2008年2月27日水曜日

金が仇の世の中

金が仇の世の中とはよく言ったもので、金があればたいていのことはできる。

愛は金では買えない。

などとまことしやかに言う人がいるが、愛なんぞ一番簡単に金で買えるものだ。
ちょっとした服を着て、札びら切れば、たいてい大丈夫だ。
札びらを切るそいつがひどいやつならと思うだろうが、金があって馬鹿でなければたいていの男は金によって利口になるものだ。質は問わないが。

知性も金で買えるのだ。
疑うならば、皇太子殿下をごらん遊ばせ。
なかには知性を買うのに失敗したのもいるが、それは仕方がない。定めだ。

さて、世の中には確かに金で買えない愛はあるはずだ。
確かに、わたしの中にも金では渡せない愛もある。
しかし、愛は金で買えない、などとぼんやり言っていてはいけない。

この愛は、金では渡せない、だ。
そうしっかりと握り締めておくがいい。

そのように厳密に考えていくと、金で買えないものはこの世にほとんど存在しない。

せめて、金では買えないものを自分のなかにいくつかしっかりと持っておきたいものではないか。

本日も雑用でまたしばらく外に出かけなければならない。
これなども金を渡して、誰かに頼めばそれですむ。
時間も金で買えるわけである。

わたしは意外に豊富な時間があって、その分、金がない。
そこで、この有り余る時間を金に代えようと思う。

それを労働者という。

「労働力」とはマルクスの見抜いた卓抜なる視点だ。

我が「労働力」は売れるのだろうか。
それが、昨今の悩みだ。

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