2012年3月1日木曜日

永遠の0


いくつかのことを教えられた。
登場人物のいくつもの人生が解き明かされ、重なっていく。

この時代の持つ決定的な日本の駄目さ加減が、今の時代にもしっかり引き継がれている。
そのことに思いがいたるとき、愕然としてしまう。

まさに現在への警告としても「永遠の0」は成立している。
いい小説だと思う。

一読を。

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2012年2月19日日曜日

冬の犬


たとえば、このような短編が心にすとんと落ちることがある。
けれども、お勧めはできない。

ロックであろうが、漫画であろうが、歌舞伎であろうが、…であろうが、なんにしろ受け手に何かを要求してくる。
その要求がものによって違う。
テレビの受け手への要求はほぼないに等しい。

「冬の犬」は、どうだろう。
いいものに出会ったり、いい人に出会うには何かを飛び越えなければならない。
もしかしたら、その飛び越えるものは、飛び越えずにいたほうがよかったかもしれない。

あなたによい出会いがあることをお祈りします。

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2012年2月13日月曜日

土の中の子供


筋のある小説とない小説。

小説には必ず筋が必要かといえば、そういうことはなく筋がなくとも何かを表現は出来るし、筋がかえって邪魔になることもある。
けれども残念ながら筋がなければ、読者はなかなかついてきてくれないというのが本当のところだ。

西村賢太の作品などは、筋はさほどないといってもよかろうが、その分工夫はしている。

名作として名高い「町の踊り場」などになると古いものだし、どこが面白いのかよくわからないが文章を使って表現したものとしての完成度は感じる。

「土の中の子供」はどうだろう。

中村さんがここまで生き残っていることを考えれば、何かがあるのは間違いない。
けれど、面白いと人に薦める類の本ではない。

本は、面白さのためにだけあるのではないということだ。
でないと東野圭吾の一人勝ちになってしまいそうだし…

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2012年2月5日日曜日

老いてさえもなお

何かに執着することが望ましく思える。
(何にも執着せず、悠々自適に生きていくのはある種の達人のなせる業で、まあ本人がそう思っていなくてもそういうもので、そのことを論ずることは残念ながらわたしには出来ない)

何かに執着し、そのことを自分で行ってみるというのが、いまわたしの思う、人のあり方の上等のものです。

毎度毎度で恐縮ですが、噺家などを追っているとますますその思いが強くなります。
いまの時代は、才ある落語家が多く、彼らはよくお稽古をなさっております。
師匠に学び、それを真似し、さらには自分の噺を作る。
こういった一連の作業は、落語ばかりではなく何事においてもそうでしょう。

そういう意味で何かに執着し、自分を生きていく姿をもって、いまのわたしはよしとします。

であるからには、やはり、次の一作を書く気がなくなったその後の小説家の人生はなかなかに暗い。
先生、おっしゃるとおりだと思います。

先生の新しい作品をいつまでもお待ちしています。

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2011年12月21日水曜日

天地明察


たまたま生きているだけのこと。
この作品のように何かに呆けてみたいものですねえ。

あるいはぼんやりと生きてみたいものです。

いまの日本は、つまらぬ価値を作り上げその価値構造をしっちゃかめっちゃかにし、わたしたちからぼんやりと永らえ生きる権利を奪い去っていった。

原発事故が収拾したや、国民のために何やかやと言ったりはしているが、もう何も見えてはいません。

人は、成り行きでぼんやりと生きられることが許されてもよかったのです。

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2011年10月27日木曜日

寒灯


わたくしごとがなぜ他人が読むところまで昇っていくのかはわからないが、内容似関係なく読ませるものになっているところがある。
人とは、こんなものなのかもしれない。

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2011年10月13日木曜日

よき仲間を作ってください

人はそれぞれがそれぞれの理由(わけ)を持って生きています。
その理由は単純なほうがいいのですが、致し方なく複雑な理由を持ってしまう人種がいます。
この複雑な理由をもつ人種はそうそう人に理解はされません。
多くの人々は勝手な自分に有利な理解をあなたに当てはめようとします。
それが世の習いです。

