2008年2月29日金曜日

勇気とか感動とかさ

勇気とか感動をありがとう、なんていう連中がいるわねえ。
サッカーの試合や誰かの歌にもらったらしいけど、そんなことはありえないのだよ。

あっ、これって、前も書いたっけ。
まあ、いいや。

勇気とか感動とか生きる気力とか暖かさとか…みんなみんなあなた自身が持っているものなので、誰かから、何かから全面的にもらったりするものじゃないんだよ。
自分のなかに何もない人間に勇気や感動が湧くわけはないだろう。

もし湧いたとしたら、それはあなた自身なかにある勇気や生きる力が、サッカーの試合や芝居を見て反応したのですよ。
でも、ほんとうは、そんな大げさなものでなくても人は反応するのです。
竹やぶの揺れる姿や、落ち葉がゆっくりと落ち続けるシーンや、波打ち際なんぞに。

それが、なぜにあんなに大げさに、テレビに到っては、まぬけな司会者がぎゃあぎゃあ騒いでいる。
あれは、勇気をもらった雰囲気、感動した雰囲気を演出しているのです。
感動のかけらもない奴が感動なんかできるわけがない。

で、どうするかというと感動の萌芽を育てるのです。
勇気の芽を少しだけ芽吹かせるのです。

そうすれば、誰かと会ったとき、その目を見ただけで、幸せや感動が訪れることもあるというわけです。

あなたのなかにあるほんの小さな感動を生み出す努力、それだけが人の生きる手立てだとわたしは思います。

感動をありがとう、勇気をありがとう。
そんなことを乗せられて言ってちゃいけないよ。

あなたは大事な人なのだから、誰も目を留めなかった、草花に、あるいは、その草花の葉から落ちる水滴に感動する力を持っているはずだよ。

それがわたしのあなたへの幻想です。

でも、ねえ、

それは、ほんとうに幻想なの?

ラベル:

白木蓮





白木蓮のことを昼間思った。
「さっき、ハクモクレンの薫りがしなかったか?」
そんなふうに思った。
まだだろう、あのハクモクレンは。
あのというのは、ほかでもない、あの善福寺川のハクモクレンだ。

もう何年も行ってはいないが、今年こそは行ってみようかと思った。
それはそれはみごとなハクモクレンだ。
その木のそばは、満開にもなれば写真家で一杯だが、それはいい。
我慢しよう。
いやだが、そんなことは気にはしていられない。
二人きりにはなれはしない。
いや、真夜中ならば…なれるかもしれない。
それなら、真夜中に行ってもいい。

あのハクモクレンの下の日向でわたしはあと何年、何度日向ぼっこができるのだろうか。

それよりもなによりも、あのハクモクレンがわたしをずっと待っていたとしたらわたしはどうやって今年の春にあれに会えばいいのだ。

あれを覚えてはいた。
もうあの花が咲いていることだろうと。
けれど、わたしは毎年思いながら、行かなかった。

愛に薄い人間のやりそうなことだ。
酒も止めて、女も止めて、歌も止めて、…
どこまで止めていくのだろうか。

そんなふうに遠くからあの花は、わたしを見ていたのだろうか。
あるいは、花などつけない季節もあの木はそういうふうに眺めていてくれたのだろうか。

わたしは、今年の春はあれのそばに長く長く佇み、夕暮れまでいようかと思っている。

こんなに長く待たしたのだもの。

でも、許してはくれんだろうな、許してくれても、許したとは言ってくれんだろうな。
花弁のひとつも落としてくれれば、わたしは、そのとき、泣いてしまうような気がする。

わたしの落とす涙は、あれが落とす花弁のような涙で、ほんのうっすらとした感情と濃い薫りが漂う涙だ。

もう少しだけ強い心で生きていて、あれのそばに行ってみたいと思う。
あれのそばに寄り添っていたいと思う。

今日の午後、昼の光の中の一瞬、そんなあれを感じました。
少し、幸せな数秒でした。

ラベル:

2008年2月28日木曜日

みんな仲良く

いまや「みんな仲良く」は幻想と化してしまっているのだろう。
何せ、統一した敵も持っていないのだから。
もっとも、そういうイメージを作ろうとしている連中はいるが、あれは嘘だ。
そういう敵を作ればうまく進むというところから始まっている。
まあ、そう考えておいて間違いはない。

統一した敵は共同戦線、やわらかく言えば仲良しを作るのに最適だがそれもはっきりとないのだから、と嘆いて見せるのだが、可能性がないではない。

たとえば、「ペテルの家」がある。
住む人のいなくなった田舎の家に新しい共同体を作ろうとする動きがある。

これらには特定の敵といったものはないが、弱者が自然に持ってしまう敵、敵とといっては、語弊があるが、やや厳しすぎる圧迫感があるのだ。
弱者は気遣われなければ、そのまま圧迫感を持ち、その圧迫感に何かで対抗していかなくてはならない。

それはある場合は強い意志だろうし、仲間だろうし、ひきこもりだろう。
そのなかで、わたしは可能であれば仲間というものの可能性を追求できればと思う。

ここで重要なのは、現象としては違うが、
強い意志も、仲間を欲する柔らかな意志も、ひとりきりで立てこもる引きこもりも同じ根を持っているところだ。

だから、強い意志をもてなくても恥じることはない。
いまの世の中、弱いものにだけ許されているそのものが、
仲間を求める緩やかな意志だ。
急いではならない。
仲間選びはとても繊細な作業だからだ。

「おひとりさまの老後」という本を書いた女がいる。
この女の悪は、男を敵と見ているところだ。
男もいろいろで、あなたが目の仇にするような間抜けで、強くて、(強いと思っていて)ものを考えないやつだけではないのだ。

弱きものの代表として、ひなたでひざを抱えて座っているような繊細な、あえていえば美少年もいるのだ。
その著者はむかしで言えばもうおばあさんだ。
そのおばあさんにお願いしたい。
そういう美しき弱者である男たちは見捨てないでいただけないか。
それが、ささやかなそのおばあさんへのお願いだ。

まあ、そのほかの、か弱い男たちは、ゆっくりと仲間を選んで生きていくからさ。

一人じゃ生きていけないんだから、これはもうしかたない。

仲間たちよ、またいつの日かどこかの場所で。

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2008年2月27日水曜日

金が仇の世の中

金が仇の世の中とはよく言ったもので、金があればたいていのことはできる。

愛は金では買えない。

などとまことしやかに言う人がいるが、愛なんぞ一番簡単に金で買えるものだ。
ちょっとした服を着て、札びら切れば、たいてい大丈夫だ。
札びらを切るそいつがひどいやつならと思うだろうが、金があって馬鹿でなければたいていの男は金によって利口になるものだ。質は問わないが。

知性も金で買えるのだ。
疑うならば、皇太子殿下をごらん遊ばせ。
なかには知性を買うのに失敗したのもいるが、それは仕方がない。定めだ。

さて、世の中には確かに金で買えない愛はあるはずだ。
確かに、わたしの中にも金では渡せない愛もある。
しかし、愛は金で買えない、などとぼんやり言っていてはいけない。

この愛は、金では渡せない、だ。
そうしっかりと握り締めておくがいい。

そのように厳密に考えていくと、金で買えないものはこの世にほとんど存在しない。

せめて、金では買えないものを自分のなかにいくつかしっかりと持っておきたいものではないか。

本日も雑用でまたしばらく外に出かけなければならない。
これなども金を渡して、誰かに頼めばそれですむ。
時間も金で買えるわけである。

わたしは意外に豊富な時間があって、その分、金がない。
そこで、この有り余る時間を金に代えようと思う。

それを労働者という。

「労働力」とはマルクスの見抜いた卓抜なる視点だ。

我が「労働力」は売れるのだろうか。
それが、昨今の悩みだ。

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2008年2月26日火曜日

自由という名の不自由

昨夜、25日は沢登秀信の歌を聴きに行った。
いい歌だった。

そこに歌を、何かを作り続けている人を見た。
こういう人を見ると涙ぐむ。
生きているのだなあと思う。

わたしは、故あって、ここしばらくかみさんの言うとおりに生きている。
「たまには女の言うとおりに生きてみるものだ」
といったのは沢田龍彦だ。

そういったときに、自分がいかに不自由に生きてきたのかわかる。
自由であるというのはある選択肢を選ぶことの自由だ。
したがって、ほかの選択肢を棄てなければならない。
無数の選択肢を捨てるという行為に潜む不自由さ。

俺は、選んだこのこと以外は、何もかも出来ないのだな、と思う。

そういったとき、かみさんの言うとおり生きてみると自由を感じる。
彼女の与えたわたしへの自由はそれしかない選択肢を自由そのものに感じるのだ。

自分が自由であるためには、いかに多くの選択肢を棄てる不自由をしていかなければならないか。
そのことを沢登さんは静かにわたしに話してくれた。

自由という名の不自由さをしみじみと感じるこのころ、沢登さんの生き方はしみじみと自由だった。
いいものを教えてくれた。

ラベル:

2008年2月25日月曜日

もう何もかもなくなってしまった…


日曜日は、風が強く、そしてバカスカと黄砂がたなびいていた。
空が鈍い黄色をしていた。

細君が、わたしの両親の墓参を誘ってくれたのだ。
もうどこにも行きたくはなくなってしまっていたわたしは、上野原のその霊園で、墓を掃除した。
掃除しながら、すまないとおもった。
両親にも細君にも子どもたちにも。

一人ぼっちになりたくて、ひとりぼっちになった人間が、
「なあ、いっしょにいてくれよ」
そんな雰囲気の日だった。

生きていられるのかなあ。
遠くにかすんだ白い富士山が見えた。

今年の正月には、あの山に登ろうと考えていたこともあったのだ。
今では、どこにも出かけようとはおもわない。
ただ、少しの上等な本をポツポツと読んでいてみたいというのが、小さな願望だ。

細君から、いろいろとなだめすかされ罵倒されたあげくに重い腰を上げて、断酒をしようという気になった。
本格的な断酒だ、そうでもしなければ、
このオレの人生は、何という人生なのだろう。

できるだけ、早く断酒薬を手に入れようと思う。
その薬を飲めば、酒を飲むと身体のなかで化学反応を起こし、ひどい状態になるあの薬だ。
つまり、酒を身体に入れることを拒否させるあのクスリだ。

黒田三郎が飲んでいたことがある。
中桐雅夫は知らない。
あんなに飲んで、田村隆一は良くぞあれだけのものを書いたものだ。

わたしにまだ可能性はあるのなら、生きていていたいものだ。

書き続けるさ。
身体と文章が共鳴し続けてくれているのなら。

1992年10月26日 北村太郎が亡くなった。
28日の身内の会に阿子は出かけたという。

ラベル:

2008年2月22日金曜日

まず、世話になっている人にありがとうをいわなければならないだろう。

だめな人間が、いつもそうではない、わたしがだめではないといっても、何の力もないが、そういうものでもあるまい。
だめな人間は、いつでもだめで、それを取り繕う暇もない、とここに続けてもそうでもあるまい。
それが、いかに正しい言葉としてもそうは、かろやかに抜けてはゆかない。
そのためには、相手が必要かもしれない、相手とは聞く相手だ。
その相手に大切なものは、温かい目だ。

それは、仲間とは少しちがう。
違わないのは、「才能」だ。
そばにいるだけの湯女のような才能だ。
「湯女」の才能をおまえはどこにおくKよ。
韓国の泣き女をあんなに「めでたおまえが、湯女はどこに置く。」

「哀しい静寂の眠るそんな夜に」
この言葉は、違っているが、
そんなおまえが、生活にくるしむは、おかしいではないか。

今でも、おまえは、吉祥寺の寂れた屋上で、詰まらんジョッキを握りながら、眩しいばかりに輝いているのだ

そうして、オレに、ジョッキを差し出したのだ。

おまえは、つまりは、おまえとはおれのことだ、どうしようもないな、と。

そして、オレは、そのときのままなのだ。

おまえの前におれの死体をころがしたくないのだ。
K君よ。


強く生きてくれ。
あえて、禁句を君に送る。

幸せはキミのそばにある。
見えようが、見えなかろうが。
そうでなくては、生きていくのが哀しすぎるではないか。

ラベル:

人生痛苦多し

たとえば、「人生痛苦多し」と言ったとしても、もちろん書いたとしても、わからぬ人間にはわからない。
いや、高みに立って書いているわけではない。
わかるわからないは、その人間の歩いた系譜による。
あるいは、軌跡と言おうか。
軌跡に意志がないなどとは、オレは言わせない。

だから、そのことをわかろうがわかるまいが、その人の人生にはかかわりない。
ただし、あなたの前にいるその男にはかかわりは生じる。

何人の男が、「人生痛苦多し」この言葉を理解するだろうか。
フェミニストには悪いが、あえてこの言葉「男」を使わせていただく。
何人の男が、この言葉をわかるのだろうか。


中桐雅夫が書いた田村へのエッセイの最後にそいつは出てくる。
「田村よ、人生痛苦多しといえども、朝酒はやめろよ。」
そういう結末だと記憶している。

田村隆一は酔っ払いだ。
そういう現象で人は見る。

だが、一方で、田村隆一は、一流の詩人だ。
そういう評判で人は見る。

しかし、酒を止めさせるのにも、いろいろと苦労はあるものだ。

オレは、オレのかみさんに感謝している。
あの娘を何とか幸せにしたいものだと思っている。

しかし、うまくいかないものだ。

この風と雨と人生は、うらはらに流れそよぎうっているではないか。

ラベル:

風が吹けば…

「風が吹けば桶屋がもうかる」とはいうが、風が吹かなくてももうかる桶屋はもうかる。
客が、そこの桶がいいと知っているからだ。
だからといって、客は、桶がいいということだけでその店に通うわけではない。
一度評判が立てば、よほどひどいことをしなければ店は続いていく。
だからといって、手抜きをしてもいいわけではない。
このあたりをさじ加減という。

あるいは、慣性の法則ということばを使ってもいいかもしれない。

わたしの初動はいつにある。

哀しいほど遠いのかもしれない。

あなたくらい若ければ、時間も矢のようには過ぎていかないのだろうが。

ラベル:

仲間

才能には仲間が必要だ。
自分ひとりで才能を才能として芽吹かせることはそうそうできるものではない。
もちろん、仲間に才能を求める必要はない、あったに越したことはないが。

仲間を作りなさい。
それも、志の高い。
才能は要らない、あったに越したことはないが。
志の高い男か女をそばに置け。

老若男女は問わない。
若い女に越したことはないが。

さて、志とは何か。
志とは現象に振り回されない目だ。

酔っ払いは酔っ払いだけではない。
貧しい生活をしている人が、貧しいわけではない。

現象は現象にすぎない。
たとえば、その目を覗き込めばわかるものだ。

いつも言っている握った手のぬくもり以上のものは、どこにもないのだ。

ああ、生きていこう。
わが仲間たちよ。

ラベル:

ばけつ一杯の話

「このばけつ一杯を満たすおもしろい話をしてくれ」
そう王様に頼まれて話をし始めたのだが、どれだけ話をしてみても王様はまだ一杯にはなってはいないという。
さて、どうしたものか。
王様がばけつ一杯になったと思うのはどういうときなのだろうか。
いろいろと工夫をして話してみるのだが、なにを話しているのか、とせせら笑われてしまう。

王様に気に入るようにと思うのだが、ああ言えばこう言うで、とんとらちがあかない。
もともと王様はバケツ一杯になるという感覚を知っているのかと疑いたくもなる。
それとも、もともとわたしに面白い話をする能力がないのか。

そういった悩みをいまわたしは抱えている。

ばけつ一杯の話の具体的なイメージが王様になければそういう作業は、はなから無駄なのだろうか。
しかし、目の前に王様がいる限りは、王様にナットクできる話はあるのではないのか。

何とかしようとあれこれ考える毎日だ。

ラベル:

