2012年1月31日火曜日

笑いの質

ただ笑っていればいいものではないと思う。
色々な笑いがありまして、浅はかな笑いや嘲笑もありますし、嫣然たる笑いというのもあります。

枝雀の求めた笑いは、おだやかなものでありましたし、そういうおだやかな笑いは人々に許されたものであるはずです。
そのおだやかさを楽しむ権利を昨今は次々と奪っていきます。

意味などどうだってよかったのです。
とくに生きる意味など。
それが、それ、考えなければならなくする。

噺を聞いて幸せな気分におだやかな笑み、外に出てやけに薄ら寒いのは単に上空に居座る寒気のせいばかりではないのだと思います。

この国は、構造的に壊れています。
もう少し、静かに瓦解していってはくれまいか、

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見捨てられる人

見捨てられる人の特徴の一つには、確かに仲間と合わせないというところがある。
ただ、思うがままに行く。
行き着く先はどん詰まり。
ならば、その道を行かなければいいのだが、それが、この人種には難しい。

世間の生き方に習わないのだったら、特殊な方法で生きていくしかない。
特殊な方法で生きていけないのならば、末は野垂れ死にです。

野垂れ死にには野垂れ死にの理由がありますが、それでもわたしには彼らの気分に感じるところがあります。

「浮浪者のラーメン」

を読みました。
ほんの短いブログですが、あれが、精一杯だったでしょうか。

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2012年1月27日金曜日

大震災の影で

ホームレスの数も着々と増えている。
わたしもほとんどホームレス。

この問題ももっともっと大きくなればいい。
何もかも順調そうにこの国が進行することはもう無理なのだよ。
それでも情報は操作し続けられるのだろうが。

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どうしたことだろう

あまり期待をしてはならないが、それにしてもコレは何のための発表なのか。
まさか、なんとも望ましい脱原発への道を模索し始めたのか。

あ~あ、驚いた。


枝野経済産業相は27日の閣議後記者会見で、今夏の電力需給に関連し、「いかなる状況でも電力使用制限令をせずに乗り切りたい。それが出来る可能性は相当程度ある」と述べ、原子力発電所の稼働がゼロとなっても強制力を伴う使用制限令を発動しない方針を表明した。

 枝野氏は、「日本の産業に大きな影響を与えることなく(今夏を)乗り切るための検討は進めている」と述べ、省エネの促進や火力発電の増強などで対応する考えを示した。

 国内の原発は今春にも全基が停止する見通しだ。枝野氏は、原発の再稼働について、安全確保を優先する考えを改めて強調した。

(2012年1月27日13時18分 読売新聞)

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2012年1月26日木曜日

痛みとともに

痛みとともによく考えた者は、その深さゆえに生き抜くことの困難さを知るようになる。

生きるうえでの「痛み」がどのように受理されるかは一様ではなくさらに一筋縄では説明できない。
ここでは、その最も心底に届く「痛み」を知る人こそが、ある種のやさしさを持つものだろうという予感だけをわかっていただければいい。

ある夜、「こりゃあ生きてイケンバイ」

隣にいる女に気弱にそう声をかけた。
そのときの彼女の答がどのような声音だったかをわたしは今も思い出す。

二人は横に並んで歩いていた。
月明りのなか、新宿の雑踏から少し離れた場所を歩いていた。
わたしは前を見ながらポツンといった。

「死んでしまいたいなあ」

女の声はまるで空から雪花のように降りかかってくる月光だった。
か細いその声が、わたしを包むように聞こえた。

「みんなそうよ」

わたしは、ここにも同じような痛みがあったのだと思った。
それは、彼女の境遇を考えればおそらく同じようではあっても、数倍の重量はあったのだろう。

生きるだけでよかったのに、
わたしたちはいったい他の何を望んでしまったのだろう。

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2012年1月25日水曜日

悪党

悪者は群れをなす。
もともと個としては弱いあやつらは、何の根拠もない理由であなたを攻撃する。
そのとき、彼らは、

「みんな」
「世間」
「社会」


意味を成さない多数者の呼称をよく叫ぶ。
けれども、みんなそうしているからと言われたところであなたはひるむ必要はない。
そんな「みんな」などどこにも存在はしないのですから。

