2007年11月15日木曜日

おいしいもの

おいしいものとはいうが、私自身はそれほど興味はない。
そこそこのものが、そこそこの値段で食べられたらいいだけだ。

わたしで言えば、「ああ、これはうまい」などと思ったことは久しくはない。

いやいやそうでもない。
記憶に残るほどのことはなくなった。
そのように食べ物を探すことはなくなった、ということなのだろう。

というわけだが、この前食べた新宿思い出横丁「かぶと」の串焼き、この店はうなぎのもつを焼くのだが、そのなかに入っていた「レバ」はうまかった。
うなぎ10匹以上から作られるその串「レバ」は14時から始まるこの店では、17時にはあるかどうか。
したがって、わたしがこれを食べる日は16時前になる。
たまに食べるが、あれはうまい。
数少ないわたしの贅沢だ。

それから同じような日に食べた新宿「京苑」の焼肉とチジミ、これもうまかった。
しかし、酔うと食の進まないわたしには一切れか、二切れで十分だから、この店の分量は多すぎる。

まあ、そんなわけでわたしがごくごく好きなのは、むしろ家で食う永谷園のお茶漬けか。
あれはうまい。
あれに塩さばでもつければ、何も言うことはない。
そんなもんだろう。

おいしいものなどというものは趣味の世界での話で、その趣味のない人間にとっては何の価値もない。
いまおいしいものが取りざたされるのは毎度いうマスコミのせいだ。

テレビを見て御覧なさい。
山ほどそんな番組をやっている。
取り立ててこれはという番組はないが、ごくまれにはある。
そのときのタレントはある程度、そういう趣味があり、その趣味についていろいろ試行錯誤している人だ。

もちろん、おいしいもののうしろに職人を見るとなると話は違ってくる。
しかし、その場合は食ではなく職人の話になる。
職人の話にはなるが、その職人の何かを知るためには食を通してみるしかないのでつい食に眼が行く。

最初から言っているようにおいしいもの自体がえらいわけではない。

そこそこのものを食べていれば十分シアワセで、それ以上食に願う必要はない。
願うものはほかにいくらでもある。

もしそういう場所があるとしたら、川べりであの人の作ってくれたおにぎりを食べるシアワセに比べていかほどのものがあろうか。

わたしのおいしいと思ったものが、おいしいと思ったその場所が、おいしいと思ったそのときにいた人がいいのであって、どこかの店に行く必要はない。

要はあなたが素敵なのであって、あなたが素敵なためにはおいしいものはあまり関係はないということを書いているのである。

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