2008年5月29日木曜日

読書という作業

漫然と読んでいるだけではいけない(いや、それでいい)。

久しぶりに本が読めるところまで身体や心が戻ってきたので(それは戻ってきただけで、またそこに佇むだけのことだが)、ポツポツ読んでいると、やけに頭に入ってこない。

頭に入らない本を読むというのは、いわゆる本を読む行為とは少しずれていて、何ものも期待しないところがある。(教養主義のことをいっている)

緑をぬらす雨を隣に長いすに寝そべって本を読む、そういう風情が合う人の読書とは、浅ましいものではなく、雨もしめやかな空気もその紙の上にある文字たちも流れていっているのだろう。
流れていっているのは、何かを捕まえようとしているのではなく、そのなかにただ我もありということなのだろう。

いずかたも水行く途中春の暮れ

妙な読書をした夕べだったが、そこに何も期待しないことができたことに感謝したい。

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マーロン・ブランド


確か彼の三番目の奥さんはタヒチ女性。
「戦艦バウンティー」での彼の相手役の女性だったと思う。

マーロン・ブランドはアメリカ女性を相手にしない男で、どこかでアングロサクソンの女とは寝ないと彼が語っていた記憶がある。
それは最初の妻アンナ・カシュフィ・ブランドの回想本「朝ご飯にブランド」のなかだったかもしれない。
アンナをインドの女だと思っていたブランドは、彼女がイギリス人だったとわかってこの女との関係を御破算にした。

ついで二番目はモヴィタというメキシコ人。
そして三番目のタヒチ人につながる。
タヒチ人の後はよくわかっていないが、マリア・クリスティナ・ルイスという人と一緒になったらしい。

どうして彼がアメリカ女が嫌いかは知らないが、わたしも嫌いだ。(わたしの知っている範囲で)
ついでに書けば、わたしは日本の女もあまり好きではない。

恋は概ね幻想から始まるから、あまりに見えすぎる(独りよがりにそう思っている)男は、自国の女に幻想を得られず、幻滅するのだろう。

どうしてこんなことを書いているかというと、朝の雨に鎌倉行きをやめてしまったいい訳である。
雨の日の鎌倉の密会はそれだけで幻想的だが、会えばその幻想もいくらかは損なわれるかもしれない。
そんな勝手な言い草を思いついたのだ。

ところで、わたしがどこの女を相手に選ぶかというと、日本人や西欧人でなく、小柄でこんな雨の日、いつまでもふとんのなかに一緒にいられる女だ。

そんな女にあったことがあるかって?

そりゃあ、あるさ。

すぐ、通り過ぎていってしまったが。

トルキスタンの女だといっていた。
弟は確かパイロットの勉強をしているとか…
遠い日の話だが、ときどき思い出す。

いい女だった…

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2008年5月28日水曜日

ラスベガスをぶっとばせ


「ラスベガスをぶっとばせ」をこの22日に見て、楽しんだ。
内容はともかく(決してだめなわけじゃないぜ)、言ってしまえばケビン・スペーシーの映画で、それだけである一定レベルまで行くところが俳優としての彼の力量だ。

その後、4日間ばかり、はちゃめちゃに生きていたので(好き放題に生きていたので)、書き忘れたのだが、そのときいっしょに映画を見た女性から手作りのマーマレードをプレゼントされたのだ。

そのマーマレードを先ほど食べたのだが、(はちゃめちゃ生活は、先ほどまで影響を残していたのだ。ほんと、いい年をして若い女を連れまわしているんじゃないよ。最年少2歳、次は12歳だぜ。どちらも飛びっきりの別嬪さんだったけどさ)これはうまかった。

実はマーマレードには二、三度挑戦しているのだが、甘みと苦味がどうもうまくいかないのだったが、こいつはうなった。

今度彼女に会ったら、秘中の秘のレシピを教えてもらい、作り上げて見せるのだ。
そして、それを初老の婦人に自慢げにあげるのだ。

いまからワクワクするな。

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日常

日常は日々送られるものだけに、あまり取りざたされなくて、その大切さも見送られがちだが、大切だよね。
人が、どのような状態でもしっかり生きていけるのは、そこになにがしかの日常あってこそで、病床六尺の中にも日常はあるし、独り者の生活のなかにも日常はある。
日常は確かにあるのだが、それを日常として確かなものにしていかなければ、日常の醍醐味は生まれない。

その醍醐味の先に、愉快な食卓が日々当たり前のように登場してくれればこんな幸せなことはない、そういつも思う。
そういつも思うのは、わたしに愉快な食卓がなく、しっかりとした日常がないからだと思う。

時に日常は、それを守るために排他性などを要求するからさらに厄介だが、多少の排他性ならば受け入れてでも日常は守るべきもののような気がする。

核家族はその排他性があまりに強くて辟易することがあるが、それでもその排他性で守れるならば日常は守っていくほうがいのかなとも思う。

人生、山あり谷あり。
いかなる状態であっても生きていくためには、しっかりした日常を作りたい。
そう思うときに、都会にある日常を疑問視してみたりもする。
そして都会の日常を中心に見ていそうな政府を疑問視したりする。

かわいい娘との生活さえあれば、そんな日常はいともたやす手の中に抱きしめられそうな気もするが、そういうわけでもなさそうだ。
手に入った日常をもっているのならば、その日常がどのようにして支えられているかは、ふと考えてみたほうがいいのだろう。

日常が、自分に平穏を与えてくれることと、それでも非日常になびきそうになる理不尽な自分の動きにはたはた困って、つらつら書いてしまったが。


あなたはどうですか。

大切な日常を大切にしていますか。

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2008年5月27日火曜日

わたしは死ぬ…

ミャンマーにも少しずつ援助が入りだしている報道があり、他人事ながらよくなりつつあることをうれしく思う。
それにしても被災地というのは悲惨なもので、ビルマもそうだが,中国の映像を見るにつけてもたまらないところがある。(中国には回族の問題もあるし大変だ。救援物資でも豚肉だめなんでしょ)
いやいや、この日本にもそういう災害があった。

戦地の映像はこの国ではあまり流さないが、それでも時々流れる戦争の悲惨さを見るにつけて、いたたまれない。(今日は橋田さんの命日だからな)
ひとは幸せでありたい。

その幸せとは、わたしの毎度の主張となるが、愉快な食卓を囲むということに象徴される。
もちろん、その食卓は家庭でなくてもいいのだよ。

ひとは生きていてほしいが、それは長生きしてほしいということではない。
長生きが美徳であると安直に考えるなら問題はないが、長生きは美徳ではない。

「長生きを美徳とした時代があった」

長生きについて何も我々は考えてこなかった。
だって、長生きしてもわまりのひとは困らなかったから。(高度成長期は)
いまは違う。

長生きは美徳ではないと、はっきりといい始めるはず。(すでに思っているぞ、あいつらは)
では、ひとはいつ死ねばいい。

これは大きな話だ。

わたしに限って言えば、もういいかなと思っている。
わたしが死んで息子が幸せになるなら、さしあげていい命のようにも思う。

話が危なっかしくなってきたからまた書くけど、ほんとに、
「長生きは美徳でなくなり始めている」
問題は、ひとはどうやって死んだらいいかを、あいつらに決めさせないことだ。
ひどいことになるぞ。

この問題は多くのことを含んでいて、核家族もそのひとつで、その核家族の前の大家族に楢山節考があった。
あのころひとは、何を考えていたのかは、家父長制からだけでは見えてこない。

大きな論陣を誰かに張ってほしい。

フォークロアの分野にもかかわると思うけど、人間はどのように死んだらいいか、なんていう話は潮流にならないんだな。
ひとは、人をどうやって殺すか、なんていうのは盛り上がる。

マイナス要素、あるいは定常状態に向かう議論は潮流とならないからとても大変だ。
だから、あの人たちは黙って、我々を死に追いやろうとしている。

おわかりと思いますが、すでに彼らは長生きが美徳だなんて思っていませんからね。
そのひとたちに、年寄りを敬えなどという議論は効果ありません。

そして、語弊を込めて言えば、敬うに耐える老人はそれほど多くはいないのですよ。
単に年を取っただけで敬えなどというのはたわ言なのです。
(核家族の話ですよ。大家族やムラ制度にはあった。悪いところもいっぱいあったけど)

とにかく、この時代、すでに年寄りは邪魔になり始めている事実に気づき、彼らが手を打ってくる前に(彼らって為政者ですよ)、みんなで考えましょう。

わたしより心ある若者に期待いたします。

キミたちのためにわたしは死んでいこう。(かっこいいかな)

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2008年5月26日月曜日

歯医者日記

「歯医者日記」なるものをMIXIで連載している知人がいるが、最初は彼が、何をしているのかよくわからなかった。
しかしそれも35回を数えるとなかなかの迫力になり、その人の生きる姿も見えてきたりする。
ひとは日常を馬鹿にしがちになることがあるが、日常にあるということはそう簡単なものではない。

「量が質に転化する」ことは確かに訪れるのだ。

「病床六尺」の空間で驚くべき世界を書いた男もいた。
彼は重層的なコトバではなく写生をモットーにした男であったが、その世界が病床である以上「写生」はそのまま重層的な世界に引き込んでいく。

鶏頭の十四五本もありぬべし    

これもいろいろと取りざたされる作品で、読者によってさまざまに分かれる。
虚子は無視し、茂吉は絶賛した。
ここでもまた、読者の問題は云々されるだろう。
「ホトトギス」を持ち、仲間をもっていた子規には、自分の状況をよく知る人々がいた。
その受信者によっては、あの句はたんなる写生には終らなかっただろう。

「歯医者日記」に、たとえ文学性がないにしても、そこには重層性があり、ひとつの存在感がある。

残念ながら、わたしにはこの日常性の積み重ねがない。
常に日常性を破壊したがり、その日常性を支える命をないがしろにしたがる。

老境に入っていけないのはそのためでもある。

「耄碌の春」は、わたしにも訪れてくれるだろうか。

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2008年5月20日火曜日

おとなりさん

わたしの家の小さな庭には穴が掘ってあって、そこへ生ゴミを捨てるのがわたしの日課で、こういう日課がわたしの一日を埋め尽くしてくれていれば、わたしもずいぶん平穏に暮らせるのだがな、と思ってみることがある。
そう思うのは、感慨といってもいい作業ですが、それは父母から引き継いだものにつながる水脈だとわたしにはわかっていて、それが暗渠になってしまうことなく庭の垣根を出た先にちょろちょろ流れる小川であってほしいという願いをもっています。

わたしが生ゴミを捨てに庭先に出るには、家の脇を通らざるを得ず、東京の住処というのは大方はせまっちいもので、その際に通る細い通路は隣家に接している。

先日のことだが、生ゴミを捨てて帰るさ、お隣の家の窓が開いて、生きていればわたしの母と同じころ八十歳前後の婦人が顔を出しておっしゃるには、先月夫を亡くしまして、そのときはお騒がしくしました、ということであった。
なんでも娘夫婦なども集い、賑やかだったそうである。
わたしはといえば、そんなことはつゆ知らずに生活していたのだから、「そうですか」を何回となく繰り返すしか返答のしようはなかったのだった。

その折、ご主人が86歳で亡くなったことやその前に大きなガンの手術をしていて、それからずいぶん長く生きてくれたこと、だからあまり哀しくはなかったが、やはりときどき哀しくなるのだということなどを婦人は隘路に立つわたしに話したのだ。

騒がしかったことを詫びようと思ってとおっしゃっていたが、わたしに話しかけた理由がどんなところにあるのかは、微妙なものだろう。
機微といっていいだろうか。

何かあればと声をかけてわたしは、家へと戻るのだが、それはおざなりではなく、いつか何か家庭料理を作ったときにもって行こうかとか、神田川の疎水べりの散歩に誘おうとか…、いろいろと思っていたのだ。
遠い昔の淡い気分がそのときのわたしにはあったし、「おとなりさん」というコトバのなかにそういう淡い気持ちの交感が流れていることを思った。

梅雨が終わった頃、初夏の日差しの中、わたしは婦人と何を話しながら疎水べりを歩いているのだろうか。
「おとなりさん」というコトバを思い出すとき、このごろは、そういう夢想を楽しんでいる。

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2008年5月19日月曜日

ハチドリと山火事

わたしは、ハチドリと山火事の寓話があまり好きではなかった。
ハチドリの美徳の陰に何か大事なものが隠されているかのように思ったりしていたからだ。

しかしながら、長崎大学留学生諸君の止むに止まれぬ募金活動を見て、ハチドリのけなげさも見過ごすわけにはいかないし、もう一度自分に突きつけるべき問題なのだと実感した。

21日にはパン・ギムンがヤンゴン入りするとの報道もあった。
被災者250万とも言われるビルマに助けの手が伸びることを期待するし、わたしもハチドリのようになにがしかの行動をすることにしたい。

「何かを知ることが重要ではない、問題はそれをどのように知るかだ」

ときどきわたしが口にするこのコトバは、多分に語弊を含んでいる。

「知ることが無意味というのか」
そういう反論はもちろん招くが、知ったことにおいて止まってしまう認識の浅い状態への肯定を撃つ場合にはどうしてもこの言葉を吐かざるを得ない。
ミャンマーの問題も大きなそのひとつだが、この種のことはそこら中にころがっている。

たとえば、村上春樹の「ポートレイト・イン・ジャズ」や「意味がなければスイングはない」のブライアン・ウイルソンの話を読むときに、(もちろんその中に書かれているミュージシャンたちを知らないわけではないし、ブライアン・ウイルソンを知らなかったわけではないのだが)わたしは何を聴いていたのだろうと思う。
そして、どこかでビーチボーイズの話をしてはいなかったかと自分が不安になる。

知っていることをただ知っているだけでしゃべるみっともなさというのがあって、(もちろん、これは酒場で要求するようなものではないのだが)こういう本を読むときに激しく頭がぶつかってしまう。
この前紹介した「美食進化論」もそういった本だ。(食を深く掘り下げようと試みたものだ)

ただし、どのようにといったところで、文章にできなければいけないということではない。

わたしはチェン・ミンという二胡奏者が好きで「我願」などはしょっちゅう掛けている。
だから彼女の曲に関してはどのようにかは書けないが、書けないけれど、それはただ知っているだけではなく、ある仕方で知っている。(そういうどのようにもある)

そのようなただ知るというだけでない「知るという」行為があることを語るときに、あなたはどのように知っているのかという思いが脳裏を駆け抜ける。

あまりにただ知っているだけの集合がわたしのなかに渦巻きすぎているせいかもしれない。

書かなければならないとき必ず対象をどのように知っているかの問題は起き上がる。
そのときどうするかは各々の問題だが、これは書き手だけがもっている問題ではなく、日常のなかだれでもがもっている問題なのだと思う。
中途半端だが、この項はここで終わり、いつかさらに深めて書き継ぐことにします。

最後にとても大事なことを付け加えておきたい。

逆のことがある。
何の意味がなくてもコトバを語ることがとても大切な場面、場所がある。
意味のないコトバを投げ合うことで、人は人と生きていくよすがを生み出すことができる。
それをぼくたちは家族と呼んだり、仲間と呼んだりする。
その関係を守るためのコトバは、あまり深い意味がないほうがいいし、まったくないほうがいいこともある。(もともとはコトバなどいらない関係だから、コトバはメロディーのように流れていればいいのだ)

コトバがそこに流れるだけで養う関係があるというのはとてもステキなことだ。
そこに言葉の意味を持ち出す奴が登場すれば、みんなとても困るはずだ。

それは空気が読めないのとは少し違う。

意味のないコトバを語りたがらないのはその人間のあり様だ。
「presence」が違うのだ。

わたしに悲劇があるならば、そこに集約している。

「それ(=そのあり様)でもいいか」という納得が、いまのところのわたしの立場だ。
そういえば、耳にしたことがないだろうか。

「自由は孤独であがなえ」

そういうあり方もありということだ。

書いている途中から思ったが、ずいぶん複雑なお話だ。
わかりにくければ、それはこのブログの分量と考察の浅さと整理不足によるものです。

不十分なもので申し訳なかったです。

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2008年5月18日日曜日

日常のしぐさ

日常のしぐさのようなものが、わりと大きな流れを形作ることはよくあって、それは、毎朝無理にでも食卓を囲むことなどに象徴されるのだが、とても大切なものだと考えたほうがいいだろう。
少なくともいま、わたしの指向はそういう場所に立っている。

このブログで家族がいるようないないようなことをわたしは書いているが、実際にまさにそのような状態なのである。
法的には妻がいて、長男と長女がいる。
長女はこの七月に、アメリカの留学から帰ってくる。
ずいぶん英語力を伸ばしているらしく、それはそれで喜ばしいことだ。
うまく生きれば、語学は飯の種になる。
大事な感覚だろう。
長男にも中国語があって、彼もまたいつの日か、それを飯の種にする日が来るかもしれない。
それもまたいいことだろう。

ところで、娘がアメリカから帰ってくる前に細君が自宅をリフォームをしたいというので、なんとも勝手に生きているわたしには断る理由もなく、金は何とかするから、好きなようにすればいいと答えておいたのだが、先日、二階を娘が陣取るので、ベランダに洗濯物を干すことが難しくなるかもしれないという。(アメリカナイズされた娘はそのように部屋を横切られるのが苦痛だろうという配慮だろう)

わたしは家事全般を細君に任しているわけではなく、ほぼそのすべてをわたしがこなしている。
他人に世話になるのはあまり好まないし、世話になったときのわたしの恐縮具合もあまり見栄えのいいものでもない。
それでも時に細君の入れてくれるコーヒーなどというのは大変にありがたく、この一杯のためにこの女といっしょにいてもいいと思うくらいにうれしいものだ。
ひっくり返せば、お茶の一杯も入れてくれることもない、そして、そのときに話もしない人間を細君や家族と呼ぶ必要はないし、なんのつもりで家族だなどと思うのか思う他人の気分がわたしには不快だ。

さて、二回を娘が占拠し、わたしの洗濯物が晴れた日の下に干せなくなるのは大変に困るなといま思っている。
洗濯したものを日光にさらすのはわたしの「日常のしぐさ」としては大変に大きい。

この問題が今後どのように展開するのかはわからないが、このわたしの大切な「日常のしぐさ」を我が家族が奪うことがあるのなら、わたしは家族と別れてしまおうと思っている。

ただ、洗濯物が日光当てられない屈辱のためにわたしは別れようと思っている。
それは、新しい女ができただとか、細君が浮気しているだとか、近所から銃が撃たれるだとか、そういうありもしないことも混ぜた事件よりもわたしには大きなことで、「日常のしぐさ」の中にあらためて自分の譲れないものが不自然に毅然とあるということをわざわざ皆さんに伝えたいがためにここに記しているのである。

だから、近い将来、洗濯物が干せないだけで家族と別れた馬鹿がいるというニュースが流れたときもこのブログの読者であるあなたは、「そういうこともあるだろう」と密やかに頷いてほしいのだ。

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2008年5月17日土曜日

「P2」を見る


アレクサンドル・アジャのプロデュースした「P2」のチケットをいただいたものだから見にいってきた。
明らかなB級映画であったが、B級映画ならではの予算のなさやスタッフの一体感を感じさせてくれて、久しぶりに作る側から見る映画として記憶に残るものとなった。

話が大きくなると困るのだが、映画にしても舞台にしてもさらに広げれば話芸や絵画や建物にしても常に受信者はついてまわるわけで、そのことは忘れてはならないだろう。
しかし、この受信者の取り上げかたがこの国では、あるいはこの世界ではとまで言っていいのだろうか、いたって淡白で、わたしはかねがね問題だと思っている。

この受信者についての考察を大きくジャンルをわたって書いてみたいというのがわたしの大きな野望である。

本日の「P2」にしても観衆が所詮B級だねといえばそれで終わりの映画なのだが、観衆(=受信者)はその程度のものであったのだろうか、というのがわたしの問である。
これはあるとき立川談志が、自分の芸をするか、客に合う芸をするかを悩むシーンをテレビが映像として流したが、あれである。
露悪的な談志は普段でも「あんな客に受けてうれしいかね」などといっている。
広島の前田という打者もまたかつてのイチローに「あんなヒットを打ってうれしいかね」と彼の内野安打を評していった。

この受信者論は入り口の小ささに比べて驚くほど広い議論に広がっていく。
わたしがいずれ書く。

というわけで、わたしという受信者を得て「P2」はいい映画として残った。
あなたが信用して行って、「B級映画ジャン」と思われたならそれもまたいいだろう。
繰り返すようにこの映画はどう見たってB級映画で間違いないのだから。

