2008年5月6日火曜日

酒のある日々

酒のある日々と酒のない日々とを比べてみれば…とこの設問を提出した時点でなんとも答の出しようのない問だわいと微苦笑せざるをえない。

時の過ぎ行く速度は酒によりいや増すどころか一瞬のうちに流れ去り、はてさてわたしはどこにいて何をやっていたのかということもしばしばだが、かといって何も痕跡はないのかというとそうでもなく遺失物や刃傷沙汰の朧な影はあるようで、華々しき戦跡はそこに確認されるのだ。

酒のない日々はそのような華々しさとは縁遠いものだが、そこにはじっくりと腰を落ち着けた幸せのようなものがときどき垣間見え、その激しくはないが安らぎのようなものに慣れてくるとこれはこれで捨てがたく、それに何より身体に負担がない。
身体に負担はないが、わたしの場合は長く酒のない日々が続くと少し太り気味になってくるが、しいて言えばこれが厄介かと思う。
それと感情の起伏が小さい波形を描き続けるので酒のない日々には醍醐味というようなものが乏しい。
しかし、それをもって「安らぎ」と言うのだから文句も言えないだろう。

酒をしばらく飲めば強烈に内省的になるのはアルコールによるセロトニンの破壊ということに現代医学ではなっているが、不自然なカーニバルを演出した代償はそこここに降りかかってくるもので、それをとやかく言っているのでは酒飲みの資格はなく、逼塞して酒のない日々に勤しむがいい。

つらつらと書いてみたが、酒のない日々を指向している自分がわずかに首をもたげているのがわかってきた。

このような文章を書くきっかけは、いま思ってみれば、しばらく酒のない日々が続く前にあってのわたしの幼い決意表明のようだ。
しかしながら、この程度の決意表明で酒のない日々に入っていけるようになっているのは、わたしとしてはかなり自在な生きかたなのかもしれないと、じつは内心ほくそえんでいるのである。

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