2008年7月31日木曜日

池袋演芸場


わたしという人間は、まことに単純にできておりまして、断酒期間が延びていけばいくほど心身ともに強靭になっていきます。
それでもって、いまや断酒期間がかなりの日数になってきておりますので、寄席に行って、ぼやーっと一日過ごしてみようかなどと思い始めております。(こういうことを思えるというのはかなりの調子のよさ。だめなときは、部屋から一歩も出れないし、さらにひどいときは寝たっきり、まあ、石ころのように生きているわけです。そんでもって、見巧者が、あれ、あの石はいい石じゃねえか、なんて言ったりしてね)

何しろ池袋演芸場8月の上席のトリは、小三治師匠、それに三三、さん喬、権太郎、市馬、正楽…とわたしのひいき筋がずらりと。

いい一日になるのだろうな。

けど、小三治師匠が昼席のトリであるからには、開場の12時より前には行っていなくてはなりません。
う~ん、なんとか、上席のうち一日でも行ってみたいですな。

そしたら、うれしくなって酒なんか飲んだりするから、平日の一人がいいな、うん、平日の一人がいい、平日の一人が…
それでも飲んじゃうかもしれないな、小三治師匠の出来がよかったらな、うん、でもそれは仕方ないな、仕方ない…、仕方ない…

「酒なくて、何の己が桜かな」

あれぇ、もう呑む気になってしまったかな。

ラベル:

何事にも振り回されすぎる我らなれば

「暑い! 暑い!」とマスコミが騒げば「暑い、暑い」と思い込んでしまいそうになるが、仕事によっては、生活によってはそれほど暑くもなくクーラーなどまったく必要はない。

そりゃあ野良仕事に日がな一日取り組むヒトにとっては、この暑さはたまったものではないだろうが、屋内でパソコンを叩いている人間の言うことではない。
パソコンでなくても屋内での仕事の人間はクーラーをかけずとも窓を開けきっていれば、まあ何とかやりきれる。
そんなところではないか。
それが、少し無理なようでも「暑い、暑い」とマスコミに振り回される必要はない。
自分が暑いと思ったとき、心のうちで水でも飲むかとでも思えばいいだけのことだろう。

同じように「オリンピック! オリンピック!」の声も喧しい。
しかし、別に見たくなければ見なくてもいいし、日本を応援する必要もない。

あなたが見たければ見ればいいだけの話で、そのために職場での会話に参加できないのなら、酒場での会話に参加できないのなら、それはそれでよかろう。

要はあなたが感じたことをあなたが感じればいいのだし、あなたが見たいと思ったものをあなたが見ればいいだけのことだ。
あなた自身のことに関しては、だれかれに振り回されてはいけないと思う(ようにしたい)。

わたしは、振り回されぬそういうあなたと話していたい。

しかしながら、いやな話を付け加えれば、あなた自身のことではなく他者もかかわることになるとそうはいかない。
あなたの思い通りにはいかなくなる。
そのときはどうする?

はてさてどうしたものですかねえ?

そういう時、処世知(この社会のルール、つまりは法律や慣習や何やかや…)が必要になってくるのでしょうが、これは困ったものです、実に困ったものです。

わたしは、そういうことを考えると嘆息したくなってしまいます。
と、ふとそんなことを思っているところなのです。

ラベル:

満州国


誤解される方もいないだろうが、わたしは日本の海外侵略を支持しない。(軍事的にも経済的にも)
しかしながら、別のあり方で日本の若者たちが、海外に出てしまうことをひとつの選択肢として考えている。

いま、その準備も力もないので満州のことを詳しく論じることはできないが、ひとつの事実だけをここに述べておきたい。

満州事変前の日本の自殺者数は1万4千人を超えていた。
その理由は大まかにいえば二つある。
ひとつは生活苦から、もうひとつは自分の将来に何の絵も描けないからであった。
(自殺の理由は、いまと大きくは変わっていない)

それが、満州事変後、自殺者数は激減していくのである。
ある期待をそこに見たからである。

では、いまわれわれが満州を求めるとしたら、その満州はどのような形をしているのだろうか。
もちろん侵略など論外だ。

わたしは、ひとつの問題としてこのことを自分の胸に提起しておきたい。

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不眠症

わたしの仕事といえば、たまに来る文章書きくらいだが、それでも朝早く起きてやろうと思えば、睡眠剤に頼るしかない。
昨夜は、仕事が何もなくなってしまったので(終わったと書けないところがなんとも悲哀あふれると自分でも思ってしまいます)、眠れぬままに夜をすごしていたら、案の定、明け方の陽が差し始めてきた。
しかし、特に何も予定がなければ、それはそれで問題はなく、眠くなるまで放っておいたらいいだけのことだ。
それでも、結局は朝の7時まで2時間ほど眠ったのだから、不眠症というのはたわいない。
これが眠れぬ状態が1ヶ月も続いて死んでしまうことになるのなら立派な病だろうが、不眠症は病としては根性なしの病というしかない。

不眠症という病は、予定を持つという条件がいるもので、予定が何もない者にとっては何の問題もなく、眠くなるまで起きていればいいだけのことである。

似たようなことは多く、富裕層にとって仕事がないというのはなんらの問題でもないし、十分な回復力を持つ健康人にとっては、多くの病気は己が体が発するただの休息の要請に過ぎない。
あるいは、もてることに慣れた人間にとって、誰かに相手にされないことは、その人が特別な人でない限り、道端の石ころを眺めるのに変わらないし、ステージで歌う特殊な能力を持つウタシャーにとって、ちょっとした歌手のコンサートは、ちらりと見て過ぎ去るものでしかない。

問題は、ここでも自分の状況との関係性の中空に生じるのであって、単に問題が忽然と目の前に現れるのではない。
だから、問題が生じ、事件が起きた際は、犯人と問題の関係性を論じるべきで、犯人を自分と置き換えて自分ならなどという仮定の話をしても意味はない。

ポイントは彼の状況とその問題の関係性で、そこに立ち入らなければ何も見えてはこない。

というわけで、目下のわたしの状況は経済的には極めて厳しいが、不眠症に対しては何の痛痒も感じないといったところなのです。(何を言っているのかねえ)

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氷水

わたしが、特別にカキ氷が好きな話はしたが、あの氷にかけるシロップはかなり邪悪なもので、食べ終わってそのまましばらく置いておくと赤や緑の色が器に付いていてとれにくい。
このごろは、ときに、これはわたしの太刀打ちできるものではないわいと思ったりしている。

それで、今度は「みぞれ」にして食うかなどと思っているのだ。
みぞれは、昔、「水(すい)」などと気取っていったものだ。
「氷水、すいでちょうだい」てなもんである。

そんなことを思っているうちに菅原さんの詩を思い出してしまった。



「ブラザー軒」 菅原克己 

東一番丁、
ブラザー軒。
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら
細い脛だして
椅子にずり上がる。
外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは
小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。
妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。

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2008年7月30日水曜日

中流階級

「中流階級」はさほど古い概念ではない。

よく似ているが、「中産階級」、これは古い。
古典的な労働者階級よりは資産があり、自ら資本家になるほどの資産はない階層、これを「中産階級」と呼ぶ( 通俗的にはサラリーマンや金のあまりないホワイトカラーが、そう呼ばれる)。

19世紀の半ば、マルクスは資本主義が発達すればするほど貧富の差が拡大すると予言した。
一方、19世紀末、ドイツ社会民主党のベルンシュタインは、資本主義が発達すればするほど「中産階級」が台頭すると予言した。
このあたりから、「中産階級」という階層が注目されるようになってきた。

さて、日本ではどうか。
日本は、戦後保守政権による政策で中産階級の育成を中心とする日本型社会民主主義政策を取った。
その結果、70~80年代には一億総中流と言われる状況を作った。
個人的に、わたしはこの時代をそれほど悪い時代だと思わない。
しかし、「中産階級」にももっと先へという志向があった。
そして、そのことがある程度可能だった。

ただ、一億総中流に実態があったのかどうかは、いまだ検討の対象とされている。(したがって前述のことについての確証はない。そういう分析が主流だというだけのことだ。これもまた、当たり前のことだが、主流だからといって、正しい保証はどこにもない)
まず「一億総中流」というコトバありきだったのかもしれないこともあるわけだ、プロパガンダとして。

ところで、社会学の立場ではこの「中産階級」を「新中間層」と呼んだ。
マルクス主義では「上層労働者階級」と呼称する。
「上」だ「中」だとわれわれのいる位置をコトバが決めていく。
(そのようにわれわれの位置は意味付けられていく。もともとその場所にはそんな意味はなかったのだ)
「新中間層」は商店主や自作農などという「旧中間層」に対応した用語で、マルクス主義では賃金労働者である点において工場労働者と変わりがないという認識で「遅れた労働者階級」とも呼ぶ。
それが視点とか視座というものであり、この視点や視座によりは何かを見、何かを見えなくしていく。

話が長くなったが、いま言われている「中流階級」概念は、もっと新しい。

「中産階級」の規定には生産手段が大きくかかわるが、「中流階級」には教員、個人投資家、自由業者、法律家などという生産手段や階級闘争に関連しない職業が含まれている。

現在では一般に、多額の資産や巨大な名声を手に入れた経営者・実業家などを富裕層と呼び、そのような企業や活動グループ、つまりは経済的な成功者を人生の「勝ち組」と見ることになっているが、「中流階級」はこの中に入っていない。
逆に、低賃金であったり社会的な地位や信用が低い貧困層、富裕層へのコースから外れた労働者などを「負け組」と呼んでいるが、この中にも「中流階級」は入っていない。

要は、どっちつかずの集合を「中流階級」と呼んでいる。

この新用法に対しては、かつての用法とかけ離れた意味があり、あいまいで、しかもそもそも誰が人生『勝ち』『負け』という基準を決めるのかなどの批判があるが、意外としっかりした定義に思われるところが不思議だ。(ためしに誰かを思い浮かべれば、この三つのカテゴリィに入っていくことがわかるだろう。「中流階級」とは優れて、経験的な用語なのだと思える)

「勝ち組」「負け組」という概念が生まれた要因のひとつとして、日本国内における、いわゆる一億総中流社会の崩壊による収入と消費の二極化の発生があると言われている。(そして、この「勝ち組」「負け組」がなければ「中流階級」は存在しないのだ)
そしてこの事は企業のマーケティング戦略にも大きな影響を及ぼした。
企業は勝ち組向けのビジネスや富裕層市場を拡充させ、トヨタ自動車のレクサスを始めとする高級品や六本木ヒルズ、シオサイト、東京ミッドタウン等を生まれさせた。

一方、負け組向けのビジネスとしては、インターネットカフェ等が作られている。これらの新しいマーケティング戦略の中には成功を収め、多額の利益をもたらした例も数多い。

そして、もちろんのこと「勝ち組」「負け組」という概念が生じたことで差別に結びつくという事態も発生している。
例えば現在、職業において、「勝ち組」「負け組」という言葉が半ば職業差別として機能している一面があるのはご存知だろう(「派遣」という一事を考えてもわかることだ)。
また、職業に限らず、容姿、服装、学歴、趣味…などに同様の差別や偏見が発生しているか、あるいは今後発生する可能性があるのは、テレビや雑誌等のマスメディアを見ていると予感させられる。

というわけで、ようやく話は「格差社会」にたどりつくのだが、ある基準をもって人間社会の構成員を階層化した際に、階層間格差が大きく、階層間の遷移が不能もしくは困難である(つまり社会的地位の変化が困難、社会移動が少なく閉鎖性が強い)状態が存在する社会を「格差社会」と定義するのだろうが、問題のひとつは階層間の流動性が極めて小さくなってきているところだろう。

この流動性は「負け組」から「中流階級」に対してももちろん存在しており、わたしの今回の主張のもっとも大きな点は、この国は「中流階級」をなくそうとしているのではないかという点である。
「中流階級」がなくなれば、さらに流動性がなくなるのは目に見えており、それがいまわれわれの生きている現状ではないかというのがわたしの主張だ。

1998年頃に中流崩壊が話題となり、格差社会論争が注目されるようになったが、この議論では、主として社会的地位、教育、経済の3分野の格差が問題となっている。

前述の日本社会が平等かつ均質で、一億総中流と言われていた時期(高度成長期からその後の安定成長期頃まで)においては、所得面での格差社会が問題になることはなかった。(それは、みんなががんばればある程度金をもらえ、生活できていけ、人々の関係性もあった時代だ)

バブル期には、主に株価や地価の上昇(資産インフレ)を背景として「持てる者」と「持たざる者」との資産面での格差が拡大し、勤労という個人の努力とは無関係に格差が拡大した。
資産が資産を呼ぶ時代では、汗水たらす地道な仕事は疎んぜられる方向も出始めていたのだ。(仕事とはそういうものではないと、したり顔で言う連中もいたが、時代とは生活を変貌させるものなのだった)
その後のバブル崩壊による資産デフレの進行とともに資産面での格差は縮小した。

2000年代に格差社会がテーマとして取り上げられている際は、一定の景気回復を前提とした上で、それほど深刻な問題とはまだとらえられてはいなかった。

マスコミや野党などは、当初、単に格差社会を指摘するものであった。
しかし、この格差は次第に拡大し、世襲化し、手に負えなくなり始めていた。
格差社会を指摘する場合は、他国との比較において日本の格差社会は顕著なものかどうかという視点が取られることが多いが、問題は他国との比較ではなく、この国の中での変貌であり、そのなかで格差拡大が、過去の格差状況とどう違うかの比較が中心的な視点とならなければならない。(それが、この国を考える基本だ。他国との比較考量はその先の話だ)

小泉政権あたりから見てみると、現在、小泉政権以前から存在していた以上の格差が存在するようになったのかどうかは、いまだに議論されている(例えば、小泉内閣(2001年4月26日~2006年9月26日)において、非正規雇用者の増加が進んだと言われることがあるが、統計だけ見れば小泉内閣以前から非正規雇用者は増加している)。

ここで、ざんないことを言ってしまえば、格差の実態を調査するために様々な主体によって様々な統計が取られているが、そしてその結果、格差が存在するか否か、現在どの程度の格差が存在するか、ということはある程度見えるものの、その格差が問題のあるものか否か、階層間の遷移が不能もしくは困難となっているか否か、というような具体的な評価については論者によっても異なり、明確なものとして提出されない。

しかし、大変に困った現状が存在するのは、何冊かの具体的な事実を書いた新書などの著作で明らかである。(調査ではなく、現実が教えているのだ。寒いから冷房温度を上げてくれという現状を言ったときに、「いえ、いまが適正温度です」というのが調査なのかもしれない)

昔は違ったというのが、わたしのこれまでの主張なので、付け加えておきますが、
「大家族で、夫が外で働き、妻は専業主婦として家事をこなす」というモデルが主流であった頃は、以下のような対策を取ることによって社会リスクを回避し、格差を顕在化させなかった。

●収入低下のリスク
 家庭の稼ぎ手は夫のため、年功序列制度によって将来の収入増の見通しを立てるとともに、夫が亡くなった 場合は遺族年金などによって収入をカバーしていた。

●老化のリスク
 老化し働けなくなった場合は、子供に養ってもらうことによって生活することを前提としていた。
 だが、この家庭モデルは、核家族化、離婚増による母子家庭化によって崩れていく。さらに、「社会リスク を回避するためのもの」だった家庭は、変化によって逆に「社会リスクを増幅し、格差を生産するためのも の」へとその役割を変えていった。


格差は、人生の中で主に3つの段階(就職、出産・育児、高齢化)で発生するといわれるが、いままさにそれぞれがおおきな問題にさらされている。

そして「中流階級」がなくなるとき、格差問題にさらに追い込まれるのはわれわれだと思う。

いくつかの方法はあるだろう。
そのひとつは、都市から田舎への人口の逆流であり、東南アジアへの人口の逆流である。
そこで、そこに住む人たちと食べていけ、関係性を構築できるならば、政府はそのことに対する援助を考えていいのではないのだろうか。(たとえば漁民に対しても)
「中流階級」を消滅させて、政府がいかなる世の中をイメージしているのかわたしにはわからない。

長く書いてきたが、田舎での生活(それは政府の援助を含めた田舎の再生化だ)、東南アジアやアフリカでの生活(それは政府の援助を含めた大規模な労働者としての移住だ、棄民ではなく)をわたしは期待している。

わたしは田舎も東南アジアもアフリカもそれほどすばらしい地だとは思えないが、それでも「中流階級」亡き後の日本での生活よりもよいのではないかと思う。

日本にいつまでもしがみつく必要はない。
都会にいつまでもしがみつく必要はない。

少しでもましに生きていきたいものだと本当に思う。

長すぎるブログにて

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2008年7月29日火曜日

途中経過のついでに

少し(どころか、ヤマほど)書き足しておいたほうがよいので書き足しておきますが、自分の手元に戻ってきてくれた自分と付き合う場合、あまりせいてはなりませぬ。
せいてはことを仕損じますから。

自分が自分と付き合うのにはやり方があって(人それぞれでしょうが)、戯れることをその基調とすることが基本です。
何を持って戯れるかは自由ですが、そのことを重くしてはなりませぬ。

ですから、戻ってきた自分も、待っていた自分もがんばらないでほしいのです。
二人で一人遊びを楽しむようにしていればいいのです。

そのときに、何かを(人でもいいのだけれど)愛することは助けになるが、愛されることがあまり助けにならないことがわかります。
他者は少し離れて、そっと愛してくれているのに限るのです。

ロマンティックなコメントになってしまいました。

なにやら気恥ずかしいが、そういうことです。

ラベル:

鬱であることの途中経過

わたしのブログを読んでくださっている方ならご承知と思いますが、わたしはかなりの鬱病を患っております。
患っておりますが、救いがございまして、それは酒を飲むと雲散霧消するところにあります。
しかしながら、因果応報、激しく雲散霧消すれば、鬱は、いや増して襲い掛かってくるのです。

鬱については巷間いろいろと解説されておりますが、実際の鬱病持ちとしてここに途中経過を報告しておくことにしましょう。

鬱であることの最も難儀なところは、自己の手から自己が離れるということにあります。
自己の手から自己が離れるというのは、私流に言えば、個人であるところの人の死でありますが、その状態を耐え忍ぶところに鬱の本質があるのではないかと考えております。

ですから、すでにこの社会に媚いって、あるいは扇動され、あるいは、無批判に生きている人間は、すでに個人としては死んでいるわけで、鬱にはなりません。(離れるかもしれない自己をあらかじめ捨ててしまっているのですから)
そして、彼らの多くは鬱病患者を甘ったれたものだとしか感じません。(その本質が見えないからね)

彼らには、この手で自分を抱きしめる感覚がないのです。

鬱病とはこの手に自分を抱きしめたい人間が、自分自身を抱きしめられなくなった状態を言います。
「抱きしめる」とはいささか情緒的な表現で御幣を産みますが、「抱きしめる」ことの本質は肉感的にではなく、自己の生き方をある程度、自分自身の生き方として、実感を持って感じられる、可能ならば調整できることをいっております。

人は、ある程度たくらみ(=思い、計画、悩み…)をもって進まねば、自分の思う方向へ進むことができません。(進む可能性が産み出されません)
考えるに鬱病にとって最もつらいのは、この作業(つまり、自分自身と手を取り合って生きる)ができないこと、つまり、繰り返しになりますが、自己の手から自分が離れているのを眺めていることしかできないところにあります。

そのことが、いらぬ不安や、ひいては絶望をもたらすのではないのだろうかと思います。

酒は、一瞬自己の手に自分が戻ってきたという疑似体験をもたらします。(特殊な酒の席では、それが疑似体験でないことがあり、これはもう至福のときといえましょうか…)

途中経過で申すのもなんですが、とにかく自分自身をしっかりと抱きしめていられない悲しみが鬱病にはあり、その病の経過が順調な折には徐徐に自分が自分の手元に戻ってくる実感があります。

我に我自身を!

すでに、自分を売り渡した人間が多くいるのは、ペーター・シュレミールの昔から。
それが、悲劇とならぬのは今の時代性(時代が自己の放棄を求めているのです)。

鬱であることを悩むことはない。
それはあなたが生きている証拠だ。
鬱である状態に苦しむことはあろうとも鬱を呼び込んでしまったあなたに悩むことはない。
それは、何よりもあなたが生きている証拠だ。

自分の肩をそっと叩くようにこの一文を私自身と、鬱を図らずももってしまったあなたにお贈りします。

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邪悪なもの


昨日の夕方、意を決して作った炊き込みご飯が、早、今日の昼には粘り気を帯び、食えるか食えないか危ない状態になっていた。
夏の食事は、一食限りの量にすべきで、独り者には困ったものである。

夏といえば、わたしの好むものは、圧倒的にスイカとカキ氷に限っていて、この二つはかなりの体調の悪さを押しても食べることにしている。

スイカはともかく、カキ氷はいわずと知れた邪悪な食べ物(?)で、水を凍らせて何かわからぬ色付のシロップをかけたに過ぎないものである。
ところが、こいつが、わたしにはたまらなく恋しい。
カキ氷が目の前にあるとウハウハしてしまうのである。
そのために「カリカリ君」だったか、「がりがり君」だったかを今のわたしにとっては大枚を払って買ってきたものだ。

「邪悪」もまたそこに邪悪があるだけではなく、ある関係性の下にはその様相を変えたり、新しい要素を加えることはある。
カキ氷の邪悪性はわたしにとってそのような邪悪性である。

もっとも私そのものが、どこか邪悪なものに惹かれるという事実も入っているのだが。

しかし、まあ、あのどう考えても体に悪い原色のシロップを氷とともに体に流し込む瞬間はまったくもってたまりません。

わが邪悪性とカキ氷の合体とでも呼ぶのでしょうか。

これを性悪女にたとえれば、性悪女にもカキ氷からもこっぴどく罵声を浴びせられるのでしょうが。

とにかく、夏はカキ氷。

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2008年7月28日月曜日

スーパーに行ってみる

スーパーへ行ってみると、スーパーによっては、冷房温度を上げたり、値引きする時間帯をずらしたりしている。
値引き時間を待つ人々の数が増えているための対策なのだ。
わたしの時々行くスーパーでは、そのスーパーに出店させてもらっているパン屋さんはサンドイッチ以外の値引きは一切やめている。(やめさせられている)
値引きをしているころは、ある時間を過ぎると人だかりのしていたパン屋だが、今は値引きされないパンが寒々と残っている。
パン屋の売り上げが、スーパー本体の売り上げに影響を与えるという認識でこのようになったのだろうか。