しくじりながらしか前には進めない。
お互いにしくじりを恐れず、つらすぎるときは酒でも酌み交わしながら生きていこう。

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たわいないようではあるが

たわいないようではあるが、自分の身の回りを片付けておくというのは意外にその精神までジワジワと影響を及ぼしてきたりする。

ひとというものは荒れることがあるもので、というか、あらぶる何者かを自分のなかに巣食わせているひとがこの世にいるわけで、その巣食わせているものが何ものかによって、いろいろと違う事情や時によってはひどいことになったりする。
宮部みゆき「名もなき毒」はそのあたりのことを書いているので、彼女はその何ものかを「名もなき毒」と名づけたのだが、こいつがどうしようもない代物で、しかもいろいろとこの作品では悪さをする。
悪さも身のうちに収まっていればそれでいいのだが、そいつが表に出れば争いごとや果ては犯罪につながったりもする。
この場合「名もなき」と形容したところが彼女の卓抜したところで、暗に「言語論的転向」の問題にも触れている。
そして、話が重層的になり膨らみをもたせるべく人物を配剤し、事件もまた配剤する。
このあたりの手際は当代きってといっていいほどたくみなもので、また平均点以上の作品になっている。
わたしの例の口吻でいえば、時間があれば読んでみてもいい本ではなかろうか。

さて、そういうわけで小物ではあるが、身のうちにあらぶるものを持つものの一人として、荒んだ生活をすることが時おりあり、その後始末は身の回りの整理からという具合になっている。
長く生きていれば処世知もつくというもので、あらぶるものに直接相対するのではなく、とりあえず自分の動きやすいように周りを片付ける。

片付けるといっても誰かに見せるわけにする整理ではないのだから、自分が動きやすいようにするだけだが、それでも美しい部屋の様相になっていくのは生来のきれい好きか。
わたしも長い間それに気づいていなかったのだが、意外にきれい好きなところがわたしにはあって、ほうほうと感心したりしている。
しかしそれと同時に十二分なる不精も持ち合わせているものだから、外から眺めている分にはわたしのきれい好きはとんとわからない。

そのようにして、少し荒れていた生活を戻すべくすこしだけ片づけをしたわたしは、こうしてブログを書いているのだが、おわかりのようにブログにも片付け作用のようなものがあって、妙に落ち着かせてくれたりする。
もう少し微妙に書けば、書くことにより落ち着き、書くことにより自分の心の揺らぎを知るということだ。

関係ないことを少し書けば、わたしにひとりの大切な知人がいるが、かれに部屋の整理を是非勧めたい。
どのくらいの効果があるかわからないが、妙な人の意見を聞くより一人本の整理などしているほうがどれほどか自分をゆるりとさせてくれる。
そういうときには、いっぱいのお茶をちょっとした器に入れて呑みたいものだ。

こんなときだろう、平和国日本にいる特権をしみじみ思ってみたりするのは。
いくら呆けているといわれていても、やはり平和はいいものだ。

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2008年5月16日金曜日

ビルマの状況

へなちょこな生活をしていたものだから、頭の底まで呆けている。

「ランボー」の試写を見たのだが、舞台がミャンマーでそりゃめちゃくちゃな映像を撮っていた。
どのくらいの信憑性があるのかはしらぬが、あの一部でも真実ならたまらない。

中国の地震が起きたものだからミャンマーのサイクロン関係のニュース量が少なくなりつつあるが、人災としてははるかにミャンマーのほうが悲劇的で大きな国際問題ではなかろうか。
自然現象から我々は簡単に逃れることは出来ないが、その後の人災に対しては何らかの手は打てる。
わたし個人にそういう力はないのだろうが、国際的に動いてほしいものだ。
中国も海外からの支援を受け入れようとしているのに、ミャンマーはいまはどうなっているのだろうか。

少し落ち着いたら、ミャンマー、いやビルマのことを知っておきたいと思っている。

むかし、新宿思い出横丁に出入りしていたころ、行きつけの店「越後屋」には、とても知的なビルマの女性が働いていた。
彼女と話しながら飲む酒は、わたしの酒歴のなかでも特記すべきものだったと思っている。

いま日本にいるビルマの人たちの国にいる家族知人に対する哀しみは、わたしがこのブログで扱うにはあまりにもせつない話のように思う。

日本はときに平和ボケだと揶揄されるが、「平和ボケ」を享受できるこの国はかなり幸せでもあるとわたしは感じている。

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2008年5月13日火曜日

「長生きも芸のうちだよ」


昔、花柳章太郎が黒門町八代目桂文楽に「長生きも芸のうちだよ」と諭したというが、いいコトバだと思っている。
芸になっている長生きと素人の長生きがあるというわけだ。

ある意味、きついコトバだが、そういう意識が昔の芸の世界にはあった。
いまはどうか。
先の円楽引退のときに「名人、名人」ともてはやしたマスコミに何の見識があるものか。
わたしは円楽師匠に何の恨みもないが、本人も自分がへたくそだと思っていたはずだ。
それでいいので、間抜け面で「メイジン、メイジン」などとがなりたてるではない。

と、ふと思ったので書いておく。

ミャンマーの状況はつらい。
何とかならんものかと思うが、こういう時どうしていいのかわからぬのが普段傍観者に徹している影響だろう。
なんとも情けない。

そんなことを思っていると今度は四川省で地震。
さらに今年の9月13日にはアジアで大地震とジュセリーノが予知夢を見ている。

なんだかなあ、こんなときに「ランボー」の試写会を見に行っている場合ではないなあ、と思いながら傍観者であるわたしは呆けたような顔で出かけていくわけです。

しかし、ほんとうに、なんだかなあ。

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2008年5月12日月曜日

夏野菜を食す



例によって例のごとく安く夏野菜を仕入れてきたので、夕飯は昨日作った「キンピラゴボウ」と買ってきたばかりの「キュウリ(よく冷やしてサクッサクッと切る。ちょっと奮発した塩と醤油をかける…素材がよければこれだけで極楽、極楽)」と「茄子(いったん素揚げして、これを出汁だけでしばらく煮る。油抜きするよりほんの長く、そいつをよく汁気を切って別に作った濃い目のタレのなかに浸す、ただそれだけ。それだけでたまりません)」を食することに決めた。

料理に金がかかるというのは真っ赤な嘘で、上等な安い食材はいくらでもあるので心して探してもらいたい。
わたしの見つけたキュウリ2本と茄子3個は都合100円ほどの買い物でした。

「安いね~」と驚かれますか。
そこはそれ、わたしは名にし負う「半額おじさん」。
このキュウリと茄子は、半額ではないが、いい買い物をしたと悦に入っているところです。

