2007年11月6日火曜日

チャランケ祭り


11月4日には、中野に出かけた。
「チャランケ祭り」も今年で14回になる。
それほどの期待もしていなかったのだが、何人かの素敵な人たちに出会えた。
何の情報も交わしていないので、今後また彼らに出会える保証はないのだが、おそらくまた会おうなどと思うことは姑息なことなのだろうとも思った。
こういう人たちが同じ空の下のどこかで息を吸っていることを知っただけでもよかった。
たとえば自分自身に終始するだけでなくほかの何ものかに眼をやることのできる余裕とその心を持つ若者の姿を見ることはうれしいことだ。

「撃つならば、その最も高いところを撃て」というような言葉がある。

作品であっても人であっても批判するならば、どうでもいいところではなく、その最も高いところを批判しなさいというほどの意味だ。
「その最も高いところ」がわからないとおっしゃいますか。
それならば、批判などしなければいいさ。
批判が何かを生み出すことはまれなことだからさ。
身のうちに自己否定の回路をもっていない人間がしてよいことではないさ。

批判されるならば、涙しながらされてみたいな。
あほな男に自分自身のあほさも気づかずにされる批判には辟易とするよ。
ああ、オレはつまらぬ人間とつき合っているのだな、と思い沈んでしまう。

「チャランケ祭り」のひとつ、エイサーを見ていて、しばし感慨にふけってしまった。
若者はこの国にも生きている。
彼らを大事にしてほしく思う。

この祭りのことを教えてくれたのは大池いさをだ。
彼には「どんと」を追悼した「ずっと好きでいるからね」という文章がある。
いい文章だ。
あの文章はどこに出しても恥ずかしくない文章で、大池いさをのことがよくわかる。
http://homepage3.nifty.com/i-sa-wo/
上記で検索をかければあなたにも読めるはずです。
(大池さん、勝手に紹介してごめんね。わたしはあの文章にほれているからさ、ほれた女のことは誰かに紹介してみたいものなのだよ。)

彼とチャランケ祭りで会えたのもよかった。
彼の娘さんと会えたのもよかった。
彼の娘さんの彼氏に会えたのもよかった。

殺風景で無機質な東京の街中で「チャランケ祭り」は行われていた。
そこでわたしは二本の島酒を飲み干すことにあいなった。

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