複雑に生きている人は自分を丸がかえしてくれる人を大切にしてください。
それだけが生きるよすがです。

他人を解釈する人間にろくな奴はおりません。
人は人を、ただ、わけもなく大切にしてあげればいいだけです。

そういうわけで、他者を批判する人を決して信じてはいけません。

「いねむり先生」に書かれる関係はそういう風に眺められます。

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2011年8月12日金曜日

苦役列車


映画にしてもそうだけれど書籍もどこかで読んだ気分が必ず読んでいる自分の中に漂っている。
この作品に接したときもそうだったが、それは、藤澤清造作品の感触にどこか似ているからかもしれない。
この作品は、人間のつまらなさを描いている作品で、私小説の一種です。

信用できるかどうかが作品としての価値に関係するならもっとも基本的なところで信用できるかもしれない作品です。

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2011年8月10日水曜日

ほかならぬ人へ


というわけで(前ブログ参照)、小説を読んだりするのだが、こういう小説も読んでみた。
このところ、そうか、とどこかに響く作品に出会わない。
問題はわたしにあるのだろうな。

ただし、「ほかならぬ人へ」のなかで東海の匂いを作品に埋め込んだ作者の感覚には小説を感じた。
こういうところに振り回されていてはいかんかな。

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2011年8月4日木曜日

民宿雪国


よくできたエンターテイメントなれどわたしの心、大きくは揺れず。
知らぬ間にわたし自身の生命力が失われているのかもしれない。

原発事故を追いすぎたせいか。

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2011年7月12日火曜日

深川安楽亭


この小説は長さからいけば、短編ということになるが、そこにはいくつものことが書きこまれている。
たいてい短編小説はひとつのことを書き込んでしまうほうがいいとしたものだが、一場面ものとして名高いこの作品ではいくつもの出来事が起こりながらそれが重層的にひとつのテーマに流れ込んでいく結構になっている。

山本周五郎さんは達者なものだなあということと藤沢周平がこの人の作品をあまり読んでいない理由もなにやらわかる気がした。

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2011年7月8日金曜日

短編三作

色川武大さんのエッセイを読んでいたら短編三作として以下のものを挙げておられた。
最も思いついた順に並べただけと書き添えてあって、この種のベスト10だのべスト3などの胡散臭さを思っていたわたしは、色川さんにもそんなところがあったのかと、ほっとしたりしました。

曰く、
W.フォークナー「納屋は燃える」
グレアム・グリーン「破壊者」
石川淳「焼跡のイエス」

ところで、これらを読んでみてもわたしにはしっくりこないのです。
なんとなくいいのだろうなという雰囲気はわかるのですが、直接には響かないのです。

小説読みとしての力量をきっぱりと見切られたようで、なんとなくすっきりした気分もあり、悪い気はしなかったのですが、ふむふむと納得の気分が広がっていったのです。

しっかりと、小説を読む目を育てたいものです。

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2011年6月26日日曜日

淡雪記


このところ、日常の暇を拾っては読み残しの馳星周を読んでいるのですが(わたしは、暇なんだねえ)、それもこの作品で打ち終わりで、これからは、八代目桂文楽をしばらく楽しみながら、藤沢周平さんを読もうかと思っています。(やはり、呆けておりますね)

この作品は、馳さん最新のものですが、彼があれやこれやと考えているのがわかります。
自分の色を変えることは大変です。

そもそも、色を持つこと自体ができた人がどれほどいるのか、翻って、色をもつことはそれほど大切なことか、色々な思いが読みながら過ぎ去っていきます。

いまの「色」についてのわたしの思いは、人はそれぞれに「色」はあるけれど、定着した「色」をもつ人はなかなかおらず、「色」を抜け出す努力は、この手の人の問題なのだろうなあというところです。

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2011年6月19日日曜日

焼け跡のイエス


こういう小説を読むと作家と作品の緊張した関係が感じられ、字面をしっかり追わざるを得ない。
この作品は、ご存知のように構想の出来上がったものをそのまま書き上げたものではなく、書くという行為の中で作品を仕上げていく緊張感にあふれている。

石川さんの思いが、わたしのような者にも、うっすらとわかるところがうれしい。

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2011年6月18日土曜日

エウスカディ


馳星周は「不夜城」シリーズ以降、これはというものを書いていないのではなかろうか。
「ダークムーン」が、そのなかでもか…
「不夜城」が大きすぎたから…

本作品は、ミステリー仕立てで、よく書き込まれているが、ミステリーをよく読んでいる人間なら途中で犯人はわかる。
それは仕方ないとして、犯人の動機に、わたしの想像力では届かない。
あの動機でここまでするものかとも思う。

なにぶん、遠くの国、フランスとスペインにまたがるバスク地方の話だから。
彼が作品で、自分に抗っているのがよくわかります。

二つの時間軸を駆使した手際のよさに見るべきものがあり、よく書かれた作品だと思います。

ただ、「不夜城」には、及ばない。

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2011年6月17日金曜日

煉獄の使徒


ノンフィクションノベルズといった本なのでしょうか、その中での人の動き方が、とくに、ある新興宗教の中での人の動き方が生々しくて、読むのに現実がちらちらして、いやな気分にさせます。
この作家とは長いので、読んでしまいましたが、さわやかさとは極地の本です。

そういうものの出現する時代だったのでしょうね。
あるいは、組織には、多かれ少なかれこんな部分があるということかもしれません。

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2011年6月10日金曜日

カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロという作家を論じるとき、「細部まで抑制が利いた」「入念に構成された」という言葉をよく見聞きしますが、ともに重要な小説の要素で、とくに抑制を利かすということは、とても大切で、いい作家ほど読者の心を動かそうと焦ったり、急いだりしません。

「毒蛇は急がない」

といったところです。

最近眠れぬ夜に「桜と龍」「白と黒が出会うとき」などの娯楽本を読んでいたのですが、小説として売りに出されている本は、どんな本でも抑制が利いています。
ま、抑制の利かし方の問題ですけれどね。

それで、このことは、わたしたちの日常かわす会話でも同じことで、声高に何かを主張する人間の声が届かないのはそのためです。

思い出してみれば、これは、と思う人の声は、もの静かなものです。

小出裕章さんのように…
自戒をこめてですが。

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2011年6月4日土曜日

桐島、部活やめるってよ


以前読めなかったこの本を読むことが出来ました。

三人称多視点のこの本の構成で、桐島はさほど重要な人物ではありませんが、最終章になって、やはり彼が主人公であることに遭遇してしまいます。

若書きではありますが、今の若者をよく教えてくれて、ありがたかった作品です。

ふと、この若者たちの幸せを願う気持ちが起こりました。

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2011年6月3日金曜日

大地の牙 満州国演義 6


このシリーズも六冊目。
ノモンハンから太平洋戦争に向かいます。

最初から読むと、「15年戦争」という呼称がよくわかります。
そして、現在と通じる日本のあり様も感じます。

船戸氏がこの連載(各巻書下ろしですが)を始めたときには、大震災よりずっと前、このように小説と現実が近づいてこようとは…

わたしが、この歴史小説内で敷島次郎に惹かれるのも、現在の政治を見れば、自分自身納得がいきます。
それにしても、柳絮とは、よく言ったもので、次郎の生き方のつらさを思わせます。

柳絮として生きながら、しばし柳絮としての生き方に息苦しくなる。

しかし、菅直人くんは最低だね。

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2011年5月25日水曜日

浅草のおんな


わたしは、この人の小説に弱いんだよねえ。

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とんぼ さんの投稿 投稿時: 0 件のコメント