2012年1月26日木曜日

痛みとともに

痛みとともによく考えた者は、その深さゆえに生き抜くことの困難さを知るようになる。

生きるうえでの「痛み」がどのように受理されるかは一様ではなくさらに一筋縄では説明できない。
ここでは、その最も心底に届く「痛み」を知る人こそが、ある種のやさしさを持つものだろうという予感だけをわかっていただければいい。

ある夜、「こりゃあ生きてイケンバイ」

隣にいる女に気弱にそう声をかけた。
そのときの彼女の答がどのような声音だったかをわたしは今も思い出す。

二人は横に並んで歩いていた。
月明りのなか、新宿の雑踏から少し離れた場所を歩いていた。
わたしは前を見ながらポツンといった。

「死んでしまいたいなあ」

女の声はまるで空から雪花のように降りかかってくる月光だった。
か細いその声が、わたしを包むように聞こえた。

「みんなそうよ」

わたしは、ここにも同じような痛みがあったのだと思った。
それは、彼女の境遇を考えればおそらく同じようではあっても、数倍の重量はあったのだろう。

生きるだけでよかったのに、
わたしたちはいったい他の何を望んでしまったのだろう。

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