2012年7月31日火曜日

オリンピック

オリンピックに興味を持つ人間がどれほどいるのだろうか。
たとえば、テレビ放映がなくマスコミが騒ぎ立てなければ、人が泳ぐことに、人が柔道で争うことに、人が重いものを持ち上げることに、どれくらいの人が興味を持つというのだろうか。

生きることに意味はない。

それぞれが自分の嗜好に従って主観の中を生きていく。
そうであればいい…
主観の中を生き、それが食える程度には世の中に認められている状況を幸せと呼ぶのかもしれない。

オリンピックなどを見ると、主観的に生きている者が、むやみに持ち上げられていることに違和感を覚える。
彼らは、もともとは客観を必要としていなかったのだが、いつのまにか客観に振り回され始める。
この場合、客観とはマスコミなどの作る世間様です。

マスコミなど、オリンピックを玩具にしているに過ぎない。
それでも人は玩具に頼って生きるところがあるからマスコミが与えるオモチャに狂喜する。

福見などはその大きな人柱かもしれない。

人は主観の中を細々愉快に生きていくがよかった。
ほんのわずかな人々に認められればよかった。

世間様にほめられようなどと思ってはならない。
それが、弱みとなり世間様に振り回される。

内村君はそうでなかったろうか。
みんな楽しくやるだけでよかったのだが。

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2012年7月8日日曜日

週末の官邸デモすごいね

ところでこのまま人数は増え続けていくのだろうか。
なにかのタイミングに国家の暴力装置を行使してほしいよね、

きっかけは、どちらから暴力。
よくも悪くとも暴力の起爆力は必要ではないのか。

そんなことを本気で話し合っている若者たちがいれば、たまらんばい。

デモがいかに変容していくかはだれが考えているのかな。

「暴力」

捨てたものではない。
一つの武器です。
捨て駒にすればいいのですよ、捨て駒にすれば。

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