2008年2月20日水曜日

若い女を…

「荒地の恋」を仕事の合間にパラパラとめくっている。

田村隆一のかみさんによると、田村は若い女と付き合う姿をわたし、つまりかみさんに見せつけたくてやっているのよ、という表現になっているが、さすれば、見せつけたくなるほど素敵なかみさんでなくてはならないではないか。
見せつける気にもならないかみさんなら、もはや、その若い女に恋するしかない。
だとすれば、恋するにたる若い女はいるのだろうか。

わたしにとって、いい娘だと思う女はいるのだが、恋するのとは違う。

仮眠室に忍び込んで、ケツに麻酔薬を注射してなんぞという気分にはなかなかなれないものだ。

あの男、狂っていたな。
そうでなければ、よほどいい女だったのだろう。
でなければ、ケツに麻酔薬を打つなんぞという発想は浮かばないだろう。

なにやらこっけいな事件だ。
やられた看護士、むかしで言う看護婦さんはとんでもない迷惑だが、古来、美しさはそういう事件を生みがちなものだ。

野草のように若い娘を見つめだしたわたしは、もう終わってしまっているのかもしれない。

ラベル:

2008年2月19日火曜日

道楽で詩は書けない

北村太郎は、タイトルのようにそう思う。
だから、治子と生活をし始めた私に詩が書けるはずはない。
片手間では無理なのだ。

しかしながら、詩を手放すことで得た幸せもある。
家庭の幸せである。
では、なぜにその得た幸せを手放すのか。
再び詩を得るためか。

彼の感じたように生活と詩は相互排他的なのか。
ここでいう「生活」とは山之口獏の言う「生活」とはまったく違うことはおわかりだろう。

北村は、「思い巡らす道筋」があるという。
肝心なのはこの道筋で、その道筋を守り続けていれば生活を壊すことはない。
しかし、一端、横道にそれてしまったら、その道筋に戻るのは少少面倒なことになる。

「荒地の恋」を読んでいて、自分が生活のために「思い巡らす道筋」をたどったことがあるかどうかを振り返った。
もちろん、「思い巡らす道筋」をたどっていないとしても詩人になれる保証はない。
むしろなれはしないだろう。

「荒地の恋」には、「思い巡らす道筋」をそれてしまうことがそのままどこかへの道筋になってしまっていた男の話が書いてある。
そこにはそれにかかわる男たちや女たちが出てくるが、どうにもこうにも弱ったことには、誰もが悪くはないのだ。
それでいながら、だれもが痛みを引き受けなければならない仕組みになっている。
なかには、無神経な女もいるにはいるのだが・・・。

ラベル:

2008年2月18日月曜日

荒地の恋


だれでもがわかる本ではないと思う。
だが、わかるその人がこの本に惹かれるとき、この本は、この本のなかの人たちは、きれいな顔をしながら、あるいはねめつけながら、どいつもこいつも、クツを脱いでいようがはいていようが、とにかく土足で我が心の中に入ってくるのだ。

そうして、
「なにをしているのだ」と言ったり、
「一緒にどこかへ行ってしまおう」と言ったり、
「おまえは才能がなくてよかったな」
「おまへはなまけものでよかったな」
「おまへは、おまへは、おまへは、…」と際限もなく繰り返すのだ。

そのだれも彼もが、わたしにはすでに肌で感じてしまった奴らなのだ。
奴ら扱いにしては可哀想なご婦人もいらっしゃるが、ここではそれも許してもらおうか。

酷薄さだけは少しは持ち合わせている輩だからさ、わたしも。

それにしても、ひとっかけらの美しさもないこんな小説にこうも惹かれてしまうのは、どいつもこいつもが言葉を扱う非情さをよく知っているからなのだろうか。

ひょんなことで時間を無駄にしたわたしには手元に幾ばくかの手仕事があり、こいつを何としても仕上げねばならないのだが、それが終われば、ほんとうに何処かに行ってしまいたくなる。

いやいや、そんな悠長なことを言ってはいられない。
この際、行ってしまえばいいのだ、そこらのフウテンと手に手を取って、何処かへ行ってしまえば。
足跡を慎重に消しながら、そして、その後は、脱兎のごとく。

ラベル:

またも酒について

酒は水より害はない
疑う前に
洪水を見よ

まあ、いろいろと酒には言葉があるが、
酒は、かくのごとくいろいろ人に思わせるものなのだろう。

世の中は
酒と女が仇なり
どうか仇とめぐり合いたい

この場合、酒と女とどっちが憎い仇かな。

だって、あっちの女とこっちの女は違うじゃないか、あっちの酒とこっちの酒と違うじゃないか、という問が聞こえるが、ほんとうにあっちとこっちは違うのかな。

あれとこれは、ほんとうに違っているのか。
それは、俺の目の曇りではなかったか。

チョットシタ、ひとりごとです。

ラベル:

ラジオから

ラジオを聞きながら作業をしていたら、むかしいた、ある僧侶の考えを説明していました。

「死ぬということは死ぬということで、生きる先に死ぬことがあるということではない」

そんな話だ。
生と死は別々のものだといった内容だ。

ちょっとショッキングだった。
わたしの思考は、そんなことにはまったくたどり着いていなかった。

認められるのは認められることだけで、がんばることとは無縁と考えればいい。
がんばるはがんばるだけでそれはそれでいいのだ、といったところか。

この僧のことをあまり詳しく知らないので、これ以上書く力はないが、ものを考証していく人はそんなところまで行くのだとしみじみと驚いた。

ラベル:

