2008年5月8日木曜日

ふと鉢植えのクンシランを見れば


ばたばたと暮らしていれば、庭先のクンシランが、気づかぬうち、あっという間に花を落としきっている。
生きるものが逝くのはあわただしい。

4月29日午前3時59分というからすでに未明近い。
岡部伊都子さんが逝った。
享年85歳はただ数字を眺めれば、長く、惜しむべくはあるが、それはそれでという気持ちもなくはないだろう。
この人の著作は数多い。
それをみなさんが読み返す機会をもたれればいいと思う。

「学歴はないけど病歴はある」と評した彼女の生きた様もそのとき次第に浮き上がってくると思う。

人には「アヤマチ」がある。
それは昨日述べたとおりだ。
しかしその後「アヤマチ」から何かを学び、まるで「アヤマチ」によって壊れたものを修復するように生きることも人には出来る。

だが、「アヤマチ」の中には、はたと取り返しのしように困る「致命的なアヤマチ」もある。
その「致命的なアヤマチ」と一生寄り添った人としてわたしのなかに岡部伊都子さんはいる。
病弱でか細い身体はいつも自分の「致命的なアヤマチ」を見つめ、認識し、生きておられた。
それが、岡部さんの生き方だ。

もし、岡部さんの著作に美しさがあるとすれば、それはそのひたむきさから発揮されるものだ。(それを「美しさ」と呼ぶことを万が一彼女が許してくれたらばのことだが)
ひとは邁進することにひたむきになることはある。
しかし自分の犯した取り返しのつかぬ「アヤマチ」にこれほど長く潔くつきあい、またそのことで成長した人をわたしは知らない。

「アヤマチ」は人を成長させるものではあるが、できれば「致命的なアヤマチ」は避けたいものだし、わたしの愛するものたちには強くそのことを言いたい。

しかし、同時に若き日の「致命的なアヤマチ」をここまで丹精に育て上げた人がいることもしってほしい。

岡部伊都子
2008年4月29日午前3時59分に京都の病院に逝く。
だれが決めたのかその日は「昭和の日」として日本国民の祝日となっている。

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