『悪党』
という言葉はあるが、『善党』という言葉はない。
自己を省みる人は徒党を組まないのです。

あなたの苦しみをお察しします。

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自己否定できない人間

もっとも厄介な人間たちの大きな特徴は自己肯定に躍起になることだと思う。
自己肯定は他者否定と直結しており、多くの愛すべき人たちはその犠牲になる。
それは「いじめ」という現象に確かです。

自分を第一と考える人々は大きくは東電や政府や御用学者におり、他者、たとえば福島の人々の苦しみを少しでも共有しようとする気分はない。
これは、彼らに限ったことではなく、わたしのまわりにも出没する。
彼らには何ら自己分析の回路はない。
ただただ、自分の存在に反する人間を悪者と決めつける。

わたしの最大の弱点は、そういうものたちでさえ認めてきてしまってきたことだと思う。
彼らたちは排斥すべきだったのだと思う。
自分の保身のために他者をないがしろにする人間たちは。

そう考えていくと誰かれなく認めていくという作業は、とてつもない難行苦行でわたしなどがすべきではなかったのかもしれない。

クズはクズなのではないかとときどき思ってしまう最近のわたしです。
もちろん直後に自己否定の矢は飛んでくるのですが…

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2012年1月23日月曜日

枝雀師匠

気が合うということでさらに書けば、枝雀師匠はこの気が合うを大事にして弟子を選んでいた。
その結果の枝雀の弟子たちである。

ほかに枝雀と気が合った人は誰かといえば、多くは知らないがそのうちの一人に小三治師匠がいる。
かれが、枝雀の追悼会で話した言葉に、

「個人的なことを言えば『うまくやりやがったな』と言いたい。ずるいよ」

というのがある。

わたしは、枝雀、小三治にどこかで感応する。
ともに暗く、それほど生きるのに向いていない。
向いていないからこそ、落語に熱中した。

生きるとは何かに熱中することだと思うが、それは生きるのに向いていない人間の思いかも知れない。

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気が合う

気が合うということは、思っているよりよほど重要なことだ。
人にとっては、好きであることのほうが数段上の要素のように思えるが、どうもそうではないらしい。
好き嫌いはそれほど永続的はしない浮気もの。
その点、気が合うというのはかなり信用できる。

わたしの愚かさは、この気が合うというポイントを見過ごしてきたことにある。
気が合うということをしっかりと見定めてきたら、信用する相手も変わっていただろうに。

いま思えば、随分大切な人に不義理をした。
もう長くはない人生。

気が合う人に後ひと踏ん張り感謝をして回りたく思う。

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2012年1月22日日曜日

受験の季節

受験の季節です。

よく受験勉強などつまらない、という意見を耳にするが、それはそれでおかしい。
なんでもそうなようにつまらない受験勉強もあれば、何かを見せてくれる受験勉強もある。

受験勉強に意味があるかどうかを問う話も耳にするが、人生におけるすべてのことに客観的な意味はない。
受験も同じことだと思えばいい。

ただ、もう少し正確に書けば、昔の受験勉強はよくこなし、偏差値の高い大学にいけばそれなりの一生を送れた。
その保証が、今はなくなりつつある。
その意味で本格的に受験に意味はなくなりつつあるが、意味など考えることはない。
それをしたければすればいいだけのことだ。

あなたに何らかの希望があれば、それが叶えられることを思う。

生きているなら、時には笑える人生であってほしい。

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老いていても若くても

生きているかぎりは、何かに熱中していたいものです。
それが何であってもかまわない。
客観的な正当性はいらないということです。
自分が夢中であればいい。
KYであろうが、なんであろうが他者の忠告を聞く必要はない。
そのことに夢中になり、出来れば深く好きになっていきたい。

あることを深く好きになることは自分を鍛えることと同義です。
恥じることはない。

ただ、何かに夢中になっている人生であってほしい。

そうしているうちに暮れていく人生をすごしてほしい。
あなたには…、そのように生きてほしい。

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2012年1月21日土曜日

あなたを必要とする人がいます

それが、どのような理由であっても、

「あなたを必要とする人がいます」

それが、もっとも奥底に流れている生きている甲斐です。
わたしもそれに救われてきました。
それだけが、よすがです。

そういう「よすが」を与えてくれる人がどういう人かようやくわかってきました。
遅すぎましたか…
そんなふうにも思います。

あなたに対して説教をする人は要りません。
正しい道を説く人も要りません。

ただ、あなたがこの世にいることを願う人が大切です。
めったに、おりゃあしません。

ほら、あの人のことですよ。

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2012年1月20日金曜日

新しき関係

会うたびにその相手は変化している。
そういう相手もいるものだし、厳密にいえば多少の変化はあるだろう。

もし、いつまでも同じままなら、その人と会い続けることは退屈かもしれない。
それが退屈でないとしたら、その人たちの生活はうらやむべき穏やかさで流れている。
そういう人の生活は乱してはならない。
そういう生活が見せかけでないとしたら、その生活こそ貴重で壊してはならないものなのだ。
そういう生活を守ってこその政治だ。

わかるかね、原発を稼動したがっている諸君。

ただ、悲しいかな生きることに向いていない人がいて、彼らは会うたびに新しい相手と出会おうとする。
正確には、会うたび新しい関係性を築こうとする。
そういう心は不幸を呼ぶ。

不幸を呼ぶが、もってしまった性向を変えることは厄介である。

さて、どうしたものか…

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2012年1月19日木曜日

三三

小三治の弟子には三三がいる。
この男が、次の落語を担うのはまず間違いないだろう。

落語ブームということで取り上げられる中には入らないが、柳家にはいい噺家がいる。
落語に対して愛情がある。
はでさはなく、生きていく姿がある。

どこかで落語というものをを捕らえ直すのだろう。
どの世界にも深さがある。

その世界のどこをどうやって掘るかが問題になる。
それぞれがそれぞれに掘っていく。
それを知るには寄席がいい。

初春の寄席は20日までである。

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2012年1月18日水曜日

人、それぞれ

人はそれぞれ違うものでありますが、また、それでいいのですが、迷惑だけはかけたくないものですな。
迷惑といっても、たいていの迷惑はいいんでげす。

人を生きにくくする迷惑。
これがたまりませんな。

どんな迷惑だとお聞きですか。

まあ、人を世知辛くさせるような迷惑です。

力のある人なんぞがよくお持ちのようで…

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2012年1月17日火曜日

東電前

とてもひどい仕打ちを次から次へと受けているのだが、あっという間にもう多くの人が忘れ去ろうとしている。
ただ、こと原発事故だけは確実にわたしたちの生命を直接苛んで行く。
忘れまいとする努力だけは、あるいは忘れないでいる人々へのエールだけは送っておきたいものです。

反原発はファッションではなく、そこにある毒物への警鐘です。

この国自体が原発事故をなかったことにしたがっています。
嘘ばっかりのこの国に何か力は残っているのでしょうか。

権力に対する自爆テロが起こってもおかしくはない状況なのに…


毎日、誰かが抗議の声をあげて立つ東電前プチデモ。きょうはハンドルネーム、モリッチさん(女性・都内在住)が立った。モリッチさんは来週、住み慣れた東京を離れて故郷の山口県に帰り、上関原発反対運動に取り組む。東電前での抗議はこれが最後だ。

 モリッチさんが脱原発に目覚めるきっかけになったのは「3・11」だった。それまで原発への関心は薄かった。「調べているうちに山口のオジイちゃんやオバアちゃんが戦ってくれたおかげで上関の自然が守られていることが分かった。涙がとめどなく流れた」。モリッチさんはそれから脱原発運動に取り組むようになった。

 彼女は通っていた専門学校もやめた。パーキンソン病の母の看病に役立てようと整体師の専門学校で学んでいたのだった。「原発を何とかしなきゃいけないと思うと、専門学校の勉強が頭に入らなかった」。モリッチさんは当時を振り返る。

 「山口への帰郷を前に東電前で最後のプチデモをします」。14日夜、モリッチさんがTweetすると援軍が続々と駆けつけた。所沢から足を運んだ年金生活の女性は、プチデモは初めてだ。「モリッチさんが最後だし、今日はそこそこ暖かくて体の調子もいいんでねえ」。女性は満足そうに語った。

 「原発が建つということは地元を騙して汚い金をバラ撒き、それまで穏やかだった家族や友人関係を分断するということです」「子供を守って下さい。大人が子供を守らなくて誰が守るんですか?」―モリッチさんは東電本店の巨大ビルに向かって、体を『く』の字型に曲げながら絶叫した。 

 脱原発デモで知り合った男性がお別れに訪れた(写真)。男性はモリッチさんが山口に帰郷することを知ると「離れていても目標はひとつじゃないですか。一緒に頑張りましょう」と激励してくれた、という。

 「20年間住み慣れた東京を後にすることに何の未練もない。だが、デモ友達と離れ離れになるのが寂しい」。モリッチさんの目には、光るものがあった。

(田中龍作ジャーナルから)

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アウトロー


イーストウッド監督の映画のよさはこの頃からあった。
いくつかの人間的要素の絡み合ったこの映画は、勧善懲悪だとかスカッとしたアクションに頼ることがない。
しみじみとした人間劇であるように今回は見た。

もう何回も見るこの映画は見るたびに印象が変わる。
イーストウッドがソンドラロックとはじめて出会う映画だが、男女の出会いもその中に見て取れる。

その後彼らは別れるが、人と人は会うたびにその関係性が変わる。
(そういう繊細な連中もいる)
会うたびに違いながらこの人でなければと思うのは、その人の心の中に通る棒のようなもののセイであろう。

わたしは、意外にソンドラロックが好きです。

彼女と別れた今もイーストウッドのなかに彼女はいるのだろうか。

いくつかの人間ドラマの中に私生活をまじえたイーストウッドとソンドラロックの関係が際立つこの映画は、わたしのなかでも胸がほろ苦くなる。

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フローズンリバー


こういう生きる人間の姿を映す映画を見るとまいってしまう。
何が面白いのかといわれれば、それまでなのですが。

この映画には、人が生きている。
それもつまらなさをその内部に抱えた人間で、生きるのに必死である。
嗚呼、生きるのはまことに苦しいものだ。

彼らはその後、少しは愉快な日々をすごしているのだろうか。

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2012年1月16日月曜日

李国林

広島刑務所脱走者、李国林受刑者になにか心が騒ぐ。
付近住民の大きな不安やさまざまな批判はあろうが、どこかに自分の影を見る。

健気ではないかと書けば、大きく批判を受けるだろう。

わたしもまた姿の見えない何者かからの逃亡者です。

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2012年1月14日土曜日

何も考えずに生きていけること

「何も考えずに生きていけること」

そういう状況をその地に住む人に提供すること。
政治とはそういうものではないかと思う。

要は、ぼんやりのんびり、生まれてきたこの世での暇つぶしができる状況であること。
それが大切なのだろうと思う。

意味など考え始めたらややこしくていけない。
ばけっーとやっていきたいものであるう。

それが、どうやらそうはいかない。
それはセイジが悪いのではなく、この世界の仕組みの限界が迫っているからかもしれない。

それにしてもだ。

平穏な日々をかくも乱しておいて、何か思うところはないのだろうか。
少なからず権力を握る人々に対しては、そう思えて仕方がない。

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2012年1月13日金曜日

二乃席

寄席は20日まではお正月。
したがって初席(1~10日)、二乃席(11~20日)という特別な呼び方を一月はする。
他の月は上席、中席と呼んでいる。

その二乃席の末廣亭に行ってきた。
末期の目とまではいかないが、それに近いものがわたしにはあって、今回は、この落語なるものに自分の人生を置いた人々をやや感動気味に見た。
そのなかで、市馬、一朝、権太楼、さん喬、…の芸に感じ入る。

トリの小三治師匠は正座がままならぬようで座布団の後ろに何かかませておられましたが、「転宅」、結構でございました。
ああいう心持になるまで色々あったことだろうと思います。

勉強させていただきました。

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2012年1月12日木曜日

たとえば

直前のブログの主張を他に求めれば…
わたしの、少しわかる将棋においては、以下の渡辺明の態度を強く支持します。

遅ればせながら今日が初出勤で、免状署名と14日(土)に迫った米長永世棋聖-ボンクラーズ戦に関する取材。予想とか聞かれるんですが、自分が指した07年はもう5年前ですし、男性棋士との対戦は今回が実質初めてなので分からない、というのが正直なところです。コンピューターの力も分からなければ米長先生の今の実力も分かりませんし、本当にどうなるのか見当がつきません。

僕は当日はニコニコ生放送での解説ですが、同番組は原宿ニコニコ本社サテライトスタジオでの観覧も可能ですので←ページからご確認下さい。

渡辺明竜王のブログからの引用です。

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いろいろご批判もありましょうが

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1379.html

情報は開示していきましょう、というのがわたしの姿勢であり、情報を囲い込むのが権力の大きな特質であることを思えば、上記のブログも是非目にしていただきたいものです。
情報を、それがわたくし的なものでなければ、それは公にしてほしいというのがわたしの思いです。
そのことで、あまり論争はしたくないし、権力は情報を隠蔽することをその第一の特質とします。

わたしのことであれば、すべてをさらけだしたいというのが、わたしの密やかな願望です。
その点では、作品の評価は別として、西村賢太の自分の作品に対する反省に強く同調します。
その分、大きく生きにくくはなりますが、「いじめ」や大きくは国家権力のありようを見れば情報の扱い方はとても大切な問題だと思います。

わたしは、とても弱い一個の人間ですので、この姿勢だけは貫きます。
ご迷惑をおかけしている方には、平身低頭おわびいたします。

これが、わたくしです。

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2012年1月10日火曜日

居場所

生きていくうえで最も重要なものは居場所ではなかろうか。
確かに金は、居場所を創出させるようにも考えられるが、どこまでそれが確かなものか。

人は居場所を喪失させられるとき、もっとも大きな危機意識に陥る。
そして、このことをはっきりとわからず人から居場所を奪う行為はこの世に氾濫している。
たとえば「いじめ」がそうだが、「いじめ」は、いじめる側の居場所を強固にするものだから、いじめる側にはなんの痛みもない。

ついでに言えば、福島という居場所を奪った東電と政府の対応の中にそれほど大きな反省はない。
けれども居場所を奪われた福島の人々の苦悩は想像に難くない

居場所を確保しておくというのが、処世の第一だろうが、それだけでは面白くないということがあって、ことは厄介になっていく。

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2012年1月9日月曜日

天野貴元くん

天野貴元くんという青年がいるが、はなはだ厳しい人生を送っている。
また、詳しく書きますが、その厳直な人生の中でいくつかのことを学びさらに進もうとしている。

毎度書くようにこの世に生きていることはたまたまであり、別に死んでしまってもそれをわたしは不幸とは思いません。
もちろん、道半ばにして死んでしまう場合はとても残念なことだけれども、死と生はそれほど離れたものではないと思う。
その近しい死をかいくぐって生き抜くためにはさまざまな労苦があるのだが、天野君は立派に前進していると思う。
何も考えずに生きていければそれはそれで幸せなことであるが、ときどき非常に迷惑だが、よしとしよう。