2008年2月17日日曜日

あまおう


久しぶりに外に出た。

近所によく行く、なかなかいいスーパーで「あまおう」をみつけた。
「あまおう」とは有名なイチゴの一品種だ。
しかし、馬鹿みたく高くはない。

写真のように大きな粒の品種である。
ものによって違うが、甘みも十分ある。
わたしの買ったのは、7粒で500円ほどであった。
高いと感じるかやすいと感じるかは人によって違う。

わたしは、その値段で買った「あまおう」をさきほど、つまりは21時ころアンデスを行くリアカーマンのおっさんのテレビを見ながら食べて、幸せなひと時をいただいた。

あるとき、それは、今年の初秋のころのことであろうか、上出来の丸干しをつまみに酒を飲むとき、それをまた感じるかもしれない。

わたしの幸せは、そういう感触たちのことです。

ラベル:

迷う

秋山の 黄葉を茂み まよひぬる 妹を求めぬ 山路知らずも

柿本人麻呂が妻を求め、迷い歩く姿を描いた歌です。
しかしながら、すでに黄泉の国にいる妻が、見つかるはずもなく、それでも、知るはずもない山路を歩くという歌です。

迷うことに積極的な意味を持たせず、モラトリアムなどという言葉が幅を利かす現代に、わたしは、もう一度迷うこととしっかり、かかわっていいと思っています。

迷い人 誰教えずとも 富士の裾

居場所がないことをそれほどまでに嘆く必要もなく、迷うということをそれほどまでに嘆く必要もない。

そういえば、佐賀県かどこかでは住む人のいなくなった家を開放して見知らぬ人たちで新しい家族を生み出す運動が起こっている話を聞きました。

迷っていることは、恥じることではない。
迷っていることに抗いすぎているために、する必要もない雪の道に転倒したりする。

ここまで書けば、飛躍になってしまうのかもしれないが。

いつものように、そのままのあなたで大丈夫だと、この一文にもけりをつけましょうか。

ラベル:

2008年2月16日土曜日

それが、もし転倒の持ち込んだ災難であったとはいえ

持ち込まれた先がわたしであるならば、後の対応も何もかもわたしのうちの問題で、なんとも深いどぶ泥に迷い込んでしまったことをしみじみと知る。
多くの迷惑をかけたことと同時に、それでも生きていきたいのなら、何度でも立ち上がり、自分のありようを確かめようとしなければ、生きている甲斐はなく、まあまあ大変な生き方だことと、どこかの貴婦人がほめてくれることもあるはずもなく…

何度でもはいつくばって生きていくほかはなく。

それにしても、まあまあ大変な生き方だこと、だ。

行き着くところまで、進んでいければ幸せというだけのことで、その行き先をわたしはまだなにも知らないのだ。

ラベル:

2月9日の転倒

2月9日の午後4時ころに目黒区の「東京医療センター」に救急で運び込まれる。
どこでどのような状況で、倒れ、頭部をどのようにしたたかにうち、誰の連絡によって、運び込まれたかは、例によって例のごとくわからない。

間抜けなことに、その日からわたくしは、使い物にならなくなった。
しかも精神的にも落ち込み、関係各位に多大なご迷惑をおかけしました。
とりかえすべくことができる落ち度かどうかはしかとわかりませんが、取り返すことが可能であるのであれば、取り返すことをお約束いたします。

ようやく一昨日くらいから、何とか使い物になるようにしだいになりました。

以上、取り急ぎ書き込ませていただき、深くお詫びいたします。

山本英則拝

ラベル:

2008年2月7日木曜日

アルコール依存症

「アルコール依存症」

むかしは、「アル中」と呼んだ。
「アルコール中毒症」だ。
いまは「アルコール依存症」という。
何も変わってはいないが、そのように呼び方を変えたのだ。
意識が変わらなければ、呼び方の変化は何ももたらさない。
言葉と現実の関係はそう簡単ではない。(呼び名を変えるぐらいで変わるほどは…)

昨夜、あるうれしいことがあって、高井戸「ちゃんぷる亭」へ深夜、出かけた。
のんべえだからね。
そのときに、わたし以外の「アルコール依存症」の素敵な男と会った。
「アルコール依存症」は自分のなかにあるその状態を知っていれば、なかなかに魅力的なものだ。
うつ病もそうだし、ほかの中毒症もそうだ。

本当にそうかどうかはセンスの問題で確証は出来ないが、おおよそそのようなものである。

要は、自己認識能力の問題で、それがあるかどうかで自体は悲劇にも喜劇にもなる。
だからといって、症状が変わらないのだが、そのことを我々は現実と呼ぶ。
現実に生きているわたしたちは、ときにそんなところで遊んだりするのだ。

だからといって、何の解決もそこにはないが、
いったいに人生に解決というのはもともとあったのだろうか。
そういう問いもこんな夜にはしてみたくもなる。

そういう夜を空けた今朝のブログです。

ラベル:

2008年2月6日水曜日

浅草行き中止



本日は旧フランス座、浅草「東洋館」での約束があったが、肩こり、首こりのひどさ、朝起きれなかったことを理由に止めてしまった。
残念だが、こういう日もある。

とにかく、急ぎの仕事をすることにする。

ところで、日本にある加工品食品の70%は中国からのものという数字がある。
どこまで正確な数字かはわからないが、かなりの部分頼っていたことは事実だ。

食料は、金を出せば買えるというのが日本の発想である。

ほんとうだろうか!?

そういうことを真剣に考えてこなかった付けも今回の話にはある。
ただ、中国を悪者にしたり、犯人探しに躍起になってもことの本質はそこにはないかもしれない。
前にも話したように食料はいつ何時戦略物資になるかもわからない。

ほんとうにわれわれは何も教えられていないのだ。

いろいろと問題を抱えた国だが、そのなかで生きていかねばならぬわたしは、今日も地道に原稿書きだ。

株も下がって、とても大変な状況に陥っている人もいる。
いろいろあるが、愉快なことも時々はあってほしいものだ。

ラベル:

2008年2月5日火曜日

ナウ・アンド・ヒア と ゼン・アンド・ゼア

「今ここで」と「あのときあそこで」といった意味のタイトルですが、わたしなどは、「now and here」
の人間で、「then and there」にあまり重きを置かぬ傾向があります。

あのときあそこでどうであったにしろ、いまここにいるあなたを信頼しましょうとでもいった心持でしょうか。
それとも思い出を自分のなかに取り込むことで、思い出そのものが、わたしにとっての「now and here」に変質しなければ、「やあやあやあ」などと肩をたたきあう気分を持たぬ人間なのでしょうか。

ですから、同窓会はかなり苦手で、いつも逃げ回っております。
あなたが、わたしにとっての「now and here」であり続けてくれれば、それはそれで大丈夫ですし、身勝手な話ですが、そういう人とはまた逢いたくなることも、とある夜にふと思い出して、懐かしむこともありますが、「then and there」であるだけになってしまっては、それは少し困ります。

「あの時は楽しかったね」といわれても返事のしようはないのです。

そういった意味で「彷彿」のない人間との再会や「彷彿」のない出来事の話は、かなり困ってしまうのです。

同じように、「then and there」の記憶に頼って、もう一度あのときのように助けてくれないかという発言もよほど自分のなかのものとして、「then and there」の記憶が血肉化していなければ語りかけることは出来ないのです。

人は変わりゆく存在です。
あのときのままその人が、今もそばにいるというようなロマンティックな発想はわたしには、とてもできないのです。
その逆に、「now and here」の出来事やひとに対しては、おたおたしてしまうほどサービスしようとしてしまうテイタラクな部分を持ってもいます。

いま、目の前にいるあなたが笑っていなければ、愉快そうにしていてくれなければ困ってしまうのです。

こう書いてくると、なんとも理解しがたい、ある脆弱ささえ感じてしまう存在なのですが、しかしながら、あのときどのようであったとしても、今ここで、何ものでもなければ、それは、一種の甘えになるように思えてしまうのです。

あの時とは違う自分をわたしは知らぬうちに期待してしまうのです。

変わり続けること、それをわたしは、ときに「生き続けること」と呼ぶことがあります。
同じように変わることを放棄したままそこにあることを「生きていること」と読んで差別化することがあります。

ある入射角で物申せば、「now and here」にある種の桎梏を感じるわたしは、「then and there」のなかに安住できる精神に対してある種の煙たさを感じているのかもしれません。
ほめられた感覚ではないのかもしれませんが。

あの時、あなたが書いた文字がいいからといって、今も同じような文字を書いている人に対して、「まだ同じように書いておるんですな」という発言は、言い方を変えれば、「あんたは、今ここに、ほんとうにおるんですか。」という発言になります。

恐ろしい世界ですが、それを魅力的と思うならば、少しでも先に歩まねばならんのでしょうな。
ご同輩。

ラベル:

ブログの掲載

この2月から、3月いっぱい、さらに4月中ごろまでは、仕事が少し窮屈になってきています。
つまりは、しっかりしなさい状態になります。
そのためブログが間遠になったりする可能性もありますが、それは体調の性ではないので、ご心配なく。

断酒街道まっしぐら、ときどき飲んで大猛省。

皆様方と愉快に生きていければと願っております。

などといいながら、明日は浅草「東洋館」に出かける予定。

だから、きばらんとあきまへんな。
資料をしっかりと整理して、後は書き起こすだけといきたいものです。

ラベル:

2008年2月4日月曜日

須原一秀氏の自死

須原一秀氏は、一部の人からとても慕われた哲学者だ。
彼の銭湯好きというところにわたしは好感を覚える。

近年、消息を聞かないと思っっている方もおられるだろうが、須原氏は、昨年4月に自死している。
そのいきさつは遺稿『自死という生き方』(双葉社)に詳しい。
自殺を肯定する遺稿を残しての死なのだから、彼は選び取ったわけだ。
ひとは、このように死を選び取ることが可能だ。

自殺はよくないなどという御仁を何人も知っていおるが、どのくらい自分の生きるということに向き合ってきたのだろうか。
少なくとも他者の生死に口を出す資格はないだろう。
他者の生死に口を出すとすれば、ただひとつしかないのではないかとわたしは思っている。

「おまえがいなくなると、オレが困ってしまうではないか、お願いだからそばにいてくれよ」
あるいは「おまえがいないと、死ンじゃうよ」

そういうわがままだけが発言権を持つのだろう。
いかに幼稚で稚拙であろうとも。
それが、人と人がかかわるということを示している。

もし、あなたがそういうやり方で須原氏に対したとする。
それでも、最後まで平静に暮らし、しっかりと準備をした上で清清しく最後を遂げた須原氏を止めることは難しいだろう。
彼は、神社の裏山で縊死しており、その木は前々から選んであったという。
そういう人の死を止めるのは難しかろう。
また、止めてはならないのかもしれない。
須原氏は1940年生まれだった。

「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。
去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。
乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳 」

江藤淳もかように死を選んだ。
どちらも簡単な選択ではなかったろう。

こんな話がある。
インディアンの老酋長が、ある日「オレは今日あの丘の上で死ぬことになる」と予言めいたことを言って、丘に登っていった。
それから数時間がたち、夕陽が落ちるころ、彼は帰ってきた。
いぶかしげな顔をする村人に彼は言った。
「今日ではなかった。」

まあ、いろいろあるということだ。

自分のもつ縄で何でもかんでも括れると思ったら大きな間違いで、世の中には、あなたの縄では括れないことが、あちこちに落ちている。
そのときどうするのか。
そのときは、驚き、目を見開いてあなたが知らなかったそのものと出会うのだ。
もし、そのとき目をそむけるのだとしたら、それはあなたがすでに生きていないことを意味する。
だとしたら、あなたは死ぬことを恐れているにすぎない。
死とは、あなたが思っているようなものではないのかもしれない。

少なくとも須原一秀氏の考えた死をあなたは知らない。

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許すことは出来ても…

「許すことは出来ても、忘れることは出来ない」とは周恩来の言葉だが、これはなかなかに深い言葉である。
つまりは、忘れることが出来ないのだから、思い出すたびにそのことを許そうという広大無辺な愛情の言葉となる。
故あって、断酒をするわたしにも同じようなところがあって、
といってもはなはだ下世話な話なのだが、
断酒とは生涯酒を飲まない、酒を飲まない状態をし続ける行為である。
であるからにしてもって、まず不可能に近い試みなのである。
というわけで、さきの周恩来の言葉となる。

わたしの断酒の試みは、何度か崩れることになるだろう。
しかしながら、わたしは、そのたびに同じように決意するのだ。
わたしは、断酒すると。

まずは、一年に20回くらいしか酒は飲むまいとする。
もちろん、わたしの高い志は、酒は金輪際飲まないとなっている。

まあ、長年助け続けてくれた女を捨て去るのは、そんなに簡単にはいかないのだよ。

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86400秒

86400秒とはいうが、オレの人生はどれほど残っているのか。
オレは、伊藤にどれだけのものを託していけるのか、そんなことを考えてしまうではないか。

冒頭に掲げた86400秒は一日24時間を秒の刻みに表した時間だ。
いつ死ぬかもわからぬオレなのだが、生き切ってみたいものだ。

待つことのみを要求するオレを許してください。

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2008年2月2日土曜日

気の重い話なのだが…

先日の虎ノ門病院で(1・29)わたしの高血圧が、原発性アルデストロン症だろうということがほぼ確実視される結果になりました。

原発性アルデストロン症とは、ちょっとした書物には以下のように記されています。

「血中のカリウムが減少し、筋力が低下して、四肢に麻痺が起こることもあります。また、神経筋の興奮が増大してけいれんを起こすこともあります。血中のカリウムが増加し、高血圧の症状が起こります。血圧の上昇に伴い頭痛を覚えます。最高血圧も最低血圧もともに上昇しますが、最低血圧の上昇が顕著です。そのほか、やたらに喉が渇いて水分をとり、その分排泄も多くなります」

この原因は「副腎皮質に生じた腫瘍や、副腎皮質の過形成(組織の異常増殖)によって起こります。腫瘍そのものの原因はまだ不明ですが、良性であることも、悪性であることもあります。したがって、この病気ががんの発見の手がかりになることもあります。」

わたしの場合は、エコー検査では腫瘍が見つからないので、さらに精密な検査をして結果を見なければなりません。
要は、副腎近くの血液を採り正確には右と左、どちらの副腎からアルデストロンが過剰に出ているか調べるわけです。(カテーテルを両方の大腿部から大動脈に入れていくわけです。大静脈だったかな、どっちでもいいや、恐ろしい。)
そして、アルデストロンが過剰に出すぎている副腎を摘出手術するわけです。

たまりませんな。

両方ともに異常の場合もありますが(過形成の場合)、この場合はどうするか?
薬物治療になるかもしれません。

とにかく入院ですな、しばらくは。

それに加えて、わたしはアルコール依存症の傾向がありますが、アルコール依存症はうつ病になる率が通常の4倍くらい高くなります。
自殺の危険性も、依存の程度の軽い人で3倍、重い人では8倍くらいになります。
過量の飲酒がうつ病の危険性を高めるのです。

というわけで、断酒をしていますが、精神的な病はともかく、原発性アルデストロン症にはまいった。
いろいろな行状から、わたしの妻はこの病には無関心を装うのだろうが、つまりはわたしを見殺しにするつもりだろうが、そうはいかない。
ここまでハッキリしたからには、見殺しにする人間とともにいるわけにはいかない。

かといって、妻と別れた後、誰かあてがいるかといえば、これがいないわけで、どう角度を変えて考えてみようとひとつの正念場となっているわけです。

というわけで、わたしが万が一、あなたと酒を飲む機会を持つとしたら、それはなかなかの覚悟をもってして飲んでいるので、くだらぬ話などするつもりは一切ないのです。
そのあたりはご寛容に。

