2008年2月4日月曜日

須原一秀氏の自死

須原一秀氏は、一部の人からとても慕われた哲学者だ。
彼の銭湯好きというところにわたしは好感を覚える。

近年、消息を聞かないと思っっている方もおられるだろうが、須原氏は、昨年4月に自死している。
そのいきさつは遺稿『自死という生き方』(双葉社)に詳しい。
自殺を肯定する遺稿を残しての死なのだから、彼は選び取ったわけだ。
ひとは、このように死を選び取ることが可能だ。

自殺はよくないなどという御仁を何人も知っていおるが、どのくらい自分の生きるということに向き合ってきたのだろうか。
少なくとも他者の生死に口を出す資格はないだろう。
他者の生死に口を出すとすれば、ただひとつしかないのではないかとわたしは思っている。

「おまえがいなくなると、オレが困ってしまうではないか、お願いだからそばにいてくれよ」
あるいは「おまえがいないと、死ンじゃうよ」

そういうわがままだけが発言権を持つのだろう。
いかに幼稚で稚拙であろうとも。
それが、人と人がかかわるということを示している。

もし、あなたがそういうやり方で須原氏に対したとする。
それでも、最後まで平静に暮らし、しっかりと準備をした上で清清しく最後を遂げた須原氏を止めることは難しいだろう。
彼は、神社の裏山で縊死しており、その木は前々から選んであったという。
そういう人の死を止めるのは難しかろう。
また、止めてはならないのかもしれない。
須原氏は1940年生まれだった。

「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。
去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。
乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳 」

江藤淳もかように死を選んだ。
どちらも簡単な選択ではなかったろう。

こんな話がある。
インディアンの老酋長が、ある日「オレは今日あの丘の上で死ぬことになる」と予言めいたことを言って、丘に登っていった。
それから数時間がたち、夕陽が落ちるころ、彼は帰ってきた。
いぶかしげな顔をする村人に彼は言った。
「今日ではなかった。」

まあ、いろいろあるということだ。

自分のもつ縄で何でもかんでも括れると思ったら大きな間違いで、世の中には、あなたの縄では括れないことが、あちこちに落ちている。
そのときどうするのか。
そのときは、驚き、目を見開いてあなたが知らなかったそのものと出会うのだ。
もし、そのとき目をそむけるのだとしたら、それはあなたがすでに生きていないことを意味する。
だとしたら、あなたは死ぬことを恐れているにすぎない。
死とは、あなたが思っているようなものではないのかもしれない。

少なくとも須原一秀氏の考えた死をあなたは知らない。

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2 件のコメント:

Anonymous 匿名 さんは書きました...

はじめまして。須原氏を検索していて、辿り着きました。不粋なコメントをお許しください。

>自分のもつ縄で何でもかんでも括れると思った>ら大きな間違いで、世の中には、あなたの縄で>は括れないことが、あちこちに落ちている。
まさしくその通りで、これをそのまま須原氏に
聞かせたいです。何しろ須原氏は、上記著書において「自分の人生においての高を知りつくした」と書いています。つまり、自分の生はすべて見極めた、と一人決めてしまったわけですね。
 どなたかのブログで、須原氏の自死は「もうあなたたちとはお付き合いしたくないよ」という意味にも取れてしまう、というものがありましたが、わたしはむしろ、氏が「自死」によって、考えることを停止したということを言いたいです。「哲学者」を自認するなら、とことん考え続けていただきたかった。「自死」の実践は、自死についての考察の放棄ではないでしょうか。

2008年3月2日 1:47  
Anonymous 匿名 さんは書きました...

実践を伴わない、知識人の「道徳的言説」が巷に溢れています。かけがえのない命はいついかなる時にでも大切にされなければなりません。観念的志向から紡ぎだされる口当たりのいい言葉ばかり、病院で扱われる病人のあり様、自身に襲いかかってくる現実の過剰さ、僅かでも考えてみればすぐさま、それらのウソ臭さが透けて見えてきます。実践の伴わない浮ついた言葉ばかり。果たして実践を伴わない哲学的思考は思考と呼ばれうるのでしょか。事実、須原氏本人が著書の中で、この著書と自死はセットとなっており、自死によって証明される哲学的事業とお書きになっておられます。思考停止が自死に結びついたのではなく、思考の実践=証明が自死という行為として現れたのだと思います。そして自身の人生に対する決定は、最終的には他者の想像が届く範囲にはないようにも思います。須原氏は人生の極みについて、観念的にではなく、体感的に捉えられ、体感を判断基準として自死決行へ向かってゆかれます。体感なるものも、言語で体感と言う以外に説明のしようがないという限界はあります。体感と言う言語行為の外部に出ること。この越境行為自体に限りない困難が伴うのでありましょうが、体で納得する、腑に落ちると言う経験は誰しにも訪れうるものであるとも考えられてしまいます。そしてその「体感」は本人意外に伺い知ることのできる者はいないのかもしれません。私たちは気付いた時には生まれさせられてしまっており、その肉体はいつかは必ず死ぬという運命に引き渡されてしまっている。人間と呼ばれる生命は、存在の始まりと終わりに置いて、原理上「責任」を持ちようがないのです。須原氏の取られた哲学的行為とは、そうした人間が個々に抱えさせられた生命に対して課せられた責任の取りようのなさ=運命と呼ばれる者への抵抗の試みとして読まれ、実践されうる試みと呼べるのではないでしょうか。

2010年8月7日 0:38  

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