2007年11月2日金曜日

食の偽装


ワイドショーで「食の偽装」問題が賑々しい。
もっともきゃつらは視聴率が取れれば何でもやるし、視聴者は面白いほどそれについてくる。
マスコミに飼われているわけです、我々は。

小泉もそう、拉致問題もそう、亀田一家もそう…言っておくが、彼らはどの問題にもそれほど興味を持ってなんかいないのだよ。
視聴率が取れるかどうかで、それぞれの問題に真摯に取り組んでなどいるものか。
もちろんなかには、なかなかの人物もいるわけだが、それは無視していいほどの比率にすぎない。

むかし、辺見庸がコメンテーターとしてどこかのワイドショーに一度だけ出たことがあるが、テレビ局はあわてて彼をその出演だけで、次からすぐに下ろした。
よほど恐ろしかったのだろう辺見さんのコメントが。
で、そういうことです、今残っているいるコメンテーターは。

「食の偽装」は入れ替わり立ち代り新人が登場してくるのでなかなか終わらないニュースで、それを流せばそこそこの視聴率が取れるのだろう。
もし視聴率が取れなければ奴らはどんなに重要な話題でも取り上げない。
ワイドショーはそのような価値観で作られた世界で、現実の世界とは似ても似つかぬものとなっている。

さて、それで「食の偽装」の話。

むかし、横浜中華街でひどい対応の店があって、音を立てて料理をテーブルに置いていた。
あるとき一緒に食事をした知人が、
「あの人たち、わたしたちお客をどう思ってるか知ってる?」
と聞いた。
怪訝な顔をするわたしに教えたものだ。
「置きゃあ、食うから『お客(置きゃ食)』なんだってさ」えへへ
この場合「えへへ」はどうでもいいが、確かに店側のお客に対する意識はその程度のものだったのだろう。

翻って「食の偽装」軍団はどうだろう。
彼らはねえ、われわれをお客だなんて思っていないよ。
彼らはわれわれを消費者と思っている。
もっとハッキリ言えば何もわからぬあほな消費者だと心の底で思っている。

だって、そうでしょうが、目の前に料理を出された客が、
「すいません、この料理の賞味期限はいつですか? 消費期限はいつですか?」
そんなことは聞かんだろう。
目の前の料理を自分が見て自分が判断すればいいだけの話だ。
あくまでもほしいのは、製造年月日だ。

ちゃんとわかっている客はよく言ったもんだ。
「この店は通し揚げだからね。(注文を受けてから料理に取りかかるっていうこと、作り置きしていないってことね。ここでは、それを揚げ物にしぼって言っている。)」

賞味期限や消費期限を気にしているというのは、その食べ物ではなくて「賞味期限」「消費期限」そのものを買っているということになると思う。
大量消費社会では致し方ないことだが、飼いならされすぎたな、わたしの感慨としては。
だって、食い物ではなくラベルの表示を買っているのだから。

どうだろう、いっそ食品なしのその表示だけ買ってしまったら。(箱だけ買えばって言っているのさ。)
そうすれば表示とその食品の齟齬はきたさないだろう。

「食の偽装」はそれはいけないことだろう。
だからといって、性もない奴らだけど、あいつらばっかり責めてもね。
そういう土壌がすでに出来上がっていて、そこにあちこちああいう奴らが生え出してきている現象が、「食の偽装」なのだ。
言っちゃ悪いが、インスタント食品なんか「食の偽装」そのものではないか。
ただし、インスタント食品は表示に「食の偽装をしています」と明記しているから、だれも文句を言わないし、逆にみんな「うめえなあ、この『食の偽装』食品は。」なんて食べているではないですか。

食をわが手にもっていない人間が、よくこんな問題で腹を立てていると思う。
「こんなんじゃ何も信じられませんね。」
そうだよ、何も信じられないんだよ。
そんな状況は「食の偽装」が始まる前から起こっていたことだ。

そして何度も繰り返すが、我々が買っているのは「表示」であって「食」ではない。
だから「食の偽装」問題は、正しくは「表示の偽装」問題と呼ばなければいけないのだ。

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1 件のコメント:

Anonymous 匿名 さんは書きました...

『食の偽装』ブログ、興味深く拝読。「ワイドショー」とも重ね合わせて論じられている果敢さんに敬服。願わくば別途、「テレビ」とか「ワイドショー」のテーマでもつっこんでいただければとも。あせらずに一つずつというところでしょうか。「ペン」の切れ味は小気味よく、末永く楽しませてください。それにつけても、どうかご自愛くださいますように。

2007年11月2日 6:09  

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