一期一会というが、それに近いものがいまのわたしの心にはある。

早く、やっておくべきことをやってしまわねば。

といっても、原発性アルデストロン症は死に到る病ではないので、わたしを憎むあなたが、それほどうれしがる必要もないのです。

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テレビ




人は問う 我は応えぬ 紅葉の
 はるかなる秋 雁は飛びゆく

ハマナスや 水平線上 夏キラリ

わたしの家は、ゴミやら本やら布団やらわたしやらで、それはもうぐちゃぐちゃで、今回の断酒を区切りに思い切って、ぼこぼこ棄てて整理をしようかと考えている。

まあ、最初はわたしだわな。

で、考えてはいるが、もう三日間も断酒しているのに身体の症状にほとんど変化がないことを思うと、断酒によってなんら変わらないのなら整理もすることはないかと思いつつ、ふと目先をよぎるメモのきれっぱしに上のような拙い歌や句を見つけると、ふと夜を感じてしまうではないか。

昨夜は松田優作の「ブラック・レイン」、今夜は「デス・ノート」を見て無駄に過ごしたと哀しんでいるが、こういう無駄は単にテレビを見ている無駄よりはたちがいい。
なにせ、松田優作の演技が見られたし、デス・ノートのキャラの立て方も見られた。

それ以外のほとんどのテレビは、暇つぶしの意味もない。
「あんなものに出て楽しいかね」と昔、談志は言っていたが、まあ、そういうことだ。
しかし、テレビ芸人にはテレビ芸人の技があるところは面白い。
しかし、それも数えるほどだろう。
たとえば、いまなら「さんま」「紳介」とかさ。
しかし、テレビ芸とだけ限定すれば、それにしてもさほど見るものはない。

昔、一億総白痴化と大宅さんが言ったが、当たっていたというわけだ。
でも、選べば映画だとか、なんだとかでテレビにも見るべきものはあるのだろうがね。

わたしは、利口ではないが、それでもテレビで頭がやられるよりは、ラジオを聴いていたいものだ。
明日(土曜日)の朝から午後にかけてのTBSラジオなんてなかなかのものだとわたしは思うよ。
聞くかどうかは、まあ別だけどさ。

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2008年2月1日金曜日

テレポリティックス

「テレポリティックス」という言葉がある。
テレビを利用した政治、少し違うが広報戦略、さらに違うが、メディア戦術の並びにある言葉だ。

この言葉をここで出した意図は、多くの場合、われわれが知らされる事実はすでに操作されていることを知っておこうという意味からです。

テレビが、嘘を言っているということではないですよ。
ある事実群の中から何を選び取るかで、その事実、現象は大きく違って見えてくるという話です。
たとえば、9・11のようにね。

昨日書いた中国食品による食中毒の話だけど、あれはあれでひどい話です。

みなさんは、少し前、「ナントカ還元水」で話題になり、自殺に追いやられた松岡利勝農水大臣をご存知でしょう。
しかし、2001年小泉内閣発足時にあった「GATTウルグアイラウンド」でとった彼の行動は、あまり知らないのではないのだろうか。
あの時、小泉に対する抵抗勢力の代表格としてあったのが、あの松岡利勝だった。
松岡は、農産物の貿易自由化に断固反対した。
しかし、あの小泉という男は一切を妥協しないという方向性をもっている。
次々と反対勢力を沈黙させ、農産物自由化を達成していった。
中国農産物の自由化を許した九州では農家は次々と廃業していった。
国家的には、第一産業全体が、退潮していく流れとなっていく。
もちろん松岡氏の地元熊本も例外ではない。
安い中国産農産物に押されに押され、熊本特産のい草農家が全滅した地域もあったと聞く。

そのとき、テレビを代表とするマスコミでは誰も騒がなかったでしょう。
もちろん、心ある人は騒いでいたさ。
しかし、どこにもその存在はないと喝破した大衆のみなさんや国民のみなさんは、この農産物の貿易自由化になんら興味を持たなかったでしょう。

問題は、腹が痛くなるようなものを食わせるなだけでは終わりはしない。
もちろん、わたしもよくはわかっていない。
しかし、これだけで終わらないことは知っている。

農作物が戦略物資だということは知っておられるでしょうか。
バイオエタノール産出のため、どれだけの大豆やトウモロコシが使われるのか。
それは、単純にエネルギー対策だけではなく、国際戦略として立ち現われてくる。
北朝鮮だけが国際問題ではない。
食糧問題は、とりようによってはそれ以上に危険度の高い国際問題だ。

もっと、広く見て、お互いに情報を交換し、生きていけるなら何とか共に生きていこうではないですか。

がらにもないが、本当にそういうことを思うよ。
2001年の「GATTウルグアイラウンド」からの政治判断の誤りは問題にされないのか。
2001年以前の日本の農業対策はどうだったのか。
そういう今までやってきたことたちの生み出したひとつの象徴が、今回の中国冷凍食品の問題だ。
もちろん、そこには中国経済の問題も潜んでいるだろう。

目を凝らしていれば誰かが語り始めるはずだ。
この食中毒問題の本質を。
そういうことに目を向けていたい。

テレビ報道さえいじくっていれば、あいつらは何とかなる。
そうほくそえんでいる奴らがこの国にはいるのだ。
そして、彼らは自分のこと意外には興味はないのだ。
この国のことに目が行かないから、この国はあらぬ方向へ驀進していく。

この国で生きていくのは、かように大変なことなのだ。
(何回目になるのかな、この文句は)

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