けれども自分を内省するタイプは生きていくことに苦労することが多い。
内省する人間はいびつな部分を持っている必要があるのではないかと、いまは思っている。

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2012年1月7日土曜日

清流

安酒屋で有名な「清流」チェーンですが、その区役所通り店に行った。
さまざまな人の姿が眺められて心が温まった。

そこの「しめ鯖」がうまかった。
450円。
尋ねてみると店長がいい鯖を仕入れてきたのを店長がしめ鯖にしたそうだ。
安かろう、悪かろうに逆らう職人の存在に痛く感銘した。

立派な人がいる。

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2012年1月6日金曜日

ありがたい人

こんなわたしにも会ってくれる人がいる。
そんなこんなで、彼と昨夜会って、いまはヘロヘロです。

愛している人がいる限り、自分を信じて生き抜いていくことです。

そういうことをしみじみと感じながら書き綴る今宵のブログです。
いい男を、いい女を、いい年配者を思えばいいのです。

その他の人間のことは忘れてしまいましょう。
まあ、これがわたしの処世訓です。

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2012年1月5日木曜日

貧しくとも生き抜く

人間、さほどのものがなくとも生きていける。
テレビなどのマスコミに踊らされることなくぼちぼちとやっていきたいものですね。
原発もそれが一つの原因ですから。

騙された側にも騙された責任はある。
賠償を大きく東電に請求する運動を盛り上げてください。

東電が賠償金を決めるのなんておかしいじゃないですか。
賠償額は加害者が決めるのではなく被害者が請求するものです。

東電、政府は犯罪者ですよ。

冷温停止は犯罪者が被害者は軽症と発表したかっただけのことです。

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2012年1月4日水曜日

その年齢に応じた

「若く見える」ということがすっかりほめ言葉になっているが、はたしてどうか。
その年齢にはその年齢に応じた美しさがあるのではないか。
老いた美しさというものを人はなぜに見えなくなってしまったのだろうか。

ああ、美しく老いた人だなあという感慨を持たないのだろうか。
わたしは若者の美しさにそれほどひかれない。
コレは個人的なことで、そういう目を持ってきたということでもあるのだろう。

子どもなどはほとんど嫌悪するだけのもので、子どもというだけでかわいいという人々が呆けて見える、失礼ではあるけれど。
もちろん時折、美しき幼子を眼にすることはありますが、たいていはうるさいばかりです。
若い娘や青年も、これはと思う者は少ない。

これはわたしの趣味程度のことなのでしょうか。

この国の民度のような気もします。

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4号機のプール

次のような放送がありました。
わたしが、あきれはてて、つべこべ言わなくなったのはよくないことだったかもしれません。

若い人にはつらい時代になりました。
情報だけは速やかに流してほしいものですが、情報こそが彼らの操作したがる最大ポイントなのです。
困りましたねえ…


ナレーション:
福島第一原発で過酷事故を起こした4つの原子炉。
その中で、原発2基分の使用済み核燃料を今も冷やし続けているのが4号機の燃料プールです。

玉川D:
4号機のプールの崩壊というのは、たとえば新たな地震とか、そういうふうなもので、ということですか?

小出助教:
私が恐れているのは“地震”ですし、多分、東京電力もそれを恐れていて、4号機プールが崩壊してしまうかもしれないということで、プールを支える柱とか壁とかの補強工事を、かなり長い時間かけてやったと思います。

プール自身が崩壊するようなことになれば、水がもちろん流れちゃうわけですし、燃料棒が空気中にむき出しになりますので、そうなれば溶けてしまいます。

(溶けてしまえば、計り知れない量の放射性物質が大気中に)飛び出してきてしまいます。

ですから、4号危機はきわどい状態にあると思いますし、そのプールを崩壊させないようなことはやらなくてはいけないと思います。

ラベル:

2012年1月3日火曜日

あけましてございます


愉快に生きていきたいものです、ほんとうに…

ラベル: