2008年4月30日水曜日

貧乏の棒も次第…

貧乏の棒も次第に長くなり 振り回される年の暮れかな

というざれ歌があるが、このごろは春爛漫であっても振り回されるようで、ガソリンスタンドは大賑わいだ。
それほど金が助かるというわけでもなかろうにマスコミが騒げば、いろいろと動きまわらなければならない性、どこやらわびしくもありますが、逆によくぞここまで飼いならされたものだと感心もいたす次第です。

これは何も自分を外においているわけではなく、(外におくのもなかなかに細い道になってしまって…)わたしもその中にいるのです。

ものを考えるとき、集合という概念から大きなポイントをいえば「自分の含まれた集合」か「自分の含まれない集合」かの区分けで、前述の内容では大騒ぎする集合にわたしも含まれているのだろうと嘆息しているわけです。

もっと言っておけば、「後期高齢者医療問題」で政治家諸氏は「後期高齢者」に自分や身内を入れていないことがポイントで、他人事の政策など所詮ああいったものになるようで…、だからいいというわけではないのですが、まことにもって情けなく…

集合の中に自分を入れる場合を「当事者」、外に自分をおくとき「部外者」、このように定義することも可能かつ重要ということです。

さてさて、あまりの陽気に気も落ち着かず、ブログを書き出してもさらに気はそぞろ、何とも呆けものにはよい気候になりました。
あまり何かを煎じ詰めて考える陽気ではないようで、こういったときは吟行にでも出かけたくなる気分ですが、さりとて同好の士もまわりにはおらず、ひとりボケッーと過ごしているのですが、このまま消えてなくなるのも幸せかとふと思ってしまいます。

思えば、それほど今後に楽しみもなく、もうこれくらいでという感じですが、この国ではそうではなく長生きを何より尊ぶようですが、長生きすると何かいいことがあるのかというと、そのことには余りだれも触れないようで、我が尊父は入院一週間でこの世からおさらばしたわけですが、本人はともかく、わたしに対しては「(早く逝って)よかった、よかった」とまわりの声しきり。

思い返してみれば、そうかもしれない、と思いながら…

ほらね、てんでまとまらぬ文章になったでしょ。

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2008年4月29日火曜日

自分を大事にすることは…

「自分を大事にすることは、自分を愛してくれる友達への義務だと思っている」

これは、V・I・ウォーショースキーのセリフだ。
ウォーショースキーはサラ・パレツキーの探偵小説に出てくる人物で、「V」はヴィクトリアの略で作品中では「ヴィク」、「ヴィッキー」などと愛称されている。
なかなかに心にしみるセリフだが、こういったセリフはハードボイルドにはつきもので、その使い手ではフィリップ・マーローが一番というのが通り相場だろう。

アンソニー・バウチャーが「ハメット・チャンドラー・マクドナルド・スクール」などと括ったものだから、日本ではハードボイルドというジャンルはうまいまずいの差はあるが、ほとんどが一緒くたのように思われている。
それは日本がオリジナルにはハードボイルドとそのジャンルに登場する主人公を作り出せなかったことにも原因はある。(黒澤明「用心棒」は「血の収穫」を下敷きにしているといわれる)

しかし、その後彼らを範にして書き出した日本の作家の中には彼らのなかの差を強く意識する者もいる。
彼らとは、ここでは、

レイモンド・チャンドラー     フィリップ・マーロー
ロス・マクドナルド        リュー・アーチャー
ダシール・ハメット        サム・スペード

以上のコンビと思っていただいて結構。

この中では、ダシールハメットが一番に粗い小説を書く。
粗いとは登場人物が洗練されておらず、書かれる世界が苛烈であることを意味する。

「タフでなければ生きていけない、 優しくなければ生きている資格がない」とフィリップ・マーローは言うが、「ダシール・ハメット」の世界には、そんなことを言って余裕をこいてる暇はない。
ハメットはお話としての構造がチャンドラーやマクドナルドとは違っている。
そのこじんまりしていない分、ハメットの小説は粗く、こじんまりしている分チャンドラーの小説は完成度が高く、イキである。
チャンドラーを範とする作家が日本に多いのはそのためである。
和製ハードボイルドのなかで追ってみても、生島治郎から原寮までの間に何人もいる。
そして、その中にはいくつかの成功した作品がある。

しかし、書こうとする対象をさらに広げたときに気の利いたセリフは必要なくなるし、文体も変わっていく。
「血の収穫」の訳者あとがきで田中小実昌が述べる「…ハメットの文章に、みんな注目した…。それまでにない英語の文章だったのだろう。乾いた文章とかなんとか、形容詞で説明のつくものではあるまい。また、ひとつひとつの言葉をひろいあげてもしようがない。ハメットの作品をまるごと読んでその文章だろう。」
これは、そのあたりのことを語っていると思う。
ちなみに「血の収穫」はハードボイルド・ミステリの元祖のように言われる作品で、主人公に名前はない。
長編の作品で名前がないというのはまことに不便で、それ自体が大きな試みとなるわけだが、作家ダシール・ハメットは、細々としたしゃれた作りをある程度この時点で放棄している。
この作品の主人公は「パーソンビルという町の構造」だというのがわたしの見解だ。
(もちろんすべての作品がそういうわけもなく、ハメットのもっとも有名な作品「マルタの鷹」ではサム・スペードというキャラがたっている)

はてさて、長々とこういう退屈なことを書いてきたのは、日本にもハメットを信奉する作家がいて、ある構造を描こうとしているのだが、彼の作品を最近、再読してみると細々とした部分にも十分に気を使っていることがはっきりとわかったからだ。
ハメットとても同じことで、細部をないがしろにしているのではなく有効射程距離が長いだけのことだ。

さて件の日本の作家は船戸与一というが、彼の作品は射程距離(つまりはなにを狙い撃っているか)がわからなければ、どの作品も同じように見える。
たしか福田和也が「作家の値うち」でさんざん船戸をけなしたはずだが、福田にはこの射程距離が見えていない。(トンマだからね)
そして、さらに問題なのは、射程距離は小説の作品としての値うちとは関係ないかもしれないことだ。(困ったことにこの点では福田の言うとおりでもあるのだ)

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2008年4月28日月曜日

それは当たり前ではなく



ひとは自分のいる世界にはびこる常識をあたりまえのことだとたやすく思ってしまい、それを疑うこともしない。

もう30年近く前になるが、わたしはナイロビにしばらくいたことがあるが、そのころの知人は結構死んでいる。
それでも、その訃報を聞くたびに「ああ、そうか、そんな風になってしまったのか」としばらく思うだけで、またこの日本の常識に戻ってくる。

日本ではあまりひとは死なない。
アフリカの地の頻度に比べれば、日本で死に出会うことはまれだ。
ケニアでは死はもっと日常に近かった。
そして、いまイラクでもパレスチナでもスーダンでも少し目を凝らしてみれば、日本とはまったく違う死の近さがうかがえる。

どうしてそんなことになっているかというと、それほど長期間平和である国に我々が住んでいるからだ。
「平和ボケ」と悪くは言うが、「平和ボケ」できる国など世界中探してもそうそうない。
我々は知らず知らずにかなりの幸せを享受している。
そして、その幸せのなかで呆けている。
もちろん呆けている中の一人がわたしだが、まあ、よくもここまで呆けたものだ。

その結果何がこの日本で進行したかは昨今の問題を見ていけばわかる。
そしてそれが日本で起きている問題なのに対岸の火事のように見ている。
もちろん当事者として後期高齢者医療制度のため自殺した親子はいるし、実際にその起こりつつあることで悲劇も生じている。

しかしながらだ。

死ぬのはいつでも他人だし、事件も他人に降りかかる。

はてさて、この平和な日本に住み、いつまで呆けていられるのだろうか。

時には正気になろうと思い、最近は庭先のクンシランをよく眺める。
クンシランが色づき始め、それは蕾に、そして花へ、花は開き、さらに開き、数日の後花は見事に咲き誇った。
咲き誇った花は一週間以上もわたしの前で艶やかだった。
写真の花に白いものが見えるのは花の終わりの兆しだ。
花が移り変わっているのだ。

眺めるわたしはいまだに自分の老いの兆しを自覚せずにいる。

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2008年4月27日日曜日

柚餅



とある人にいただいた柚餅を食した。
以前ほど酒を飲まぬようになってから甘いものを欲するようになっている。
(酒飲みが酒をやめたときによくある傾向で、アルコールが最後には糖分に変わることを教えている)

さて柚餅とは京都の今出川堀川の「鶴屋吉信」のあの柚餅だが、少し甘すぎるかなとは思ったが、和三盆の味がしっかりしていた。
甘いものの味がわかるというのも悪くはないと思った。
その甘いやつを食べ終わったわたしは図書館に出かけたのだが、そこで興味深い光景を目にした。

わたしがマンガを読むテーブルをひとつおいて左側には可愛い少女がなにやら勉強していた。
可愛い少女が一生懸命何かをしているのを見るのはいいものだ。(たぶんフェニミスとが何やかやと文句を言う感想だろうが、ままよと思う)
その少女よりさらに小さな女の子が彼女に近づいていった。

「中学生?」

少女はすこし驚いたような顔をしたが、すぐに気を取り直して「そうだよ」と答え返しているように見えた。
声は聞き取れなかったがそのようなやり取りだった。
それから二人は少し話していたが、なにを話したかわからない。
小さな女の子は親の元に戻り、少女は再び自分の作業に戻った。

その小さな出来事を眼の端で眺めていたわたしは、おだやかな春の日にふさわしく和んでいった。
どんなやり取りをしたのかと不思議に思ったが、特別なものではなかったのだろうと思う。
「中学生かな」と思って近づいた女の子に「そうだよ」と少女が返しただけのことだろう。
しかしながら、そのようなやり取りをすることが、わたしからはずいぶんはなれた出来事に感じたし、そういう自然なやり取りをばかげた憶測をはさまずにサラサラと流れるように交わしていく二人にうらやましさを覚えた。
わたしもまたそのようなやり取りをしたく思うのであったが、どうだろう。
図書館でのそんな情景が長くわたしのなかに残りそうだ。

東京の繁華街で遊弋しているような連中とは裏腹な、わたしが遭遇したこの出来事をわたしのなかの小さな幸せとともにお伝えできればと思って書いたのだが、少しは伝わっただろうか。

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多くは望まない、歌があればいい


このまえの木曜日には「タカダワタル的ゼロ」の試写会に出かけた。
その日も雨が降っていた。
音響効果で有名な旧徳間ホールにはそれらしい人が集まっていた。

「タカダワタル的ゼロ」は「タカダワタル的」の次の作品になるが、撮られた高田渡は「タカダワタル的」より前の渡だ。
久々に眺める渡はスクリーンの上とはいえ、懐かしい高田渡だった。
大晦日の下北沢「ザ・スズナリ」ライブを中心に描かれた作品だが随所に渡の日常がモンタージュされる。
スクリーンでは清く正しいとは見えにくい一人の飲んだくれの日常が、まことに清く正しく見えるのだ。
初めて拝見する奥さんもタカダワタル的な奥さんだった。
渡の愛した焼き鳥屋、吉祥寺「いせや」はもとより渡のまわりはみな暖かい。
これを渡の人徳といったのでは、あまりに自分がせつなく思えるほど暖かさに包まれていた。
競演の泉谷しげるも彼なりの暖かさを示し(それはわたしの苦手な表現方法だったが、わたしが苦手であろうがどうであろうが、そんなちんけなことはどうでもいいのだ)、渡は彼にやさしい視線を送り、泉谷もまた暖かくわたるを包んでいた。

そこには、ギターを弾き歌う渡とそれを聞く聴衆がいた。

我々はそんなに望むことを沢山もってはいないのではないか。
そういう景色が見えていた。

だれも羨まなければ、ひとは自分を着飾りはしない。
だれもそれに目を見張らなければ豪奢な生活を望みはしない。

誰かが何かを使い、目を見張る観客を再生産している。
その目にステキに映りたくて、ひとはがんばる。
けれどもその目がなければ、こんなにもがんばる必要はないように思う。

そもそもひとは自分のためだけに生きることには飽きやすくできている。
心ある先人の指摘だが、スクリーンを見ていてそう思う。

こういう日は何も考えず、温かい人のなかで呑んでいたいものだ、そう思いながらわたしは久しぶりに試写の帰るさ、酒を口にした。
そして、あろうことか、極まれにしか訪れることのない、限りなく暖かい酒宴の席が舞い降りた。
その酒宴は午前一時を過ぎても続き、わたしは貸切のようなその店で気のおけない女性二人といつまでも陽気に語っていたのだった。

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2008年4月26日土曜日

ちょっとした喜び


図書館で「ヒカリの碁」13~15巻を見つけたので気になっていたストーリーがつながった。
塔矢名人と佐為の勝負も読めたし、満足満足。(内容ではなく、読めたことに)
この前の「カイジ」といい、ちょっとした喜びであった。

意志をもってそのマンガの巻を探して読めば、ミッシングリンクをつなぐ作業は終るのだが、それを怠けて心のどこかで気にかけていて、ある日出会う。
こういうのは、なかなかときめくものですね。
何でもかんでも早急に解決しようとしないところにも妙味はあるというわけですか。

わたしの大切なクンシランはもう花の盛りは過ぎて時を刻み始めました。
こういう時の感じ方はわたしにとっては初めてです。
私自身の時も休むことなく刻印されているのでしょうが、そちらはぼんやりとしかわかりません。
とくに今日のような雨の日には。

「春は三日に一度雨が降る」

誰かの有名なコピーです。
実際、春にはよく雨が降るのですが、雨を感じる余裕もなく生きていられる方が大勢いるのに、わたしはといえば、いたって雨が好きなのです。

まあ、わたしの唯一の贅沢かもしれません。

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2008年4月25日金曜日

貧困大国アメリカ


先だって、国民皆保険を無理やりブログの中にはめ込んだのでしたが、「貧困大国アメリカ」にアメリカの、日本の想定できる未来、が詳しい。
わたしは、あのアメリカ社会の現象の根本に長く生きながらえる人間の人口爆発が横たわっていると思うのだが、そこでは人を選別する技法が手を変え品を変え政策として提出されている。
「自己責任」というコトバはまさに選別のコトバだと思う。
そして、我々の多くは斬り捨てられ、死んでいきつつある。(密やかに、我々には見えないところで)

多くの人間が生きていくことを、一部の人間たちは、望んでいない。
その結果の社会が、「貧困大国アメリカ」に詳しい。

すでにその選別は進みつつある。
それを我々は実感していない。
注目すべきは「格差」ではなく「貧困」だ。
日本の「貧困」をわれわれは知らなすぎている。
「明日はわが身」と言うが、あれはほんとうだ。
日本の「貧困」をジャーナリズムが取り扱うようになるとき「貧困大国日本」の完成を迎えるように思う。

これを読んでいただいている方に、僭越ではありますが、伝えたい。

くれぐれもご用心あれ。
すでにあなたの身近に断崖はある。

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NHK大坂

第66期名人戦第二局は実力者羽生の勝利に終った。
これで、五番勝負としての新たなる開幕となる。

ひどい評価を与えてきたが、今回のNHKの放送はよかった。
抑制が効いていてわたしに満足を与えるものだった。
思うに今回のあのNHKのアナウンサー、将棋をかなり知っているのではなかったか。

次もまたいい放送を願ってやまない。

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2008年4月24日木曜日

環境ラジカリスト

地球環境保護の後ろに隠れているものをひとつ取り上げれば、「人間が生きるために必要な」地球環境保護となるだろうか。
現在の世界人口は確か66億から67億へと移行している途中だと思うが、いまだにはっきりとは
「これだけの人類をこの地球では養えない」
という強力な意見は聞かない。
しかし、養うのが難しいのは間違いないだろう。

ドイツの環境ラジカリストたちに言わせると5、6億人が地球に優しい人口ではないか、となる。
「地球に優しい」と呪文のように唱えているが、地球に一番優しくないもののひとつに異常に増えすぎた世界人口がある。
その人口を減少させても地球環境を保護しようというのが環境ラジカリストの主張だ。
ぬるいエコロジストは暗黙のうちに人類の生存を前提においている。

つい先だって「八日目の蝉」を読んだが、その内容はともかく、セミが成虫になって七日間で死ぬというのはおとぎ話だ。
かれらはうまくいけば一ヶ月生きることもある。
個体差はあるが、セミがはかなさの象徴となるのは物語の世界だけだ。
はかないなら吉野弘「I was born」のカゲロウがよりはかないだろうし、蚕の成虫はさらにはかなかろう。(蚕の成虫である蛾は蛹から孵化すると卵を産みすぐに死ぬ。蚕の成虫には口がない。もともと生き続けるようにはできていない生き物だ)

ところで、この「はかない」というのは、おわかりのように人間の観点から見てのことで、虫はそう思っているかどうかはわからない。
「観察思慮してみると、虫にとって大事なのは子孫を残すことだと思える」とある昆虫学者は話した。
つまり、長く行き続けるより子孫を残すほうに価値をおいているのだ。
考えてみれば人間もそうで、子どもができないために実家に戻された女性が昔はいた。
それがいつのまにか、長生きを美徳とする風潮が生まれた。

しかし、長生きはほんとうに美徳か。

田村隆一は延命処置を拒否して死んだ。

長く生きることが美徳かどうかは人間にのみ与えられた課題で、野生動物の場合は、身体に故障があると死が待っている。
故障どころか体力が衰えると、つまり速く走れない、長く歩けない、空腹に負ける、渇きに負ける…ことはすぐその先に死が続く。
人間は獲物を狩る必要はないが、それでは何ができなくなると死が待っているのだろうか。

心臓が止まるまでというのはどこからもってきた発想なのか。
地球上に住む生物たちに対して少し恥ずかしいような気もするが、穿ちすぎか。
そう思うことがある。

それとは別に老いた父母に長生きをと思う心も、振り返ればわたしのなかにあった。
残念ながらわたしはそのことの検証がうまくできないでいる。(父母が倒れてから死ぬまでの間、わたしは両方とも長くつき合わなかった)

地球環境保護というとき、継続するその常軌を逸した人類の人口爆発をどう考えるのか。

本日、このブログ、かなり危ないことを書いているが、さらに続ける。
野生動物が倒れたときにその死を悟るように人もまた太古はその死を悟ったのではないか。
そういう問題が地球環境保護や後期高齢者医療の問題の背後には不可蝕な問題として横臥している。
もちろんもっと短絡的には日本の世界に誇るべき国民皆保険制度をアメリカが破壊したがっている事情がある。(毎日大量に流れる外資系保険会社のコマーシャルが国民皆保険制度を憎みきっているかの国の意志だ)

それはそれとして、そこまでして生きる必要がわたしたちにあるのかどうかは、引き受けなければならない問ではないだろうか。
もちろんこの問はわたし自身の問題として、あなた自身の問題としてだ。
肝心なことだが、他者の死は、この設問で考えることは危険すぎるし、おそらくしてはならないのだろうと思う。

通り過ぎることはできてもそのまま捨ておくことはできない問題。
いずれは向き合わなければならない。
それはあなたやわたしでなくても我々の継承者たちがだ。

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2008年4月23日水曜日

東京飄然





育てたもの、育っていくものを見続けることができないのは、そういう時間をしばらくでもとれないのは、己の中に大きく欠けたものがあるからなのだろうか。
庭にある過ぎ去ろうとしているクンシランの花を、見ていた。
隣の観葉植物を、見ていた。

熊谷守一翁は自分の庭の草花や石ころを見て飽きることを知らなかった。
ハエの姿態を眺め、ハエがいなくなることを、寂しがった。
なにかを見つめることはどのようなことなのだろう。

わたしは美しいとされる花もじっくりと見ることのできない、そのくせ思いだけが留まることもなく…。
見ることのできない者のもつ思いも、思いと呼んでいいのだろうか。

カメラのシャッターを押すことで、文章に書いたことで、何かを写し取ったように思うが、なにかを写し取ったとはかぎらない。
そういうことを鉢植えのかれらはいう。

CHEGA DE SAUDADA

「東京飄然」は町田康のエッセイだが、珍しくこの作家が苦労して書いている。
苦労して書けばいいものができるという保障はなく、この作家の場合は痛ましい。
それを補って余りある作品群に埋もれているから見えにくいが、町田は町田でということか。

熊谷翁が「(自分は)生きるのがすき(なのだろう)」とあるとき、もらしたらしい。
この「すき」は大きく岩のようだ。
こういう「すき」もときには、ごろりところがっている。

何かを見ることをしたくなっている。
見たものをそのまま身のうちに入れるという作業は自分の身体を使い、試みるべき確かめだ。

むかし屋久島でそのことを試みたことがある。
石塚小屋から宮之浦岳へと続くわたしと亜熱帯の植物との交感。
見たものは、聞いたものは、嗅いだものは、身のうちへ流し込んでいくが、観察はしない、批評はしない、ただ見のうちへ流し込んでいく。

そのときに撮らなかった写真は、書かなかった文章は、その流れへの堰に過ぎない。

わたしは堰ではないものを欲している。

妄言多謝

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「押してんじゃあねぇぞ、このハゲ!」

「押してんじゃあねぇぞ、このハゲ!」
駅のホームから降りる階段の途中、金髪に近い茶髪の娘にののしられたとする。
一方、マナベちゃんと善福寺川の疎水べりをチンタラ散歩するとしようか。

どっちがいい?

と尋ねられて。

はて?

