アルコール依存症
「アルコール依存症」
むかしは、「アル中」と呼んだ。
「アルコール中毒症」だ。
いまは「アルコール依存症」という。
何も変わってはいないが、そのように呼び方を変えたのだ。
意識が変わらなければ、呼び方の変化は何ももたらさない。
言葉と現実の関係はそう簡単ではない。(呼び名を変えるぐらいで変わるほどは…)
昨夜、あるうれしいことがあって、高井戸「ちゃんぷる亭」へ深夜、出かけた。
のんべえだからね。
そのときに、わたし以外の「アルコール依存症」の素敵な男と会った。
「アルコール依存症」は自分のなかにあるその状態を知っていれば、なかなかに魅力的なものだ。
うつ病もそうだし、ほかの中毒症もそうだ。
本当にそうかどうかはセンスの問題で確証は出来ないが、おおよそそのようなものである。
要は、自己認識能力の問題で、それがあるかどうかで自体は悲劇にも喜劇にもなる。
だからといって、症状が変わらないのだが、そのことを我々は現実と呼ぶ。
現実に生きているわたしたちは、ときにそんなところで遊んだりするのだ。
だからといって、何の解決もそこにはないが、
いったいに人生に解決というのはもともとあったのだろうか。
そういう問いもこんな夜にはしてみたくもなる。
そういう夜を空けた今朝のブログです。
むかしは、「アル中」と呼んだ。
「アルコール中毒症」だ。
いまは「アルコール依存症」という。
何も変わってはいないが、そのように呼び方を変えたのだ。
意識が変わらなければ、呼び方の変化は何ももたらさない。
言葉と現実の関係はそう簡単ではない。(呼び名を変えるぐらいで変わるほどは…)
昨夜、あるうれしいことがあって、高井戸「ちゃんぷる亭」へ深夜、出かけた。
のんべえだからね。
そのときに、わたし以外の「アルコール依存症」の素敵な男と会った。
「アルコール依存症」は自分のなかにあるその状態を知っていれば、なかなかに魅力的なものだ。
うつ病もそうだし、ほかの中毒症もそうだ。
本当にそうかどうかはセンスの問題で確証は出来ないが、おおよそそのようなものである。
要は、自己認識能力の問題で、それがあるかどうかで自体は悲劇にも喜劇にもなる。
だからといって、症状が変わらないのだが、そのことを我々は現実と呼ぶ。
現実に生きているわたしたちは、ときにそんなところで遊んだりするのだ。
だからといって、何の解決もそこにはないが、
いったいに人生に解決というのはもともとあったのだろうか。
そういう問いもこんな夜にはしてみたくもなる。
そういう夜を空けた今朝のブログです。
ラベル: 日常
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