2008年1月21日月曜日

わたしの周りには…

わたしの周りには「元気のないように見える人」が多くいて…
その実、彼らの身体の中心、核の部分には確かなものがしっかりとそこにあって、周りを跋扈している連中よりもはるかに底力があり、ほんとうはその底力をもって元気というのであって、元気のないように見える人を「元気がないね」というのは、そう語りかける(実際はただ日本語をなぞっているだけに過ぎないのだが)その人が浅く、自分の歩みの軌跡も刻むこともせず、つまらぬ生きかたをしてきただけのことだ。
それでも、こちらにかかわってこないならば、それはそれでいいのだが、なまじかかわってくるものだから、こちらは頭が痛くなり、静かになってしまう。
その静かになった人々を、わたしは、今ここでは、「元気のないように見える人」と呼んでいるのだ。

そういう人たちを思うとき、詩が浮かぶことがある。
作品としてどうかは知らないけれど、「静かになったあなた」のためにここに書き記しておくことにします。



「必要なものは」

必要なものは
それほど多くはなかったのだ

オレにはおまえが必要だが
おまえのなかの常識だとか世俗だとか
おまえの見る姿見だとか海辺の景色だとかはいらなかったのだ

だから

おまえのなかから
声だとか髪だとか瞳だとか
そぎ落とされたものが形になって出てきてくれなくては
せつないのだった

オレにとって必要なおまえはそのようにして…

出会ったときから必然ではなかったオレとおまえが
かようにまで親しげに遠くまで歩いてきたのは妙な話ではなかったのか

おまえの中の澄みきったなにものかが
音だとか糸だとか愁いだとかに化生してあらわれてくれないのなら
オレとおまえは空と雲が出会えないのに似ている

別れがそこにあるなら…

それは
はじめから出会えなかったものの別れだ

それにしてもやけにこう切ないのは
出会えなかったものが出会ったように過ごした年月があるからだろうか
オレは幾通りものおまえの澄みきった音や絡みつく春雨の糸やいつまでも乾かぬ路地裏の板塀の潤いを知っている

知ったことは知った先には進んではいかないのだろうか
オレにはもうほんとうにおまえが必要ではないのだろうか

思う

必要なものは
それほど多くはなかった

そして、必要だと思ったものもそれほど多くはなかったのだよ

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