もう何もかもなくなってしまった…
日曜日は、風が強く、そしてバカスカと黄砂がたなびいていた。
空が鈍い黄色をしていた。
細君が、わたしの両親の墓参を誘ってくれたのだ。
もうどこにも行きたくはなくなってしまっていたわたしは、上野原のその霊園で、墓を掃除した。
掃除しながら、すまないとおもった。
両親にも細君にも子どもたちにも。
一人ぼっちになりたくて、ひとりぼっちになった人間が、
「なあ、いっしょにいてくれよ」
そんな雰囲気の日だった。
生きていられるのかなあ。
遠くにかすんだ白い富士山が見えた。
今年の正月には、あの山に登ろうと考えていたこともあったのだ。
今では、どこにも出かけようとはおもわない。
ただ、少しの上等な本をポツポツと読んでいてみたいというのが、小さな願望だ。
細君から、いろいろとなだめすかされ罵倒されたあげくに重い腰を上げて、断酒をしようという気になった。
本格的な断酒だ、そうでもしなければ、
このオレの人生は、何という人生なのだろう。
できるだけ、早く断酒薬を手に入れようと思う。
その薬を飲めば、酒を飲むと身体のなかで化学反応を起こし、ひどい状態になるあの薬だ。
つまり、酒を身体に入れることを拒否させるあのクスリだ。
黒田三郎が飲んでいたことがある。
中桐雅夫は知らない。
あんなに飲んで、田村隆一は良くぞあれだけのものを書いたものだ。
わたしにまだ可能性はあるのなら、生きていていたいものだ。
書き続けるさ。
身体と文章が共鳴し続けてくれているのなら。
1992年10月26日 北村太郎が亡くなった。
28日の身内の会に阿子は出かけたという。
ラベル: 日常 考察
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