2007年11月29日木曜日

竜王戦第五局



渡辺明散る。
恐ろしく攻めたてた。
おそらく何回かの勝ちはあったのではないか。
それを佐藤がしのぎにしのいだ。
その後の入玉。
昔、谷川浩司との名人戦で、同じようなシーンを見た。
佐藤の驚異的な粘り。

渡辺もあきらめなかった。
最後まで、攻めに攻めた。

終了時刻19時40分、177手にて終局した。

あきらめてはいけないのだなあ。
わたしは、あきらめそうになっている。
佐藤のように、あるいは渡辺のように生き抜いていけるのだろうか。

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2007年11月27日火曜日

美しい女

「美しい人」というのには多少の精神性があるから、ここに単純には画像をお載せするわけにはいかない。
しかし、その精神性という部分、おそらくそれは美しいことにおける夾雑物といってもいいのだろうが,その余計な部分を取り除いてしまえば、そういう女性の画像を載せることはできるだろう。
しかし、前言を翻してしまうようではなはだ恐縮だが、やはりそこにもある心の有り様がある。

つまりは、こういう問いを立ててみよう。

「きれいな女がきれいな女でいるための第一条件は何か?」

それはスタイルがいいだとか、目鼻立ちが整っているだとか、そういう議論になるのだろうが、それは本質を突いてはいない。
私見ではあるが、きれいな女がきれいな女であるための第一条件は、
「性格が悪いことだ。」
もしもその人の性格がよいのならばその人がきれいな女になれることはない。
きれいな女はその性格の悪さできれいになっていくのだ。
たとえば、あの女のように。
あの女のようにさ。

というわけで、もしあなたがそういった真の意味できれいな女にほれたのならあなた自身がだまされることを恨んではならない。
だますことこそ、彼女の美しさの証明なのだし、生きている証なのだから。

事実あるきれいな女は、その女はわたしの友人であったのだが、(まあ、わたしも正確悪いからさ)彼女はこう言い放った。

「男をだますためなら、わたしいつだって泣くぐらいできるわよ。女に泣かれると男って弱いのよね。特にわたしみたいな女には。」

そのあと、女は嫣然と微笑んでわたしを見た。
まあ、わたしはそんなことぐらいはあるだろうと女をじっと見返していた。
そういうことだ。

だから、もしあなたがとてもいい女と付き合っているならば、その女はきれいな女ではないはずだ。

きれいな女は諸悪の根源。
けれど、みなさんは心配されるに及ばない。
だって、きれいな女は、わたしが一手に引き受けてあげるから。

故あってこれから出かけるので、今回は短めのブログということで。

だまされちゃいけないよ。
ほんと、あいつらは性格悪いからね。

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2007年11月26日月曜日

真部一男という男


真部一男氏(まなべ・かずお、本名・池田一男=将棋棋士八段)24日、転移性肝腫瘍(しゅよう)で死去。55歳。告別式は近親者で行い、後日、お別れの会を開く。

 1982年度の早指し選手権で優勝。著書に「升田将棋の世界」など。

(2007年11月25日22時48分 読売新聞)

あまりにもつらいので、彼のことを少し触れておく。
彼の写真は載せるに忍びない。
彼の著書の写真にする。

彼の頂点は短い。
1988年に最高峰A級八段となるが、2年しか持たなかった。
それまで「棋界のプリンス」と時代の寵児と謳われた彼のその後がどういうものだったかは詳しく知らない。
そういえば、その前後、草柳大蔵という男の娘、文恵を娶っている。
A級を陥落してからは泣かず飛ばず、文恵とも別れ、囲碁にのめりこんでいた話しも聞く。

それでもここに書いているのは、彼が「将棋世界」に連載していた「将棋論考」という文章にやさしさがあふれていたからだ。
彼は何をどう思って生きていたのか。
一度話してみたかった。

彼の「将棋論考」。
いい文章だった。
棋界随一とほめておいてもいまならだれも何も言うまい。

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三宅洋平さん




本日は、ふと寄った「犬式」の三宅洋平氏のブログに温かいものを見て、そのことを書いて終わりにしようかと思う。
本当は、亡くなった真部一男という将棋指しのことや昨夜見た「点と線」のことを書いてみたかったのですが、それは後日にすることにしたい。

三宅さんとわたしの間にはとてもいやなことがあって、そしてそれは全面的にわたしの責任だったのだが、そのことを彼が許してくれた。
長く彼の手元に渡らなかったわたしの拙い手紙を読んで三宅さんは「もういいよ」というような文章を書いてくれていました。

ひとに温かくあるということはなかなかに難しく、それも一度何かいざこざのあった人間に対して、そうしてくれたことをいまここに深く感謝します。
そして、改めてここに書いておきたい。

「犬式」はいい。

ライブにさえ行ったことのないわたしが言うようなことではないが、彼らの姿を「YOU TUBE」で見るたびにそう思う。
歌が歌としてあるためには、心地よいだけではいけないのではないか。
もちろんその底には心地よいがあるのだろうが、「犬式」を聴くときそれだけではない何かを感じることがある。

そして、そういうものが、この世に流行る歌の中に少なくなってきているようにも思う。

唐突だが、わたしは、昔、よく森進一の「北の蛍」を熱唱していた。
犬式とは遠く離れた歌なのだが、やはりあの歌にも、何ものかを歌う意志があった。
あの歌は、作詞・阿久悠 作曲・三木たかし。
速水御舟の「炎舞」(冒頭の絵)を思わせるような歌であった。

三宅洋平氏に感謝を込めて、本日はこのブログを書いておきます。

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2007年11月25日日曜日

ことば

ことばは意外と深い存在だ、などと思われていて、誰かがことばを発するときに思わず相手の懐深く入ってしまうことがある。
しかし、ことばはそんな上等なものではない。
もっと薄っぺらなもので、もし、あなたがことばを上等に使おうとするなら技術が必要となる。
それは、愛という行為に技術がいるのと同じことだ。
世の中には薄っぺらな愛が充満しており、同じように薄っぺらなことばが充満している。

というわけで、わたしの愛も薄っぺらなら、わたしのことばも薄っぺらだ。
だから、ときどき、これが勝負だというときにはいくつかの技術を駆使したことばで何かを伝えようとする。

川崎市役所近くの「ZABO」の主人ならその料理を呈することでいくばくかの愛を教えるようなことはできるだろうが、その料理を持たぬわたしにはやはりことばしかない。
薄っぺらなことばになんらかの技術で湿度と温度を持たせ、さらに少しの音楽性を入れてささやいてみれば、それもほんのか細く、そういうときにふと伝わる愛もある。
下世話な愛だけどさ。

そういう努力なしに発したことばはほとんど意味を持たぬものだが、ことば自体にはその文化圏が認めた意味があり、どんなに薄っぺらな、ほとんど意味内容を持ってさえいないことばでも、それに反応してしまうことがおこる。

若い女性から「きらい」と言われれば嫌いなんだろうと思う男もいれば、そばにおいでという男もいる。
ふたりは別様に「嫌い」の意味を読み解いている。
もちろん前者がその文化圏、その国家のなかで生真面目に生きているというわけだ。
後者はといえば、「きらい」ということばに何か意味があるなどとは思っていない。
事実、若い女は「きらい」ということばを意味なくむやみに発する。

通常のことばはとても薄っぺらで移ろいやすいものだ。
それに反応し硬化してしまい、かたくなに態度を決めることはない。
ことばなど放っておけば、いつまでも薄っぺらなのだ。
あなたの態度を決める力などもっていない。
ことばにはあなたと誰かの関係性を左右する力などもともとないのだ。(特別なことばを除いてはね。)

「もう、ここには来ないと約束しましたから。」
「自分のことばに縛られなくていい」

焚き火をしている山崎努が、先だってけんかした息子に言う。
確かあのケンカの際、息子は「もう来ない」と山崎演じる澤田龍彦に言うのだ。
故あって、息子と山崎は離れて暮らしている。
息子は、ああいうケンカをしたが、親父に何か引かれて、うなだれながら再訪するのだ。

その息子をちらりと見て
「自分のことばに縛られなくていい」
「それよりそばにおいで。一緒に焚き火を見ようじゃないか。こうして焚き火を見ていると、もうずいぶん火なんか見ていないことに気づくんだ…」

長い話だ。この辺で切っておきます。
とにかく、薄っぺらなことばに縛られてはいけない。
それを自分が発したとしても相手が発したとしても。

そうしないと続かない関係がある。
関係は脆弱だ。
薄っぺらなことばに簡単に壊されてしまう。

だから、自分がとても大事だと思う関係性は、薄っぺらなことばに動揺してはいけないのだ。

そんなことより、「そばにおいで」と言ってあげればいいのだ。
人と人との肉の触れ合いは、ことばの薄っぺらさに勝る。

もちろん、そうではない稀有な言葉はある。
それはあなたが苦労して紡ぎだすもので、そのとき、あなたの大切な人はそのことばに深く感じてくれるはずだ。

とにかく、ことばなんぞは薄っぺらなものなんだよ。

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2007年11月22日木曜日

渡辺明


18時11分終局。
渡辺が、第20期竜王戦を3勝1敗とした。
強い勝ち方だった。
第2局の負けが、渡辺の凡ミスであったことを考えると、本当に佐藤、渡辺の格付けは済んだのかも知れない。
この格付けがどのようなことでなされたかはわからないが、勝負の世界はほんとうに恐ろしい。
あの一秒間に一億と三手読むといわれた佐藤康光が、渡辺に勝てない。
なんということなのだ。
いつか巻き返しがあるのだろうが、そういう日が確かに来るとはだれも考えてはいないだろう。

さて、時期は煮詰まった。
この竜王戦四連覇が完成すれば、いいよいよ羽生との一騎打ちだ。
羽生が揺らぐことがあれば、将棋界に激震が走る。
羽生世代の終末だ。
恐ろしい話だ。

ところで、そんなときにわたしは何をぶらぶらしているのだろうか。
腎臓に小さな瑕疵が見つかっただけで、何を恐れているのだろうか。
誰かにギュッと抱きしめてもらうことをこんなにも求めているわたしは、腰抜けではないのか。

第20期竜王戦第五局はは12月12日に始まる。

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2007年11月19日月曜日

孫先生

ごくたまにだが、もうこれはいけないと思うとき、わたしは新宿区役所通り「気楽堂」へ出かける。
キャバクラ嬢ご推薦の指圧屋さんである。

もっともこの店をわたしが知ったのはキャバクラ嬢が教えたからではない。
この店に孫先生が移ってきたから、追いかけてやってきたのだ。

もしこの世に孫先生がいなければ、わたしの身体はずいぶん前に崩壊していたと思う。
彼はとても優秀な指圧師だ。
その証拠に新宿では名前の知られた指定暴力団の若親分が、自分の身体のこりにいたたまれず、子分衆を動員して、うまい指圧師を探させたことがある。
そのときに探し出されたのが孫先生だ。
だから、孫先生は今でもたまにその若親分の自宅を訪ねてマッサージを施すことがある。

最初のころは入念なボディーチェックをされたが、いまではほとんどないそうだ。
しかし彼は「いくらボディーチェックをしてもねえ…」と自分の右手を軽く振って見せる。
時にはその身体そのものが強力な武器である人もいるということだ。

まあ、そのようにいろいろな人に助けられてわたしは生きているのです。

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2007年11月18日日曜日

おいしいもの

おいしいものはいらないとは言え、これはというものがないことはない。
それは、多くの場合、前述したとおり、すべて生産者あるいは作り手の顔の見えるものだ。
食の究極は対話であり、そのためには顔が見えていなければならない。
顔が見えるためにそのものは高くなるし(ずいぶん間を捨象した。ごめんなさい。)、その根本に信用がある。
そういうわけで、そのような食の背後には必ず俺が作ったと称する顔がある。(たぶん、少しきつい顔だろう。)
それがもともとの人と人との関係であった。
しかし、この人口、それを過度に求めてはいけない。
食う以上の何かを求めるには、おそらく人が多すぎるのだ。
人は生きるためにものを食っていた。
これがはじまりだ。

本日ふらふらと出かけていったわたしは、渋谷の東急百貨店本店、地下食品売り場のなか、米専門店をみつけた。
その店の表には「米よし」とあり、わたしはその店頭にある米をみつけた。

2坪の店舗に並ぶ10産地の銘柄米のなかで最も値が張るそのコメは、5キロ1万4700円。
2006(平成18)年度産の小売米としてはおそらく日本一高い米だろう。
米櫃に立て掛けられた細長い白木の板には、墨痕鮮やかに「十日町市松之山 戸邊秀治作」としたためられている。
次の行にこうある。
「無農薬、無肥料、天日干し」

こういうコメは食してみたいものだ。
家族と一緒に。

家族はこういうものを一緒に食するためにある。
幸いと言っていいいのか、哀しいのか、わたしには家族はない。
いや、法的にはある。
しかもいまわたしがパソコンを打つそばにわたしの妻はいるが、それでもおそらく、あのコメをともに食すことはないだろう。

まあ、それだけのことだが、ときにはいいものを食ってみたいと思うときがあるということをここに書いている。

さらに言えば、戸辺さんの息子は新進気鋭の将棋四段。
これから紙面をにぎわすだろう男である。

まあ、たまにはぶらぶらと散策もいいものだ。

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もちろんこれはブログなのだ

ほとんど日々の生活を書いていないようなブログだが、もちろんこれはブログでブログの域は少しも出てはいない。

土曜日は、久しくしていないようなことをした。
それは至福の時間だった。
わたしの愛する男のやっている店でわたしの愛する男と飲んだ。
こういう時間がいつまでも続けばいいと思う。
まあ、そうそう、うまくはいかない。

さて、その男と話していて感じたのだが、少し前にこのブログでメガネを作る男のことを書いた。
あれは書きっぱなしではいけない。
やはりあの店に行って、その男からめがねを買わなければ。
それが、文章を書くことなのだろうと昨日会った男が教えた。
ありがたかった。

これからのいきさつ、つまりはメガネを買いに行く話は後日に譲るにして、いまなにを書こうとしているかといえば、じつは何もない。
そういうシアワセな時間をたゆたっている。
オレにもこんな時間が訪れる意外さと幸福を抱きしめている。
そのシアワセはすぐさまどこかへ行ってしまうはずなのに。

今回のこのブログ、日常の記として読んでいただければ望外の幸せです。
本日は、まさにブログ、それも独り言のような。

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2007年11月17日土曜日

けなげということ


好もしい本が出た。
好もしいといってもわたしにとってということだけどね。
前掲の「らも」である。
出たといっても、すでに4ヶ月以上もたってしまっている本なのですが…

わたしは、この手の本が好きなのです。
曰く「クラクラ日記」、曰く「高橋和巳の思い出」、曰く「人間・黒田三郎」…といった具合である。
つまり、男がいて、その男に寄り添う、あるいは寄り添ってやる女がいて、そして二人の関係ができ、そこから始まる物語だ。

そこにわたしは「けなげ」を見る。
「けなげ」な男がいて、「けなげ」な女がそれに寄り添い、「けなげ」な関係ができ、「けなげ」に生きていく。
どうしてもそう見えてしまうのです。
もちろんこの場合、それぞれのけなげは違うのですが、わたしの目にはそれぞれがけなげに見えるのです。
それぞれが「弱さ」をもち、それぞれが「向かい風」を受け、生きている。
男も女もその関係もがそのように見えるのです。

ここで取り上げられたのは、すべてたまたま作家ですが、それ以外にもそのような生きかたをした人たちはたくさんいたはずで、今もたくさんいるはずで、果たして彼らの行き先がどうなったのかはあまり知られていません。
ただ、年間の自殺者3万人(表ざたになったもので)という数を知ると(自殺試行者は10万人に上るかもしれません。)、そのすべてがうまくいってはいないのだろうと思います。

わたしがときとしてこの国のことや政治家を悪く言うのは、せめて「けなげ」な彼らに小さなシアワセを与えてくれないかという思いからです。

そして、いま紹介するような本が好きだというのは、その本の中身が彼らはその小さなシアワセ(実際はもう少し大きかったのでしょうが)を得たという物語になっているからです。
願わくば、彼らがその稀有な例でないことを。

「けなげ」とは向かい風に立ち向かう弱き者の姿を言います。
それぞれの向かい風とそれぞれの弱さのことをいずれ書いてみたく思います。

一見すると、たくましさそのものである中村哲さんのなかにもわたしは「けなげ」を見てしまうのです。

わたしはほんとうにこの国が、しっかりしてほしく思っているのです。

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2007年11月15日木曜日

おいしいもの

おいしいものとはいうが、私自身はそれほど興味はない。
そこそこのものが、そこそこの値段で食べられたらいいだけだ。

わたしで言えば、「ああ、これはうまい」などと思ったことは久しくはない。

いやいやそうでもない。
記憶に残るほどのことはなくなった。
そのように食べ物を探すことはなくなった、ということなのだろう。

というわけだが、この前食べた新宿思い出横丁「かぶと」の串焼き、この店はうなぎのもつを焼くのだが、そのなかに入っていた「レバ」はうまかった。
うなぎ10匹以上から作られるその串「レバ」は14時から始まるこの店では、17時にはあるかどうか。
したがって、わたしがこれを食べる日は16時前になる。
たまに食べるが、あれはうまい。
数少ないわたしの贅沢だ。

それから同じような日に食べた新宿「京苑」の焼肉とチジミ、これもうまかった。
しかし、酔うと食の進まないわたしには一切れか、二切れで十分だから、この店の分量は多すぎる。

まあ、そんなわけでわたしがごくごく好きなのは、むしろ家で食う永谷園のお茶漬けか。
あれはうまい。
あれに塩さばでもつければ、何も言うことはない。
そんなもんだろう。

おいしいものなどというものは趣味の世界での話で、その趣味のない人間にとっては何の価値もない。
いまおいしいものが取りざたされるのは毎度いうマスコミのせいだ。

テレビを見て御覧なさい。
山ほどそんな番組をやっている。
取り立ててこれはという番組はないが、ごくまれにはある。
そのときのタレントはある程度、そういう趣味があり、その趣味についていろいろ試行錯誤している人だ。

もちろん、おいしいもののうしろに職人を見るとなると話は違ってくる。
しかし、その場合は食ではなく職人の話になる。
職人の話にはなるが、その職人の何かを知るためには食を通してみるしかないのでつい食に眼が行く。

最初から言っているようにおいしいもの自体がえらいわけではない。

そこそこのものを食べていれば十分シアワセで、それ以上食に願う必要はない。
願うものはほかにいくらでもある。

もしそういう場所があるとしたら、川べりであの人の作ってくれたおにぎりを食べるシアワセに比べていかほどのものがあろうか。

わたしのおいしいと思ったものが、おいしいと思ったその場所が、おいしいと思ったそのときにいた人がいいのであって、どこかの店に行く必要はない。

要はあなたが素敵なのであって、あなたが素敵なためにはおいしいものはあまり関係はないということを書いているのである。

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許しておいてください。

わたしのこのブログでの書きっぷりに激しさが見え、それが罵倒であったり、たたっ切りであったりするのは、どうだろうか、そういう意見をしばしば耳にしますが、誠にそうであり、私自身が恥ずかしく思っております。
もっと声高でなく、穏やかに語れないものかと思いますが、押さえ切れぬものがわたしの中に渦巻いており、いまだに手なずけられません。

時間をかけて、おいおいと直していきます。
いまはどうかご寛恕ください。

また、それぞれの意見にゆっくりとお応えできないこと、これもまた申し訳なく思っています。

この場を借りて、「許しておいてください」と書く次第です。

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2007年11月14日水曜日

談志・円鏡 歌謡合戦


爆笑問題と談志の対談を読んでいて、ああそうか、少し考え違いをしていたことに気がついてこれを書いている。
この対談は古い。
「小説新潮」1998年11月号掲載。
いま「小説新潮」と打ったら「小説志ん朝」と出てきた。
笑ったな、どこまでも談志、志ん朝なんだな。

「小説志ん朝」のしゃれは、昔誰かが使っていた。
確か、小林信彦の本で読んだはずだ。

さて、その対談で談志が「オレは酒飲んで『談志・円鏡 歌謡合戦』を聞くのが好きなんだ」とのたまわっている。
なるほどあれが本当に好きだったんだ。
今も図書館かどこかを探せば、その音源は残っている。
すさまじいナンセンスの連続。
あの番組は、確か昭和40年代あたりのニッポン放送だった。
10年ほど放送されただろうか。
当時の円鏡、今の円蔵とやっている。
あのころ円蔵の反射神経もすごかった。
いまはだめ、談志によればすでに1998年でだめだった。
そのあと談志は彼のことをめちゃくちゃ言っている。
本気かどうか、でも評価としては当たっているのだろう。

その番組をもう一度復活させたのが太田光とやっている土曜深夜TBSラジオの番組。

だから、あれは自己否定の回路といったごちゃごちゃした話ではなかった。
家元はあの世界が好きなのだ。
わたしは一度しかあのTBSの番組を聞いたことがないが、毎週あの調子かね、もうめちゃくちゃ、聞いたとき「談志・円鏡 歌謡合戦」だとわかったが、そこまであれが好きだったとは思わなかった。
確かにあれが今できるというのは、太田しかいないのかもしれない。
そして、談志のいまもってさえの反射神経のすごさとその陰りが見える。

そう思うと少しせつないような番組である。

念のため訂正し、ここに記しておくことにします。

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取り上げてほしいこと


昨日書いたわが青年には遠藤賢司で言えば「不滅の男」になっていただければうれしいことかぎりない。
わたしはといえば、ほんの数分なら「不滅の男」になれるだろうか。
何にせよわたしにも彼の青年にも「がんばれよ」は勘弁してもらいたいものだ。

昨日は、小朝の会見がメディアをにぎわした。
何の会見だったか知らないが、小朝の発言のなか離婚証明をラブレターに見立てるあの小説を宮本輝作としてはいけないだろう。
宮本輝も、名作「恋文」を実際に書いた連城三紀彦も少しばかりいやな思いをしただろう。
ねえ、小朝師匠、唄い調子を我が物にしようとしているあなたなら少しは恥ずかしくはないのだろうか。

とにかく何の意味もない会見だった。
少なくともわたしやこの国のマスコミの体たらくを知っている人間にとっては。

それよりさ、鳩山邦夫のアルカイダ発言をもう少し取り上げてはどうだろうか。
このあたりは上杉隆氏が詳しいのだろうが、少しわたしも書いておく。

あの「わたしの友達の友達はアルカイダです。」発言はそこここで馬鹿にされてはいるが、実際はそんなに馬鹿にされるほどでもない発言だ。

鳩山邦夫は政治家以外にチョウの収集家として有名だ。
それもかなり本格的な収集家として。

チョウ収集家も彼くらいになると珍チョウの収集のために東南アジアや南米へと出かける。
珍チョウは、そういった場所のジャングルなんぞに棲息している。
そしてそういう場所には珍チョウだけではなくもうひとつの生き物が棲息している。
それが、ゲリラというわけだ。
だからチョウ収集家はジャングルに入るには、チョウ以上にゲリラに顔が利くガイドを雇うことになる。

鳩山氏の友達は現地人の誰かでその誰かにゲリラに顔が利くガイドを紹介してもらったのだろう。
ゲリラにもっとも顔が利くのはもちろんゲリラである。
というわけで、
「わたしの友達の友達はアルカイダです。」
となるわけです。
今回の場合、鳩山氏はどうやらインドネシア爆弾テロの実行犯であるあるゲリラと知り合ってしまったらしい。
そのゲリラはすでに実名まで出ている。
では、なぜこの問題がおおっぴらにならないか。

鳩山氏がそのゲリラが日本に入ってきたときに何とかしろといったのは事実である。
言ったのは防衛庁の守屋だ。
そのときの防衛庁長官は石破茂、官房長官は福田康夫。
どこかで聞いた名前ではないですか。

「わたしの友達の友達はアルカイダです。」
の真意はそのままではない。

わたしの知っている大事な情報、つまりゲリラが日本に入ってきている、しかもインドネシア爆弾テロの実行犯が。
そのときおまえたちは何をしていたのかというのがその隠れた真意だ。
この場合、テロの前か後ろが大きな問題になるが、テロ以前でしかもテロの実行情報を事前に鳩山邦夫は知っていたのではないか。
そしてそれをとめようとして何度か防衛庁に接触したが、なしのつぶて、ということだと思う。

それは怒るはな。
そのときの当事者である守屋のことを当時ぼろくそに言っていたというのは、上杉さんがどこかに書いたか誰かにしゃべっている。

しかし、現行の大臣が、内部批判をしていいものかどうか、そのあたりが鳩山氏のぼけたところで、だからこそ問題発言として信用が置ける。

日本はテロに対してどういう立場を打ち出しているのかな。
わたしとは違う立場だが、テロに対して断固許さないという彼らの発言は、この程度のものだ。
誰も日本国民など守る気はない。
ましてやインドネシア国民など。

見ていて御覧なさい。
日本でも必ずテロは起こるから。
そして、彼らは知らんぷりするはずだから。

大丈夫かね、この国は。
だからさ、大丈夫じゃないんだよ、すでにこの国はずっと前から。
いやな国に住んでしまったぜ。

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2007年11月13日火曜日

東京ワッショイ


何かをきっかけとして不意に思い出してしまうことがある。

わたしは将棋のことをたまに書くことがあるが、じつはわたしの息子は奨励会1級である。
息子といってももうすでに関係はない。
何かをきっかけとして離れてしまった。

その青年のことを思うとき、もっとわがままにあの青年を愛していればよかったと悔しい思いをする。

詳しくは説明しないが、奨励会はとても厳しい世界で、半年に二人だけがプロになっていく。
天才と呼ばれた子どもたちが、全国から集まって、競い合う世界だ。
しかし、その天才も天才のままでい続けることはできない。
自分の才能というものにすぐにぶち当たってしまうからだ。

「才能」とは何か。
おそらく多くの人はそれに出会うことはないだろう。
圧倒的な努力の先にほのかに見える薄明かりがあるとすれば、それが才能だ。
圧倒的な努力を才能は欲するが、いくら努力をしても薄明かりにたどり着かない者もいる。

多くの人はそれほど努力はしない。
だから才能など見えはしないのだ。
そのくせ、「才能」という言葉を発するが、ほんとうのことを言えば「才能」などほとんどこの世にはないのだ。

事実、将棋界でさえ自分自身の中に才能を感じた人間はほぼいない。
升田幸三か大山康晴か…いまなら羽生善治がそれを感じているかどうか、おそらく感じてはいないのだろう。
羽生はそんな間抜けな人間ではない。

わたしも自分の中にそんなものを見たことはない。
ただ、「才能」という言葉を知っているに過ぎない。

わが息子は将棋のプロになれるのだろうか。
おそらくなれないのだろうと思う。
そう思うときにあの子のした努力はなんなのだろうかと思ってしまう。

そのことを書いた本として「将棋の子」(大崎善生著)がある。
とても哀しいが、とてもいい本だ。
どぶに捨てるように努力をした先に何が見えるのか。
そのことを描いた作品だ。

ときに、わたしのこの人生と引きかえにあの子を将棋のプロにできるならそうしたいと思うことがある。
あの子がプロになろうとする思いと、その意志がまっとうできることを思えば、わたしのこんな人生など何の価値もないのだ。

無限に近い努力をした先に仕合わせがないなどということがあるのか。

あるのだよ。

哀しいなあ。
こんな青空の下で、こんなことを思うなんて。

「東京ワッショイ」をたまたま聞いていた。
ふと息子のことを思ってしまったではないか。

なぜかは知らない。

哀しみだけが残る、そんな無慈悲な時間のなかに置き去りにされただけのことだ。

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2007年11月11日日曜日

美しきもの


たとえば、囲碁の世界に梶原武雄という人がいた。
将棋界に谷川浩司がいた。

呉清源の映画ができると聞く。
(ああ、すまない。この人のことはあらためて書かなければいけない。)
勝負の世界はいつも厳しく、勝ち負けがついてまわる。
しかし、そのときでさえ、違うものを見てしまう男がいる。
ああ、そのときだからこそなのか。

もしかすれば、わたしは、谷川のまえに升田幸三と言う名前を置かなければいけなかったのかもしれない。
わずかな錯誤だろうか。
言うことはなかった。

勝ち負けの世界でしかない、囲碁将棋のなかにそういう男がいる。
その男たちは確かに違うものを見てしまった男だ。

もうひとり置いておこう。

エフレン・レイズ

小さなテーブルの上でいくつかの玉を落とすゲーム、ビリアードの達人だ。
彼もまた美しさを追い求め、ときとしてもろく崩れる。
美しさと強さは相容れない。

我々はなにを見たいか。
そう思うときがある。
一歩踏み込んで言ってしまいたい。
我々は美しさを見たい。
もしできることなら、勝利の側に立ちながら。
しかし、裏腹なこの人生に、あちらとこちらに美と勝は分かれる。
だとしてもだ。
わたしは美を追い求める人を愛する。

藤沢が、谷川が、エフレンが…好きだ。

知っていますか、この日本シリーズ、勝つことだけを求めた落合という男がいた。
死んでしまえばいいとわたしは思っている。

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2007年11月7日水曜日

レンドルミン・マイスリー・サイレース



眠れないものだから、睡眠剤をもらいに心療内科に行ってきた。
ほんとうは内科でも気軽にくれるのだが、わたしのかかりつけの医者はとても真面目な初老の人で、まず、くれるはずはない。
それでもおいおい手なずけていく。
手はあるのだ。
人を落とすのは思ったより難しくない。
その人に対して本気になればいいだけだ。

さて、本日行った心療内科でもらったのが、マイスリーとサイレース。
この前まで行っていた、といっても二回だけだが、そこのぼけた爺さんの心療内科でもらったのが、レンドルミン。
これで、レンドルミン6錠、マイスリー14錠、サイレース14錠が手元にあることになる。
うっしっし、てなもんである。

しかし、眠剤に詳しい人がこの文章を読んでいたら、
せせら笑っているだろう。
それくらいもらった眠剤はすべて弱いものだ。
それに、いまではかつて自殺に使われたバルビツール系のものはほとんど販売されていない。
なかにはウイタミンとの合剤となっているベゲタミンのようなものもあるが、まあ売っていない。

わが中島らもに「バンド・イン・ザ・ナイト」という恐ろしい本があって、その本の最初に無理をして手に入れてきた眠剤を配るシーンが出てくる。(この本は文庫本になったときの町田康の解説がいい。)
手に入れた眠剤は3種類、ノルモレスト98錠、ベンザリン56錠、ブロバリン112錠。
こいつを分けていくのだ。

なかで懐かしいのは、ノルモレスト。
小説の舞台は80年代初頭だが、あのころのノルモレストは輝いていた。
ハイミナールと並んで二大スター。
今で言うと…、う~ん、まあ言えないこともないが、言いずらい。
なにしろハイミナールとノルモレストはバルビツール系で死ねたからね。

今のスターは、ベゲAとロヒあたりになるけど、なかなか死なないからね。
まあベゲAはバルビツールが入っているから死なんこともないだろうけど。
ああ、今書いたのはベゲタミンAとロヒブノールの話だよ。

写真の下がロヒブノール。
そいでもって上が、弱い眠剤のくせに何かと評判の悪いハルシオン、青玉って奴ね。
この青玉、依存性やなんかで問題があるんだよね。
だからK口さんもレンドルミンあたりにしたほうがいいかも知れないね。

そんなわけで、いまわたしは少し、不眠のことを心配しないでいる状態なのです。

こんなブログ、みなさんは読んでも楽しくないのだろうな。
ごめんなさいね。

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自己否定の回路


「自己否定の回路を身のうちにもつ」と書くことがあるが、このことをずいぶん大事なものだと考えている。
ただ、そういった自己否定の回路は放っておくと暴れだし、桂枝雀のようなことになってしまう。
あるいは佐藤真のようなことになる。
半分病気のようなもので、いや病気そのもののようなところがあって、ああいう危険なものは持たないほうがよいという判断もされるだろう。
しかし「自己否定の回路」がないとどうしてもその人の表現や生き方がうわすべりなものになってしまうので、このあたりの加減は難しい。
この「自己否定の回路」はいずれ作品としなければならないが、はたして請け負ってくれる出版社はあるか。

ところで、「昭和落語家伝」という本を立川談志が出した。
この家元は落語以上に演芸ファンとして演芸について話させるときに力を発揮したりする。
彼のなかの論理がうまい具合にかみ合うのだ。
ついでに言っておけば、彼の落語が不評なのは(なかには嫌いな人がいるということです)、その論理が話に入ってくるからです。

もちろん論理、理屈がそのまま入ってくるのじゃないよ。
「芝浜」はこうだろう。
「粗忽長屋」っていうのはこういうふうに解釈しなけりゃいけない、といったことだ。

まあ、それはそれで興味深い話、いい芸として仕上がるのだが、亡き志ん朝が「落語の何が好き?」の問に「たぬきやきつねの出てくるところ」と応えたのにはかなわない。
心地よくなりたいなら一も二もなく志ん朝、それで決まり。
あれだけ様子がいいんだもんな。

そういう志ん朝をえらく評価したひとりが、小林信彦。
で、その小林、どこかで談志の悪口を書いている。
談志が自分は名人だなんていってるもんだから、あんな奴が名人なもんかなんてね。
そのあたりはやっかいで、確かに談志自身、自分がうまいと思っているが、それほど慢心して名人だなんて言ってはいない。
あの男の中にもえげつない自己否定の回路があってね、ああ言わざるを得ないのだ。
そこへいくと自己否定の回路も志ん朝になると違う。
ちくま文庫の六巻本なんかに見るあの志ん朝のノート、あれが彼の自己否定の回路のなせるわざだとわたしは見ている。

ところで、談志がえらく可愛がる太田光にも自己否定の回路はある。
この二人が土曜の深夜11時半にTBSラジオでやっている番組。
あほらしいやら、いじましいやら、可愛いやら。
安心するんだろうな、同じ自己否定の回路をもつ姿を相手に見て。
いい番組かもしれない。

ついでに書いておけば、いらぬことだけど。
話していてその人の痛みを感じさせないような奴っているだろ。
そんな奴と話すことなんかないぜ。
こっちがいやな気分を背負い込むだけだからさ。
まあ、はぐれ物のオレが言っても仕方のないことだけどさ。

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2007年11月6日火曜日

しゃべり相手


二三日前に電話で板垣恵介と話したのだが、オレが「キミは話がうまいなあ」てなことを言ったとき、板垣がすかさず言った。
具体的には覚えていないのだが、要するに、そうだよオレは話がうまいのだと言ったのだ。
他ならぬこのオレに向かって。

板垣恵介は漫画家として有名だが、確か、昔、話をしていたときに「オレはストーリー作りではなくてキャラ屋だ」と言っていたのではなかったか。
もちろん、そう言わざるを得ない理由もあった。
きわどい話がらみでオレと板垣はそのとき福本伸行の話をしていたのだ。

福本伸行を天才と呼ぶことをオレはしないが、まあたいしたもんだ。
そのストーリーテーラー振りを見せつけられて、板垣もオレはストーリーテーラーだとは言いにくかったろう。
なあ、板垣さん。

最もその福本にしても岩明均の「寄生獣」のまえで、オレはストーリーテーラーだと言えるかどうか。
そう言っているオレにしたところが、小三治のまえでは話し手として赤子のようなものだ。

そんなオレが愚痴を言う。
世の中に間抜けな男は事欠かない。
オレに対してさも当たり前のように説教のようなことをする奴がいる。
ハッキリ言ってすこぶる間抜けだ。
どうして自分が間抜けな話をしていると気づかんのだろう。

おそらくだ。
そいつは板垣を知らずに生きてきた。
もちろん、小三治も談志も志ん朝も、ましてや柳好なんぞはとんでもない。
そして、何より鶴見さんや塩沢さんや城戸さんに会ってこなかった。
そのことが、身のうちに自己否定の回路を引き込む可能性を捨てさせた。
悲しいことだが、仕方はない。
その男の間抜けさだけが眼前にある。
唾棄すべきものとして。

無知は怪物を作る。
その間抜けさ加減につき合わされるオレの悲劇もわかってくれ。
何でお前に説教されねばならないのだ。
稚拙な論理によるその説教は、反吐が出るようなものだが、その反吐よりも醜い。
人はそんなことが出来てしまうのだ。

なあ同志、お互い説教などというつまらぬ事は止めようではないか。
今描写した男は、そのまま生きていくのだろうが、そのことは仕方ない。
俺たちはそういった輩から逃げ去るだけだ。

オレのしゃべり相手は聞き上手か話し上手だ。
聞き上手は「我がいとしき、おふくろ」にとどめを刺す。
話し上手は、敬意を込めて板垣恵介としておこうか。
あと、少しのわたしの大切な男たち。
女性にはいない。
いや、いるか。
初老の域に入った女性のなかには。
そうでない女性は、手を握り合うだけの仲だ。

言葉より握り合った手の湿度や温度を信頼しているのがこのとんぼ丸と呼ばれている男の本質だ。

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石橋のこと


石橋幸緒には個人的なことで世話になったことがある。
それとは別に女流将棋界はこの一年ほど揺れに揺れていた。
石橋さんも将棋に十二分には取り組めなかったのではないだろうか。
その石橋が女流王位をものにした。
新団体「日本女子プロ将棋協会」初のタイトルだ。

よかったと思う。

石橋が強くなれば強くなるほど女流将棋界も大きく変動する。
矢内や千葉だけでは駒が足りないのだよ。

石橋さん、がんばってね。

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チャランケ祭り


11月4日には、中野に出かけた。
「チャランケ祭り」も今年で14回になる。
それほどの期待もしていなかったのだが、何人かの素敵な人たちに出会えた。
何の情報も交わしていないので、今後また彼らに出会える保証はないのだが、おそらくまた会おうなどと思うことは姑息なことなのだろうとも思った。
こういう人たちが同じ空の下のどこかで息を吸っていることを知っただけでもよかった。
たとえば自分自身に終始するだけでなくほかの何ものかに眼をやることのできる余裕とその心を持つ若者の姿を見ることはうれしいことだ。

「撃つならば、その最も高いところを撃て」というような言葉がある。

作品であっても人であっても批判するならば、どうでもいいところではなく、その最も高いところを批判しなさいというほどの意味だ。
「その最も高いところ」がわからないとおっしゃいますか。
それならば、批判などしなければいいさ。
批判が何かを生み出すことはまれなことだからさ。
身のうちに自己否定の回路をもっていない人間がしてよいことではないさ。

批判されるならば、涙しながらされてみたいな。
あほな男に自分自身のあほさも気づかずにされる批判には辟易とするよ。
ああ、オレはつまらぬ人間とつき合っているのだな、と思い沈んでしまう。

「チャランケ祭り」のひとつ、エイサーを見ていて、しばし感慨にふけってしまった。
若者はこの国にも生きている。
彼らを大事にしてほしく思う。

この祭りのことを教えてくれたのは大池いさをだ。
彼には「どんと」を追悼した「ずっと好きでいるからね」という文章がある。
いい文章だ。
あの文章はどこに出しても恥ずかしくない文章で、大池いさをのことがよくわかる。
http://homepage3.nifty.com/i-sa-wo/
上記で検索をかければあなたにも読めるはずです。
(大池さん、勝手に紹介してごめんね。わたしはあの文章にほれているからさ、ほれた女のことは誰かに紹介してみたいものなのだよ。)

彼とチャランケ祭りで会えたのもよかった。
彼の娘さんと会えたのもよかった。
彼の娘さんの彼氏に会えたのもよかった。

殺風景で無機質な東京の街中で「チャランケ祭り」は行われていた。
そこでわたしは二本の島酒を飲み干すことにあいなった。

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2007年11月2日金曜日

春風亭柳好



不眠状態がずいぶん長く続いているのだが、悩むほどではない。
確かに眠れないのだが、眠れなければ何か作業をしていればいいわけで、その意味
ではなんら支障はきたさない。

不眠が始末に悪いのは、明朝に予定が否応なく入っているサラリーマンや何かの場合で、こういった人たちの不眠症は目も当てられないケースとなることがある。
そこへいくと半分引きこもりのようなわたしは、眠れようが眠れまいが、ただここに居さえすればいいだけだから、不眠症に対して病気とも思えぬところがある。

ただおかしなもので、そういうわたしにももうそろそろ眠りたいなという思いが湧くときがあって、それは叶うあてのない希望のようなものなのかもしれないが、そういうときには自分が不眠症であることを自覚することになる。

でそのときは、眠れないことが苦痛になり、レンドルミンを酒といっしょに流し込むことになる。
(睡眠薬はアルコールと併用してはなりませぬ。
異常に効いてしまうことがありますから。
だけど一錠で死ぬなんてうまい話もないのです。)
そうしておいて、落語をかけるわけです。
ここ三ヶ月ほどは、このときにかける落語は決まっている。
三代目柳好だ。
何、三代目と断ることもなく、柳好と言えば三代目柳好に決まっている。
あの、『野ざらし』の柳好、『ガマ』の柳好である。
というわけで、そういう夜は、出囃子『梅は咲いたか』を聞きながら眠る体勢に入る。

柳好師匠はわたしが生まれた翌年には上の鈴本の楽屋で倒れてそのままあちらにお行きになった。
だからわたしは師匠の落語を生で見ていない。
それでも音だけで大丈夫なのは柳好の落語が歌だからである。
仲間内では「唄い調子」と言うのは、彼の流麗な口調のことを言っているのだが、ここは歌と言い切っておいたほうがわかりやすいだろう。

この「唄い調子」が眠るのに心地よい。
ゆめゆめ柳好の人情話など期待なさるな。
もっとも利口な本人はそのことを知っていて、人情話に近づいたためしがない。

そこへいくとなくなった志ん朝は恐れを知らずに「お直し」なんていうとんでもない話にも挑戦していたっけ。
(志ん朝もまた歌のうまい落語家であった。
歌のうまさでこの二人を並べてみたら面白いと思う。
いいテーマだと思うね。
志らくが少し書いているが、誰か本気で取り組んでみないかねえ。
『唄い調子 ―― 落語は歌になりうるか、歌は落語になりうるか』
こんな感じでどうだろう。)

飛んでしまった。
先の志ん朝の「お直し」の話だ、これがまたいい出来でねえ、
けど、いけねえ、親父の絶品の「お直し」があって、これを聞くと志ん朝のがどうしようもなく思える。
芸の怖さだね。
並べるとかすむんだよ。

確か志ん生はあれで(=「お直し」)なんか賞を取ったね。
女郎買いの話でこんな賞をもらってなんていう枕を聞いた覚えがある。

話はこんがらがって、変な方向に行ったが、要は眠りたいときにわたしはレンドルミンと柳好を必要としている話。

それから、いっ平(=今度「三平」を継ぐ素人芸人ね)が柳好を語るのに「フラ」を使って説明しようとしていたが、とんでもない。
柳好は「唄い調子」。
ここ一本に攻めて論じなければ、ほんの少しも柳好師匠は浮かんでこない。
しょうがねえな、素人は。

というわけで――
よっ、柳好、「野ざらし」を!

