Market」あるいは「小鬼の市」はChristina Rossetti の物語詩という形式の小品で魔法物語詩として名高い。同時に作者も<ラファエル前派>の創立者ダンテ・ゲイブリエル・ロゼッティの妹でありメアリー・シェリー、「フランケンシュタイン」の子孫としてもつとに有名である。 しかし、まわりの肩書きがいくらわかっても本編になんとも感動しないのだから、哀しい限りである。荒俣氏の訳で読んだのだから、訳者の問題ではない。 この詩の魅力のヒントをどなたかくれないだろうか? ぜひともお願いしたい。

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野獣死すべし

野獣死すべし」は、松田優作の映画も捨てがたいが、作品としては本家ニコラスブレイクに止めを刺すだろう。このタイトル江戸川乱歩の手によるものだが、「THE BEAST MUST DIE」もともとの題である。これを「野獣死すべし」と訳したことは植草甚一の評を待つまでもなくすばらしいことだが、それをわからぬ人もいるだろう。そういう人は本を読むのに向いていないと自覚したほうがよい。同じように落語「ちはやぶる」のなかでの志ん生の演出、「何で豆腐屋やなんだい?」「しょうがねえじゃないか、本人がやりたいっていうんだから」の演出の卓抜さがわからぬものは、落語を聞いても仕方ないというのは言うまでもないことだろう。

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七面坂心中

原田氏の「七面坂心中」を読む。なかなかの作品でうれしかった。何よりユニークなところがよい。
原田氏には「CANAL」という秀作があるが、これは時間旅行を扱ったもので、陽の目を見ることはあるまい。彼が、売れれば横山氏の「ルパン」のようなことが起こるかもしれないが……。
ユニークというのはとても大切なことで、「夏への扉」のような作品があるところには近づかないほうがよい。
そんなことはともかく、畏友原田美晃が十分読みでのある作品を書いてくれたことに感謝することにしよう。

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七面坂心中

原田氏の七面坂心中を読了。

いい作品だった。

ユニークであるところがよい。

原田氏は、「CANAL」という秀作があるが、時間を扱った小説は目白押しなので、これが陽の目を見るのは、彼が売れてからであろう。横山氏の「ルパン」のような形でだろう。

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2007年6月9日土曜日

出版

2007年度ということなのだが、一日の出版件数が320点ほど。年間でなんと約8万点も出ているらしい。誰かの出版を祝うよりも自分が出版されないことを呪う所以である。
これくらい出ていると何の指標もなく選ぶことは困難であり、どうしても何かの示唆がほしくなるものである。
そういったところから生じたのが本屋大賞であろう。
出版社、取次と読者を結ぶ単なる商人としてしか登場しなかった人が、さらに新たな役目をおおせつかった格好である。
まことに喜ばしい。
コンセルジェとでもいったことであろうか。

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2007年6月8日金曜日

紫陽花

庭に青い紫陽花が咲いている。
ご存知のようにこの花の色は、助色素というアントシアニンの発色に影響を与える物質のほか、土壌のpH濃度アルミニウムイオン量によって様々に変化するものだが、そのため、「七変化」とも呼ばれることがある。
うちの紫陽花の青は、日本原産の最も古いものなのだが、さらにこの花の色の変化を詳しく言うと、つぼみのころは緑色、それがく移ろい、咲くころには水色、または薄紅色。 咲き終わりに近づくにつれて、花色は濃くなっていくという具合だ。
「あじさい」の名は「
藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われが、どうだろうか。
また漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花(ライラックか?)に名付けたものらしいのだが、それに平安時代の学者源順がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったと言われている
広まってしまえば、市民権を得るわけで、ここでも正しいことがそれほど強くないのが、よくわかる。

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紫陽花

庭に青い紫陽花が咲いている。

ご存知のようにこの花の色は、助色素というアントシアニンの発色に影響を与える物質のほか、土壌のpH濃度アルミニウムイオン量によって様々に変化するものだが、うちのは日本の伝統よろしく、青色というわけだ。つまり、日本原産の最も古いものが青色だということを言っているのです。一般に花はつぼみのころは緑色、それがく移ろい、咲くころには水色、または薄紅色。 咲き終わりに近づくにつれて、花色は濃くなっていく。

さらに「あじさい」の名は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われる。また漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花(ライラックか?)に名付けたもので、平安時代の学者源順
がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったと言われている

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野獣死すべし

野獣死すべし」は、松田優作の映画も捨てがたいが、作品としては本家ニコラスブレイクに止めを刺すだろう。このタイトル江戸川乱歩の手によるものだが、「THE BEAST MUST DIE」もともとの題である。これを「野獣死すべし」と訳したことは植草甚一の評を待つまでもなくすばらしいことだが、それをわからぬ人もいるだろう。そういう人は本を読むのに向いていないと自覚したほうがよい。同じように落語「ちはやぶる」のなかでの志ん生の演出、「何で豆腐屋やなんだい?」「しょうがねえじゃないか、本人がやりたいっていうんだから」の演出の卓抜さがわからぬものは、落語を聞いても仕方ないというのは言うまでもないことだろう。

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ゴブリン マーケット

恒川光一郎の「夜市」がどこに出しても恥ずかしくない名作であることは疑うことのできない事実だが、ときとしてそれと比較される「Goblin Market」が私には理解できない。「Goblin Market」あるいは「小鬼の市」はChristina Rossetti の物語詩という形式の小品で魔法物語詩として名高い。同時に作者も<ラファエル前派>の創立者ダンテ・ゲイブリエル・ロゼッティの妹でありメアリー・シェリー、「フランケンシュタイン」の子孫としてもつとに有名である。 しかし、まわりの肩書きがいくらわかっても本編になんとも感動しないのだから、哀しい限りである。荒俣氏の訳で読んだのだから、訳者の問題ではない。 この詩の魅力のヒントをどなたかくれないだろうか? ぜひともお願いしたい。

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2007年6月7日木曜日

アボン 小さい家

日系フィリピン人家族を描いた「アボン 小さい家」を見る。今泉光司が7年の歳月をかけて撮った映画です。小栗康平監督の助監督をしていたころから注目をしていた人だったが、いい作品を取ったなあ、と感動しきりでした。

フィリピンの日系3世であるラモットは、3人の子供を抱えバギオで乗り合いバスの運転手をしている。だが、生活費を稼ぐため妻・イザベルは海外へ働きに行くことになり、子供たちは実家のある山奥の村に預けられる。電気も通ってない村に子供たちは最初戸惑うが、自然に祈り自然と共に生きる生活に次第に慣れていく。そんな時、イザベルが偽造パスポートの容疑で逮捕されたという連絡が・・・。

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2007年6月6日水曜日

ラーメンの発祥

しょうゆラーメンの発祥は明治43年だが、その店が、浅草「来来軒」(昭和19年に閉店)だったことは
よく知られている。横浜税関に勤務していた尾崎貫一氏が南京街のコックを連れて浅草にやってきたのに始まる。当時日本一の興業街であった浅草六区の一角に開業したその店は随分はやったという。
その浅草の「与ろゐ屋」でざるラーメンを食す。
鰹節のよくきいたつけ汁はなかなかのものでした。
いやいや、今日(きょうび)のラーメンはどこもかしこもうまいですな。

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2007年6月5日火曜日

寄席の日

6月4日は6月の第一月曜日、知る人ぞ知る「寄席の日」である。
そこで、おいらは、いそいそと浅草「東洋館」に出かけたわけだわさ。
この日のメンバーは、すばらしく、
鏡味正二郎(大神楽)
東京ガールズ
青木チャンス
内海桂子
笑組
和才・洋才
ナンセンス
ぴろき
のいる・こいる
青空球児・好児

と堂々たるモノでした。
これだけ連続で見ていくと一つの見識が自分のなかに生じてくるのも楽しいものです。

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