美しきもの
たとえば、囲碁の世界に梶原武雄という人がいた。
将棋界に谷川浩司がいた。
呉清源の映画ができると聞く。
(ああ、すまない。この人のことはあらためて書かなければいけない。)
勝負の世界はいつも厳しく、勝ち負けがついてまわる。
しかし、そのときでさえ、違うものを見てしまう男がいる。
ああ、そのときだからこそなのか。
もしかすれば、わたしは、谷川のまえに升田幸三と言う名前を置かなければいけなかったのかもしれない。
わずかな錯誤だろうか。
言うことはなかった。
勝ち負けの世界でしかない、囲碁将棋のなかにそういう男がいる。
その男たちは確かに違うものを見てしまった男だ。
もうひとり置いておこう。
エフレン・レイズ
小さなテーブルの上でいくつかの玉を落とすゲーム、ビリアードの達人だ。
彼もまた美しさを追い求め、ときとしてもろく崩れる。
美しさと強さは相容れない。
我々はなにを見たいか。
そう思うときがある。
一歩踏み込んで言ってしまいたい。
我々は美しさを見たい。
もしできることなら、勝利の側に立ちながら。
しかし、裏腹なこの人生に、あちらとこちらに美と勝は分かれる。
だとしてもだ。
わたしは美を追い求める人を愛する。
藤沢が、谷川が、エフレンが…好きだ。
知っていますか、この日本シリーズ、勝つことだけを求めた落合という男がいた。
死んでしまえばいいとわたしは思っている。
ラベル: 社会
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