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食の偽装


ワイドショーで「食の偽装」問題が賑々しい。
もっともきゃつらは視聴率が取れれば何でもやるし、視聴者は面白いほどそれについてくる。
マスコミに飼われているわけです、我々は。

小泉もそう、拉致問題もそう、亀田一家もそう…言っておくが、彼らはどの問題にもそれほど興味を持ってなんかいないのだよ。
視聴率が取れるかどうかで、それぞれの問題に真摯に取り組んでなどいるものか。
もちろんなかには、なかなかの人物もいるわけだが、それは無視していいほどの比率にすぎない。

むかし、辺見庸がコメンテーターとしてどこかのワイドショーに一度だけ出たことがあるが、テレビ局はあわてて彼をその出演だけで、次からすぐに下ろした。
よほど恐ろしかったのだろう辺見さんのコメントが。
で、そういうことです、今残っているいるコメンテーターは。

「食の偽装」は入れ替わり立ち代り新人が登場してくるのでなかなか終わらないニュースで、それを流せばそこそこの視聴率が取れるのだろう。
もし視聴率が取れなければ奴らはどんなに重要な話題でも取り上げない。
ワイドショーはそのような価値観で作られた世界で、現実の世界とは似ても似つかぬものとなっている。

さて、それで「食の偽装」の話。

むかし、横浜中華街でひどい対応の店があって、音を立てて料理をテーブルに置いていた。
あるとき一緒に食事をした知人が、
「あの人たち、わたしたちお客をどう思ってるか知ってる?」
と聞いた。
怪訝な顔をするわたしに教えたものだ。
「置きゃあ、食うから『お客(置きゃ食)』なんだってさ」えへへ
この場合「えへへ」はどうでもいいが、確かに店側のお客に対する意識はその程度のものだったのだろう。

翻って「食の偽装」軍団はどうだろう。
彼らはねえ、われわれをお客だなんて思っていないよ。
彼らはわれわれを消費者と思っている。
もっとハッキリ言えば何もわからぬあほな消費者だと心の底で思っている。

だって、そうでしょうが、目の前に料理を出された客が、
「すいません、この料理の賞味期限はいつですか? 消費期限はいつですか?」
そんなことは聞かんだろう。
目の前の料理を自分が見て自分が判断すればいいだけの話だ。
あくまでもほしいのは、製造年月日だ。

ちゃんとわかっている客はよく言ったもんだ。
「この店は通し揚げだからね。(注文を受けてから料理に取りかかるっていうこと、作り置きしていないってことね。ここでは、それを揚げ物にしぼって言っている。)」

賞味期限や消費期限を気にしているというのは、その食べ物ではなくて「賞味期限」「消費期限」そのものを買っているということになると思う。
大量消費社会では致し方ないことだが、飼いならされすぎたな、わたしの感慨としては。
だって、食い物ではなくラベルの表示を買っているのだから。

どうだろう、いっそ食品なしのその表示だけ買ってしまったら。(箱だけ買えばって言っているのさ。)
そうすれば表示とその食品の齟齬はきたさないだろう。

「食の偽装」はそれはいけないことだろう。
だからといって、性もない奴らだけど、あいつらばっかり責めてもね。
そういう土壌がすでに出来上がっていて、そこにあちこちああいう奴らが生え出してきている現象が、「食の偽装」なのだ。
言っちゃ悪いが、インスタント食品なんか「食の偽装」そのものではないか。
ただし、インスタント食品は表示に「食の偽装をしています」と明記しているから、だれも文句を言わないし、逆にみんな「うめえなあ、この『食の偽装』食品は。」なんて食べているではないですか。

食をわが手にもっていない人間が、よくこんな問題で腹を立てていると思う。
「こんなんじゃ何も信じられませんね。」
そうだよ、何も信じられないんだよ。
そんな状況は「食の偽装」が始まる前から起こっていたことだ。

そして何度も繰り返すが、我々が買っているのは「表示」であって「食」ではない。
だから「食の偽装」問題は、正しくは「表示の偽装」問題と呼ばなければいけないのだ。

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2007年11月1日木曜日

渡辺もダルビッシュも


勝手に自分が肩入れしていたのだから何も言うことはないが、渡辺が7七銀あるいはその後の6八銀を打てずに負け(ポカと言っていいだろう)、ダルビッシュがあの投球でさえ負け、……こういう日はほんとうに疲れてしまうぜ。
もちろん自分の身に起きたことではないのだが、なんなのだろうなこの疲労感は。
だから、肩入れはいやだとあれほど言っていたのに。(だれに言っていたのだろうか、わたしは?)

「映画の日」とは言うもののそれほどたいしたことがあるわけではなく、ただ料金が1000円になるだけなのに、いそいそと吉祥寺に出かけてしまった。

『ブレイブワン』を見る。
『ブレイブワン』はセリフの刈込がよくされていて、映画として仕上がっていた。

で、どのくらいの映画かというと、「見ても見なくてもいい映画」、そう考えていただければいい。
ちなみに「見ても見なくてもいい映画」とはわたしの評としてはかなり高いものでけなしているつもりはない。
そういう物言いなのだ。(この礼儀知らずが!)

わたしはセリフの刈込が十分にできていないものはその時点ではじくので(えらっそうに)、そこをクリアしているだけで十分な評価と考えてください。
まあ、セリフの刈り込みにしぼって映画を見るやり方がどうなのかは意見の分かれるところですが、わたしが映画のことを書くときにはそういう偏見によっていると言うことを表明しているわけです。

その後、行きつけのメガネ屋でふらふらとメガネを買って、帰ってきてリアルタイムで二人の若者の負けを
知ることになる。

一本の映画とメガネ、そして二人の若者の敗北、ろくなもんじゃねえな。

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さっきもテレビでしゃべっていたが

テレビでニコニコしながらしゃべっているわけさ。
「パワーもらいました」って。

ほかにも聞く。
「勇気もらいました」
「感動もらいました」

いつから、パワーや勇気や感動を人様からもらうようになったんだろうね。
実際にもらえるかどうか、よく考えたほうがいいよ。
そんなに楽しちゃってさ、だれに教えてもらったの、人からパワーをもらえるってことをさ。
そんでもって、そんなまがいものの発想をすぐ信じちゃったんだ、楽だから。

あなたにパワーや勇気や感動をくれた人も誰かからもらったんだね、きっと。

感動の輪、とか言って。

いい世の中だ。
そうやって、まがいものをみんなで信じた振りして(本人は振りしているってことも気づいていないのだろうけどさ)楽しく生きていけるんだから。

オレは、いやだよ。
感動するオレの心や、鬱勃と沸き立つ勇気はオレのものだと知っているよ。
きっかけにはなるさ、助けてももらえるだろう。
ただ、最後にそれらを生み出すのはきみ自身のなかから、きみ自身の手によってではなかったのか。

この話は、このあとも少し続けます。
うざったいだろうけどさ。

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