というのがわたしの今立っている所です。
無条件にマナベちゃんとの散歩を選択する所にはいない。

しかし、実際に階段の途中
「押してんじゃあねぇぞ、このハゲ!」
は、なかなかに愉快な話だ。
この話でわたしは、しばらく笑ったのだった。
何しろこれはまごうかたなき実話だから。

余計なことを書いちゃったかな。
轍鮒の急もあるというのにさ。

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2008年4月22日火曜日

われ、他者の影響下にあり

基本的には「好き嫌い」は個人の問題であり、他者とは何の関わりを持たない。
関わりがあるように振舞うのは擬態かあるいは「他者の影響下にある」場合だけだ。

わたしが女優「ケイト・ブランシェット」を好んでいるとしゃべったところで、基本的に第三者は「それがどうした」という態度をとる。
わたしの好悪は第三者に対して何の意味もないからである。

もし、わたしの好悪に意味があるならば第三者もわたしの好悪の感情に鋭敏に反応することになるだろう。
それは、わたしが第三者に対する支配者であったり(そういうことはあまりないが、上司や教師ならば若干似ているか、いや、彼らが支配者になる可能性は極端に少ないが、それでも生殺与奪の権を握られているとしたら、かなり支配者には近くなるだろう)、あるいは敬愛される人であったり、ほれられている人であったりする場合だ。

その場合は、時には擬態として関心あるように振舞うだろうし、時には実際にわたしと同じものを好きになりたくて目を輝かすだろう(そういうことはまれだがね)。

というようなわけで、わたしは自分の好悪をあまり語らない。
しかしめんどくさそうな相手だと相手の好きなものをあえて聞いたりする。
自分の好きなものに興味をもっているというのは(質問とはそういう効果もある)、相手への好意の表明によく似ていて、うっかりするとだまされてくれる。
もちろん、そうじゃなくてする質問のほうが多いが(わたしはそれほど狡猾ではない)、ま、時にはそういう道具として相手の好悪を尋ねることもある。

このところ前に書いたものが気になって、次の回、それに書き足すというふうになっているが、これがもともとものを考えるスタイルかと思う。
螺旋を描きながら思考は進んでいくし、物語も進行する。

出来上がったものを捧げもののようにしてお届けしていないことをあまり叱らず、これがわたしの思考過程だということで、思考過程をお見せしているのだということで、ご寛恕ください。(未熟者なのです)

ものを考えることは持ち重りのすることで、螺旋を描かないと前に進めないのです。
だいぶに重くなってきているのです。
だから、あっちへふらふら、こっちへふらふらでしょ。

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松井冬子を見る




爆笑問題のラジオを聞いた日曜の夜、松井冬子をテレビで見た。
いまはこんな化粧(化生)をしているのかと言うほどきっちりと顔を描き髪をとかしていた。
わたしは短大時代、坊主にしていた彼女の写真を知っていた。

番組のなかでいろいろと彼女もしゃべっていたし、例によってNHKはお子ちゃま相手に詳しく解説をしてくれていた、埒も無い。
しかし、絵のことをいくらしゃべってもたどり着くところは限られている。
それを越えてどこかへ連れて行ってくれるとなると、前田英樹『絵画の二十世紀』(NHKブックス)のレベルになるわけで、そうやすやすとは期待できない。
だから、絵画も音楽も心して語らねば、書かねばならないのだが、そうでない御仁は山ほどいる。

さて、それはそれとして、なかなかに興味深い番組で絵というものが(実は絵に限らないのだが)、いかにテクニックに支えられているのかがよくわかった。
テクニックを磨くというところにしか作品への登り道は開けていない。
とば口にたどり着いて始めて自分の登ろうとする山がわかる。
そのとば口までは技術を磨くことでしかたどり着けない。

あれやこれやと音楽や文学や食い物やスポーツや絵画や…、と線路のようにいつまでも続くのだが、論をぶつ人間は、その時点で屍にすぎない。
とば口へ急ぐ人は、ただ技術を磨いているのだ。
それをしてプロと言う。(という考え方もあるということだ)

番組の最後のほうに上野千鶴子が出てきて、松井冬子と話す、というかインタビューする。
相変わらず、いけ好かない話し方だ。

上野千鶴子はとても相手の気分を害する話し方をする。(というのがわたしの判断で、その在り様はだいぶにましになってきてはいるが、いまだにあるな、とテレビを見ていて思った。
彼女と心地よく話すためにはある程度、彼女を敬愛していなければならないだろうなと思う。
そして幸いなことに、彼女は敬愛されるに足る実力をもっている。
しからば、わたしは彼女をどう思うかというと、ここでは言明しない。
書きっぷりでお分かり願いたい。
大切なことは、自分自身が対象を(人間でも食い物でも電車でも…ここでも線路のような長い半直線が延びていく)どのように思ってもそれは対象の評価とは別次元で、好きでも嫌いでも「いいもの」はいいということだ。
だから、ここでわたしが上野千鶴子を好まないといったところで、何の情報をあなたに与えることはないのだ。むしろ上野は実力のある社会学者であるという一文のほうがあなたの足しになるだろう)

さて、その上野は松井を「自傷系アート」とカテゴライズするが、それは単なる社会学的分析だけではなかった。
その日の松井とのトークにはその認識に身を寄せる上野がいた。

トークの最後のほう、上野は松井に
「だれも不幸せになるために生きているわけではないから幸せになれるのだったらその幸せを掴んでほしい。幸せになった後もあなたの作品はあり、その作品もわたしは見てみたい」
(わたしの記憶を繋ぎあわせてみるとこうなる)

なかなかの殺し文句で、松井も素直にうなづいていた。
番組は終わり、カメラは次第に引かれていったのだが、その引かれていく間中、上野は松井を見つめ続け、たまらぬように松井のひざに自分の手を差し伸べるのであった。
それは上野の限界を超えた自己の感情の表現であるように思えた。

上野千鶴子、はるかなり。

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松村邦洋

日曜日の午後のラジオ番組から伊集院光が撤退したと思ったら爆笑問題がその後へ入ってきた。
それでは伊集院の撤退も仕方あるまい。

二日前のこの番組へのゲストが松村邦洋だった。
彼と爆笑問題は太田プロでの先輩後輩関係になる。(爆笑が二ヶ月先輩)
彼らのトークは抱腹絶倒だった。
久々である、わたしが笑ったのは。(いや、そうでもないか、町田康「つるつるの壺」(文庫版)の中島らもの解説でも笑ったのだ。この解説、らものなかでも出色であった)
とにかく、芸人のトークで声を出して笑ったのは久々だ。
太田が彼と会った最初のころ松村邦洋を天才だと思ったと語っていたが、いやはや愉快だった。

その夜「You tube」を尋ねて松村邦洋のものまねを聞いたが、これまた愉快だった。
ただし、毒があるのでテレビでは使われないのかもしれない。
(この程度の毒で使わないのか、ほんとうに)

このところ太田光のわたしの中での評価はいまひとつだが(最上級ではなくなったということ)、さすがに魅力的な芸人は見逃さない。

松村邦洋は驚くべき芸人だった。
嘘と思うなら「You tube」を見ればいい。

そこで、松村が面白くなければ、テレビで毒されてしまった自分を嘆くしかないかもしれない。
(テレビもまたあこぎなことをする)

とにかく愉快な日曜の午後であった。

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2008年4月21日月曜日

イチゴジャム


イチゴジャムを作るのには手間はいらないが、時間はかかる。
かかるが故に工夫の余地もあり、あれやこれや思い悩みながらやっていった末に出来あがるとなかなかにうれしい。
最低の品質に近いイチゴパックふたつから30時間ほどかけて作り上げたのだが、私自身その作成過程を知っているものだからいやましてうまい。

さはさりながら、食い物というのは誰かに食べてもらわなければ完結しない。(正確に書けば、完結して次のループへ移ることがしっくりとこない)
ここらあたりが、本質的な孤独者の悲喜劇だ。
わたしなどは自分の作ったものを食べてくれる人ならだれといっしょにいてもかまわないと思うことがある。

そういえば、このまえやたら景気のいい文章を書いてみたが、少し補足しておきたい。(あまりにもがさつな書き方だったから)
補足しだすときりがないからほんの少しだけ。

「魅力的な女性」と書いたがそんなものがどこかに固定的にいるわけではない。
男にしろ女にしろ魅力的なものはすべて変化するものである。
その変化に振り回されず的を射抜けるかどうかが「魅力的」かどうかの判断の礎となる。

「魅力的な」ひとやものは、道端の石ころのように(道端の石ころもまた立派に変化しているのではあるが、変化率があまり極小であるために我々には変わらなく思えたりする)そこにいたりあったりするものではなく、いつも通り過ぎていく。(この場合、通り過ぎていくのは物理的にあちらからこちらという意味だけでなく、その内部においてもまた変化し続ける。変化しながら確かなものを身のうちに残していこうとする。
まあ、そんなことだろうな。これは、みなさんが魅力的な人なり、ものをよく観察なさればいい。実際のところはそれがあなたの答で、その答がここにわたしが書くような内容よりも勝っている)

長くなりそうなので中途半端にやめる。
「魅力的な女性」は常に通り過ぎていくものだから、こいつは、とその場でとらえなければならない。(手首をつかめといっているのでもないし、それが一瞬というわけでもない。けれども確かに彼女は通り過ぎていこうとしている。それが「魅力的」の構図だ。逆に言えば「魅力的でないもの」はその場にうずくまっている。あるいは、意識してその場を動こうとしない。たとえば美しさにしがみついたり若さにしがみついたりするように。「魅力的なもの」は立ち止まることを嫌う。それは沢登氏の歌詞で言えば「同じように見えて少しずつ変わってくキミのことをボクは知っているのだろうか…」という具合になる)

この変化のなかには「魅力的な人が魅力的でなくなること」も「魅力的でない人が魅力的になること」も含んでいる。
この場合「変化」ということがきわめてややこしい話になっているが「同じ日常のくり返しの中にも変化がある」ということを伝えるだけにしたく思います。

ここまで書いてくるとこの話は腰を落ち着けて長い文章にしていくしかなく、こういう形でここに提示したことをお詫びします。(あさはかでした)

なにやらいつも「しみじみ思う」ばかりのわたしですが、ほんとうにいつも中途半端ばかりですまなく思い、同時にいまは、早く長いしっかりした文章で伝えていかなければ「おえんな」と思っとるところですたい、坂本どん。

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2008年4月20日日曜日

受信者を撃つ

せっかくのスーパーに行ったのに町田康のことを思っていたものだからマナベちゃんのキャッシャーに並ぶことを失念していた。
マナベちゃんはいま、わたしが一番気に入っている女性だが、どんな女性かは知らない。
知らないから気に入っているので知ったら壊れる。

これは経験値の高い人間には当然に起こることだ。
知ることによって壊すのがいやなら経験値を上げないことだ。
女性経験値を上げなければ、女性に近づいてお話などしてもたいていの女性は魅力的に見える。
それはとてもいいことだ。
いいことだが、もしこの世の中に魅力的な女性が仮にいるとしたら、経験値の低いあなたは彼女を見逃してしまう。
見逃すというのは手に入れられないということではない。
「ああ、この人はステキな人だ」と感じ入ることが出来ないということだ。

そういう一瞬を待ち受けるか、それとも多くの女性に感動するかは選択だが、ことはいつも書くようにそう単純ではなく、そういう一瞬を待ちうけながらも多くの女性のそれぞれの良さを楽しむことはできる。
どうすればいいのかは経験値を上げていかなければわからない、これはなんにおいてもそうだろう(いまのところはそう思っている)。

さて、わたしが町田康にたどりつくのも文章における経験値を高めたからだ。
高めなければ町田康には到らない。
町田は、プロの物書きが一目置く存在で何度かそういう文章を読んだ。(もちろん、それがわからないプロもいる。経験値が低くてもプロにはなれるからね)
それぞれほめ方は違うがどの書き手も町田は特別だと一目置いていた。

というわけで、経験値を上げなければ町田康の文章を読んでもプロたちの言うところの町田に会うことはない。
町田の文章を読んだというに過ぎない。
それが、受信者に与えられた枷だ。
(念のために書いておくが、こんなふうにしちめんどうに考えなくてもそれぞれの場所でそれぞれが楽しめばいい、というのが大人の態度というものだ。書いているわたしはガキだからね)

馬鹿を相手に真剣にしゃべっても何も伝わらない。
馬鹿にあわせてしゃべる以外に方法はない。
で、たいていのプロは馬鹿相手にはしゃべらない。(ちなみに五代目志ん生にそのケがあった)
聞き手として経験値の低い人間に合わせるプロの表現者はいない。
(厳密にはいる、「馬鹿を相手にしゃべることのプロ」が。それが明石家さんまであり島田紳助である。
あっ、ここまで書いてきて思うのだが、わたしは「馬鹿」「馬鹿」と連発してきたが、それは経験値の低いといっているだけで、わたしもまた経験値の低い分野では「馬鹿」であるのであまり気にしないほうがいい。それにわたしの経験値などたかがしれている。少し見えるようになっただけの話だ)

さて、そういうことで買った品物をスーパーの袋に詰めていて、ふと後ろを振り向くとわたしが買った隣のキャッシャーでマナベちゃんがレジを打っているではないか。

「う~ん、けなげだなあ」
息子がいれば、あんな嫁がほしいものだ。
この娘はピカ一であります。
あらためて感じ入る日曜日夕方のスーパーの買い物でした。

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2008年4月19日土曜日

そのままをそのままに見ている



父の死後、彼の育てた鉢植えを自宅へ幾鉢かもってきていたのだが、育てることを知らないわたしの世話に満足してくれるはずもなく、丹精ということを知らないものへの手痛いしっぺ返し喰らっていたのだが、なかには可哀想な男、と思う花もあり、その花とのつきあいのなかで生き物の扱いを教えてくれる花もあった。
それが写真のクンシランだが、今年はなかなか頼もしく咲いてくれた。

その花を庭先に置き、その花が咲いているのをそのまま何の感想も持たずただ黙ってみていることがあるが、
こういうとき「きれい」だとか「かわいい」というコトバは出てこぬもので、そのままをそのまま視覚を通しただ自分の見の内に流れるように滑り込ませるだけなのだが、こういう生き物との相対はどこか本来そうあるのだろう感覚を思い出させてくれる。

タイトルはそういう意味のものなのです。

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小児科医師


昨年度が何月から何月までを指すのかよく知らないのだが、とにかく昨年度、秋田県に小児科の医師は一人も誕生しなかった。
小児科の医師は誕生しなかったが、赤ちゃんは何千人か誕生した。(そんなことを「八日目の蝉」を読みながら思っていた)

これは、昨年度だけのことではなく数年来そして来年以降も続く趨勢となっている。
だれだって大変な仕事はいやだもんね、楽してお金儲けて、ホンジャラホニャララハーハーといきたいもんだ。
だとすれば小児科医師の仕事自体、徐々に多忙を極めるものになってきたのだろうか。(でなければ小児科医師減少の説明がつきにくい。それとも時代を担う人々の意志が変わってきたのか)
このあたりのことを知っている方がいたらお教えください。(tonbomaru55@yahoo.co.jp)

さて、金曜日は試写会の券を二枚握っていたのだが、その券をば握りつぶし、秋田出身の男に連れられて「ハンティングパーティー」を見にいきました。
エンターテインメントの条件をクリアしながら、ボスニア紛争についてもよく描いた見るに値する映画でありました。
真ん前の最前席に座ったのもわたしには初めての経験で、なるほど見る場所というのは印象に大きく影響するものだわいと感じ入りました。

ところで、この映画上映中に笑うべきでもないシーンで哄笑する声を何度か聞きました。
ボスニア紛争は現実で、映画のなかに起こる出来事はまったくの作り物ではなかったのですが、それでも映画を単なるコメディとしてしか受容できない人の発した声だろうと思いました。

ひとは、自分に不都合なものはいろいろな形で忌避します。
笑いもまたそのひとつであり、それはほんとうにおかしくて笑うのではなく、わたしは受け付けないという表現で、そのため声を大きく出す必然性が生じるのでした。
「半島を出よ」(村上龍著)にその象徴的なシーンが書かれています。
小説の中ではその笑った男は射殺されてしまいますが、「よみうりホール」では射殺されませんでした。
ボスニア紛争直下のかの地で同じように高らかに彼が笑えたのかどうかは考える必要もないことですが、平和国日本の特権はかくも我々を飼いならしてきたのだなとあらためて思い、自分がその中の一人であることを肝に銘じました。

いいものを見たあとの不快感はこのことに因を発します。
しかし、それも映画を見終わったあと秋田出身の男にもらったマンガで快癒していきました。
かれは、わたしが気になっていたのに読めなかった「カイジ――賭博破壊録(人喰いパチンコ)」の最終場面を含むものをくれたのでした。
部分的には読んでいたのでしたが、本日はじめてきっちりと読み終えました。
マンガ家の福本伸行氏をかねてより高く評価するわたしですが、このマンガあたりが彼の作品のもっともいい時代の最後かとも思います。(はなはだ失礼ながら)

いいものをいやな気分で見、いいものを再び読んだ日でした。
さすれば、満足な日であったのかとも…。

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2008年4月17日木曜日

目の前にいる人が大切で

わたしには「目の前にいる人」が大切で、その人に不必要にサービスしてしまうことが間々ある。
その分、いらぬ神経を使うわけだし、わたしのサービスが効果的かどうかも怪しいものだ。
さらに問題は…

この問題は最近気づいたことだが、わたしは「目の前にいる人」が大切なのだから「目の前にいない人」のことを天空に月が見えるように「確かにいるのだ」と思うことができない。
けれど、わたしにはできないが、「目の前にいない」わたしを思ってくれる人はいる。
このことは理屈ではわかっていたのだが、理屈などあまり説得力のないもので、何もわかっていなかった。

「目の前にいないわたし」を気遣ってくれた人は大切にしなさい。

かの人のように「目の前にいない人」を思いたい。
誰かがわたしの前にいても、ときとして遠い目でその人ではなく「目の前にいない人」を思いたい。

わたしがだれかにきついコトバを吐けないのは、そのことはそのまま酷薄さであるのだが、「目の前にいない人」への想像力のなさなのかもしれない。

この間、わたしは父のことを書いたが、書いた文章のなかにいた父は「目の前にいる人」だった。
文章ははそのように作用することがある。
ありがたい効果だ。

何のかんのと言ってみても
「あなたを大切に思っていた」
と言う人には頭を下げるしかあるまい。
その人は「目の前にいないわたし」に愛情を降り注いでいてくれた。

目の前からいなくなったわたしに、いかなる不実をしてもあまり気にならないのが、わたしの性質だ。
気にならないから、その程度のレベルでしか人間を知らないでいた。

そうではないように思う。(いまは)

家族というものが機能しているのであれば、それは「目の前にいない家族」を思うことから始まるのかもしれない。
だからわたしには家族が存在しなかったのかもしれぬ。

「目の前にいない人」を恋し、大切に思うことができるようになりたく思う。
そのとき、わたしは人を見る目が変わるかもしれない。

人は、その人が目の前にいなくても大事に思えるのだと教えてくれた人に感謝したい。

そういえば、また父のことを思い出した。

父に本を買いたいので金をくれないかと頼んだことがある。

「本ならおまえの部屋にいっぱいあるではないか、それを読めばいい」

父はそう言った。

わたしはそんなめちゃくちゃなと思った。
だって、わたしのほしい本は、いくらたくさんの本があってもそこにはないのだから、それは無理な話ではないか。

しかし、思い返してみれば、そのように考えられる父のことを理解していなかった。

「家族ならここにいるではないか」

このコトバもまた父と同じ気持ちで放たれたのかもしれない。
ずいぶんしっかりとした作りの弓を、思い切り引き絞り、矢は放たれたのだろう。

「家族ならここにいるではないか」

それが「あなたの目の前にいない人」であったとしても。

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チベット問題

聖火リレーを象徴としてチベット問題が喧しい。

もちろん、チベットに対する中国の弾圧の問題は我々の目にできるマスコミを信用するなら、遺憾なことであるのは間違いないのだが、そもそも国際的に遺憾な問題はそれ以外にも数多くある。(だからいいではないかとは言っていないことに注意してほしい)

それは、ホロコーストが哀しむべき歴史的事実であるように(このようにわたしもまた傍観者として書いていることを深く反省しながら)ユダヤ人によるパレスチナでの虐殺もまた行われている。
ベトナムに悲劇を起こしたアメリカもいるが、ベトナムの中部山岳地帯の人々をいいように利用したベトナム人もいる。
というようなことだ。

そして、マスコミがどれかの問題を大きく取り上げるたびに一方は忘れられていく。

事はどれも簡単ではない。

しかし、どれもこれも問題はそこにあり、それに対してそれぞれの人は行動を起こしている。
このことは、どの問題に対しても批判する余地はない。

ダライラマ氏の言うように「聖火リレー、ひいては中国オリンピックの問題もなおざりにはできない問題だが、少し距離を置こう」というのは賢明な態度だろう。

そろそろ意見は出始めているが、この時期にかような事態が引き起こされることを中国政府が傍観しているはずはなく、おそらくこの時期にチベットに暴動が起こることは中国政府のもっとも嫌ったことだろう。
にもかかわらず、チベットに暴動は起き、国際世論は紛糾し中国批判がこの日本でも大きくなっている。
その批判自体は間違いないことだが(9/11が批判の対象にされたように)、中国でもチベットでもなくほかの国が、この事態を引き起こしたのではないかということも知っておきたい。(もし、引き起こしたのであれば)
そして、マスコミがこれほどまで大きく騒ぐことが誰かの仕組んだ罠ではないかという視点で論じられることをわたしは期待する。

だれがチベット暴動を引き起こしたか。(もちろんチベットの問題は実際にあるのだろうが、よりによってこの時期に引き起こしたのがチベット人民の意志だけであったのだろうか、そういう疑問の余地は残しておきたい)

その上に乗っ取って、今回の中国とチベットの問題は考えていかなければならないのではないか。

チベット問題を国際的に取り上げることにやぶさかではないが、「チベット問題を取り上げること」が誰かのシナリオであればその連中に対しての鉄槌も必要だろう。(もちろん鉄槌など届かぬ場所に彼らはいるのだろうが)

わたしの主張するのは、今回のチベットと中国の問題は単に漢族とチベット人の問題だけではなく、それを利用して中国に対してイニシアティブをとろうとしている国がいてという複雑な問題ではないかということである。

この視点からの議論がマスコミに載ることを期待する。
チベット人の心情を否定しているのではない。
中国のチベット政策を全面的に肯定しているのではない。

中国がチベットにしたことがこのように大きく取り上げる一方、たとえばイスラエルはパレスティナを弾圧し続けている。
なぜ、こちらの問題は国際問題の俎上に置かれないのか。
だれが、マスメディアをいいように動かしているのかというもうひとつの問題をここに提起しておきたい。

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2008年4月16日水曜日

羊の目


坂口安吾が若き日、「うつ」を語学学習で乗り越えた話は有名であるが、わたしは集中講座として今朝の午前中、たった二時間中国語教室に通うとすぐ重苦しい気分が襲いかかってきた。
まあ、クスリでしのぐわけだが。

いやはや

「羊の目」は今話題になりつつある小説で久しぶりに読み応えがある。
私見ではあるが、小説の読み応えとは梗概にプラスされる部分に因がある。
たいていの小説が粗筋としてまとめられる様子を眺めていればその作業の際に滑り落ちていくものが見えるだろう。
その滑り落ちていくものが小説の魅力を引き出すというのがわたしのひとつの小説の見方だ。(ここでコトバを選んでいるのは、小説の読み方など数限りあるのでわたしのいま語っているのはまさに私見でしかないことをよく存じているからです)

「羊の目」はその比喩をとっても、浅草という町の情景描写をとっても、人物描写から人物造形につながるしっかりしたタッチをとっても、申し分はない。(「超」がつくかどうかは別にして一級品と言えるだろう)
伊集院氏もいい書き手になったものだ。
こういう小説を読むととたんに自分の小説が書けなくなる(塗炭の苦しみという)。

この小説には、昨今では珍しい昔語られていた「男」が読むに値する形で書かれている。
このブログのつながりでいえば、「愚かしい男」が書かれている。
「愚かしい男」は、その「愚かしさ」の故に美学のようなものをもつことがある。(いつも「美学」をもつわけではないが、「愚かしさ」は何かしら必要のないものをもつ性があり、それは、たわいないもののように見えても見る人が見れば美しいものであったりするのだが、結局のところその「美しいもの」が破滅へ導くようなところがある。あるいは、野垂れ死にに導くようなところが)

このところ何も手に取れないような状態が続いていたが、今夜はこの一冊を読み上げることになると思う。

その先には町田康とわたしが書き続けるのを待っている作品がある。
こういう思いがふとよぎる夜はわずかながらわたしのココロは仕合せを感じている。
この気分、「羊の目」がくれたものだと知っている。
(だからと言って、「羊の目」を読んだところでだれもがこんな気分になるわけではない。けど、小説を読みながらなにがしかの気分に浸ることにはなるだろう。そういう作品を佳品と呼んでいいだろう)

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2008年4月15日火曜日

庭先でのことだが



わたしの家には小さな庭がある。
日当たりはあまりよくなく、紫陽花や山椒やサカキやマキの木が申しわけなさそうにあるに過ぎないのだが、それはそれとしてなおしみじみと眺めることでわたしの心を和ませてくれる。

わたしの歳のせいか、心情のせいか、それともこのところの催花雨のせいかはわからないが、生き物はそういう語りかけをしてくれる。(数少ない人もそのなかには入っている)
ありがたいと思う。

その庭のちょうど真ん中あたりにわたしは穴を掘り、果物の皮や野菜の根っこや卵の殻や生ゴミの類を溜め込んでは埋めることにしている。
幼いころ父がしていたことを真似ているのだ。
父はその穴の中に小便もたらしこんでいた。
肥やしにでもなると考えたのだろう。(事実あの人は野菜作りに長けていた。ついでに言えば花を育てるのも植木を育てるのも小鳥や小動物を育てるのも長けていた。もしわたしが少しはましな男としてこの世を終えることができるのなら少なからず父のこの生き物たちを育てるという感覚を身につけたからだろうと思う)

紙くずは紙くずで父は風呂の焚き付けに使っていたし、たいていのものは再利用しようとしまいこんでいたからビンや缶等もあまり棄てることはなく、我が幼年時代の家はきわめてゴミ出しの少ない家だった。
考えてみれば我が生家の出したもっとも大きなゴミはわたしかもしれない。

さておき、そのいま住む庭先の穴を目指してカラスや猫などがやってくるが、(腐りかけた肉や魚も放り入れるためだろう)あの腐りかけたものを食べてもらえる様子を見るのは何か豊かな気分になる。
腐らせて捨てるわが身の至らなさを救ってもらえるようでずいぶんと助かるのだ。

そこへ、「ウンッ」と思う生き物がやってきた。
昼過ぎのことだし、一瞬猫かと思ったが、よく見るとそうではない。
猫とは違う動きでのっそりのっそり歩いていくのだ。
あの時は驚いた。

わたしの想像の域にはないものがやって来たのだ。
後で思えばアライグマかと思うが定かではない。
にしてはやけに細かった気もするが、写真を取るヒマもなかった。

驚いたわたしは次に大いに興奮したが、それを伝える家人はいない。
このあたりが、家族のいない人間の寂しさで残念で仕方がない。

と同時に少し前に書いた「異物」や「未知のもの」への対応のことも思い出し、そういうものたちへの対応はこのように難しいのだと反省したりもした。

あれはアライグマだからこの程度だが(アライグマだと思うのだが)、絶滅したはずの日本オオカミならわたしは卒倒していただろう。

自分がいかに見知った世界のなかで生きているのかしみじみと感じ入る穏やかな春の夕暮れのお話を書いてみました。

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「あほな女」についてさらに

さらに「あほな女」について語る前にいま少し自殺者について触れておいたい。

自殺とは別に孤独死というジャンルがある。
孤独死という言葉は、もともとは神戸新聞が震災後の4月5日に使い始めた言葉だ。
今や、孤独死は高齢化社会が進む日本の中で、大きな問題のひとつとなっている。

【孤独死】
だれにもみとられずに死亡すること。特に,一人暮らしの高齢者が自室内で死亡し,死後しばらくし、初めて遺体が発見されるような場合についていう。
孤独死とは、一人暮らしの人が誰にも看取られることなく、当人の住居内等で生活中の突発的な疾病等によって死亡することであり、特に発症直後に助けを呼べずに死亡するケースを呼ぶ。

社会現象として阪神大震災から10年の間孤独死は減ることはない。
あの阪神大震災から10年たった今、孤独死は増え続けている。
正確に言えば、一時期は減ったらしいのだが、ここ最近また増えてきているらしく2004年度の孤独死者数だけで70人もの方がお亡くなりなったらしい。

まだまだ少ないとお思いだろうか。
私は、例の後期高齢者に対する保険問題と高齢社会のこの日本の現実でさらにこの数は増えるのだろうと思っている。

少し古い資料を抜粋すると高齢者世帯は以下のようである。
(国民生活基礎調査概況 一部抜粋)

高齢者世帯(65歳以上の者のみで構成、又はこれに18歳未満の未婚の者が加わった世帯)

(平4) 3,688,000世帯 1992
(平13) 6,599,000世帯 2001
(平18) 8,418,000世帯 2006

この数はいずれ単独高齢者世帯へとつながっていく。(かれらは我々よりずっと早く死んでいくからね)
高齢者も生きづらければ、中高年も生きづらい。

「生きづらければ死ねばいい」
という意見にわたしは組しない。

では介護すればいいのかといえば、それにも疑問符がある。
「Quality of life」の問題がかかわってくるからだ。

さてさてどうしたものか。

そういうことを考え出すきっかけとして「おひとりさまの老後」があるが、さらに議論は深めなければならないだろう。
単に生きながらえばいいという問題ではないだろうからだ。
わたしにしたところで「わたしの死の問題」を考えることがしばしばある。
そのとき、決して「健康第一」を金科玉条とはしない。
おそらく、生きていく集団の問題を考えねばならないと思っている。

核家族化を国家の指名のように背負ってきたこの国だが、核家族は高齢社会には向いてはいない。
では、戻ればいいのか。
時間は不可逆性という問題を常に潜んでいるからこれはなかなかややこしいし、早晩解決するとも思えない。

自殺者は増え、孤独死も増える。
介護保険は首を絞める。
物価上昇も首を絞める。
若者の仕事離れも首を絞めれば、家族の解体も首を絞める。

ただ、よくよく世の中を眺めればそういった流れを食い止めようとする小さな動きは起こっている。
その動きにわたしもまたどこかでつながっていきたく思っている。

さてさて

長すぎる前置きだが、本来の「あほな女」についての一文を加えて早々に終りたい。

身の内に寝かせているうちに少しだけ見えてきた。
自分にとっての「異物(自分のなかの何ものかと対峙するもの)」「未知のもの(自分のなかの何ものかと将来的に対峙するかもしれないもの)」と相対したとき、「あほな女」はあまり頓着しない。
なぜなら、自分のなかに守るべきものをそれほど多くはもたないからだ。
守るべきものをもってしまった者は、「異物」「未知のもの」を極端に毛嫌いする。
それは自分の中のある価値観と抵触するからだ。
抵触する価値観は概ね、国家が社会が会社が家族が与えたもので自分で検証されたものではない。
検証されていないものは、やみくもに正義としてそこに聳え立っている。(壊されるはずのないものとして)
しかし、そのように堅固なものがこの世に早々あるわけではなく、それは宗教という形をとったり(宗教にもいろいろあるわけだから、この物言いには気をつけたい)、社会で生きやすい錦の御旗だったりする。(錦の御旗は数を頼みに少数者を撃ってくる、あるいは勝ち組になりたいという浅薄な考えで少数者を撃ってくる)
勝ち組を好む女たちはすでに「小賢しい女」に成り果てそこにいる。(それは立場を変えれば立派な生き方だ)
男たちもまたそのなかにある。

そういう社会にあって、自分と向き合い剣が峰を生きていこうとする「愚かしい男」がいる。(この場合は剣が峰でなければならなく、断崖から飛び込むようなことはせぬがいい。このあたりは難しく、それなら端から剣が峰を歩くなという社会通念は当然のように沸き起こる)

究極の意味で「あほな女」とわたしが呼んだのはそのような「愚かしい男」の最後の砦としての愛すべき人たちのことだ。

ついでに言っておけば、過日若者に「あほな女にはもてる」と言ったのは「小賢しい女」になっていく途上の少し穢れ始めた「(?つきの)あほな女」でもあなたくらいな美男ならもてるだろうという揶揄を含んだものであった。
そういう意味では、若者に放ったわたしのコトバの非をここで詫びておかねばならない。(すまなかった)

「愚かしい男」にはどうしても「あほな女」が必要で、そういう人を愛することで愛し返され生きていくことが初めてできる。(多くはそんなふうになっている)

昔、さる歌人が自分の師匠筋の男にほれてこのように申していたのを覚えている。

「運命に風があるなら、わたしはその風に背中を押されて生きていきたい」

その風はその男とともに生きるように彼女の背中を押していたのだろうが、もちろんのことやわな道ではない。
わたしはその歌人を愛情をもって「あほやねえ」とつぶやきたい。

かような最も愛すべき者たちとして「あほな女」と「愚かしい男」はわたしの目の前にいる。
まさに愛すべき者たちとして。

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2008年4月14日月曜日

あほな女

先日とある飲み屋で
「あなたはあほな女には間違いなくもてるだろうな」
と若者に言ったが、後から思えば「あほな女」というのはなかなかに深いコトバであった。

若者に言った時点では、「あほな女=小賢しくない女」という感じで使っていたのだが、「あほな女」はそれほど単純な概念ではなさそうだ。
この場合,「あほな女]を一般的に概念規定するのは妥当ではなく、この女がいかに「あほな女」であり、あの女がいかに「あほな女」であるという道をたどりながら帰納的にある女のイメージが出てくればいいという話ではないかと思う。

ところで、当然のように「あほな男」はどうなのかという疑問は生じるが、こちらのほうは何の価値もない。(そう思っている)
この場合「あほな男」というのは自己認識能力のきわめて低い男で且つ自分をそこそこ過大評価している男を指す。(まったくもってオレではないか)
このタイプの男を、少なくともわたしは必要としない。(心配しなくていい、誰かがその男を必要とする可能性は十分にあり、世界人口のなかのたった一人である私があまりいらないと言っているだけのことだ)

この伝でいくと「あほな女」には自分に対して過大評価する姿勢は少ないように思う。
もしそういう女がいれば、それをわたしは「小賢しい女」と呼ぶ。
というわけで「あほな男」と「小賢しい女」よく似合う。(同じジャンルだからね)

さて,件の若者と出会った飲み屋の近くには「Ozeki」というスーパーがあるのだが、このスーパーのレジにはなかなか魅力的な若い娘がいる。
この場合「魅力的」は、はなはだ「けなげ」(子どもや弱いものが一生懸命に何かをしているときの様)に近い。
この「けなげ」のニュアンスも「あほな」には入っている。
う~ン、ここまでくると 、わたしの使う「あほな」は魔法の壷のようなもので、限りなくいろいろな意味合いが入っているようで困ってしまう。

「あほな」というのは,中身の入っていない身体や頭をもっていて,しかも何かをそのなかに取り入れるのにやぶさかではない、そんな感じに思えてくる。
ウン、まことにもっていい女ではないか.

というわけで「あほな女」にはもてるということはとんでもない賛辞だったことになる。
何しろ,わたしのお気に入りの若いレジ係の娘に私は声をかけるすべがないからだ。
声をかければ,間違いなく変質者と思われるであろう。

おっさんが変質者と思われずに声をかけるには、変質者ではない証明が必要だ。
その証明を手に入れられれば、私も「あほな女」とつきあえる幸運に浴するのだが、こいつが大変なのだよ。

なるほど、「あほな女」とつきあえる道はかくのごとく遠く厳しいのか。

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同じ三万人なのだが

日本の自殺者は公式発表の段階でここ数年三万人を越えている。
アメリカの銃による死亡者も三万人を越えるという。
こちらのほうは、20年以上もこの数は続いていると言うが、どちらにしても悲惨な数字だ。

毎日百人近い人が自殺する国と銃で命を奪われる国。

この国たちはどこに行こうとしているのだろうか。

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2008年4月12日土曜日

見えては消え、消えては見え


何のかんのと思いをめぐらせていると、急に見え出してくることがあったり、ああ、あれは考えが浅かったと思うこともしきりなり。

このブログは書いた時点ではおそらくはこうだろうと思うことを定着させているものだから、時間を経て間違いや浅さに気づくこともままある。
それを一つひとつ取り上げて誠実に訂正を告知していないことをここに詫びておかなければならない。

第66期名人戦は森内名人の先勝で開幕した。
羽生の異常とも思える前のめりの8六飛車が今後の展開を匂わせた一局であった。

さておき

この一局を放映したNHKの在り様はやはり哀しいほどお粗末であった。
ただ、解説の藤井猛、木村一基、佐藤康光がプロの在り様を示してくれていたのはありがたかった。
問題は進行役のアナウンサーがどうでもいいことをよくしゃべるのだ。
ああいうものは(プロの対局姿)黙って映しておけばいいのだ。

と思っていたのだが、どうもこの考えはうわすべりのものだったらしい。
NHKは視聴者を慮ってくれていたのだ。
だから、親切にああだこうだとおしゃべりしてくれていたのだ。
「羽生の姿勢や顔から何が読み取れるか」などという愚問をよく佐藤康光に投げかけられるものだと思うが、あれも親切だったのだろう。
佐藤が「対局中相手を観察しているわけではありませんから」とにこやかに返したのは特記すべきことだ。

NHKだけでなくテレビというものは視聴率を気にするものでそのため多くの人が納得してくれる番組作りをする。
端的に言えば、テレビを見てくれるであろう人に媚びる。

「テレビを見てくれるであろう人」とはだれか。

それは、メディアリテラシーの限りなくゼロに近い人たちだ。
テレビが対象としているのは、右も左もわからない人と考えればいい。
そういう人たちにわかりやすい番組を作る。(もちろん、例外は大いにありますから、あれはどうだ、これはどうだと疑問をおもちにならないように。あなたの評価した番組は立派な番組だと思います)

久本雅美は馬鹿だからガハハと笑い、手をたたいているわけではない。
そうすることで、彼女が面白がっていることを視聴者にわからせてくれているのだ、おやさしいことに。

ただこれは、一般的な番組には通じるが、第66期名人戦を視聴する人間は一般的な人間ではないところに瑕疵が生じる。
それでもここまで考えてみると、将棋に対してある種特別な思い入れのある人間を子ども扱いするのはやはり解せないものの、子ども扱いしてしまう理由もわからないわけではない。
かくのごとき視聴者のイメージしか彼らにはないのだから。(なくなりつつあるのだから)

「あの空をおぼえている」という映画を昨日見た。
驚くべきことにこの映画もまた、観客を子ども扱いしていた。
そして、それがまんざら間違いではなかったことには、あちこちですすり泣きが聞こえてきたことでわかった。

これらのこと(受け取り手を子ども扱いすること)が、平和な日本がもたらしたことだとはいえ(戦場では子どもでさえ子どものままではいられない)、それがとても幸せな土壌に乗っかってのことだとはいえ、世も末に近いのは疑いようはない。

お互い、志高い作品を仕上げていこうではないか。
そういう作品が必要とされる時代はもうすでに始まっているような気がする。

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2008年4月11日金曜日

一九九七年十二月三十一日

先のブログに書いたようなわけで、わたしが1997年の紅白でちあきなおみが歌った「夜へ急ぐ人」へたどり着くのも当然の成り行きだった。

この映像は「You Tube」でご覧になれるが、テレビの限界を超えている。
茶の間にそぐわないのだ。
いまではテレビはさらに凋落し、子ども相手にあるいは子どものごとき連中相手に番組を作っている。

わたしはこの歌を彼女が歌ったときの社会の反応を知らないが、表立っては別として大きな反応があったはずだ。

それは異物だった。
しかも大きな異物であり、そのことを知っていたちあきなおみがなぜ紅白の舞台で歌ったかをわたしは知らない。
しかし、あのころにはまだテレビの先行きを心配する人が少なからずいただろうことはわかる。

「夜へ急ぐ人」は友川かずきがちあきなおみに捧げた曲であり、この曲を歌いこなす人はあのころもいまもちあきなおみ以外にはいない。
そして、「夜へ急ぐ人」を歌ったちあきなおみは特別なちあきなおみで、それ以外のとき、彼女もまたテレビ用の顔をしていた。
つまり、テレビ化された定型の範疇にあったということだ。

そして、この「テレビ化された定型の範疇にいようという常識」はこの社会に瀰漫しており、それが、この世の異物を住みにくくしていることになる。
しかしながら、煎じ詰めてみれば人はそれぞれがもともと他者に対しての異物でしかなかった。

というわけで、写し撮ったこの状況が人がこの世に住みにくい一面とになる。

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いつだったろう、京都の街角で

むかし京都の街角で知人に出くわしたことがあった。
何の変哲もないよくある話だ。
さらにこの話はねじれていて、その男に知人だと思って声をかけると、人違いだと言うのだ。
そして
「人違いだが、ボクはキミのことをよく知っている」
と続けた。
それからしばらく話したはずだが、そのあとの話の内容はよく覚えていない。

つい最近、それと同じ感覚が襲った。
友人が「友川かずき」のCDをプレゼントしてくれたのだが、わたしはこのときまで「友川かずき」と「友部正人」をdifferentiateできていなかったのだ。
この遠く離れたふたつのものがごちゃごちゃになっていたのだ。
だから、わたしの人生途上にはじめて「友川かずき」は登場することになる。

そうか、これが「友川かずき」か。

そうか、これが「友川かずき」か。

「友川かずき」を何度か聴きながらそう何夜も思った。

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2008年4月10日木曜日

催花雨とイエペスの開放弦

名優の誉れ高いサラ・ベルナールはレストランメニューを読み上げるだけで、同席した人々の涙を引き出したたというまことしやかな作り話が巷間はびこっているが、まあ、そういうことなのだろう、サラ・ベルナールという名優の本質は。

「ナルシソ・イエペスなら開放弦を爪弾いてもわかる」
と言ったのは、池袋の西口と東口を結ぶ小汚い地下道に座り込んでギターを弾いていた兄ちゃんだったが、彼以外の路上クラシックギターライブには出会ったことがない。

金を溜め込んで、スペインに行くと言っていたあの青年はいまはどうしているのだろう。
すでに声だけしか記憶にない青年だが、庭先の催花雨のなかに漂う緑を眺めながら、そんなことを思い出した。
幸せな会話を彼としたように思う。
もうずいぶん前のことだ。

「芸術は神のほほえみである」はイエペスのよく口にしたコトバだが、彼の和音を押さえぬ開放弦もまた「ほほえみ」をもたらしたのだろうか。
私には、彼の開放弦を聞くすべはない。

10弦ギターで世界各地を演奏活動したイエペスを深く愛した青年を思い出す雨の日の物思いであった。

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紫陽花の みどり、色恋う 春の雨

高田博厚氏の文章(高田博圧著作集)を読んでいて教えられることが多かった。

「ある青年に答えて」のなかで
「経験や年齢から語られた言葉が魂を慰め得ない時を、私も知っている。」
とあるが、青年ばかりではないかもしれない。

なるほど、ひとは「結論だけ」を欲しているとは限らない。
たとえ、その結論が至極穏当なものであったとしても、なんとも納得のできない、腑に落ちない一瞬がある。
乱暴に言えば、「結論」ではなく「結論に到る道筋であなたが見たもの聞いたもの嗅いだもの」を知りたい欲求があり、それに触れてはいない答に、それがどのように正しくあったとしても肯けぬ自分を感じることがあるのだ。

