2008年2月25日月曜日

もう何もかもなくなってしまった…


日曜日は、風が強く、そしてバカスカと黄砂がたなびいていた。
空が鈍い黄色をしていた。

細君が、わたしの両親の墓参を誘ってくれたのだ。
もうどこにも行きたくはなくなってしまっていたわたしは、上野原のその霊園で、墓を掃除した。
掃除しながら、すまないとおもった。
両親にも細君にも子どもたちにも。

一人ぼっちになりたくて、ひとりぼっちになった人間が、
「なあ、いっしょにいてくれよ」
そんな雰囲気の日だった。

生きていられるのかなあ。
遠くにかすんだ白い富士山が見えた。

今年の正月には、あの山に登ろうと考えていたこともあったのだ。
今では、どこにも出かけようとはおもわない。
ただ、少しの上等な本をポツポツと読んでいてみたいというのが、小さな願望だ。

細君から、いろいろとなだめすかされ罵倒されたあげくに重い腰を上げて、断酒をしようという気になった。
本格的な断酒だ、そうでもしなければ、
このオレの人生は、何という人生なのだろう。

できるだけ、早く断酒薬を手に入れようと思う。
その薬を飲めば、酒を飲むと身体のなかで化学反応を起こし、ひどい状態になるあの薬だ。
つまり、酒を身体に入れることを拒否させるあのクスリだ。

黒田三郎が飲んでいたことがある。
中桐雅夫は知らない。
あんなに飲んで、田村隆一は良くぞあれだけのものを書いたものだ。

わたしにまだ可能性はあるのなら、生きていていたいものだ。

書き続けるさ。
身体と文章が共鳴し続けてくれているのなら。

1992年10月26日 北村太郎が亡くなった。
28日の身内の会に阿子は出かけたという。

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