まず、世話になっている人にありがとうをいわなければならないだろう。
だめな人間が、いつもそうではない、わたしがだめではないといっても、何の力もないが、そういうものでもあるまい。
だめな人間は、いつでもだめで、それを取り繕う暇もない、とここに続けてもそうでもあるまい。
それが、いかに正しい言葉としてもそうは、かろやかに抜けてはゆかない。
そのためには、相手が必要かもしれない、相手とは聞く相手だ。
その相手に大切なものは、温かい目だ。
それは、仲間とは少しちがう。
違わないのは、「才能」だ。
そばにいるだけの湯女のような才能だ。
「湯女」の才能をおまえはどこにおくKよ。
韓国の泣き女をあんなに「めでたおまえが、湯女はどこに置く。」
「哀しい静寂の眠るそんな夜に」
この言葉は、違っているが、
そんなおまえが、生活にくるしむは、おかしいではないか。
今でも、おまえは、吉祥寺の寂れた屋上で、詰まらんジョッキを握りながら、眩しいばかりに輝いているのだ
。
そうして、オレに、ジョッキを差し出したのだ。
おまえは、つまりは、おまえとはおれのことだ、どうしようもないな、と。
そして、オレは、そのときのままなのだ。
おまえの前におれの死体をころがしたくないのだ。
K君よ。
強く生きてくれ。
あえて、禁句を君に送る。
幸せはキミのそばにある。
見えようが、見えなかろうが。
そうでなくては、生きていくのが哀しすぎるではないか。
だめな人間は、いつでもだめで、それを取り繕う暇もない、とここに続けてもそうでもあるまい。
それが、いかに正しい言葉としてもそうは、かろやかに抜けてはゆかない。
そのためには、相手が必要かもしれない、相手とは聞く相手だ。
その相手に大切なものは、温かい目だ。
それは、仲間とは少しちがう。
違わないのは、「才能」だ。
そばにいるだけの湯女のような才能だ。
「湯女」の才能をおまえはどこにおくKよ。
韓国の泣き女をあんなに「めでたおまえが、湯女はどこに置く。」
「哀しい静寂の眠るそんな夜に」
この言葉は、違っているが、
そんなおまえが、生活にくるしむは、おかしいではないか。
今でも、おまえは、吉祥寺の寂れた屋上で、詰まらんジョッキを握りながら、眩しいばかりに輝いているのだ
。
そうして、オレに、ジョッキを差し出したのだ。
おまえは、つまりは、おまえとはおれのことだ、どうしようもないな、と。
そして、オレは、そのときのままなのだ。
おまえの前におれの死体をころがしたくないのだ。
K君よ。
強く生きてくれ。
あえて、禁句を君に送る。
幸せはキミのそばにある。
見えようが、見えなかろうが。
そうでなくては、生きていくのが哀しすぎるではないか。
ラベル: 日常 考察
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム