2012年2月22日水曜日

いやな空気ですね

大阪市が、市職員が送受信した業務用メール内容の調査を極秘に進めていたことが分かった。調査担当で市特別参与の弁護士が、市側から職員約150人分のメールデータの提供を受けていた。橋下徹市長が指示した職員による政治・組合活動の実態を調べる一環だが、職員には一切知らされておらず、批判を招きそうだ。

 調査は、市特別顧問の弁護士、野村修也・中央大法科大学院教授や市特別参与の山形康郎弁護士(大阪弁護士会)が担当。山形氏は17日、職員メールを管理する市IT統括課に対し、約150人分の職員番号を示し、該当するメールの提供を依頼。同課は20日、データを提供した。

 山形氏は同課に「調査に使う。人事課の了解を得ており、外部に漏洩(ろうえい)することは絶対にない」と説明したが、詳しい目的などは明かさなかったという。

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2012年2月20日月曜日

2・19脱原発杉並デモ

このデモ(約5000人)について、やはりマスコミは大きく取り上げはしない。
人の声はどのようにその国の意志決定に届くのだろうか。

脱原発の声は 根深く強い。
便利を放棄しても安全を願う声を一度本気で考えてはどうだろうか。

それとも人間は一度得られた快適を捨てる勇気を持たない動物なのだろうか。

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2012年2月19日日曜日

冬の犬


たとえば、このような短編が心にすとんと落ちることがある。
けれども、お勧めはできない。

ロックであろうが、漫画であろうが、歌舞伎であろうが、…であろうが、なんにしろ受け手に何かを要求してくる。
その要求がものによって違う。
テレビの受け手への要求はほぼないに等しい。

「冬の犬」は、どうだろう。
いいものに出会ったり、いい人に出会うには何かを飛び越えなければならない。
もしかしたら、その飛び越えるものは、飛び越えずにいたほうがよかったかもしれない。

あなたによい出会いがあることをお祈りします。

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テレビの影響

テレビ芸と寄席芸はまったく異質のものであるのはご承知の通りだが、この違いは意識して知っておいたほうがよいようにも思う。
寄席の芸は寄席に行かなければ味わえない。
それは寄席の空気の中にあるものだからである。
もっと言えば、寄席芸はその芸人の空気とともに味わう種類のものでテレビのように空気を隔絶したメディアから程遠い。
映画には3Dというものがあり、取りざたされているが、あれはそれほど画期的なものかどうかは若干怪しい。

要は場の空気なのである。
それ故芝居やライブや寄席に存在価値が生じる。
まあ、寄席の存在価値はあんまり人気がないようなのだが…

で、書き留めておきたいのはわたしたちの日常もまたテレビで行われるものと近似しいているということで、そこから寄席芸のような雰囲気はなかなか生じはしない。
それは寄席を気楽に見ていた時代よりさらに深刻だと思う。

実はテレビ芸はテレビ芸でかなりやっかいなものなのであるが、それは芸と言われるのだから意識されたもので、そこにうまい下手は生じる。
けれども気楽に見られるテレビの中にそれを感じようとする視聴者は少ない。
というわけで、わたしたちの日常はテレビ芸の軽佻浮薄さだけを受け取って、ますます意味もなくわいわいがやがやである。

テレビは消せば見なくともすむが、日常は消すことは出来ず、いやでも目に映り耳に入ってくる。
テレビ芸の進化でますます日常は面白みがなくなる。

テレビは人を洗脳する。

テレビ芸を行う一流の演者は意識的であるが、それを見る視聴者は気ままに洗脳されるに過ぎない。

世に学ぶべき人が少なくなる所以である。

言い切ってしまえば、テレビ芸の極致は素人くささである。
素人くささをいかに演じるかに長けた者がテレビを制する。
それは、資質である。
けれども視聴者はそれに毒され何も気づかない。