そういうことをもう一度思い出させてくれる文章が高田氏の中にある。
また、あるところころではロマン・ロランやガンジーとスイスで過ごした一週間の後、パリへ戻った話を書いている。
そのとき、かれは行く先のない互いへの愛情を持ちあう女の元へ戻るのだが、久しぶりの(そして以前とは違う)彼女との朝餉が、彼ら(ロランやガンジー)と過ごした一週間と同じ重さで自分の中にあることをしみじみと回想している。

手探りで生きてきたものが触れた一瞬であったのだろう。

高田博厚氏を私に教えた人に深く感謝する。

春は三日に一度雨が降るというが、今も庭先には小粒の雨が浮かんでいる。
幸せになってほしいものだ。

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それでも手探りするわたしなのだ

水曜日は主治医の田中先生とわたしのアルコールのことやココロのことを話し合っていた。

十日ほど前に二日だけアルコールを口にしたのだが、そのときの落ち込みは我が人生初めての千尋の谷であった。
獅子はこんな谷へ我が子を落とすのか、非情じゃのう…

この落ち込みについて、それが何よりアルコール依存症の証拠であると田中先生はのたまわった。

「よくよく注意しないと連続飲酒に落ちいるであろう」
かしこみかしこみ申しおきそうろう、ポテチン。

なるほど、瀬戸際かいな、とわたしは思った。
瀬戸際になると、絶対に呑まないか、呑めば連続飲酒の地獄への道が待っているかということであるのだが、わたしはなるほどと思いながら、「いや、しかし別の道はあるのだろう」とも思っていた。

自在の視点転換は「トリックスター」の存在価値ではないか。

というわけで、わたしと酒の旅はこれからも続くが、今後基本的に酒は飲まない。
ということだから、わたしが飲むのは特殊な例外に限られる。
その例外がどのように訪れるのかわたしにも楽しみである。

そのとき、わたしに奇跡のように第三の「アルコールとの共存の道」は現われるのだろうか。
ま、手探りでやってみるしかあるまい。
わたしは、学説を体現するために生きているのではないのだから、身を尽くして納得しなければ何ものをも排斥する。(そういう偏屈なところがある)
そのくせやけに慎重なのは、自分自身もそれほど信じていないからだ。

しかしながらご同輩、何かを無批判に信じてしまい、己自らの手による手探りをやめるなどという愚はお互いしたくないものではないか。

おろかでも己が足で歩きたいものじゃのう。

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2008年4月8日火曜日

聖火ランナー


聖火ランナーに対する妨害が続いている。
妨害の原因は中国のチベットに対する「あれ」である。

一方、中国への批判は良しとしても「オリンピック」に政治を持ち込まないでほしいという議論もある。

しかし、果たして「オリンピック」は政治的ではないか。
限定して北京オリンピックに関してはどうだろうか、中国はオリンピックを政治的に利用していると言えはしないか。

この問に対する答えは、みなさんにお任せします。

わたしの発言は、なんらの検討もなく「オリンピック」を非政治的なものとするあなたの前提は、磐石なものだろうかという疑問である。

なぜ国家は「オリンピック」を招致しようとするのか。
そして、「オリンピック」の招致は、なぜにその国の経済発展と密接な関係があるのか。
それと谷亮子がなぜオリンピック代表になったのか。(ちょっと関係あるよね)

チベット問題と「北京オリンピック」はそんなにも遠いお話なのか。

日本での聖火ランナーは何の問題もなく過ぎ行くだろう。

以下は、単なるクイズとして読んでほしい。(幼稚な今回のブログの締めです)

聖火ランナーを止めるならば有効な方法はある。
しかし、それはきわめて悪質な犯罪だし、その解決がチベット問題を好転させるとは思えない。
だから、聖火は止められるが、そういう事態は起こってほしくない。

ロンドンでは、水をかけて聖火を消そうとした。
「水」ではだめだったのだ、「ガソリン」でなければ、そうすれば混乱のなか聖火は消さざるを得ない。
(あくまでもクイズの解答だと思ってほしい)

聖火ランナーに対しての妨害は平和的でなければならない。
止めることはそこまで絶対の要請ではない。

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2008年4月7日月曜日

王妃の紋章


故あって「王妃の紋章」を厚生年金会館へ見にいく。
平日の16時開映という時間帯であったが、広い会場は満杯。
評判の映画の試写会はこのようになる。

しかし、作品が支持されていたとしても作品の良し悪しとは別だ。(作品の良し悪し? ご指摘のとおりここは難しい)
この「王妃の紋章」、金は大いにかけたが、そしてかけたことは十分にわからせてくれたが、金を出してこの映画を見ようとする人間に「どうかね」とたずねられたら、「見んでもいいだろう」とわたしは答える。

大人数の場面(なんとか言うんだったよな)や衣装の華麗さ、セットのすさまじき豪華さ(シーンとしてすぐれているのかどうかは別として)を観たければ十分に堪能できる。
しかし、それだけのことで、この映像になぜこれだけ金をかけるのかはわかりづらい。

監督のチャン・イーモウは北京オリンピックの総合演出も務めるが、なにやらそのことを思うと興ざめもする。
まあ、見なくていい映画だよ。

では、見てしまったわたしにとってどうかといえば、それは見たは見ただけの価値がある。
どんないやなものでも見ないより見たほうがいいというのがわたしの主義だ。

けれどこの映画、観後感が残る。
その観後感があまりすっきりとしない恨みがある。

そのためかどうか、わたしは久しぶりに「吉野家」の牛丼を食べ、さらには「須賀敦子」の文藝特集号を買ってしまった。
ほんとうは、ある詩人の最近出した評論(詩論集)を買おうかと思っていたのだが、そういう気分にはなれなかった。

こういうときは須賀さんだなと思い購入した。
そう思われた須賀さんはいささか迷惑だったと思う。

「王妃の紋章」(!?) 
まさに、超大作です。

そういえば、いっとき大作づいたチャールトン・ヘストンが亡くなったね。

この感想、好みといえば、そう好み、単なるわたしの個人的好みとして読んでもらえばいいだけの話である。

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男はみんな「すけべ」である


「男はみんな『すけべ』である」あるいは「女もみんな『すけべ』である」
こういったコトバを聞くと頭が痛くなる。

「もう少し年を取ればわかるよ」
「社会は甘かないよ」
「いやなら出ておいき」

似たような匂いがする。
あまり考えてはいないのだ、自分の言ったことについて。

ご多分にもれずにわたしもまた「すけべ」である。
しかしねえ、これだけははっきり言っておくが、「男はみんな『すけべ』である」あるいは「女もみんな『すけべ』である」と無批判にしゃべることのできるお前の「すけべ」とは違う。

問題は、どう「すけべ」かなのだ。

「すけべ」が直截的過ぎれば「ある性的な情愛」とでも言い換えてみようか。
問題とするのはおれの「すけべさ」がどうあるかでああって、「すけべ」とひと括りしたところで何も出てきやしない。

「男はみんな『すけべ』である」あるいは「女もみんな『すけべ』である」

は、何も言っていないのと同じほど「ぼんやりとした物言い」なのだ。
何ものかを考えている人間はそんな言い方をするはずはない。

「私の祖国は世界です」(玄順恵著)には小田実の情愛が垣間見られる。
もちろんこの本の本意はそんなところにはないのだからうがった読み方である。
しかし、読者にはそんな読み方も許されている。(書き手はいつもせつないのだ)

小田氏と玄氏もまた「すけべ」であったろう。
しかし、彼らの情愛はこんなにはるか遠くまで彼らを運んだ。(それがよかったにしろ悪かったにしろ)
あなたの「ある性的な情愛」はあなたたちをどこまで運んでくれるのだろうか。

人は沖縄に行くことはできる。
さて、それからだ。

あなたの問題はそんなふうにあなたの周りにごろんと転がっている。

ぼんやりしたコトバを捨て去ることはときにそのコトバの使い手に勇気を要求する。

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2008年4月6日日曜日

榎洋之vs.粟生隆寛


本日深夜のボクシングはせつなかった。
専門家ではないから詳しくは語れないが、粟生のカウンターを恐れ、榎は得意の右ジャブからもう一歩踏み込めないまま12Rが経過して引き分けと終った。
この試合が世界戦挑戦者の決定をかねたものであったことが、せつなさをさらに誘った。

さて、わたしはこの日、変則的な睡眠をとり22時ころに起きたのだが、それから、「月蝕書簡」を読み上げた。
今年の2月28日に発行された寺山修司未発表歌集である。
ノートに書き取りながらの読書はわたしの心に平安を与えることを思いながら読書を終えたわたしだが、その後にこのプロボクシングを見たのだった。

眠りが人を活性化させるというのは、あるうつ病経験者の経験則だが、それはわたしにも十分にあてはまり、確かに睡眠後は自分の内部に元気を感じる。

眠ることは、ほとほと大事なことであった。

さて、ある男と「父親」という存在に関して軽いジャブの応戦のような会話をしていたので、その寺山の歌集から「父親」を歌ったものを書き抜いておきたい。


父親になれざりしかな遠沖を泳ぐ老犬しばらく見つむ
わが内に一人の父が帰りくる夜のテレビの無人飛行機
父といてチチハルかなり春の夜のテレビに映る無人飛行機
霧の中よいたる父が頬を突くひとさし指の怪人として
父恋し月光の町過ぐるときものみな影となるオートバイ
地の果てに燃ゆる竈をたずねつつ父ともなれぬわが冬の旅
父と寝て目をあけている暗黒やたった一語の遊星さがし
母と寝ててのひらで月かくしてみる父亡きあとの初の月蝕
父親になれざれしかば曇日の書斎に犀を幻想するなり
亡き父の靴のサイズを知る男月蝕の夜に帰りくるなり

寺山における、もっと広く言えば前衛的短歌運動における<私>の問題は大きなポイントを占める。
そんなことを知っていなくても、上の十首にわたる歌の中に登場する「父親」「父」が固定されたものでないことは読めるだろう。

父はあるときは書いてである寺山の「私」であり、寺山の夢想する「父」であり、半分現実の含まれた「父」であり、さまざまな主体に変じている。
そこには、「父」と「わたし」や、「父でいるわたし、あるいは父になれなかったわたし」と「息子」という固定された関係性が詠われているわけではない。
この「父」は連続性から解放されている。

「父親になれなかった」わたしと、その父を思う「わたし」が同時に語られていたりする。

ジャブの応酬したその友人に伝えたいのだが、「父」は固定されたものでなく「息子」も固定されたものでなく、物語の中に登場するときにそのイメージはさまざまにメタモルフォーゼする。
現実もまた同じく、「父を理解しない息子」と「息子に理解されぬ父」がそこにいるだけではない。(ないのではないだろうか)
もし、そのように固定的ならば、現実を生きることがあまりにも哀しく、変わることを一切拒絶されてしまっているのではないか。(ほんとうにそうだろうか)

しかし、あなたはこう言うかもしれない。
「そうだよ、この現実ですべては否定されてしまっているのだ」と。

「わたしが息子」であったり「息子がわたし」であったり、そういった混線が生み出すあるまとまりのつかない関係性があるのではないのだろうか。

そのときに「父親になれなかったわたし」は「父親を承認しない息子」にいつの日にか語る言葉は生じるのだろうか。
いずれにしろ、しあわせなお話ではないのだが、収まりはついていないのも確かだろう。

そんなことを思っていると、東洋太平洋チャンピョンである榎の呆けたような顔を思い出す。

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2008年4月5日土曜日

今年の花見はこれで終わりだろうか

花見を誘われたが、急ぎの仕事があるのと、気分はうちへうちへと向かいおり、せっかくの誘いを無にしたのです。
一進一退といったところでしょうか。

何か置き去りにしている気分で、晴れることがありません。
もともと晴れる必要もないのかもしれません。

そういえば、この四月あたりから気分の落ち込む人がボツボツ出てきますが、みなさまは大丈夫でしょうか。
私見ではありますが、人は春とか秋の気候がいいときに落ち込むことが多いようで、夏冬といった過激な季節には少ないように思います。

南米のジャングルや、シベリアのツンドラ地帯で落ち込んだ人間というのはイメージしにくいのですが、おそらくいるにはいるのでしょうから、どんなふうにあるのか興味があります、同好の士として。(同好の士ではないのですが、桑田真澄ではないが「友よ」と呼びかけたくもなる)

うだるような暑さやウオッカをあおる姿が落ち込んでいく自分と対峙してあるバランスをとっているのでしょうか。

どうも、妙な文章しか書けずに申し訳ない。
しばらくお待ちください。

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2008年4月4日金曜日

HITMAN


ラジオを流していると、大竹まことが、吉本の芸人は話し終わった後、まったくの印象を残さずに去っていく、「あれはさすがだなあ」とほめていた。
このポイントはなかなかに鋭く、わたしはまったくもって気づいていなかった。

何も残さずに終る。
過ぎ去るように終る、香りも残さず水も濁さず、印象も残さない。
まさに環境音楽・環境映像のきわみか。

この時代の最もありうべき姿かもしれない。

もう昨夜になってしまっが、わたしの見た「HITMAN」も何も残さなかった。
あれは今どきのいい映画ではないだろうか。

ただ、オルガ・キュリレンコの頬の上に彫られた黒いトカゲの入墨、あれだけは印象に残るか。
それでも美輪明宏主演、演出よりは上かもしれないな、そんなくらい何も残らなかった。

わたしも「何も残らなかった」ことで映画をほめられるようになったか。
いいような悪いような。

しかし、何も残らないというのは、単に軽いだけのものではないような気もするのだが、このあたりはしばらくは課題だな。

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2008年4月3日木曜日

発するコトバは浮かばず

発するコトバとてなく、それでもと昨日は「中国語」を習いに行き、帰ってしこしこと仕事をこなし、ときに世間様に恥ずかしく思い、思ったとたん「世間様」がどこにいるかも知らないことを思い知らされ、 さりとても…。

あれほどの不眠をかこっていたわたしが、驚くほど眠れる。
常用している睡眠剤がさらに体質に合ってきたのか、息子のくれた「茘枝紅茶」が無類の力を発揮するのか。
眠るだけが救いの生活だ。
その眠りは懐かしくさえある。

なんとかこうは書いているが、いくらかの助けにはなっているのだろうか。
さらに力を振り絞り、これから外へ行き作業をこなし、さらに夜には映画を一本見ようと思ってはいるが、それだとて、いかなる気配になるものやら。

わたしのうつ病気質は「うつ病」へ移行したというのか。
あの二日間の酒がこれほど大きな効果を持つ酒だったというのか。
このことは、来週主治医の田中さんと話してみるとしよう。

とにかく、申し訳ないことに、いまこの瞬間に限定してわたしは精神を崩してしまっています。

どういうふうに展開していくのかは、わたしにもわかりませんが、
過ぎ行くのを待つばかりです。
一冊の本を手に取ることができるようになるまで。

ふと思えば、そんなにひどい状態ではなく断酒状態が精神を保つのによすぎたのかもしれません。
その比較のもとに大きく考えすぎているのかもしれない。

うつの時も、うまくネタにしたいものです。

みなさんは、愉快にやっていますか。

 

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2008年4月2日水曜日

五週間の断酒で身体が変わっており

酒をやめれば身体は変わる。
身体のついでに精神も変わり、久々の酒で、身体も精神もあちこちにガタがきている。

酒を呑んだのは、土日だから、月火が「ガタ」のピークか。
月曜からの断酒は、今度はさらに長く続くのだろうが、自分がどこへ行こうとしているのかもわからない。

月曜は、かねてよりの予定の「NAKBA」を観る。
まったく知らなかったことを映画に教えてもらう。
それは、松前藩のアイヌへの扱いもそうだったし、南米移民(棄民と称する)に対する日本政府の扱いもそうだったように、それまでわたしの知らないことだった。

(そういえば、わたしのように日本に対して文句をいっている人間は日本から出て行けとおっしゃる方がいるようだが、わたしは日本に文句をいっているのではない。抑圧するものに対して抑圧されている側から文句を言っている。しかし、そういう微妙なところが判らぬ人間たちもいて、かれらはカポーのように振舞う。南米棄民がどんな状態であったか知っておいたほうがいい。そして、日本から出て行けとはどういう意味か良く考えてしゃべったほうがいい。抑圧されたものの立場に一度もなることなく死んでいく人間もいれば、抑圧する側の腰ぎんちゃくとして一生を過ごすものもいる。われわれはどうするのかが残された問題で、そのことは静かに自分の身のうちに置いておくことにしよう)

続ける。
わたしは花岡事件も知らなかったし、ベトナムの中部山岳地帯の人々がどう扱われたかも知らなかった、インドネシアで起こった宗教戦争も知らない。
多くの知らないことはいつの間にか為政者によって書き換えられ、隠されていく。
とどのつまりの言いようは「いやなら出て行け」ということになる。

「出て行け」というやつらに対して殺意を持つこともある。
したがって、テロの気持ちがわからないではない。
また、ブッシュがイラク侵攻のためにビンラディンとウラで手を組んでいる話を聞けば、そうかもしれんなとも思う。

「NAKBA」を見るまで知らないことがあった。
抑圧する側と抑圧される側はどこにでも生じる。
「NAKBA]では、ユダヤ人が抑圧する側だった。
ホロコーストでは逆だった。
そして、アメリカ人にもいろいろのようにユダヤ人もいろいろいることを知る。
共時的にも通時的にもだ。
そういう細かいところに話はある。
激したかのように論調が流れるのはいくつかの細やかな議論をわたしがあえて捨て去って、書いているからだ。(書いても書かなくてもいいように)

あなたの家庭で、あなたは抑圧される側に立っているかのようだ。
だから、あなたの側にわたしは立つ。
いずれあなたも言われるかもしれない。
「そんなにいやなら、身ひとつで出て行けばいい」

ときに、わたしは、なにかを、知ったことで、すこしは、前進したのか。
知らない事が恥ずべきことである、そういう事実は存在していたのか。

自分の無知を棚上げするな。
自分の無知と向かい合い、少しでも進んでいきたい。
正義のためでなく、愉快であるために。
そう願っていてもいいのだろうか。

夕べ「NAKBA」を見た。
今朝、中国語を習った。
午後から夜にかけて、大量の仕事と一通の詫びの手紙を書く。

わたしは、どこに行こうとしているのか。
それは、進んでいると言っていい方向なのだろうか。

ただ陽光の差し込む縁側で、あなたとふたりで番茶を飲むことはできるのか。
そのとき、われわれのそばには、手作りの桜餅はあるか。
さわさわと木々の葉は風のあることを教えてくれているのか。

鬱がすこし回復していこうとする午後、ひとりこのブログを書いている。

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2008年4月1日火曜日

断酒も五週間を過ぎて…

断酒も五週間を過ぎると慣れが来るもので、ちょいとばかりと思ったのが間違いのはじまりであった。
このところ、私自身を別とすれば、もっとも心配をしているK氏とバイオリンコンサートに行った帰り、帰りといっても途中休憩でこんなもんだろうと二人で抜け出したのであったのだが、その足で新宿に向かった。

ああだこうだと思いながら、「隋園別館」にたどり着いたのは珍しく正解で、いい酒と話ができた。
いい話ではあったが、なんらの解決策もないような話で、(といっても一点突破の作戦はかろうじてあるのだが、こいつは達成に難しい。ある夫妻によくよく相談されたしと、下駄を預ける格好になってしまったのはわたしに出来るせいぜいのところであった。)
二、三ヵ月後にいい話が聞ければいいが、そうは問屋が卸さないか。

わたしの断酒は、肉体的なものではなくて、精神的なものにそのとっかかりがあったのだが、それをようやく思い出させる今日の朝であった。
思い出したくもないあの気分が波状的に襲いかかり、強烈な欝にさいなまれている。
この欝はもうすでに昨夜あたりから始まり、大切な約束を反故にもしているが、「鬱」が原因だと言っても十分には信じてはもらえまい。
見た目に変わったところはないのだから、困ったものだ。
「鬱」のときは、顔面に髑髏マークでも浮かびだしてくれれば、信憑性も勝るのだろうが。

それでも今日は映画の日で一本だけのぞいてみたい映画がある。
さきほどレキソタンとセシリンを呑んだので、多少は動けそうな感じはあるが、厳しいかと問われれば、なるほどいまだに厳しいうつ状態で、できればこのままじっとしていたいものだ。

わたしの断酒がうつ病に端を発していることをようやく深刻に思い出した。
(人はなんにでも慣れ、忘れる。のんきなもんだ。)

そののんきさが、精神のバランスをぐらぐらと揺らせている。
時が過ぎればほぼ正常に戻っていくのだが、「時が過ぎる」のを待つのはつらい。
かといってアルコールを口にすれば、状況は急転直下に変わるが、本質的な解決にはならない。
酔いが冷めれば輪をかけた地獄だし、今度はアルコール依存症がてぐすね引いて待っている。

これで、多少とも世に認められている実績があればいいのだが。
浮浪者といささかも変わるところはない。
矜持さえないかもしれない。
とくに今の状態では。

ここしばらくを切り抜けて、「原発性アルデストロン症」の治療を細君にお願いして、新たなる明日を作り出すとしようか。
カッコをつけているようだが、カッコどころではない。
ほかには、解決策がない、つまりは万策尽きた我が人生といったところなのだ。

しばらくブログを休み、大変失礼をしました。
また、お付き合いください。

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