とにかく、いよいよ夏野菜の季節、うまい野菜を食おうではありませんか。
野菜があまりに淡白すぎるとお思いなら揚げて御覧なさい、これまたうまい(いい油でね)。
素材に寄り添うようにわずかに工夫する。
これが夏野菜の調理の理です。

もちろん夏は魚もいいのですが、そないに気張る必要もございません。
ぼちぼちと安くてうまい旬を見繕いながら楽しんで過ごしたいものですね。

ちなみに写真は「水茄子」でありますが、わたしの買った茄子は普通の十市茄子でありました。

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食べ物の本


料理本といえば

●「壇流クッキング」
 (息子の太郎の書いた「新・壇流クッキング」はこれのまったくの真似で目を覆いたくなる。しかも文章に 闊達さがない。闊達さのない「壇流クッキング」などというものは、おまえのいない人生のようなものだよ な)

●「食は広州にあり」邱 永漢著

●「私の食物誌」吉田健一著(吉田氏のものは別の作品を推す方もおられるだろう)

あたりに相場は決まっており、これに別格として水上勉氏の「土を喰らう日々」、ノンフィクションではあるが、海老沢泰久「美味礼賛」を加えれば十分ではないかと思っていたのだが、ここに新しい本を知った。

知ったといっても晶文社からこの本「美食文化論」(辻芳樹と木村結子の共著)が刊行されたのは2002年4月5日、まことにものを知らない人間への情報伝達速度とはゆったりしたもので苦笑いしてしまいたくなる。(それでも拙速よりはましではないかと自分を励ますとしようか)

この本の辻芳樹氏は「美味礼賛」の主人公辻静雄氏のご子息で、彼に対する辻静雄の英才教育はとみに知られたところである。
ま、それはともかくこの本は格調高い。
その理由は「あとがき」で辻芳樹氏も指摘されているが、ライターの木村結子さんがただ者ではないからである。
もし、料理に(いや食文化か)興味がある方ならご一読を勧める。
グルメ評論家の志の低さがよくおわかりになるだろう。

しかし、声を荒げて彼らを責めるのも大人気ないことで(大人気ないわたしが言うのもなんですが)彼らのなかにあっても燦然と辻静雄氏は輝いているし、彼の著作をバイブルのようにしている人もいる。
(山本益弘氏における「パリの料亭」のようなことだ)

ああ、そうそう料理の本で「辻静雄選集」全三巻(ちくま文庫)は、あの本はどう、この本はどう、という前の話だからあえて紹介していないのだよ。

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2008年5月11日日曜日

後期高齢者医療制度


「後期高齢者」という呼び方が気に入らないとあちこちで耳にするが、「そうかぁ」と思っている。
それならば「ハイティーン」や「ロウティーン」はいかがだろう。
あれは若者に対しての呼称だからとおっしゃるのなら問題の中心は「後期」ではなく「高齢」だろう。
「高齢者」に「後期」まで付けるとはという怒りならわかるが、それでも賛同はしない。
「後期十代」や「前期十代」に問題がないのなら、「後期高齢者」と呼ぼうが、なんと呼ぼうがどうでもいいことだろう。
瑣末なことだ。

では、「後期高齢者医療制度」はどうかと問われれば、政府の考えそうなことで、まあ妥当なところだろうと答える。
それでは、年寄りがかわいそうではないかとおっしゃるなら、それはその通りでお年寄りとは、もともとかわいそうなもので、「楢山節考」一冊で、そのことはよくわかるだろう。

基本的にはひとは年を取れば死ぬのだが、それが現代医学がそうはさせなくしている。
「後期高齢者医療制度」を現代の姥捨て山で、どうしたこうしたという議論をするが、「姥捨て山」の思想はあなた方の思っているような単純で非情なものではない。

そのように「姥捨て山」を安直に考えてきたツケが今来ているのではないか。
そう考えればいい。

問題は、年を取っても死ねない老人はどうしたらいいかということで、これが焦点だ。
死ねない老人をいかに処理するか?

後期高齢者の問題は、この問いをはずしては議論できない。

ところでここまで触れないできたが「老人」とは何ものか。
それは「後期高齢者」という名称にちょっとした秘密がある。

さらりと書けば、政府にとっては75歳以上の年寄りは数にしか過ぎない。
「78歳の女性1人」というところか。
しかしながら、こちら側から見ればその女性は母であるかもしれないし、祖母であるかもしれないし、三味線の師匠であるかもしれない。
我々の側からのすぐれて具体的な人間が、向こうからは老人ひとりにしか見えない。(いや、老人という認識さえもないかもしれない)
ここをしっかりと区別しておかなければものは見えてこない。

政府はあなたのお母さんを大切にしようなどとは考えていない。
その老人が何者かどうかなど興味はないのだ。
曰く、老人一人。
従っての「後期高齢者」なのである。

「後期高齢者」はきわめて適切な命名で、この命名に難癖をつける愚かさは、かなり恥ずかしい。
批判したいなら(その批判が有効であるかどうかは別にして)、「後期高齢者」というくくりの中で数としてしか老人をとらえていないその政府のあり様にある。
(個人的には政府とはそのようなものだとわたしは思っている)

さて、こちら側から見れば個々の顔を持つ老人たちを政府は数として処理している。
この医療制度が施行されたとき山形県で母子の自殺があった。
この制度によって今後の生活が無理だと判断した息子が認知症の母親をくびり殺し、その後自分は納屋で首をくくった。
この話にはこちらから見ればいくつものドラマがあるが、あちら側から見れば後期高齢者の数が「1」減ったに過ぎない。

残念ながらこの国では年寄りが増えすぎて打つ手がなくなってきているのだ。
さらにカメラをずっと引けば、この星は人の数が増えすぎてすべての人口を養えなくなってきている。
そこへ食料への投機だとか食料の戦略物資化だとかバイオエタノールだとが複雑にからみあってきているだけで、中心には人の数の問題がある。(地球規模で見れば、人口爆発はすでに「爆発」ともいえないほど日常化されている)

この数を御しきれなくなっているとき、御そうとする連中は何を考えるか。
そのヒントが「後期高齢者」という命名にあり、「後期高齢者医療制度」という制度にある。

地球規模でもいろいろなことが起こり、サイクロンという非情な自然現象が我がビルマを襲い、軍事政権は救援物資(なかでも食料)をまわそうともしない。
何という奴らだという前に、やつらはもともとそういう組織だと知っておいたほうがいい。
個々の顔など見てはいないのだ。
彼らは人を数としてしか把握しないから、そいつらが(=われわれが)どうなろうとあまり気にはしない。
われわれが選挙と連動するときにわずかに気になるらしい。
(ビルマではその選挙のために民を見殺しにしている。そしてわたしはといえば、平和な日曜を何事もなかったように終えようとしている。クソ喰らえだ!)

彼らはそれ以外は気にしないのかと思うとき、「テロ」というものの意味も見えてくるだろう。
わたしは「テロ」を支持しないが、その気分は十二分にわかる。

少し語りすぎたようです。
日曜の夜です。
聞き流しておいてください。

最後に、口直しといってはなんだが、わたしはいま、いつまで続くかわからないが、手嶌葵という唄歌いを贔屓にしている。
彼女のあまり美しくないところも、とても気に入っている。

透明な緑や赤はあるが、透明な白はないことをご存知か。

商業主義などに振り回されず、彼女の歌がそのまま透明な白になってくれることを密かに願っている。

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2008年5月10日土曜日

土曜日の雨

今日も雨が降っている。
今日で、土曜日は五週続けての雨。
さっき出来上がった原稿を、遅くまでやっている本局まで出しに行ってきた。

当たり前のことだが、家の中で見る雨と外の雨は違う。
外では雨が妙になまめかしい。
どきどきしてしまうではないか。
その気持ちのまま途中の公園で小用をした。
どきどきが汚されちまったぜ。
ほんに雰囲気壊しの公園のトイレ。(この便所め! と怒鳴りつけたかったぜ)

というわけでようやく家で人心地ついたオレはボサノバを聴いている。
小野リサを聴いている。
いやな思いが遠ざかり若葉雨に寄り添った気分にもなってくる。
なにやら柔らかな気分になって、それほど悪くもない人生ではなかったかと自分の人生を振り返ったりする。
むかし身も心も柔らかだった女の柔らかな部分を侵してしまったことを思い出してしまう。

なんという気分だ。

小野リサをわたしに教えたのは若い友人だ。
タテタカコを教えたのも若い友人だった。

そういうことたちがしみじみ、ありがたいとオレの中で立ち上がってくる。
土曜の夜のメロディアスな時間。
オレは部屋の中にいながら若葉雨にうたれている。

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2008年5月9日金曜日

半額おじさん

「半額おじさん」とは、だれあろうわたしのことだ。

スーパーに代表される店には大きなものから小さなものまであるが、そこではある時間を過ぎると半額シールを貼っていく。
半額シールが商品に張られたその直後までとはいかないが、いつのまにか半額の張られたシールの前に立っているのがわたしで、そのわたしを見て、ある種驚異の眼差しで店の女の子たちは、場合によってはおばはんたちは、さらに場合によっては店長は、その所作に見とれるのだ。
そしていつのころからかわたしを「半額おじさん」と呼び始めた。

半額を買うにもいくつかの心得がある。
その話は長くなるので次回に移すとして、今日はある現象を書いておきたい。

このところの顕著な現象として、その半額セールの時間となると素人たちが集うようになってきているのだ。
それがはっきりとわかりだしたのは一年ほど前からだ。
とくにあるスーパーなどは半額シールを張り出す時間が決まっているので、彼らはその時間を狙ってやってくる。

彼らには美学はない。
今日書くのを省いてしまったが、わたしが「半額おじさん」と呼ばれる理由、つまりは半額商品を観察し、目利きし、判別し、その腐敗に到る時間をはかるといった総合判断はまったくなく、彼らはただただ買っていく。
それは、あまり考える必要もなく彼らの生活としての行為なのである。

「関東のひとつ残り」という言葉がある。
ええかっこしいの関東人は、みなさんどうぞと差し出された皿の最後のひとつには、なかなか手を出したがらないものだ。
そのことを言っている。

それがどうだ。
彼らは半額を争うように買っている。

そこで「半額おじさん」はどうするかといえば、ただ黙って手を組むのである。
そして、フムフムとうなづく。

いいかね政治家諸君、キミたちの言うところの「庶民」というのはどこにいるのかわたしは知らなかったが、わたしの目の前にいる彼らは確かに庶民なのだ。
だから庶民が困っているのは事ほどさように明らかなのだ。
そのことを肝に銘じてわかってほしい。(もし肝があればの話だが)

そして、そこで腕を組んでいる「半額おじさん」もひじょ~に困っているのだ。

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2008年5月8日木曜日

この現実の片隅で

昨今はダシール・ハメットやハドリーチェイス、船戸与一を読んでいたものだから、つまりは暇つぶしをしていたものだから、とんと現実世界とはおさらばだった。

だから食糧危機のとんでもない状況や隣の大国の何とかとい人が来て卓球をしたり、チベットに関してはかろうじて起こったデモがガソリンに関してはなにも起こらず予定調和に進行していることなどまったくもって知らなかった。

それより何より「マルタの鷹」のサミュエル・スペードがいかに女の扱いに長けているか感心しきりであった。
スペードはだまされつつ、だましかえしていく。
はまりつつ、するりと抜ける。
そしてどの女にも重きを置きながら実は置いていない。
うまく女たちをスペードは捌き、そのことが特別のことでないようにさらりとハメットは書く。

とりわけ「マルタの鷹」のラストシーンは秀逸だ。
かくも残酷に粋な別れができるものだ。
そしてほんのわずかなエピローグも忘れない。

うまく書くものだ。
そのことをリリアン・ヘルマンはどう思っていたのだろう。

そういうなかで、わたしの身近に知らないうちにハードボイルドのとば口のようなことが起こった。
これで死体のひとつも出てくれば立派に事件はころがっていくが、これはフィクションではなく現実なので死体を捜すわけにはいかない。

それよりなにより、何事もなかったように事件の起こる遠い遠い昔に時間をもどす必要がある。
それはおそらく二人が出会うさらに前になるだろうが。

問題はそんな作業が彼らにできるかどうかだ。
幸いなことに彼らの周りには親身な友人だけは何人か存在する。
それがわずかな助けといえば、助けと言えるかもしれない。

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ほんのわずかの間のうちに






過ぎ去りしものを愛でるためには、つきあうためには、日々眺めることが本当に大切なのだろう。
そういう目線を自分のなかに培ってこなかったことをとても残念に思う。

連休の終わりにクンシランを見るともうその朱の色はなかった。
5月1日にはあんなにはっきりと見せていた姿をこどもの日にはすでに見せていない。

だからといって、すべてが過ぎ去ったわけではないだろう。
掲載した写真にある枯れ落ちた花も、花の落ちた茎も、いまだに美しきものとしてわたしには映る。
それは面影としての思いなのかもしれないが、いずれ近いうちに枯れ落ちた花そのものに対しても愛する目を持ちたいものだ。
散っていく枯葉とわが身を成り代わるような感興をわたしももちたいものだ。

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ふと鉢植えのクンシランを見れば


ばたばたと暮らしていれば、庭先のクンシランが、気づかぬうち、あっという間に花を落としきっている。
生きるものが逝くのはあわただしい。

4月29日午前3時59分というからすでに未明近い。
岡部伊都子さんが逝った。
享年85歳はただ数字を眺めれば、長く、惜しむべくはあるが、それはそれでという気持ちもなくはないだろう。
この人の著作は数多い。
それをみなさんが読み返す機会をもたれればいいと思う。

「学歴はないけど病歴はある」と評した彼女の生きた様もそのとき次第に浮き上がってくると思う。

人には「アヤマチ」がある。
それは昨日述べたとおりだ。
しかしその後「アヤマチ」から何かを学び、まるで「アヤマチ」によって壊れたものを修復するように生きることも人には出来る。

だが、「アヤマチ」の中には、はたと取り返しのしように困る「致命的なアヤマチ」もある。
その「致命的なアヤマチ」と一生寄り添った人としてわたしのなかに岡部伊都子さんはいる。
病弱でか細い身体はいつも自分の「致命的なアヤマチ」を見つめ、認識し、生きておられた。
それが、岡部さんの生き方だ。

もし、岡部さんの著作に美しさがあるとすれば、それはそのひたむきさから発揮されるものだ。(それを「美しさ」と呼ぶことを万が一彼女が許してくれたらばのことだが)
ひとは邁進することにひたむきになることはある。
しかし自分の犯した取り返しのつかぬ「アヤマチ」にこれほど長く潔くつきあい、またそのことで成長した人をわたしは知らない。

「アヤマチ」は人を成長させるものではあるが、できれば「致命的なアヤマチ」は避けたいものだし、わたしの愛するものたちには強くそのことを言いたい。

しかし、同時に若き日の「致命的なアヤマチ」をここまで丹精に育て上げた人がいることもしってほしい。

岡部伊都子
2008年4月29日午前3時59分に京都の病院に逝く。
だれが決めたのかその日は「昭和の日」として日本国民の祝日となっている。

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2008年5月7日水曜日

眠ることこそが大切だ

「眠ること」こそが精神身体リフレッシュの王者と言っていい場所にあるというのがわたしの思いなのであるが、精神の不安定を理由としてここしばらく睡眠を極端にとっていた。

「いいご身分ね」

とどこかのご夫人に言われそうなのだが、まことに御指摘のとおりいい身分なのであって、反論の余地はない。
どうしてこんなにいい御身分かと言うと、心の奥のほうに、それがどの辺りかわたしにも釈然とはしないのだが、わたしのなかに

「ええい、ままよ」

といったところがあり、わたしのまわりには、それにほだされる人がいてくれるからだろうと思う。

だから、いずれ「ええい、ままよ」としなければ、わたしの人生の帳尻は合わないわけで、その覚悟は時々刻々としているわけである。

そのせいの精神の不安定さかと言われればまことにそうであると答えるが、別に根っから弱いせいもある。
蒲柳の質というが、あれの精神版と思っていただきたい。
どこか人より多く精神を酷使するところがあり、精神版蒲柳の質はその結果のことだと思っているが、それにさらに加えて精神をいじめるものだから、クスリやアルコールのお世話になる。

にもかかわらず、このような安穏な生活空間にいまだいられるのは、一重にすぐれた奥さんのおかげで、なんともやりきれない思いだ。

このやりきれない思いは最近崩壊した家庭の話を思い出したためのことだが、その家庭がそのまま完全に崩壊していくかどうかはわからない。
が、立て直すには家族の構成員が、ずいぶんと強くあらねばならないのは条件で、この条件を満たすのは難しかろうというわけだ。

だいたい何かが時系列にそって壊れていくというのはきわめて自然なので、壊れゆくものに対してあまり自分の非は責めなければいいと思う。
とはいっても、壊れていく姿を眺めているのも辛くそしてまた美しくない作業だから、そのように美しくなくした因を探そうとしてしまうが、これだとアリ地獄へ入っていってしまう。

むかしからこういう場合は、対処法は決まっていて、新たなる関係性を見つけ出し、その関係性を育てるほうに自分を向けるのが一番いいことになっている。

目の前のコップは壊せばなくなるが…と書いたことがあったが、ほれた女を消す極意ももちろんあって、その女以上に別の女にほれればいいのである。

ここは大切なところで、
「その女」より「以上の女」ではないところがポイントだ。
「その女にほれる」より「以上に別の女にほれる」ことをすればいいと書いている。
「その女」以下の女であっても「その女以上にほれればいいのだ」
で、わりとそういうことはできる。

なぜなら、自分は自分を洗脳できるからだ。
「自分こそが自分を洗脳する」というのも大きな話なので項を改めるが、この「自己に対する自己の洗脳性」をもって別の女にほれればいい。
そのとき、可能であれば「洗脳をある程度抑制できれば」、どちらの女も捨て去ることはできる。
かようにしてコップのように女も捨てられるというものだ。

では、思想はどうかとなると、こいつはさらに複雑だ。
信頼する思想家に学んだほうが早そうだ。

穂村弘あたりが人生の経験地についてよく述べているが、単純化すれば人生の経験値を上げるためには、失敗するに限る。その失敗の後に何かを学べば経験値は上がるという仕組みになっている。

「マチガイからの学習」と言おうか、これが人生の経験値を益す仕組みで、そのことでごちゃごちゃ言っている人間の多くは、「学習」に焦点を当てて論説することが多い。
しかし、ポイントは「マチガイ」のほうにあり、ひとは「マチガイ」をすることで進んでいく。
そして問題は、ただ「マチガイ」を重ねるだけではなく、そこから何かをくみ出さねばならない。
そしてさらに指摘しておかなければならないことは、「そのマチガイが致命的であってはならない」と言うことだ。

異性とのの経験値をあげるために「マチガイ」を積み上げるのは悪くはないが、致命的な打撃を与えそうな相手には近づかないことだ。
人生でも同じことだし、夫婦関係でも同じだ。
「致命的なマチガイ」を犯した場合は早急に撤退するに限る。

しかしながら致命的なマチガイをした当事者はそれが致命的だとは思わぬことが多く、修復可能だと考える。
おわかりのように修復可能だとして努力する過程は「マチガイから学習」する過程とはまるで非なるもので、そこから這い上がってくるのは稀有また稀有である。

万が一上がってきたその結果それがどういう人になっていくかは、ときどき小説の中に登場してくる。
思い出さないだろうか、あの女には構うな、あの男には構うなといった人物を。

長々と書いたが、いつもどおり支離滅裂であったワイ。
少々哀しく思いますが、許していただきたい。

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2008年5月6日火曜日

酒のある日々

酒のある日々と酒のない日々とを比べてみれば…とこの設問を提出した時点でなんとも答の出しようのない問だわいと微苦笑せざるをえない。

時の過ぎ行く速度は酒によりいや増すどころか一瞬のうちに流れ去り、はてさてわたしはどこにいて何をやっていたのかということもしばしばだが、かといって何も痕跡はないのかというとそうでもなく遺失物や刃傷沙汰の朧な影はあるようで、華々しき戦跡はそこに確認されるのだ。

酒のない日々はそのような華々しさとは縁遠いものだが、そこにはじっくりと腰を落ち着けた幸せのようなものがときどき垣間見え、その激しくはないが安らぎのようなものに慣れてくるとこれはこれで捨てがたく、それに何より身体に負担がない。
身体に負担はないが、わたしの場合は長く酒のない日々が続くと少し太り気味になってくるが、しいて言えばこれが厄介かと思う。
それと感情の起伏が小さい波形を描き続けるので酒のない日々には醍醐味というようなものが乏しい。
しかし、それをもって「安らぎ」と言うのだから文句も言えないだろう。

酒をしばらく飲めば強烈に内省的になるのはアルコールによるセロトニンの破壊ということに現代医学ではなっているが、不自然なカーニバルを演出した代償はそこここに降りかかってくるもので、それをとやかく言っているのでは酒飲みの資格はなく、逼塞して酒のない日々に勤しむがいい。

つらつらと書いてみたが、酒のない日々を指向している自分がわずかに首をもたげているのがわかってきた。

このような文章を書くきっかけは、いま思ってみれば、しばらく酒のない日々が続く前にあってのわたしの幼い決意表明のようだ。
しかしながら、この程度の決意表明で酒のない日々に入っていけるようになっているのは、わたしとしてはかなり自在な生きかたなのかもしれないと、じつは内心ほくそえんでいるのである。

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2008年5月2日金曜日

料理は愛情

ある程度精神がしっかりしてくると料理をすることがある。
逆に料理をしたくなるとき自分の精神の状態がまんざらではないと思う。
いまがそのまんざらではない状態でときどき料理をしたりする。
ここにも書いたが、たとえばイチゴジャムとか、ちょっとした炒め物とか、チキンのクリームシチューとか、チキンカレーとか、そういうものを作っている。
つぎは赤飯を炊こうかと密かに思う。

とはいうものの、料理の醍醐味というのはだれかと食事をともにしながらその関係性を味わうところにあって、一人座る食卓では肝心の関係性が食卓に上がることはない。
この点において、わたしの料理から食事へと続く道はローマへ到ることはなく、ただある種の荒廃を身のうちに見出すことになることが多い。

「料理は愛情」と、たわけたことをいっている奴らがいるが、料理は愛情では作れない。
嘘だと思うなら料理をしたことのないあなたが愛情込めて作ってみたらいい、きっとすばらしい料理ができることだろう。

では、「料理は愛情」というのは嘘なのかというと、実はまんざら嘘ではなく、あまりにも省略しすぎた表現のため誤解を生んでいるのだ。
料理の根っこに食べさせる相手に対する愛情があるならば、その相手がおいしいと思うものを作りたいと思い、おいしいものを作るためにあれやこれやの試行錯誤をする。
つまり、知人に料理の話を聞いたり、書籍を読んだり、実際に自分で作って何度も検証したりすることになる。
その結果、相手に提供して、「おいしいね」とことは運ぶ。

料理がおいしくなるのは一にも二にも技術を高めることに尽きる。
この場合の技術は詳細すればそのまま一冊の本になるわけで、料理技術についてここでわたしが語るのは任が重い。
「辻静雄」さんの本を何冊か読んでみればいい。

というわけで「料理は愛情」というのはその出発点をいっているに過ぎず、そのほかの動機でも料理をおいしく作ることはできる。
わたしが「数寄屋橋次郎」をもてはやす空気が嫌いなのは、あの店にいかに技術があろうとも、そしてその技術で握られた寿司がいかに美味でも、そこにはわたしへの愛情がないこと、つまりなんらの関係性も握られた寿司ではないことを知っているからで、さらにそれに対してあの馬鹿高い勘定を払うことのくだらなさに頭痛がするからだ。

高い料金は魔法で、その金ゆえにある関係性がそこにあるように幻想してしまう。
だからどこぞの男が女を連れて高いフランス料理でも食べさせれば、少なからず女は暗示にかかる、まあそういう女がいまの主流だ。

だが、語ったようにそういうところには愛情も何もない。
よき関係性が料理をうまくするのであって、うまい料理がよき関係性を証明するのではない。
そして、よき関係性の上に立って、初めて料理の技術が云々されるので、単なる技術は技術でしかなく職人としては認めるのにやぶさかではないが、あなたの人生にとっては、それほど大切なものではない。

そういう意味で、まことにもって「料理は愛情」なのだ。

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日本画を観る




知人に誘われて東京国立美術館へ行く。
はじめての日本画、東山魁夷展にでかけたのだ。
わたしは、絵画展にはわりと足を運ぶのだが、考えてみればこの日(5月1日)が日本画の展覧会を観る初めてであった。

そして、素直に恐れ入った。

ピカソもダリもシャガールもムンクもモディリアーニ…も、なるほどとは思ったが恐れ入りはしなかった。
経験値のない人間は、いかにすばらしくとも「そのものがいかなるものか」それが見えてこないのだ。
わたしは絵画に対する経験値の低い男である。
それをかねがね残念に思っていたのだが、わたしのなかに東山魁夷はすっと入ってきてくれた。(そしてわたし流にわかっていった)
それをしっかりとコトバにするところまではいかないが、以下のようなことを感じた。
ここでは、その感じたことを端的に記して終わりにさせていただきたい。

絵画を前にしてくどくどと説明をしても何の意味もない。
絵画は観るものに決まっている。
それをコトバで語っていくのは長い道のりとなる。
そのことは会場に掲げられた説明を見てもはっきり思った。

そのそばに東山魁夷の絵画があるのに何と醜悪な文字が並んでいるのだ。

わたしが感じたことは以下のようなことであるが、それは彼の原画に触れなければ一生わからなかったことだ。
東山魁夷の絵を見続けているうちにわたしはふと思ったのだ。

ああ、このひとは月の光を描こうとしている。
ああ、この人は窓の奥の闇を描こうとしている。
ああ、このひとは瀧の音を描こうとしている。
ああ、このひとは雪の降る音を描こうとしている。
ああ、このひとは木々の上空を吹いている風を描こうとしている。
ああ、このひとは、わたしが描けるはずのないと思っていたものを描こうとしているのだ。

東山魁夷の絵をずっと見つめ続けていると、不意に瀧の音が聞こえ始めたり、細く強く風が吹き始めたり、ぼんやりとした深い霧にまかれたり、およそ絵画を見るということからは離れた、いわば絵画の中に入っていくような感覚に襲われる。

そのように彼の絵画とつきあい続けて、この日わたしはずいぶんと疲れた。
疲れたのではあるが、何かに出会った確かな気分もあった。

わたしとあなたではもちろん受け取り方は違う。
違っているだろうが、それでも、いまは勧めたい気分だ。

「東山魁夷展」は5月18日まで東京国立近代美術館で開催されている。
出かけてみてはいかがだろうか。
「東山魁夷展」を見た後、「常設展」も見ることができる。
ここにも見知った作品が何点もある。
目の前でそのものを見る醍醐味を教えてくれる。
(東京国立近代美術館所蔵9000点のうち200点あまりが常設展に展示されている。この美術館の展示に対するこだわりはしっかりとしている。見る側の空間を十分に取ろうとしているのだ。悪くない。じつにもって悪くない)

しかし、極度に疲れるだろうことだけはあらかじめ伝えておく必要があるかもしれない。

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