ほんのわずかの間のうちに
過ぎ去りしものを愛でるためには、つきあうためには、日々眺めることが本当に大切なのだろう。
そういう目線を自分のなかに培ってこなかったことをとても残念に思う。
連休の終わりにクンシランを見るともうその朱の色はなかった。
5月1日にはあんなにはっきりと見せていた姿をこどもの日にはすでに見せていない。
だからといって、すべてが過ぎ去ったわけではないだろう。
掲載した写真にある枯れ落ちた花も、花の落ちた茎も、いまだに美しきものとしてわたしには映る。
それは面影としての思いなのかもしれないが、いずれ近いうちに枯れ落ちた花そのものに対しても愛する目を持ちたいものだ。
散っていく枯葉とわが身を成り代わるような感興をわたしももちたいものだ。
ラベル: 日常
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