1月5日 老梅庵にて
ひがな一日、陋屋の二階の日向の中にいて、陽が沈めば薪で風呂を焚く。
そのように一日を陽光と炎に囲まれて父母亡き家にいれば、否応なく彼らが舞い降りてくる。
わたしは、墓参りよりこの家にいてしばし過ごすことのほうが大切なのではないかと思い出し始めている。
わたしにとってのスローライフとはそのようなものなのかもしれない。
しかし、そういつもいつも陽光と炎の間を行き来しているわけにもいくまい。
前のブログに書いたように5日の日にもひとに会った。
彼とは必ず「老梅庵」に行くことになる。
この地方都市の代表のように寂れてしまった三重県四日市市にある日本そばの名店である。
昨年の九月、日経新聞が取り上げているので、もしや知っている人がいるかもしれない。
いい店の条件は三つある。
「うまい」「やすい」「客がいない」
最後の条件は、店が困るだろうが、客にとってはこれほどいいことはない。
その日は、「祭」とい四日市では名だたる居酒屋の名店を経由してこの店を訪ねた。
堀木さんという青年の打つそばは相変わらず、うまくて安い。
それに酒がそろっているし、肴も振るっている。
まあ、どこに出しても恥ずかしくない店だろう。
その店で、高校時代からの友人と酒を傾けて、落語の話や彼の仕事の話を聞きながら、堀木さんや若女将と話すのは至福の時間だ。
わたしは、酒を飲むときにつまみは食べないのだが、この店のものは食べる。
うまいものは食べるのだ。
好奇心だけは残っているからさ。
そういうわけで、酒を飲み肴を食し、そばを食い、いいご機嫌で家に向かったというわけだ。
こういうときは、電話をする。
隠していたが、わたしは稀代の電話魔だ。
べらべらべらべら、いつまでも話している。
そういう意味では、酔ったときには携帯は便利だ。
勝手な男というわけさ。
そして、あまりに名残惜しかったものだから、わたしは翌日も「老梅庵」にでかけ、そば焼酎のボトルを一本開けることになる。
酒は、うつ病の劇薬、ずいぶん楽な気持ちで廃屋のごとき我が家に帰っていった。
そのときこの三重で見つけたごぼう焼酎なるものを一本携えて帰ったのだ。
今回の帰省でわたしは、このごぼう焼酎なるものを三本あけた。
ほかに、コメ焼酎二本、三重の名酒「宮の雪」を一升。
まあ、わたしとしてはひかえたわけだ。
そのため鬱も落ち着いたし、抗不安剤も飲まなかった。
問題は、東京に戻り酒を止めたときの問題だ。
まあ、いいこともあれば悪いこともある。
そういうものだ、人間のやることの生み出すものは。
さて、それはそれで、わたしは二、三の事務的作業を終えれば東京に戻れるようになったのだが、なんともそれが切なくてね。
今回は、しみじみこの場所に住みたいと思ったのでした。
出来れば、年に半年くらいは。
このくらいの夢はかなえさせてはくれないものだろうか。
東京に向かうとなると心がこんなに切なくなるのだものね。
ラベル: 食べ物
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