江戸本手打毛抜 いろは
28日は浅草演芸ホールに行く前に手違いがあって、3時間半以上も浅草を散策することになった。
その間、二三の買い物をすることになったのだが、そのひとつが、写真の倉田満峰作の「江戸本手打毛抜 いろは」であった。
わたしは、自他共に認める変質者で、しかも「ひげ抜き作業」あるいは「白髪抜き作業」に執念を燃やすというか、そういうものを抜いている時間は至福の時間でどれだけ長くても平気だったりする。
という具合な偏執狂なわけです。
さて、そのわたしにとって、倉田満峰作の毛抜きは特別なもので、「日本橋木屋 団十郎毛抜き」も捨てがたいがなかなかねえ…。
なかなかねえ…というのはそこに差が出るのです、いいものは。
悪いものは、さほど差は出ませんが、いいものになると微妙なところが気になるものなのです。
もちろん、それはいいものが使い手にそれだけの感覚を覚えさせていくところもあるのでしょう。
だから、何かを始めるときには、いい道具を買いなさい。
いい道具から入ったほうがいいよと言われるわけです。
「毛抜き」じゃしょうがないですけどね。(本人は自信はあるんだけどんね、毛抜きでも)
さて、食も同じことなのだから、たいした物を食っていなければ、そんなに差は出ないんですよ。
毎日、手作りの料理なんぞを食っていれば、それはわかりますよ。
しかし、冷凍食品で大丈夫な人に違いがそれほどわかるわけがない。
腹が痛くなってはじめてわかる。
わたしたちの食はどうなっているんだと怒り始める。
もちろん、正当な理由からです。
貶める気持ちはありません。
でもね、食というのは作り手と食べ手の顔が見えて初めて食だったんですよ。
作り手と食べ手の顔が両方が両方とも見えなくなって、幾星霜。
そう考えりゃ、まあ、こんなことも起こりますよ。
もう、めちゃくちゃなんだから、食文化は。
日本の食糧自給率は40%を切っています。
どうします。
食えないんだったら、身体に悪いものでも食いますか?
ずっと以前から、食料自給率の問題はあったんじゃないですか?
食費が高いと、ブーブー言っていたんじゃないですか。
今回の問題は、そういう結果でもあるという視点を落としてはなりませんね。
少し前にミシュランで浮かれていた国民ではありませんか?
今度は、中国食品の食中毒で浮かれるわけですか?
楽しいですね、大衆は、すぐに忘れて、すぐに浮かれて。
まあ、わたしのようにいつまでも思い続けていると鬱になっちゃうから、これも困るけどね。
ラベル: 演芸
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