2007年11月17日土曜日

けなげということ


好もしい本が出た。
好もしいといってもわたしにとってということだけどね。
前掲の「らも」である。
出たといっても、すでに4ヶ月以上もたってしまっている本なのですが…

わたしは、この手の本が好きなのです。
曰く「クラクラ日記」、曰く「高橋和巳の思い出」、曰く「人間・黒田三郎」…といった具合である。
つまり、男がいて、その男に寄り添う、あるいは寄り添ってやる女がいて、そして二人の関係ができ、そこから始まる物語だ。

そこにわたしは「けなげ」を見る。
「けなげ」な男がいて、「けなげ」な女がそれに寄り添い、「けなげ」な関係ができ、「けなげ」に生きていく。
どうしてもそう見えてしまうのです。
もちろんこの場合、それぞれのけなげは違うのですが、わたしの目にはそれぞれがけなげに見えるのです。
それぞれが「弱さ」をもち、それぞれが「向かい風」を受け、生きている。
男も女もその関係もがそのように見えるのです。

ここで取り上げられたのは、すべてたまたま作家ですが、それ以外にもそのような生きかたをした人たちはたくさんいたはずで、今もたくさんいるはずで、果たして彼らの行き先がどうなったのかはあまり知られていません。
ただ、年間の自殺者3万人(表ざたになったもので)という数を知ると(自殺試行者は10万人に上るかもしれません。)、そのすべてがうまくいってはいないのだろうと思います。

わたしがときとしてこの国のことや政治家を悪く言うのは、せめて「けなげ」な彼らに小さなシアワセを与えてくれないかという思いからです。

そして、いま紹介するような本が好きだというのは、その本の中身が彼らはその小さなシアワセ(実際はもう少し大きかったのでしょうが)を得たという物語になっているからです。
願わくば、彼らがその稀有な例でないことを。

「けなげ」とは向かい風に立ち向かう弱き者の姿を言います。
それぞれの向かい風とそれぞれの弱さのことをいずれ書いてみたく思います。

一見すると、たくましさそのものである中村哲さんのなかにもわたしは「けなげ」を見てしまうのです。

わたしはほんとうにこの国が、しっかりしてほしく思っているのです。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム