2007年12月25日火曜日

人が人を愛するとき

わたしにとって、狂おしく流れるクリスマスソングの中、生きていくのはとても苦しい。
だから、たいていの年は、家に閉じこもったままだ。
わたしもまた、自分自身の内面が狂おしくなってしまうからだ。

今年のクリスマスは、「ちゃんぷる亭」の成子が、助けてくれた。
成子なんて言っちゃいけないな、あのママが助けてくれた。
比較的平穏に過ごせた。

三宅洋平は、クリスマスに煮魚を俺は作るとのたまわったが、わたしはと言えば、「タラ」のバターソテーを作って、しこたま飲んだのだった。
「タラ」という魚は、意外と軽視されているが、うまい「タラ」と出会えばわかるが、この世のものとは思えぬ食感をかもし出すときがある。

残念ながら、いまのわたしにはそれほどの余裕はなく、適当にうまく、ほんとうのことを言えば、この程度の「タラ」であれば、かなりうまいたらのソテーを味わったのだ。
この料理のポイントは、「タラ」の芯まで火が通った瞬間に、火を止めるところにある。
それだけだが、このタイミングは難しい。
まあ、いいさ、この話は、このへんで。

さて、クリスマスの苦しみを和らげた「ちゃんぷる亭」の成子さんが、わたしにこう聞いた。
ある女をわたしがスキである事を知ったうえでの質問だ。

「あの人をどうして好きになったの?」

わたしは、この答をすでに知っていた。
遠い昔、同じ質問をした女がいた。
美しく、いとしい女だった。

その女は、身を乗り出すように同じ質問をした。

「あなたは、どうしてわたしが好きなの?」

わたしは、一瞬戸惑い、それからしばらく考えた。
とても長い時間のように思えたが、それは、たぶん、数分であったに違いない。

わたしは、前のめりになっているその女の肩を少し押し戻した。

「俺が、おまえを好きになった理由を教えようか。おまえがそんなに知りたいなら。」

そのとき、美しいその女の眼は、少し潤んでいた。
そして、わたしが恥ずかしくなるほど女はわたしを見ていた。
女は、ほれた男の顔をそのようにじっと見ることがある。

わたしは言った。

「いいか、俺がおまえがスキなのは、俺がおまえに出会ってしまったからなんだよ。おまえに出会ってしまったから、おまえが好きになったんだよ。それが、すべてだ。」

女は、きょとんとしていたが、すぐにわたしが、「いいから、そばにおいで」と言ったので、少し楽になったようだった。
そうしてわたしが、その女を抱きしめているうちに、女はわたしの言葉のいくばくかを理解したようだった。

女は、わたしが抱きしめているときにポツリと言った。
「そうか、出会ったからなのか…」

人が人を愛するときに理由はさほどない。
あるとすれば、貧弱な頭であとから考えた理由でしかない。
やさしいからとか、いっしょにいると楽しいからとか、もっと馬鹿は、彼女のすべてがスキですとか言う。
せせら笑うぜ。

人が人を愛するために必要にして十分なものは、「出会い」しかないのだ。
「出会い」こそが、始まりにしてすべてなのだ。
それは、わたしにとっての、キミたちもそうだ。

ね、F山くん、WTくん

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム