2008年5月8日木曜日

この現実の片隅で

昨今はダシール・ハメットやハドリーチェイス、船戸与一を読んでいたものだから、つまりは暇つぶしをしていたものだから、とんと現実世界とはおさらばだった。

だから食糧危機のとんでもない状況や隣の大国の何とかとい人が来て卓球をしたり、チベットに関してはかろうじて起こったデモがガソリンに関してはなにも起こらず予定調和に進行していることなどまったくもって知らなかった。

それより何より「マルタの鷹」のサミュエル・スペードがいかに女の扱いに長けているか感心しきりであった。
スペードはだまされつつ、だましかえしていく。
はまりつつ、するりと抜ける。
そしてどの女にも重きを置きながら実は置いていない。
うまく女たちをスペードは捌き、そのことが特別のことでないようにさらりとハメットは書く。

とりわけ「マルタの鷹」のラストシーンは秀逸だ。
かくも残酷に粋な別れができるものだ。
そしてほんのわずかなエピローグも忘れない。

うまく書くものだ。
そのことをリリアン・ヘルマンはどう思っていたのだろう。

そういうなかで、わたしの身近に知らないうちにハードボイルドのとば口のようなことが起こった。
これで死体のひとつも出てくれば立派に事件はころがっていくが、これはフィクションではなく現実なので死体を捜すわけにはいかない。

それよりなにより、何事もなかったように事件の起こる遠い遠い昔に時間をもどす必要がある。
それはおそらく二人が出会うさらに前になるだろうが。

問題はそんな作業が彼らにできるかどうかだ。
幸いなことに彼らの周りには親身な友人だけは何人か存在する。
それがわずかな助けといえば、助けと言えるかもしれない。

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