さらに12月29日 わたしを待つ人
待つ人のいない故郷とは言ったが、それは空っぽの家の中でという意味で、その家の外には待っている人が、少しはいる。
わたしだって生きてはいるのだから。
ただ、「芸が身を助けてはくれない」だけのことだ。
「こだま」のなかでは3時間の道中、ほんの一時間ほどうとうとした。
それで、少しは身体が何とかなると思ったが、日頃の不摂生となにやら知らぬ神のごときもの、それは神様よりずっと下世話なものなのだろうが、そういうものたちの怒りもあって、やはり、一時的にしか身体は回復せず、まいった、まいったと思いながら名古屋からは私鉄に乗り継いだ。
東京駅から起算していたのだが、そうするとうまい具合に10時くらいに目指す駅に着くのだ。
うまい具合?
そうそう、ちょうどスーパーやなんかの店が開くころにうまい具合にさ。
私鉄の幹線からわたしの空っぽの家を目指す支線乗換駅でその人は待っていてくれた。
空っぽの家の近くには寂れたスーパーがあるだけですごく買い物に不便なんだ。
だから、親切なその昔馴染みはわたしの買出しに、この田舎の小都市でクルマで対応してやろうというわけだ。
「ありがたいな」と思った。
世間の寒風に吹きさらしのわたしはね。
身を助けるだけの芸もないしさ。
「湯豆腐や いのちのはての うすあかり」
というところか、大げさに書けばね。
そうして、わたしは必要なもの――ちょっとした家電とかわずかな食料と飲料水そして適度で適正な量と品質の日本酒と焼酎と缶ビールを買い込んだ。
その後、「老梅庵」という鄙にはまれな蕎麦の名店でふたりは食事をした。
そこからわたしの家までは、クルマで20分ほどだ。
買い物とクルマの移動。
駅前で出会ってから、「わが冬の棺」への到着まで、私たちはいくつかのことを語った。
そのなかで、わたしはその人に「自分が気の弱い人間」であることも語った。
そのとき、その人は笑いながら言った。
「今ごろ気がついたの。そんなん、ずっと前からわかっとったよ」
わたしは驚きながらその発言の正しさと、さらにもう少しのことを唐突に思い出した。
わたしはこの人に言うべきことを怖気づいて語らなかったことがあった。
そうでなければならないことをしなかったことがあった。
今ごろになって、いくつかのことを語っているが、わたしはそのようにおびえながら触れるべきその人の手に触れたこともなかったのだ。
いやはや。
過去が撃ち返している。
この人の好意はそれでも存在してきた。
「ありがたい」ともう一度思った。
だめな人間がだめなままそのほとんどすべてをある人に受け入れられたとき、感情転移までしてしまうではないか。
疲弊しきったわたしが、疲弊しきった我が家に荷物を運び込むとその人は車で戻っていった。
「年賀状も今日中には何とかしなきゃならいしさ」
わたしは、埃をかぶった家の一階を通り過ぎ、さらに二階に上がりそこにも埃と煤のたまった様子を見た。
久々に雨戸を開けた二階は、少少の悪意と圧倒的な無防備さで迎える母と父がいた。
それは霊と呼ぶには、あまりにもわたしに対して親しげだった。
ただ、かれらは何も話しかけはしてこなかった。
いや、わたしには聞こえなかった、そういうほうが正しいかもしれない。
とにかく、わたしはそそくさと布団を敷いて埃と煤と彼らのなかで眠ることにした。
わたしだって生きてはいるのだから。
ただ、「芸が身を助けてはくれない」だけのことだ。
「こだま」のなかでは3時間の道中、ほんの一時間ほどうとうとした。
それで、少しは身体が何とかなると思ったが、日頃の不摂生となにやら知らぬ神のごときもの、それは神様よりずっと下世話なものなのだろうが、そういうものたちの怒りもあって、やはり、一時的にしか身体は回復せず、まいった、まいったと思いながら名古屋からは私鉄に乗り継いだ。
東京駅から起算していたのだが、そうするとうまい具合に10時くらいに目指す駅に着くのだ。
うまい具合?
そうそう、ちょうどスーパーやなんかの店が開くころにうまい具合にさ。
私鉄の幹線からわたしの空っぽの家を目指す支線乗換駅でその人は待っていてくれた。
空っぽの家の近くには寂れたスーパーがあるだけですごく買い物に不便なんだ。
だから、親切なその昔馴染みはわたしの買出しに、この田舎の小都市でクルマで対応してやろうというわけだ。
「ありがたいな」と思った。
世間の寒風に吹きさらしのわたしはね。
身を助けるだけの芸もないしさ。
「湯豆腐や いのちのはての うすあかり」
というところか、大げさに書けばね。
そうして、わたしは必要なもの――ちょっとした家電とかわずかな食料と飲料水そして適度で適正な量と品質の日本酒と焼酎と缶ビールを買い込んだ。
その後、「老梅庵」という鄙にはまれな蕎麦の名店でふたりは食事をした。
そこからわたしの家までは、クルマで20分ほどだ。
買い物とクルマの移動。
駅前で出会ってから、「わが冬の棺」への到着まで、私たちはいくつかのことを語った。
そのなかで、わたしはその人に「自分が気の弱い人間」であることも語った。
そのとき、その人は笑いながら言った。
「今ごろ気がついたの。そんなん、ずっと前からわかっとったよ」
わたしは驚きながらその発言の正しさと、さらにもう少しのことを唐突に思い出した。
わたしはこの人に言うべきことを怖気づいて語らなかったことがあった。
そうでなければならないことをしなかったことがあった。
今ごろになって、いくつかのことを語っているが、わたしはそのようにおびえながら触れるべきその人の手に触れたこともなかったのだ。
いやはや。
過去が撃ち返している。
この人の好意はそれでも存在してきた。
「ありがたい」ともう一度思った。
だめな人間がだめなままそのほとんどすべてをある人に受け入れられたとき、感情転移までしてしまうではないか。
疲弊しきったわたしが、疲弊しきった我が家に荷物を運び込むとその人は車で戻っていった。
「年賀状も今日中には何とかしなきゃならいしさ」
わたしは、埃をかぶった家の一階を通り過ぎ、さらに二階に上がりそこにも埃と煤のたまった様子を見た。
久々に雨戸を開けた二階は、少少の悪意と圧倒的な無防備さで迎える母と父がいた。
それは霊と呼ぶには、あまりにもわたしに対して親しげだった。
ただ、かれらは何も話しかけはしてこなかった。
いや、わたしには聞こえなかった、そういうほうが正しいかもしれない。
とにかく、わたしはそそくさと布団を敷いて埃と煤と彼らのなかで眠ることにした。
ラベル: 日常
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