で、あるとすれば、あの売れ残りのパンはどこへ行くのだろうか、廃棄されなければいいな、と思う。
もし廃棄するくらいなら、スーパーの店員さんが安く分けてもらえるといいなと思う。

こまごまとした日常風景、それも生活必需品の部分に貧困の国日本のその絵姿が現れている。
奢侈品には、なかなか現れづらいものだ。
第一奢侈品は、そうたやすくは値引きできないだろう。
値引きすれば、奢侈品でなくなってしまうものナ。

とにかく、このごろのスーパーの多くは、冷房の温度を上げ、値引きの時間帯を下げている。

そして、多くの人はその値引きタイムを律儀に待ち、群がる。

わたしはといえば、さめた気分でその情景を眺めている。

それはごく最近、再度の本格的な断酒を自分自身の中で決定したせいにあるのかもしれない。

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小説の中の女

小説に登場してくる女性で、わたしが惹かれる女性を挙げるならば、それはあのベルベル人の「シャヒーナ」かもしれない。

ベルベルに古いことわざがあって、
「助勢の剣は第一の禍を避けし者のためにのみ振るうべし」
とある。

第一の禍を己が手で避けれぬ者に助けはないとは、戦闘的民族らしい言葉ではないか。

戦いを望まぬものに助勢は現れぬということか。

平和が戦いと戦いの隙間ならば、平和の存在にも長い長い目には戦いがあるのかもしれない。
幼稚な考えだが、そう思うこともある。

ラベル:

人は愛することによって愛を得ることがあるものだから…

「もてたい、もてたい」というのはふつうに男や女が願うことだが、ひとは他者を愛することによってしか満たされぬ心というものもあって、それを自覚してしまえば、この世は闇に近くなる。

己の愛が他者に受け入れられることは、もてることの数倍に難しい。
愛が愛として受け入れるためには、無防備という、度し難い障壁があり、こいつがまことに持って厄介なのだ。

したがって、ひとは、子供などというものを作って、その障壁を乗り越えようとするが、こどもが無防備に親の愛を受け入れる期間にはタイムリミットがあり、それを過ぎれば子供は親の愛を無防備には受け入れず、もし、無期限にその愛を子供が受け入れているとしたら、その子供は阿呆だ。

愛を受け入れるには、無防備であり続けるには危険すぎるわなが存在している。

それはさておき、それでもわれわれは「愛することによって愛を得ること」を期待する。
それが愛の第一の秘密であり、
「もてたい、もてたい」と思っていたり、好きな男や女に愛されたいと思っているうちが花なのだ。

いっておくが、「もてたい、もてたい」と思っていて、それで、なんら困ることは一切ない。
だから、そのまま生きていけばいい。(知らぬが仏というではないか、この世の中には一生知らずに過ごしたほうがいいものもある)

ならば、なぜわたしが、このようなものをここに書いているかといえば、それは、単なる「己への自戒」だ。
そして、もしかして、わたしと似たる感性をお持ちの方が読者にいるのではないかという、余計なおせっかいというわけだ。

というわけで、この文章、とても失礼な形をとっております。
お詫びしておきます。

ラベル:

決め打ちとはこのことか

若い商社の人間と話す機会があったが、あまり新たなものを取り入れる意思はないように見受けられた。
それは、すでに出来上がったレールを持っている人間の特徴で、(もちろんそのレールさえ壊すような男もいるのだが…)そうではない人間は、オウムのように自分の生き方に沿って語るだけのことだ。

それを緩やかな洗脳といってもよいのだが、国家とマスコミと大企業が束になってこの国を牛耳ろうとし、その上にアメリカがいるとしたら、世も末なことは当たり前のことで、それでも何も暴動のようなことが、この国に起こらないのは、すばらしきシステム(彼らにとって)を気づきあげたおかげなのだろうとはわかる。

そのシステムが何であったかは、具体的にその端々の人や物にぶつかることはあっても全体像は見えてこない。

とにかくこんなに息苦しいのは、この夏の暑さのせいだけではないことは知っている。

そのシステムが何ものであったのか、くらいは見ておきたいものである。

中国の暴動の件数が驚くべき数になっているのは、知っており、それがうらやましくもある。
暑さと欝で思考が、狂っているのかもしれない。

ラベル:

2008年7月25日金曜日

伝わりにくい問題

今回の「誰でもよかった」発言に端を発する無目的な殺人は(それほど無目的=純粋でもないのだが…)、伝わりにくい事件で、殺人者の生い立ちや生活環境に問題を移して彼に同情する立場に立ってみるのがおかしいのはこれは言わずもがなだ。
と同時に、彼自身だけに問題があるとする判断も今までどおりでこの状況を持続する手助けになるだけにしか過ぎない。

ここで被害者の話は外に置かなければならない。
それは被害者の親族や友人が、まったくわれわれとは違う人間だからだ。

これからわたしが書くことは彼ら被害者の「殺してやる」という心情をかもし出すものかもしれない。
しかし、ここに、それを書いておかなければならない。

この一連の無差別殺人を個々の問題と捉えてはならない。
これは確率の問題なのだ。

多くの人間が同じ状況下にいる。ある者は抜け出し、ある者はその場で耐え忍び、ある者は自殺に走り、そしてごくわずかなものが無差別な殺人に走る。
個々に光を当てても何も見えてくることはない。

不幸なるかな、われわれはそういう構造をこの世に持ってしまったのだ。
だからこそ、ある確率でこのような殺人は起こる。

昔殺人は関係性によってもたらされた。(被害者と加害者の)
関係性のないところに殺人は起こらなかった。
クリスティーの「ABC殺人事件」だとしても、それは関係性を中心にしたものだろう。

人が関係性のないものを殺すのは異常なことだ。
それを可能にした大きな要素は、この世の中が、そこに自分とは、なんらの意味もない、関係性もない、ただあるものとして、見知らぬ彼らを存在させてきたからだ。
その人たちは、加害者と関係性を持ち得ない(一部な稀少例を除いて)

あえて言えば、彼らはその関係性のない者の中から、自分とは違うおそらく幸福そうな誰かを殺そうと思ったのだろう。
それが、ここに主張してきて関係性のない殺人の中に残っている、わずかな関係性だ。
殺された彼らは、加害者から見て、わずかに幸福そうだったのだろう。
それが殺される理由か。
そうだ、それが彼らが殺された理由だ。

電車の中で初老の婦人が見知らぬ赤子をあやす。
同じように彼らは、見知らぬ幸福そうに見える誰かを殺す。
同じ程度の発火点だ。

電車の中ではじめて会う初老と赤子の世界に関係性はない。
自分に対して無抵抗な赤子に対して安心感を持って、あやしたに過ぎない。

それとまったく同じことを彼らは刃物を使ってやったに過ぎない。

それをされたわれわれはどうなる。

当事者ではないわたしにはわからない。
悲しげな役者の振りもできない。

なぜなら被害者である彼らはすでにわたしにとっても無関係なものに過ぎないからだ。(それは、テレビを見るあなたで検証してみることだ)

考えてみればいい。
われわれにさほど多くの関係性の糸は張り巡らされていない。
そのようにしてこの社会は進化してきた。

その中での確率として「誰でもよかった」殺人は起こっている。

それは彼の問題ではない。
この社会のスポットの問題でもない。
その確率を高めることを長年してきたあるシステムの問題であろう。

わたしはそう思うし、早く誰かにしっかりとこのことを具体的に語ってもらいたい。

要するにこの種の事件には悲しいという部分が極力少ないのだ。(ごく一部の被害者の周りを除いて)

殺人をそんな他人事にしていく社会がどこにある。
ああ、そうだ、ここにあるのだなあ。

だから、友よ、あなたの関係性を大切にしてほしい。
できれば、恐る恐るでいいから、少しだけ広げていってほしい。

ラベル:

「フォーク夏の陣」

いつの間にか、インターネットもぼちぼちと覚えていくと、「Gyao」という番組も見ることができるようになって、音楽に救われることのほとんどないわたしも、今この番組に入っている「フォーク夏の陣」に癒されてしまった。
生きていけるかもしれないと思ってしまった。

歌手たちに「仲間」を感じてしまったからだ。

高田渡はなんと、仲間に恵まれ作ってきてしまった人だろう。
そして大塚まさじもよく生きてくれていた。

相手になってくれる人を間違わなければ、この世の中も、そう捨てたものではないなと、今思っている。

そうして、「異邦人」のムルソーの殺人を今の評論する人たちはなんと書くのかなとも思っている。
わたしなら、どう書くだろう。

少し考えてみることにする。

眠る前の支離滅裂、許したまえ、わが友よ。

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2008年7月24日木曜日

性欲

食欲のことを書いたが、ついでに性欲のことも書いておこう。

わたしの性欲は、わたしがある状況になったとき、特定の女性に感じるもので、それ以上のものではない。
こういうあり方で起こる欲情をもはや性欲とは呼ばないだろう。

娘のようなその女とのそれは、一種の交感だろう。
それがわたしの生きる支えのひとつになっていることを実感することはある。
長くないと感傷的になるときもある。(バカだね)

わたしがある状況にならなければ、娘を必要としないし、もしある状況になったところで、その娘でなければどうということはない。

このあたりのことは深く考えたことはないが、エロ雑誌やストリップ小屋で一生懸命眺めているおじさんたちを見ると何か悲しいような気もする。

いい女もトンと見なくなったが、たとえ見たとしてもそれは性欲の対象とはならない。
いわば、造形物としてのオブジェに過ぎない。
そのオブジェに感情があって、泣いたりわめいたり、動いたりしゃべったりするのが愉快なのだ。

これでも嗜虐趣味のピカソの心情がわからないわけでもないのだよ。
ただし、わたしに嗜虐趣味もその逆もない。

ただ、ときどき娘に会いたくなるというだけの話だ。

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食欲

食欲が極めて減退するとどうなるかというと、何も食べたくなるのはもちろん、食に関するブログも読みたくなければ、雑誌もだめであれば、食の漫画もいかんわけで、それは何かしろ生命力自体を奪われていく感覚に似ている。

スーパーに買い物に行っても食材に手が伸びない。
最初は手は伸びていたのだが、何度も買ってきたものを腐らせていると、見るだけでだめになってしまう。

本日などは、カキ氷のシロップを買っただけで、それ以上のものを買うには勇気がいった。

しかし、食欲は個人にのみ属しているだけでなく、一緒に食べる人がいることで満たされることがある。
つまりは彼なり彼女がそれをおいしいといってくれれば、自分の食欲を満たしてくれていくのだ。(できれば若い人のほうがよろしい)

一人暮らしの老人の危うさはそんなところにもあるように思う。
彼らの飢餓死はそんなに単純なものではない。
選び取らされるように栄養失調になだれ込んでいく。

わたしの父は栄養失調が原因で死んでいくのだが、本当に食べたくなくなっていくのだ。
だからといって、点滴をすればいいといっているのではない。

食卓を囲む相手がいなくなったとき、人は生きる力も失せていくといっているのだ。
それは、あえて食卓を囲まなくしている人間を殺人者だと告白しているのに近い。

人が助け合うということは、単にこんなことに過ぎない。
食卓を囲める人がいること、お茶をともに飲む人がいること、それが関係性を教えてくれる。

機能的には一人暮らしの老人も生きていけるだろう。
しかし、彼らの楽しみはあなたが思っているほど多くはない。

もしもわずかな可能性があるなら、かれらに、気を使ってあげるといい。

幸いなことに、隣の一人暮らしになったお祖母さんにはしょっちゅう電話がかかってくるし、人の出入りがある。
いいことだと思う。
ひょっとすると詐欺がよってたかって来ているのかもしれないが、それでも孤独死よりはましだろう。

彼女には撃退するだけの力がまだ残っている。

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手紙


先ほどのブログで、そうは書いてはみたものの、ことはそう抽象的でもなく、具体的に進行する。
そこでは、殺人者の自己規制の問題も大きく扱われるし、この世の中の人々がすべて、かれとの関係性を放棄したわけでもない。

しかしながら、厳しい世界だ。(よくよく見てみれば、あなたに見えるならば)
当たり前といえば当たり前だが、自分たちの作ってきたこの当たり前の世界を無反省に受け取るわけにはいかないだろう。

東野圭吾の「手紙」という小説は、追い込まれていった人々が、そこから立ち直ろうとするとき、すでにそれが不可能に近いことを示している。

これは、武島兄弟を通してこの社会の一面を映したものだ。
「強盗殺人」という強烈な異物を日常に入れたとき、人がどう反応するかを映したものだ。

しかし、それほど強烈な異物でなくとも人はすばやく反応するものだ。
自分にとっての「未知のもの」と「異物」にどう反応するかがその人の度量だろうというのがわたしの自説だ。
もし、その力があれば、関係性を作れるかもしれない。(危険ではあっても)

しかし、「未知のもの」と「異物」を自分の中に取り入れるには、自分を一度壊さなければならない(大小の差はあれ…だ)。

そういう人間にお目にかかることはトンとない。
ただ、今まで自分が培ってきたものを(培っていれば十分だが)話すだけの人が多い。

つまりは、それが関係性を作るということで、「未知のもの」や「異物」が、この国で関係性を作るというのは至難の技と言うわけだ。

うん、誰かと酒が飲みたい気分だな。

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誰でもよかった

「誰でもよかった」

というキーワードをようやくマスコミもかぎつけたが、特筆すべきことではなかろう。
いまや、すでにある部分では人間関係は完全に消滅し、他者を生き物と見られなくなった人々がこの国にいるという現象は、少し前から実際に起こっている。

それは、まやかしであろうが、あやかしであろうが、ある組織の中や人間関係の中にぬくぬくと(そりゃあまあストレスもあるのだろうが)、働きながら生きる、それでも人間関係が続く連中に見えはしないさ。

本当に他者をなんらの価値もない者として見なければならないほど追い込まれたものは(もちろん追い込まれた側にも十分な責任はあるのだが。もちろんのこと…)人を無目的に殺傷する。

殺傷することが、唯一の生きる証に見えてしまうからだ。(他者ともいえぬ何者かの生の剥奪による自分の生の確証)
殺傷側の家族や殺傷されたその人についてとやかくマスコミは言っているが、犯人にとって、そんなものは知ったことではないのだ。(殺した相手は生き物でもないのだから。本当かどうか向き合えばいい。そうするためには、改心させようなどとはゆめゆめ思わぬことだ。彼らはあなたたちのこの世の中にあっては異物でしかない。そう、高らかに宣言しなさい。揺れ動く弱弱しき犯罪者の隙に、あなたがたの論理を刷り込ませないでほしい。無謀な彼らには、自分の正当性を維持する力などなく、簡単になびき、あなた方に都合のよい自白を始める。そして、それは、おそらく個人的な理由でしかない)

その後、あなたたちは言う。
あいつはおかしかった。(しかし、次々とおかしいやつは登場してくるぞ)

そのように生かされてきたし、生きてきたのが彼らだ。(生きることで、その心に、何かを強く刻印されながら、もちろんそのように刻印された側に問題はないとはいえないだろう。しかし、刻印したのが誰かを舞台に引っ張り出さなければ、ならないだろう。それは個人とは限らない。社会とも限らない。この国自体かもしれないだろう)

この無差別殺人は止まらない。
あなたたちが同じことをし、同じように人の心に刻印し続けるならば。

「警官の血」のことを少し書いた。
あの長めの小説は、昭和23年に始まり、平成19年に終わる。(今手元にないので正確ではないが、そのくらいの話だ)
第一部「清二」、第二部「民雄」、第三部「和也」と分けられたのはその章の主人公である祖父、父、息子だ。あるいは、父、息子、孫である。この関係は小説の中で運動していく。
もちろん彼らには妻がいて、それぞれ「多津」「順子」「氷見由香(実際にこの女は妻にはならない)」という女がいて、それぞれの家庭を守り続ける。
その中にあって、男は働く。

いわば、女性差別の温床のようなものだ。

しかし、第二部に登場する「DV」事件などを読むとき、それを「由香」との違いで読むとき、時代の変化がどのようであったか薄皮一枚を通して出てくる。

わたしが横暴な男かどうかは誰かが判断すればいいのだから、それはわたしの問題ではなく彼らの問題だ。
しかし、わたしの想像力で言えば、わたしは第一部の「清二」に近い男ではなかったかと思う。

そして清二が、この世の中の大多数であれば、この世の中に無差別殺人はおこなわれていないと思う。

それは、そこにはもともと差別に対する特殊な意識が少なかったからだ。(異論は承知で書いている)
ここでいう差別は、あのエタ非人にたいするものではない。(あの制度に関しては、塩見先生に学べばいい)
そうではなく否応なくこの世界を巻き込んでいく差別構造だ。

差別を生きがいとする感性だ。

「誰でもよかった」

人は弱くなれば、この垣根をやすやすと越えていける。
そして、多くの弱い人々をわれわれは作り出してきたのではないか。

この殺人と十年間も続く3万人以上の自殺とがまったく別物だとは思っていないのだろうな?
わたしは、この殺人と自殺の問題を並べて、論じる人が登場し、隠匿された差別感情を持つものが、すべて散り去ってしまえばいいと思っている。

それでも、差別が葬り去ったわれわれの「関係性」を取り戻せるかどうかは定かではない。

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米夢

この間といってもずっと前だが、マッコリ「米夢」について書いた。
何かの拍子に「韓国広場」に行ってみるとこいつが売っていない。

仕方がないので炭酸入りのを二本買って、飲んだのだが、これはこれで韓国の「月の桂」として飲めばいい。
しかしながら、残念なことに、インターネット通販はできるはずなのだが、「韓国広場」では変えないことをここに報告しておかなければならない。

正しくない情報は、多くの場合意味を成さない。
この場合のわたしの情報にはまったく意味はなかった。

恥ずかしい限りである。

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2008年7月19日土曜日

米夢


写真は「純米マッコリ 米夢(マイム)」である。
いまだ日本では手に入りにくいが、職安通り近くの「ハレルヤ」で扱っています(しかしここの「米夢」の値付けは、高すぎて相手にしないほうがよろしい。ハレルヤでは安いマッコリとカムジャタンでお茶を濁すのが大人というものだろう)。
さらに、「てじまうる 新宿店」にも置いてあるが、この店は西口のほうで少々わかりにくい。

ですからどうしても「米夢」を飲みたい方は職安通りのスーパー「韓国広場」に行くに限る。
この店においてある可能性は高く、心配なら電話をして確認するといい。
値段は、市価で買えばごくごくお安いものだが、味はわたしが保証する。

マッコリの革命児だろう。
その精米具合も異常だし、使われる米もいいものだ。(マッコリの場合は酒米ではなく普通の大き目の食用の米を使う)
いい味を出している。

ここしばらく飲んだものの中では、ラジオホールの若者の作るカクテルと同じように感激した。

皆さんも少しでもお酒をたしなむなら「純米マッコリ 米夢(マイム)」を忘れないでもらいたい。

ついでに嫌味なことを言っておけば、酒もまた嗜好品であるからには、十分に受信者を試しにきますから、黙って静かに飲まれているのが一番だと思います。(ということは、オレは失格というわけか)

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人が社会で生きていくときに

人が生きていくときにもやはり通奏低音のようなものが必要で、その音を頼りに他者との関係を結んでいく。
何がしかの共通のグランドを持たない同士がある種の関係が作れるはずはなく、その共通性をいまは先ほどのブログの続きで通奏低音といっているに過ぎない。

共通性はさまざまな形態をとりうるもので、限定されたものではない。
もちろん、あなたが好きというのもその共通なるもののひとつではあるが、これはいたって危なっかしい。
人の好きという感情を維持するにはあまりにもテクニカルな部分が多いからだ。

人は酔っていなければ、人を心から好きになりはしない、というのは、もともと好きという感情そのものに酔いが混じっているからだろう。(酒の酔いだけじゃないからね)

しかし、それでも好きという感情は共通なるもののひとつで長時間ではないにしろ十分に信用に足るものであるのだから、恥ずかしげもなく「好きであること」を頼りに誰かとの関係性を作ればいい。

今ここに書いていることは、共通な部分を何も持たぬもの同士に語らうべき言葉はないというごく単純なことを言っているので、そのようなことは日々おこなわれているのである。

たとえば、あなたが勤めている会社において、会社の存在をある程度認めるというのも立派な共通意識だし、その共通意識をもとにまるで村落共同体のような関係を作ったりしているでしょう。

しかし、組織を持たぬものにとっての共通意識の存在を保証するものは極めて少なく、その場合、人は知らず知らずに自分の周りに組織を作ろうとしたり、組織に入ろうとしたりする。

人は、社会的動物だから、なかなか一人で生ききれないのです。

わたしも、朝起きるたびに消えてなくなりたく思っているのです。

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警官の血


佐々木譲の書いた「警官の血」は、上下刊にいたる少々長いものになっている。
この種の長いものには、およそ通奏低音というものが必要で、この通奏低音の扱い方しだいでいいものにもなるし、ただ長いだけのものにもなりうる。
事件性や、驚かしより、私見においてはこちらの低音の流し振りに作者の力量は試される。

そして同時にこの手の本に関しては、いつもこのブログに出るところの受信者の力量が否応なく試される。
軽々と読める本を書くという難しさも十分にあるのだが、「軽々」が、まさに軽々であるだけでは、暇つぶし以上のなんらの意味はない。

もっともこの人生に暇つぶし以上の意味があるのかとあえて問われれば、わたしもまた黙って、黙認するしかないだろう。
ここに書いているのは「警官の血」は、読書としての暇つぶしとしては上等であり、もし暇があれば読んでみればいいということだ。(暇つぶしにも質はあるということだ)

もしお忙しいならば、何もがんばって読む必要はない。
別の作業をするに限る。
いわば、贅沢な助言と思っていただきたい。

「警官の血」は三代にわたる警官の生きる姿を書いており、そこに警察の矛盾や、警官のあり方が深く入り込んでくる。
人が美しいだけではないこともはっきりしてくるし、美しくあることの不自然さもはっきりとしてくる。

人が生きるということには、このように割り切れぬ邪悪なものが入ってくる隙だらけであり、それをどう自分の中で扱っていくことが生きていくそのもでもあるという話だ。

もちろん、この世には、ぼけっと、何も見ることなく生きていく人々もいるし、それはそれでまことに幸せな人生と呼ぶにふさわしい。
しかし、そういう人々もまた被災者となったり、不治の病にかかったりもする、さらには原油高に襲われたりもする。
なんとまあ、この世の中は痛みを豊富に埋蔵しているのだろう。

まことに、痛みを残す小説であったことだ。

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2008年7月17日木曜日

核家族

今回の問題でも(あのバスジャックね)、家庭の問題を取りざたしている能天気なお年寄りがいるからここに書いておきますが、日本には、すでに家庭などないのです。

家庭のもっとも大きな機能は、だめなやつでもその中に取り込める度量であったはずで、それは、大家族制が持っていた可能性です。
それを否定した核家族は、すでに解体の道筋に転がった石でしかありません。

核家族は解体への道すがらです。
であるから、仲良くなくなったメンバーを捨てるのです。
引きこもりとはいうものの、引きこもらせたのはその他のメンバーです。

核家族の「錦の御旗」は仲良くあるということだけです。
もともと求心力のない核家族にあって、親密さの欠如は決定的なものであり、親密でなくなったものはその場所を放棄しなければなりません。
その意味で大家族制のもっていた家族という概念と核家族は圧倒的に違い、それはもはや家族と呼べないものに成り果てています。

もっと、彼(バスジャックした彼)をしっかりと育てていれば、などとしゃべっているコメンテーターがあまたいますが、もはや家庭にそのような機能はないのです。

では、どこに? とお尋ねになるならば、それはあなたが作るしかないことで、この世にはないものです。
しかも、この日本で、作れば作っただけ、偏向を持ちます。(その偏向と仲良くしながら家族を形成する道は大変だけれども確かに残っています)

今の時代に、一言申し上げる立場の人間なら「家庭」などというありもしない事実を画面から語りかけることはしないほうがいい。

すでに日本には家庭はなく、取り返すべき家庭がはるか空の向こうに漂っているに過ぎない。
その空を見上げて彼が言っているなら、その発言を聞く耳はあるが、そうでなければ、馬鹿の話すことに聞く耳は持たない。

もし、わたしの愛するあなたが、愛する家族を持っているとしたらそれは奇跡であり、そのことをわたしは心の底から、お祝いしたい。

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2008年7月16日水曜日

バスジャック起きる

愛知の高速道路PAでバスジャック 14歳少年の身柄確保
(7月16日14時2分配信 産経新聞)


16日午後1時10分ごろ、愛知県の東名高速豊田インターから岡崎インターに向かっていた高速バスの車内から、男の声で「おれはバスジャックした」と110番通報があった。
男は持っていた刃物を運転手(38)に突きつけていたというが、バスが停車した美合パーキングエリアで、愛知県警の捜査員らの説得に応じ投降した。県警は監禁と銃刀法違反の現行犯で男を逮捕した。乗客は約10人いたが、けが人はいなかった。
愛知県警によると、男は「14歳だ」と答えたといい、県警が身元確認を進めている。調べに対し、「ただ走りたかった」と供述しているという。
バスはJR東海の高速バスで2階建て。正午に名古屋を出発して、午後6時すぎに東京に到着する予定だった。

調べに対し、「ただ走りたかった」と供述しているところが、なるほどというところで、おそらくそれは本当のことだろう。
そして、ただ走りたかった少年にとってバスの乗客はなんらの意味も持っておらず、怪我人が出なかったのは当たり前のことで、乗客は「ただ走りたかった」少年の障害となるとき、つまりは邪魔をするときに始めてその存在が浮かび上がる。
ただし、浮かび上がるのは障害としてであって、生きている人間としてではない。

これが前々から申し上げている関係性のない殺人との共通点だ。
今回の場合は「走りたかった」であり別の場合は「殺したかった」の違いだけで、その差はまったくもってない。

しかし、少年が言うように彼が14歳だとしたらあまりにも早い決壊ではないか。

今回もまた書いておかなければならないことだが、この事件は首謀者である少年に焦点を当てていても何も見えてはこない。
問題は、いかように彼をこの社会が作り出したかであり、この少年のように作り出された状況を自己内で処理できないとき(自己内での処理とは耐え忍ぶことでもあり、自殺のことでもあるのだが…)、このような事件は起こる。
そしてそれらの事件は小さいものから大きなものまであり、殺人を伴ったものも当然起こりうる。

すでにこの種の事件を再生産するシステムをこの国は持ってしまった。(したがって、今後も起き続けるのは確実なことだろう)

そしてなすべきことはそのシステムがどのようなものかという分析と、そのシステムに対する防衛策だ。(もしあればのことだが)

わたしにはそのシステムが薄ぼんやりとしか見えていないが、この事件は少年が単独で起こしたものではないことだけはわかる。
確実にこの社会が彼の背を押しているのである。

またぞろくだらんコメントをテレビや新聞で聞かされるかと思うとここしばらくは頭が痛い。

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2008年7月15日火曜日

うまやはし日記


吉岡実の最後の本となる「うまやはし日記」を図書館から借り出して、ぱらぱらめくっているが、遠く離れた人の本として、なんともない内容がつらつらと書かれているだけの印象なのだが、よくよく見ていくと、あちらこちらに吉岡実足るべき目線が散逸していることがわかる。

こういった本は、特装本を本人から手渡されて持っているに限るのであって、読めばいいというものではない。
手元においておかなければならない本というものがある。(もちろん本ばかりではないのだが…)
この「うまやはし日記」にも特装本があり、わたしはそれを見たことはないが、おそらく装丁家としても知られていた吉岡実氏が愛してやまなかった、あの適当な粗さと光沢を持つ麻布、特上シュランクではなかっただろうか、と想像をめぐらしている。

付け加えておけば、この「うまやはし日記」は、本文のデザインもまたすこぶる見事で、何も読まなくてもいい(美しい)本だとわかる。
しかし、裏腹なことに内容に立ち入ってみると、なんということはない。

おそらく、彼に近しい人たちに映る何ものかがわたしには見えてこないのだろうと思う。

これは哀しいことだが、受信者の責任ではなく、運命の悲哀である。

あなたが、美しいものを目にできる人々とこの世界の生を共有できることを願ってやまない。
この世界が美しく目に映る瞬間が、あなたに数多く訪れることを思っている。

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激甚被害認定

原油高に伴う燃料高、ガソリン高、光熱費高、…でぼろぼろになっている状態は、漁業に限らず、ハウス栽培に代表される農業であれ、酪農であれ、運送業者であれ、…まさに激甚な被害を被っているが、これをすべて国が助けることはできない。

確かにあらゆる物を投げ捨てる覚悟があれば、できないこともないだろうが、そのような覚悟はこの国にはないし、このことに関しては、私自身にもその覚悟はない。

かくしてこの国の第一次産業はずたずたになっていくが、それはそれ以外の産業にとっても同じであり、例外を上げろといえば、今、空前の好景気を我が物としている商社だけであろう。
おわかりのように、人柄よく、物を作って売るという形態の産業はすべて危うい。
こざ賢く、ものをあちらからこちらへ、あるいは金をあちらからこちらへと動かしている連中が哄笑している。

額に汗して働くのが人のあるべき姿だと言っていた人々は、この事態に対して自爆テロでも敢行されるのだろうか。
(そのなかに、電子機器が入っていないのは、広告によって絶えずわれわれの購買意欲を刺激しつつあるからだ。)

さて、このような状況のおおもとは原油高にあるのだろうが、そのまえにサブプライムローンというものが発火点としてあった。

サブプライムローンはアメリカの低所得者層に対して組まれた住宅ローンであり、その住宅価格が上がり続ければ成り立つといった一種のネズミ講やマルチ商法のようなものであった。
そのサブプライムローンは債権化され全世界にばらまかれた。
それが、金の動きに大きく変更を与えたのだった。

ところで、ローンにのせられて家を買ったアメリカの連中はどうなっておるかというと、まさにこの問題に直撃されており、すでに買った家は差し押さえられ、追い出されてしまっている人々が無数。
(アメリカの場合、住宅ローンは担保である住宅を手放せば、借金はチャラだからさ)
明らかに詐欺行為だろうが、この問題の場合だまされたほうにも責任はあるのだろうか。

というようなサブプライムローンによりアメリカの経済はガタガタ、日本の経済もガタガタ、金は有利な投資先を求め続け動き回り、すべて原油へと流れ行く、穀物市場へと流れ行く、リン鉱石市場へと流れ行く、レアメタル市場へと流れ行く。

もし今後世界の人々が万遍に食えなくなっていくという読みが成立し始めればさらに食糧市場への金の流れは速度を増し、食料は戦略物資へと変わる。
水もまた例外ではないだろう。

「全国漁業協同組合連合会(全漁連)、大日本水産会など主要な16の漁業団体が15日、燃料価格の高騰による漁業者の苦境を訴えるため、一斉休漁に入った。燃料高を理由とした全国一斉休漁は初めて。一部地域を除き1日限りだが、冷凍品を除く鮮魚の供給がほぼ全魚種で止まるため、魚価に一定の影響が出る可能性もある。」

ことは、魚だけで止まるはずはない。
この国で不自然に死んでいく人の数は必ず増え続ける。

この異常事態に国際ニュースで見るような暴動がこの国で起こるのだろうか。
わたしは暴動を支持するものではないが、暴動で捕まればしばらくは務所の中で食っていけることも知っている。

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2008年7月14日月曜日

原油高というまやかし

原油高が需要供給に象徴される実体経済の反映でないことは明らかで、サブプライム問題も含んだマネーゲームの問題であるという見方のほうが、数倍正しいだろう。

原油高は欧米のマネーや中東のマネーがどう動いているかの問題であるが、それとは別に大きく実体経済に影響を与えており、そのことのほうがわれわれの生活にとって大きな問題になっているというとても困った現象が生じている。

原油が上がり続ける限り世界中のマネーは原油に流れ込む。
大豆が上がるならば大豆に、小麦が上がるならば小麦、トウモロコシならばトウモロコシ、リン鉱石ならリン鉱石とマネーは経済予想に従いその市場に流れ込み、その価格上昇率は需要供給の関係のみで止まることはない。
このために悲劇が起こるのは当然のことで、たとえばガソリン高が何を呼んでいるかを考えればわかるだろう。

「燃料費の高騰で経営難に陥っているとして、全国40都道府県の漁船20万隻が15日、一斉に休漁する。同日午前には約3600人の漁業者が東京都内で決起集会に参加。政府に燃料費の補てんなど必要な対策を求めてデモ行進する」とニュースがあった。

漁民は見捨てられつつある。
市場で魚は必ずしも必要ではない。(つまり、食べなくても生きていけるということだ)
したがって、燃料費上昇が魚の市場価格に同様に反映されることはない。

政府はこの状況にどう対処してくれるのだろうか。

これは、大きく書けば資本主義が崩れ始めていることを意味している。
市場価格が市場ではないところで決定し始めたときに、市場にゆだねられたわれわれの生活はどうなるのだろうか。

漁業の問題はこれからのわれわれの問題だ。
その漁業に対する対応は、そのままわれわれに対する政府の対応と考えればいい。

いまや世界はとても大きな問題を抱え始めている。
地球温暖化だけではない。
その地球温暖化のCO2対策でさえ排出権取引などと早言い出している。

とにかく、私自身の生きる力も奪われそうなほどこの世界は混乱しはじめている。

ビル・ゲイツが引退したのは、たまたまではないのである。

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追い詰められて



何に追い詰められているのかははっきりとしないが(あまりにも思い当たる対象が多すぎるので)、最終的に己がアンカーであることは間違いない。
で、わたしの場合アンカーであるわたしの主義として、その降りかかってくる状況を(呼び寄せているといったほうがよいのかもしれないが)そのまま受け入れることにしている。

そして、自分の中に生じるある状態が過ぎ去るのを待つことにしている。
それは、亡くなった村山聖氏がおこなっていたことに極めて近いが、そのつらさの質は桁違いである。
彼の29年間の生涯を今もわたしは敬愛してやまない。

その質的には人に話すほどではないつらい状況にあるわたしは、最もひどいときはただ横になっているだけであり、少し状況がよくなれば、落語を聴く。
さらによくなれば漫画を読み始め、それは小説から評論、思想書へと流れていく。
そして人と話すことや会うことが可能になっていく。

今のわたしは、漫画が読める状態であるが、その状態で読んでいるのが冒頭の「カイジ」と「ブラックジャック」だ。
もう何度も読んでいる本であり、そのほうが(同じ本を何度も読むほうが)精神に与える影響はよいようだ。

その本に今回は多く、教えられた。
両方の本に、わたしがこのごろ考えることが描かれていたのである。
もはやわたしの血肉化しているその考えは、これらの漫画が教えてくれたものかどうか論じる質のものではない。
ただし、かような思想を漫画の中に投影する二人の作者に敬意を表したい。

ひとりは福本伸行、もうひとりはご存知手塚治である。

さらに余計なことを付け足しておけば、手塚治は人間的に問題のある男だ。
それは、もしあなたが知らないとすれば「赤塚不二夫のことを書いたのだ!! 」(武居俊樹著)などを読んでみたらわかるだろう。

念のために書いておけば、だとしても手塚の才能に亳も影響を与えることはない。(当たり前の話だ)

才能とか実力はそういうところには存在しないのだ。
それが才能や実力の住むべき場所であり、その人の人柄や人間性は別のところに住んでいる。
その両者を持ってしまった人もいれば、片方しかもたない人もいる。
もちろん両者とももち得なかった人もいる。

どの姿を好むかは、もちろんあなた自身が決めればいい。
この世に人は多い。

あなたにとって好もしい人との出会いを願ってやまない。

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2008年7月13日日曜日

浅川満氏の死


浅川満氏といっても多くの方は知らないのではないだろうか。
太郎次郎社という出版社を遠山啓氏らとともに創業した人だ。
もしかしたら「ひと」という雑誌でご存知の方がおられるかもしれない。

彼の通夜がいま文京区の興善寺会館で行われている。
彼は七夕の日に肺炎で死去したのだが、詳しいことは知らない。

わたしは一時太郎次郎社に在籍していて、彼との親交がある。
しかしながら、通夜にも告別式にも参列しない。
今のわたしには人の死を悼むだけの力がない。
申し訳ないことだと思う。

人の死を悼むと書いたが、実は悼んでいるのはその人の死ではない。
その人との関係性の消失を悼んでいるのである。
だから、ときどき耳にする「あの人はわたしたちの心の中で生きている」というコトバは、すぐれて関係性について語っているのであって、気休めにしか過ぎないものだが、確かに関係性は完全に消失していないと思わせる力がある。

ときに気休めのコトバを人はほしがるもので、それによって大いに助けられたりもする。

わたしと淺川氏の関係性はたしかにあったし、教えられるものもあったが、その関係性の消失を嘆く力が今のわたしにはない。
関係性は支えなければ持続されるものではなく、支えるためには気力がいる。
気力がほぼ萎えてしまっている今のわたしには、他者との関係性を維持するのがとても困難になっている。

そんなときの浅川さんの死であるから、わたしは詫びるしかないのである。

何もこのブログでそのことを表明する必要もないのだが、この場所に書くくらいの力しか持ち合わせていないわたしの方法として許してもらうしかない。

先日も書いたことをさらに書いておくが、人は自己との関係性のない人間の死を悼まない。
もし、悼むように感じたとしたら、それは想像性の中で見知らぬその人との関係性を結んだからだろう。
最近よくある「死に落ち」(主人公が死ぬことがテーマになるもの)の映画で人は泣きはするが、別段悲しんでいるわけではない。
この映画にこんなに悲しんでいる自分に酔っているだけである。
もし、本当に悲しいとしたら、その主人公に重ねられることのできる誰かを身の内にもっている人だろう。
その人の心の中では激しく想像性が荒ぶっていることだろう。

さらに特殊な死である殺人に言及しておけば、ある方向から考えると、殺人には大別して二種類ある。
それは、「関係性の遮断を目的とした殺人」と「なんら関係性のない人間に対する殺人」だ。

「人は自己との関係性のない人間の死を悼まない。」と先ほど書いた。
だから後者の殺人においては積極的な意味合いは少ない。
別に見知らぬ人間が死んだところで、なんら心は動きはしないからだ。
「人を殺してみたかった」とか「むしゃくしゃしたから」とかいうコメントを聞いて呆れ顔で、なにやら話すテレビのなかの人間を見ることがあるが、何も驚くことはない。
関係性のない人間を殺すということは、もともとそんなことで、問題はそういう人間を生み出す構造をこの社会が持ってしまったところにある。(この分析はとても重要で誰かが必死でとりかかっていなければならないことだ)
だから後者の殺人に関して個々の事件をあれこれ具体的に取材しても実りはないだろう。
何せ相手は思いつきにすぎないのだから。

前者の場合は違う。
それは父母を殺すこともあるだろうし、友人を殺すこともあるだろう。
あるいは復習の為の場合もあるだろうし、金を得るためかもしれない。
この殺人は、まさにドラマであり、個々の事件は個々の様相を呈する。

この二種類の殺人を区別せずに論じていても何も進展はしない。

わたしに関してはどちらにしても殺されるのは勘弁してもらいたいが、誰かのために死ぬということには、少し心が動かされる。

いずれにしろ十分に我が心は弱っている。
根性なしということだ。

浅川満氏のご冥福を祈るとともにこの文章を捧げる。

ラベル:

人の生に意味はない

意味がない生をひとはなぜ生きるかといえば、生きるように教えられたからだ。
よく自殺が批判されるが、あの批判に正当な理由はない。
ポイントは、批判する人間が生きていることだ。(生きている人間が自分の生を否定する自殺を支持できるわけはないだろう。もしできる人がいたとしたら、その人は信用するに足る)

欠席裁判ではたいていは欠席者が敗北することになっている。

生命が大切だというのは信仰であって、それは生きていくにあたりとても重要な役目をする。
したがってそのような考えを持つことは大切だし、他者を殺すことを罪とする法があることは重要なことである。

しかしながらだ。
人の生に意味がないことも事実だ。
それにもかかわらず、無批判に人々は生きようとするが、その様子を目を凝らしてじっと見ているとそうやって生きている人たちは何ものかを大切にしている。
その何ものかの多くは社会や今までの慣習が用意したものであるが、よくよく考えてみると、ひとが大切なものに殉じて生きるとき、その大切なものは何であってもよいのだ。
多くは、社会が用意した大切なものを自分の大切なものとするが、そして、そうやって生きるほうが生きやすくなっているが、そうでない一部の純粋な人もいる。

純粋な彼らが大切にするそのものは、そのもの自体に必ずしも価値があるわけではない。
彼らが大切にすることによって、そのものに価値は生じるという構造をとる。

たとえば下らぬ女のために生きようとした男にとってその女は価値ある大切なもので、客観的にどう見てもしょうもない女だとしても、それは彼にとって何の意味もないのだ。
その女の価値は、彼が大切に思うことによって生じるのであり、その女自身が持っているものではないからだ。
ま、そうはいってもいい女にこしたことはないのだけどね…

詩を大切に思う人にとって、詩は大切なものだ。
詩を書く行為にたとえ社会的な意味はなくても(実は大いにあるのだが)、彼は詩と付き合うことが生きていくことなのだ。

一匹の猫が大切な人もいれば、富士山の写真をとることが大切な人もいる。
庭の雑草が大切な人もいれば、石楠花が大切な人もいる。

くりかえすが、そのもの自体に価値はなくてもいいのだ。
あなたが大切に思えば、そのものは大切なものであり、そしてその大切なもののために生きていける。

社会が提供する大切なものと一致する必要はどこにもない。(息苦しくはなるけれど)

というわけで「人の生に意味はない」と標題に書いたが、それで終わりというわけではなく、我々は「人の生を意味あるものにすることはできる」。
もちろん意味のないままにもしておけるし、いつでも自死という仕方でおさらばもできる。

まあ、思っているよりわれわれは自由なわけだ。

我が仲間たちには、元気でいてほしい、わたしのために。

そういう思いもわたしには深くある。

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2008年7月11日金曜日

人に永く生きる理由などなかった


標題は、もちろんその人物と関係のない誰かに対して書いている。
あなたとなんら関係のない誰かが永く生きる必要などどこにもないではないか。

その永く生きることを正義にしたことがこの地球という船での人類の過ちだ。

たとえば、このわたしが、いつ死のうが悲しむ人はすでにいない。
それは、わたしが何者かと関係性を結んでこなかったせいでもあるが、もともと「永く生きる」ことを正義にすることが不自然だったのだ。

疑うなら、あなたと何の関係もない人が永く生きながらえることを願えるかどうか考えてみればいい。
もし、そのときに、「私はその人の長寿も願う」という答えが出てきたならば、それはあなたが、ひとつの信仰でもあるような「長生きは正義だ」に毒されているからだろう。

言っておくが、母も父もいないわたしの長生きを願う人はいない。(もちろん、あなたは別だ)
わたしでさえわたしの命のながらえを願うことはない。

ときとして早逝した人を傷む文章が本にもなるが、わたしは悲しくもなんともない。
それは個人的な感情だから、個人個人がその個人的な文章に残していく感傷だけに過ぎない。

だからといって、むやみに人を殺す人間を支持するわけではない。
同時にかれらを直接的に攻めることもしない。

かれらは、この社会でこの社会から受けた痛みを身のうちに吸い込んでいるに違いない。
その表出の仕方の違いだと思っている。
で、その表出方法をわたしが支持するかといえば、支持しないのだ。

人は自死する自由はあっても、他者を殺す自由はない。

彼らが人を殺したのは、他者の命を感じとれなくなったからだ。
それは、自分が社会に殺されてしまっているからだろう、というのがわたしの見解で(自分が殺されてしまった人間に他者の命を感じ取る能力はもはやない、それどころかさまざまな生き物に対するさまざまな感情も抉り取られてしまっているだろう)、すでに病んだこの社会は彼らを再生産するに足る状況に入っている。

だから、個人的に、秋葉原殺人のだれかれを攻めたところでこの現象は納まらない。
それは、見方を変えていえば、この社会が産みだした生産物をその不良であることを理由に、その生産物自身が不良であり、その全責任を生産物に負えというのに似ている。

わたしは、精神的な病から、もはや生きている理由を見失っている。
わたしが生きているのは、単に、自死するのを恐れているだけだ。
根性なしのこの性格のために生きている。

昆虫たちは違う。

よく知られるセミは成虫になってから、あっという間に死ぬという。
それは7日間ではないが、それでも1ヶ月はもたないだろう。

カゲロウは吉野弘の「I was born.」を引くまでもなく悲しい。
さらに、あのお蚕さまの成虫には口がないという。
生殖のため、種の保存のためだけに成虫として登場する。
たった一日だけの生命とも聞く。

昆虫のような感覚しか持たないわたしがが、何を好き好んで生きているのだろうか、そういうことを眠れない夜に何度も自問する。

そういう問いの中で、ほんとうに昆虫になればわかるかとも思うことがある。

「人に長く生きる理由などない」とすれば、わたしは何のために永らえているのだろう。

すでに、問題はありながらも、子孫もいるはずなのに。

このことをとてもつらいと書くのは、おこがましいことだろうとわたしは思っている。

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2008年7月10日木曜日

ひとの恋い願うもの


ひとの恋い願うものは、その時代の社会を牛耳っているもの、それは大きくいえば国家だろうし、その国家と手を取り合う企業や企業の組み立てる消費社会や彼らの広告活動に踊らされる広場のごときものとなるが、そうではなく、もともと人がひそやかに願うものはそうではなかったはずだ。

それをある面から守ったものに家庭、家族というものがあるが、今やその家庭、家族も国や企業に蹂躙され、見る影もない、その多くは。
しかし、それでもその大きな力に反逆するとすれば、われわれに与えられたものは私権しかなく、その私権の守り手としての家族は大切にしたいものだ。

わたしの恋い願うものは、冒頭の小さなベランダに干された洗濯物だ。

いかに小さなその場所であっても、そこに干されたTシャツやカッターやタオルは、陽光に照らされながら、時折吹く風に舞いながらわたしを守る旗頭だ。

もちろんこのような発想は企業にはなく、もっと大きくまとめれば大衆を踊らせようとするこの社会にはない。
なぜなら前述のようなことが願いならば、なんらの消費活動も起こらないからだ。

しかし、基本的な問題を提起だけしておけば、先進国の消費は、ある種の主の出任せをしていかなければこれ以上大きくはならないだろう。
大きくすること自体が、ある種の破滅を呼び込むことを知らなければならないだろう。
それは温暖化対策にしても同じことで、温暖化対策が新たな消費を生む方向に走り出そうとしているのはきわめて危険な兆候である。(この項は新たに書き起こしてみたい)

「人は退化できるか?」
この場合の退化は単なる進歩発展の逆方向と単に思っていただければいい。
それがわたしの思いの大きな部分を占めている。

わたしが掲げた「人の恋い願うもの」というタイトルは、人はもともと発展をこの時代に象徴されるここまで達成することは願ってきていないのではないかという逆説である。

もちろん問題は山積しており、わが家族などはわたしの願うベランダの干し物を拒否してやまないし、何を狂ったことを言っているという顔をする。
それは彼らの問題ではなく、そこまでうまく社会に踊らされている事実が問題であるとするほうがいい。

そうはいっても、わたしは社会の傀儡と成り果てた者たちと生活を共にする気はなく、また彼らを説得する愚も犯したくはない。
踊らされたものは自分が躍らされていることを知らない。
それを知らしめるために、一人の人間のアジテイトに可能性を賭けるのは笑い話だ。

だから悲しいことではあるけれども、言葉が通じなくなった人間をわれわれは捨て去らなければならない。
通じない言葉を使って何が伝わるものか。

ここに問題は残る。
しからば、もう二度と彼らとわれわれは出会えないのか?

そうではないとわたしは思っているが、その道はあなたが想像している以上にはるか遠く、気が遠くなりそうだ。
しかもたどりつく保証はない。

わたしの前には、あの陽光にたなびく白いシーツが旗のようにひらめいている。

あなたの前には何があるのだろうか?

あなたの希うものは何なのだろうか?

あなたは躍らされてはいないだろうか?

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また間遠になってしまったブログ

精神も肉体も堕ちきるところまできているものだから、ブログも間遠になってしまって、幾人かの方に心配をかけています。
新しいパソコンの設定も無事終りましたが、見るべき未来も過去もなく、かといって今を生きている意識も少なく、ただ酒を飲まないことだけを注意しております。

しかし、こんな状態で、アルコールをこの身に入れないことで何かから救われるのかと思うと暗澹たる気持ちです。

ココロに鞭打ち、ブログは書き足していきますので、どうぞ、お見捨てなきように、お願い仕ります。

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2008年7月6日日曜日

青いバラ


最相葉月に鈴木省三(日本のバラの育種家として有名。京成バラ園芸所長で「ミスターローズ」と呼ばれた)らを題材にしたノンフィクション『青いバラ』という名著があるが、 長い間、青いバラは世界中のバラ愛好家の夢とされていた。だから英語での「Blue Rose」は、「不可能」といった意味さえ含まれるほどであった。
詳しくは最相さんの本に譲るとして、単純な話、バラにはそもそも青の色素がないのである。
だから、厳密な意味での「青いバラ」は品種改良のみで作ることは不可能と判明することになる。

ところが、バイオテクノロジーの発展により、「青いバラ」の作出に「遺伝子組換え」などを使うバイオテクノロジーが取り組みだした。

そして長い14年という試行錯誤の後、「青いバラ」は、日本のサントリーフラワーズと、オーストラリアの植物工学企業であるカルジーンパシフィック社(現:フロリジン社)との共同研究開発により、世界で始めて創られた。(さらに書いておけば彼らの研究のポイントは二点あった。「青色遺伝子がバラに組み込めるか」「組み込まれた遺伝子が読まれて、青色のバラが咲くか」)

で、彼らのふたつのハードルは越えられ、青色色素を持ったバラが遺伝子組換え技術により誕生したのである。
そしてその事実は、2004年6月30日に発表され、サントリーは世界初の青いバラを2009年から市場販売すると発表した。

だが、この話、わたしには、どこか腑に落ちない。

それでも、「青いバラ」はまだこの世にはないと、わたしは思っていたい。
そんな思いが強い。

遠い山国に生きるわたしの大切な人がいる。
あるとき、その人とまったくそっくりな都会を闊歩する美しい女性を見かけたとする。
そのときわたしは、決してあの山国で生きるわたしの大切な人と彼女を同一人物とは考えないだろう。

なぜだろう。
しかし、一瞬もそんな発想が浮かばないことは、はっきりと確信出来る。

鈴木省三氏は、この「青いバラ」を見てどのように思うのだろう。

言語矛盾のようだが、「青いバラ」なら「青いバラ」なのだろうか?

わたしのこの胸のなかの違和感はどこから来るのだろう。

写真のように「青いバラ」は、このように美しいのに。

美しいだけではだめなのだろうか?
青いだけではだめなのだろうか?

そもそも彼らが夢見た「青いバラ」とは何ものだったのだろうか?

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2008年7月5日土曜日

彼らの「想像の世界」にいるあなた

一時、電車の中で化粧をしたり、べたべたしたり、携帯をしている連中がしきりに批判されていたが、いまはあまり聞かない。
わたしの情報収集力のなさだろうか。
いまだにそのような状況は変わらないはずだから、慣れっこになってしまったのだろうか。

彼らに関しては、彼らの目に映る他の乗客が風景であるのだろうということで一応の決着はついたとわたしは考えているが、議論はさらに進んでいるのだろうか。
あのべたべたしているカップルにとって、二人以外はすべて風景というのは、なかなか辛辣で魅力的な解釈だし、事実だろう。
一人化粧する女にとっても、おそらく待っている男以外は、風景なのだろう。

人は自分の想像の世界でこの世界を形成していくのであって、彼なり彼女の想像の世界に参加していないものは風景であったり、物体であったり、金を振り込む男であったりと、その本人が思っている姿ではない姿で彼らに認識されている。
そして、そのように認識されたあなたの姿は、彼らの想像の世界が変わる以外に変わることはない。
だから、当たり前のことながら、彼らの目に映るあなたの姿も変わることはないのだ。

いまこのブログで、想像の世界といってきたが、「想像の世界」とはいうものの、その人の目の前に広がる世界それ自体が「想像の世界」で、何も意識して想像しているわけではない。
もし意識して想像し、世界を作り上げているのなら、その世界はいくらでも変えられるのだから、少しも恐ろしいものではない。

なんら意識せずに、まったくもって自然にあなたを奴隷のように思う人もいることが恐ろしいのだ。
もちろんそれは奴隷だから恐ろしいのではなく、風景であっても石であっても魚であってもなんであってもいい、あなたが何者であるかを考え、真摯に接してくれないことがままあると言っており、そういう人々と生きていることが恐ろしいと話している。

風景であるあなたの発言が彼らに取り上げられることはなく、彼らとつながる道は果てしなく閉ざされている。
同じように聞こえても、それは風景を人として見ていた時代とは恐ろしくかけ離れている。
その時代であれば、風景に見られたとて、何の問題もなかったであろう。

しかしながら、この時代は、風景とは背景に過ぎず何の個性も持たない(いや、求めない)。
同じように風景と化すべき音楽や映像にも多くの意味を求めないし、意味があることを積極的に嫌う。

つまり、いったん風景として認識されてしまえば、あなたの存在には意味がないのです(意味があってはいけないのです)。
彼らの「想像の世界」にいるあなたに意味はもっとも必要のないものなのです。

だから、あなたが自分に意味を持たそうとするならば、(もちろんこれは客観的などという大それたものではなくほんのわずかな露の雫のような願い事なのですが)、あなたをあなたとして見ようと目を凝らしてくれる人と出会うことです。

わかってくれない人にわかってもらおうとしてはいけない。
相手に見えるあなたは、相手の「想像の中に見えるあなた」に過ぎず、そしてあなたは決してその想像の世界に立ち入ることはできないからです。

人は自分を見つめてくれる人の目線のなかで生きていくしかないような、かよわい生物なのです。
だから彷徨いその目を探すのです。
その目の届く世界で生きようとするのです。
そんな人間は、そのか弱さゆえに、ときに、わがままを言ってもいいのです。

わたしは、あなたに対して、しみじみ、そう思うのです。

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2008年7月4日金曜日

単なる愚痴だけ

いやはや、新しいパソコンに変えようと思って作業をしだしたら、途中で困ってしまって、一日が無駄に過ぎてしまったよ。
まあ、無駄に過ぎる一日は慣れっこだからいいけど、それにしても、こういう使い慣れぬものとの格闘で過ぎていく時間はつらいなあ。

まだ、メールを立ち上げていないのだよ。

しばらくの間は古いパソコンと新しいパソコンとの往復だなあ。

メールの立ち上げ方を早く修得しなければ。

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2008年7月3日木曜日

愛は極私的なものであるからには


愛から「私」性を除去できればというようなお伽噺を書いたのは、そのお伽噺が必要な人間もいるからである。
しかし、もともと愛とは極私的なものだからただ極私的にそれを貫き通す人間もいる。
そのような愛はたいていは破綻をきたすものだが、家父長制が守ったりもしてきた。
もっとやわらかく言えば、女性が経済的に自立できないことでそのような極私的な愛は守られたりした。
だが、そうではなく、ある特殊な状況下でそのような愛が貫かれると以下のようになる。

冒頭の絵はピカソの「泣く女」シリーズの代表作。
モデルはドラ・マール。
よく泣く女だったそうだ。
その泣く環境を作ったのはピカソだったし、その泣く姿を丹念に眺め作品にしたのもピカソだった。
ピカソは女にとって、俗に言うクズのような男であったが、残念なことに才能があった。
その才能が、彼にそのような愛情関係を再生産させ続けた。

ドラ・マールがピカソに会うのは、彼女が29歳、ピカソは55歳だった。
当時ピカソにはオルガという正妻がいたが、彼女とは別居しており、27歳のマリー・テレーズと同棲していて、彼女が実際的な正妻だった。(マリー・テレーズは彼女が17歳のとき、ピカソ45歳の折に街で引っ掛けており、すでに子どももいた)
ここに加わったのが、ドラ・マールですでに泣く理由はわんさとある。

ついでに書いておけば、オルガと正式に離婚しなかったのは財産分与がいやさにである。(ねえ、しょうもない奴でしょ、でも才能はすごいんだからね、困ったね)

さて、ドラと付き合い始めたピカソはその7年後、62歳のとき22歳の画学生フランソワーズ・ジローと同居を始めている。
その娘に子どもを二人産ませているのだから、やれることはやれたというより、人並みはずれた性力と生命力をもっていた。

その後45歳年下のジャクリーヌを愛人とし、オルガの死後彼女を正妻として迎え入れ、91歳の生涯を終える。

ドラ・マールはどうしたんだと思うでしょ。
出会い時からの6,7年が彼女とピカソの蜜月(?)のようなものだったらしい。

ちなみになおピカソの死後、マリー・テレーズとジャクリーヌ・ロックは自殺している。

これが、なんら加工を加えぬ愛の正体だ。

わたしが書いた「私」の消える愛が、いかに寓話的かおわかりになるでしょう。
そのような愛をわたしはあまり知らないが、そのような愛を目指した男と女は何人か知っている。
残念ながら、作品のなか以外で実際にそのような関係は見たことはないが、せめて作品の中ではその関係の可能性を結実させたいものだと、いま密かに思っている。

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愛から「私」が消える理由

愛することはきわめて利己的な行為であるとわたしは思っている。
然るに、何ゆえその行為からある場合に限って「私」が消えてしまうのか?

ひとつの答として、わたしはそれは他者を愛する行為に(もちろん家族も含めてだが)隠された本質があり、それがえこ贔屓と呼ばれるものだからであろうと考えている。

そのえこ贔屓の究極の形のなかで私自身以上に相手を贔屓していく過程があり、「私」さえも消えていくのだろうと思う。

愛とはもともとえこ贔屓の産物であるのだから、理不尽なものだしそれほど美しくもないのだが、その究極の形が相手を「私」より贔屓するところまでいたり、それはひとつの美しい形を迎える。

もちろんその贔屓にも質があり、ただただ自分の社会的な力や金を利用するものだけを念頭に、いま、このことを書いているのではない。
それは「星の王子さま」があるひとりの読者を贔屓した文章とわかるなかで、感じたものでもある。
そして、重要なことは人は、特殊な能力をもつ人は、何人もの相手を贔屓できるのだということだ。

その能力のとくにすぐれた人びとは、それはもう本当に目の前の人すべてを贔屓しているようにさえ思える。

愛情関係は贔屓から始まることをわたしがここに書いているのは、愛情間係が贔屓から始まらなければ「私」が消えることはなく、あくまでも「私」をもち続け、相手に対していつしか「私」を要求し始めることを主張したいためだ。
そのとき愛という形はすでに変形しており、「私」だけが大きく育ち始め無様な舞台での演技が始まることになる。

愛とはえこ贔屓だというのはそこから始まるのが唯一「私」を消し去る道で、そしてさらに贔屓の持つ醜さを潜り抜けるとき、ある関係性が成就できるだろうという神話をわたしがもっているからである。

稀有なことだろうが、結晶化していく愛の底には贔屓の感覚が流れていなければならず、それがいま私の思う「私」を消去する唯一の道であり、そしてその後に贔屓の持つ打算や傲慢や悪巧みや嫉妬を乗り越えることで人はある関係にたどり着くのではないのだろうかと思っている。

もちろん自分自身と付き合うことで、その試行錯誤のなかから最初から純化されたがごとき贔屓性を持つ者いるだろう。

わたしが、いま、書こうとしている小説のなかのひとつのテーマは、そのような男と女のありようなのだろうといま思っている。

美しい人からあなたが贔屓されることを心から願うものである。
贔屓から始まる愛が重要であることと同じように、人は贔屓されることにどれだけ勇気づけられるかわからない。

わたしが、「おまえが好きだ」というのは、一にも二にもそのような意味なのである。

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2008年7月2日水曜日

「星の王子さま」さらにさらに

「星の王子さま」に限らず、本は読み手に大きく左右される。
読み手が育てば読み方も変わる、そういう意味にとってほしい。
したがって、今回の「星の王子さま」はわたしにとっては、はじめての「星の王子さま」だ。

同じようにわたしの好む演芸も受信者に合わせて大きく変わる。

「聞き手に合わせてやろうか、それとも俺のやりたいようにやるか」

これは、志の輔との二人会を前にしたときの談志の独白である。
そしてどちらつかずの談志は大きく志の輔に水をあけられた。

かように聞き手によって話し手は否応なくさまざまな結果をもたらされる。
そのために受信者を限定するホール落語、独演会などがはびこりだした。
しかし、そうしたからといって、いつもうまくいっているとはいえない。
それに答えるだけの受信者が激減しているのだ。

この時期、落語ひとつとってみても聞き手の質の落ち方ははなはだしい。
おそらく小説もそうだろうし、ましてや「星の王子さま」においてをやだ。

受信者論はわたしが書きたくて仕方のないテーマだが、このところの受信者の質の低下は著しい。
繰り返しになるが、それは、小説においてもそうだし演芸においてもそうだ。
さらに言っておけば、格闘技においてもだ。

詩を含む短詩芸術がそうでないのは、彼らがはじめから受信者を規定してきたからである。
しかし、そのことはもうひとつの問題を詩や短歌や俳句にもたらした。
閉じられた形のなかでしか生きられないものをわたしたちはなんと呼べばいいのだろう。

にもかかわらず突出した田村隆一、吉岡実の存在をどう理解すればよいのだろう。

いずれにしろ受信者論は早急に書かなければならないテーマだと思っている。

というようなことを思いながら、以前は胸に迫ることのなかった部分に何度も何度も立ち止まりながら「星の王子さま」を読んでいる今宵のわたしであるのです。

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2008年7月1日火曜日

「星の王子さま」再び

わたしがどうしてあのように「星の王子さま」のことを書いてしまったかといえば、実は核家族のことを少し思っていたからなのです。

我々がたどり着いた核家族という制度は、密な関係を要求する制度です。
逆からいえば、密な関係性をもたぬ人間が核家族の一員になることはできません。
そこが、大きな問題点です。
核家族制度のなかで密でなくなった人間はどこかに追いやられたり引き込んだりしますが、そのひとつの大きな原因は核家族という制度にあります。

少し前、我々のもっていた大家族制度は悪名高き家父長制もあり否定され続けましたが、それでも密でない人間をそのうちに囲うやさしさをもっていました。

戦争もまた、密でなければ敵とみなします。

「星の王子さま」には、そういういい加減な人間を囲い込むような目線が随所に見られます。

人はどうあってもいいのだよ、というような間口の広さを感じさせます。

核家族と戦争、まるで違う構造に見えるかもしれませんが、わたしにはずいぶん近いもののように見えます。

あれから「星の王子さま」を読みながらそんなことに思いをはせました。

「その人をそのあるがまま認める」

そうされたときのうれしさをわたしは知っています。

それがあなたの息子であっても娘であっても、妻であっても愛人であっても、おまえがおまえでいればそれでいいと言われたときの心の震えをわたしは知っています。

このブログには何度も登場しますが、人が人を迎え入れるにはそれ以外の方法がないのです。
そしてそのように迎え入れられぬなら、それはあなたの付き合う人ではないのです。

だから、ときとしてわたしは言います。
おまえはそのままいつまでもオレのそばにいればいいのだよ、と。

そのコトバが、あのテグジュペリの献辞から聞こえてくるのです。
そして、彼をそばにいさせてあげられなかった哀しさが聞こえてくるのです。

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星の王子さま


65キロの体重を下限にわたしの体調も復活の兆しを見せている。
本の一冊でもという気分にもなって、取り上げたのが「星の王子さま」だった。

そこで、わたしは痛く感動したのだが、その箇所は有名な献辞の部分で、レオン・ウェルトという友人に捧げられたその献辞に、うかつなことにわたしはいままで注意を払ったことはなかった。

レオン・ウェルトは、サン=テグジュペリにとっての幼友達であり、かつユダヤ人であった。

その献辞にはこうある。
「わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、…そのおとなの人は、いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人だからである。どうしてもなぐさめなければならない人だからである。」

「星の王子さま」の献辞で語られている「いま」が、どのような状況であったかを少し語れば、その概要は知れるのだろう。
サン=テグジュペリが「星の王子さま」の執筆に着手したのが1942年。その直前のフランスの状況は、ほぼ以下のようであった。

●1940年6月14日、ドイツ軍はパリを占領した。パリは以後4年間ナチスドイツの軍靴に踏みにじられ続け  た。

●パリ陥落(1940年)前のパリの人口は5百万人ほどであったが、このうち百万人が首都を脱出した。

●フランスはヨーロッパ有数の農業国であったが国内での戦闘で農民の8万人が死亡し、捕虜となった農民70 万人以上の大部分はドイツに労働者として連れ去られた。
 さらに、鉄橋の破壊で鉄道輸送も困難となり、パリはまれに見る深刻な食糧難に見舞われた。

●当時食糧難とともに燃料不足にも苦しんだ。1940年から41年にかけての冬は、不幸なことにパリの気象観 測 史上、もっとも寒い冬であった。
 ドイツからの輸入に頼っていた石炭はもちろん輸入どころではない。しかも、国内の産炭地はドイツ軍によ り立ち入り禁止区域とされてしまっていた。

●パリに住んでいたユダヤ人は、その弾圧でおよそ4万3千人ほどが強制収容所に送られ、うち4万人は生きて パリに戻らなかった。

「星の王子さま」というこの本にはどこにも戦争のこともナチスのことも書かれていないが、このような状況下で生まれた本が「星の王子さま」である。
そして、その本をサン・テグジュペリは、ユダヤ人であるレオン・ウェルトに献辞したのだった。

献辞は、秀逸でせつなく強く抑制の効いたものである。
「星の王子さま」がすばらしい作品であるのは、この抑制の効きかたにあるのかもしれないとさえ思える。

なお、「星の王子さま」が少年の視点で書かれているように思われるのは、サン・テグジュペリ自身が少年の視点をもっていたからである。
そして哀しいことは、彼がその少年の視点に自分を特化していくことでこの時代を切り抜けようとする意思がこの作品のなかにほの見えることである。

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