2008年2月29日金曜日

勇気とか感動とかさ

勇気とか感動をありがとう、なんていう連中がいるわねえ。
サッカーの試合や誰かの歌にもらったらしいけど、そんなことはありえないのだよ。

あっ、これって、前も書いたっけ。
まあ、いいや。

勇気とか感動とか生きる気力とか暖かさとか…みんなみんなあなた自身が持っているものなので、誰かから、何かから全面的にもらったりするものじゃないんだよ。
自分のなかに何もない人間に勇気や感動が湧くわけはないだろう。

もし湧いたとしたら、それはあなた自身なかにある勇気や生きる力が、サッカーの試合や芝居を見て反応したのですよ。
でも、ほんとうは、そんな大げさなものでなくても人は反応するのです。
竹やぶの揺れる姿や、落ち葉がゆっくりと落ち続けるシーンや、波打ち際なんぞに。

それが、なぜにあんなに大げさに、テレビに到っては、まぬけな司会者がぎゃあぎゃあ騒いでいる。
あれは、勇気をもらった雰囲気、感動した雰囲気を演出しているのです。
感動のかけらもない奴が感動なんかできるわけがない。

で、どうするかというと感動の萌芽を育てるのです。
勇気の芽を少しだけ芽吹かせるのです。

そうすれば、誰かと会ったとき、その目を見ただけで、幸せや感動が訪れることもあるというわけです。

あなたのなかにあるほんの小さな感動を生み出す努力、それだけが人の生きる手立てだとわたしは思います。

感動をありがとう、勇気をありがとう。
そんなことを乗せられて言ってちゃいけないよ。

あなたは大事な人なのだから、誰も目を留めなかった、草花に、あるいは、その草花の葉から落ちる水滴に感動する力を持っているはずだよ。

それがわたしのあなたへの幻想です。

でも、ねえ、

それは、ほんとうに幻想なの?

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