できれば、もう少しましなものと付き合ってほしいが、それも難しいのが当今なのかとも思う。
人と人はもう少しまともに付き合えるのではないかとわたしは思っています。

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2012年2月16日木曜日

モーターサイクル・ダイアリーズ


いつ見てもこの映画のチェが川を泳ぎわたるシーンにはある感慨がわたしを襲う。
それは、ゲバラが仲間への思いをこめた行為だからだ。

仲間という言葉を説明するのは厄介だが、この映画のチェが川を渡るシーンにそれがこめられている。
ゲバラのその後の人生は仲間へと捧げられる。
その潔さと無私は何者も近寄りがたい。

ゲバラの透明感は今やこの世に持つものとてないずば抜けたものだったと思う。
それが故の早い死であったし、アメリカの嫌った理由もその直進性にあったように思う。

まっすぐに人を愛する人間を人は嫌う。
残念なことに真直ぐに愛されたその本人でさえ恐怖感のために逃げる。

というわけで、仲間というものは、実は大変にみつけにくいものなのだ。

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彼らは仲間ではない

子供たちを思う想像力がまったく欠如している。
恐るべき想像力の絶対的欠如。
それが、この国の未来の人々への思いをこんなにも脆弱にさせている。

厚生労働省がまとめた食品中の放射性セシウムの新基準について、文部科学省放射線審議会は16日、「必要以上に厳しい」として、被災地の食生活や農業への影響に配慮するよう異例の注文を付けた。ただ、基準そのものについては了承した。一方、厚労省は4月施行に向けて、予定通り、法整備を進める方針だ。

 厚労省の基準案は、食品による年間の被曝(ひばく)線量を1ミリシーベルトと設定し、一般食品は1キロあたり100ベクレル、乳児用食品はその半分の50ベクレル、牛乳も50ベクレルなどと定めている。

 審議会は、この基準について、放射線による障害を防ぐ観点から「差し支えない」と答申した。一方で別紙で意見、注文を付けた。

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2012年2月14日火曜日

天やの天丼


久しぶりに天やの天丼を食べる。
油がきつくうまくなかった。
はじめからそうだったのだろうが、以前はうまく思ったものです。
たったの五百円だし。
それをわたしの口がイヤだと思うようになってしまった。

贅沢になったものだ。
そのようにわたしは食い物も人も見ていくのだろうか。

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そぼ降る雨

新宿小田急百貨店前の喫煙所に横たわる初老のホームレスのおじさんを見た。
おじさんの顔に生気はいまだあったものの、わたしが最初に見たときぼんやり立っていたおじさんは、帰りがけには横臥していた。

わたしも含めて誰も彼を心配する様子はなかった。

おそらくこんな風にこの世から次第に姿が消えていく人々がこの国には多くいるのだと思う。
そういう人々を抱えながら何も見ようとしないのがわたしたちだし、この国なのだろう。
(見ないものはなかったこととして)

アリとキリギリスの童話。

あのキリギリスはそんなにひどいことをして生きてきたのだろうか。

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2012年2月13日月曜日

土の中の子供


筋のある小説とない小説。

小説には必ず筋が必要かといえば、そういうことはなく筋がなくとも何かを表現は出来るし、筋がかえって邪魔になることもある。
けれども残念ながら筋がなければ、読者はなかなかついてきてくれないというのが本当のところだ。

西村賢太の作品などは、筋はさほどないといってもよかろうが、その分工夫はしている。

名作として名高い「町の踊り場」などになると古いものだし、どこが面白いのかよくわからないが文章を使って表現したものとしての完成度は感じる。

「土の中の子供」はどうだろう。

中村さんがここまで生き残っていることを考えれば、何かがあるのは間違いない。
けれど、面白いと人に薦める類の本ではない。

本は、面白さのためにだけあるのではないということだ。
でないと東野圭吾の一人勝ちになってしまいそうだし…

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2012年2月12日日曜日

何かに興味を持たねば

何にも興味がないという状態をわたしは知っています。
なかなかにつらいものです。

興味を持つのは何だっていいのですが、逆になんだって面白くないといえばそういえるわけで、困ったね。
要はきっかけなんですが、持続するにはおそらく仲間がいります。

どうです、仲間は確保していますか。
おざなりでもいいんですよ。
頼りにはならないけれど、でも仲間は大事ですね。

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平凡な日々を生きる

平凡な日々を嫌わず、淡々と生きていく。

まさにそれだけで素晴らしい資質だと思う。

そういうかけがえのない人々の平穏な日々を壊し続けてきたのが近代なのかもしれない。

壊し続けた末に「冷温停止状態」というありもしないおためごかしを話し出す福島原発。
基地問題もTPPも沖縄基地問題も…問題も何もかも破壊に向かってまっしぐらではないか。

ただ縁側で日向ぼっこしていたいだけの人々に対して。

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2012年2月9日木曜日

生きるよすが

生きるよすがとして最も頼りになるのは、何かを愛することだと何度も書いてきましたが、その対象が人であるならば手っ取り早い。
手っ取り早いですが、他の誰かを愛し続ける作業は意外にやっかいなものです。

それは、思いを寄せるのが目の前の相手であっても、よくよく眺めれば、実際思いを寄せているのはあなたの心の中に生じた相手のイメージだからです。
そして、愛する相手が人間の場合、都合よくあなたの心にあるイメージと同期してくれないのです。
ここら辺が厄介で、熱が冷めるとなんだこりゃ、となってしまう。

要は、期待するから裏切られるので、あなたの期待をはずし、ただ愛すればいいのですが、こいつが難しい。

ま、いずれにしいても人は何かを愛していれば、随分生きることが楽になります。

老いも若きもせいぜい愛情豊かに生きていきたいものです。

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2012年2月7日火曜日

忽那汐里、武井咲、剛力彩芽

オスカーのこの三人の娘が力をつけているのなら、上戸彩はオスカーにおいて、もはやいらぬも同然。
それは、上戸の望んでいたことでもあるのですが、人にはいろいろと未練があります。
上戸という娘にもそれはあり、引退や結婚やもろもろなにやかやが平和にいくかどうかは難しいところですが、うまくいけばいったでよかろうとわたしは思っています。
それなのに、上戸はそうは思わないようで…

新しい上戸になりたいなどと言っております。

それこそが未練。
人は未練のために生きているということがよくわかります。

わたしは、上戸の哀しさが今でも好きですが、人が生きていく未練も上戸のこの一件でよくわかります。
もちろん、わたしも未練がうえの生。

困ったもんです。
上戸も、わたしも…

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また2号機ですか

ご存知でしょうが、福島原発の事故は収束などしていないし、これからもしばらく…、しばらくと言うのはあなたが生きている間はということですが、残念ながら収束しません。

福島の事故はそういう事故です。
ですから、鳥取の梨が迷惑をこうむったというような出来事はこれからも起きますし、おそらくそのほとんどが実被害で、風評被害として扱うべきものではありません。
そういう時代に入ってしまったのです。

放射能に関してはそういうことですし、それ以外のもろもろの出来事もこれからは落ちていくばっかりと考えていいと思います。

落ちていくだけの世界に対してどう向き合うかの意識がない限り生きていくのはつらいかもしれません。
けれども人間そのものが、生れ落ちたそのときから、厳密に言えば堕ちていくだけの存在ですから、驚くことはありません。

まあ、気楽にやりましょう、ということですね。
好きな仲間と酒でも飲んで…

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田中康夫議員の国会質問

http://www.youtube.com/watch?v=sXO6WKlMDpo

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2012年2月6日月曜日

いつかは暖かくなる

今日の雨の日は、少し暖かだった。
明日はもう少し暖かな雨の日。

そして、いったん寒気は戻り、いつの日か暖かになる。

そんなことを淡々と誰かに言ってほしいような夜です。

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2012年2月5日日曜日

妙な予感

ぶらりと散歩しているときに、ある人のことを思い出し、その人が逝ってからもう20年が過ぎたことにふと気づく。
生まれ変わったとして20歳かそこら。

どこかで出会うやも知れず、出会えば誰よりも大切にしなければならぬ人ゆえ、しばし頬が高潮し、だれがその人かと思いやる。
あてなきことにあらず。

もしや、あの人かと思うだけで金縛りにあいそうです。
無駄に生きたと露悪が過ぎるのもよろしくないか。

仕合せがあるかもしれない…

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老いてさえもなお

何かに執着することが望ましく思える。
(何にも執着せず、悠々自適に生きていくのはある種の達人のなせる業で、まあ本人がそう思っていなくてもそういうもので、そのことを論ずることは残念ながらわたしには出来ない)

何かに執着し、そのことを自分で行ってみるというのが、いまわたしの思う、人のあり方の上等のものです。

毎度毎度で恐縮ですが、噺家などを追っているとますますその思いが強くなります。
いまの時代は、才ある落語家が多く、彼らはよくお稽古をなさっております。
師匠に学び、それを真似し、さらには自分の噺を作る。
こういった一連の作業は、落語ばかりではなく何事においてもそうでしょう。

そういう意味で何かに執着し、自分を生きていく姿をもって、いまのわたしはよしとします。

であるからには、やはり、次の一作を書く気がなくなったその後の小説家の人生はなかなかに暗い。
先生、おっしゃるとおりだと思います。

先生の新しい作品をいつまでもお待ちしています。

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2012年2月4日土曜日

落語と小説

とくに短編小説には落語とその文体に密接な関係があり、そういう意味で志ん生の「文七元結」の導入部などの絶品さに追いつく小説はなかなかにない。
それは話芸と書き言葉の差と言えば言えるけれども、そう単純でもない。

でなければ、落語家がこれほど小説家に影響を与えるはずもない。

そう思って五代目志ん生の「文七元結」の入りを聞くとうならされる。
ようやっとのことでございます。

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2012年2月3日金曜日

郡山から戻ってこない娘

郡山の学校を卒業して東京で健気に働いていた娘さんがいたのだが、年末に帰郷してそのまま帰ってこない。
どうなったことだろうと気になることがある。
わたしが気にしても致し方ないのだが…

福島は、今も非常事態であるし、それは福島にとどまる話ではない。
わたしたちは状況を詳しく知っておく必要があるが、情報はなかなか開示されない。
情報は、今の時代、大きな要素で、場合によっては世界を動かす。
ということは、われわれもアンポンタン政府の情報操作で動かされているし、福島に帰ったきりの娘もその娘の家族も情報に翻弄されているだろう。

とは言ってみても、郡山に戻った娘はそのままどこかの人と結婚してしまったかもしれないし、わたしが心配するほどのことではない可能性も大きい。
けれども、福島というだけで何かしら胸騒ぎがしてしまうというのは悲しいことだ。

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人間などというものは

人間などというものは実にしようのないもので、生きていくことはそのしようのなさの真っ只中を駆けていくようなものである。

そのとき、自分のしようのなさを知悉している必要があり、その点では聡明でありたい。
また、他者のしようのなさには多少なりとも目を瞑りたい。

けれども、しようもない人間に足を引っ張られ、いやな思いをすることだけは何度されてもいやなものである。
そういう迷惑をかけておきながら、他者のことをあれこれ言うやからは、自分を正しいとはじめから自分を神棚の上に祭ってでもいるようだ。

厄介な連中である。
やつらは、ばかで自分だけを大事にすることに躍起になるがゆえ、あまり相手になさらぬように願いたい。
彼らの理屈は、あなたを理解しようなどという殊勝な心根がどこにもない。

何が楽しいのやら。
ただ、そいつらが政府の決定権を形成したりもしている。

無垢に生きようではないか、生きられるところまでは。

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2012年2月2日木曜日

羽生、名人挑戦者に

羽生さんは、どれだけ追い込まれても立ち上がり、華麗な復活をみせる。

谷川、渡辺を応援するわたしにとって困った相手だが、はっきり言ってしまえばまぶしい存在でもある。
羽生は、いまでも棋界の第一人者である。

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2012年2月1日水曜日

晩年の枝雀

晩年の枝雀の「代書」を見る。

どこか、やるせなく切なげだった。
わたしの勘違いだといいのだが…

鬱の枝雀の顔は見たくないというのが、わたしの願いです。

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