しゃべり相手
二三日前に電話で板垣恵介と話したのだが、オレが「キミは話がうまいなあ」てなことを言ったとき、板垣がすかさず言った。
具体的には覚えていないのだが、要するに、そうだよオレは話がうまいのだと言ったのだ。
他ならぬこのオレに向かって。
板垣恵介は漫画家として有名だが、確か、昔、話をしていたときに「オレはストーリー作りではなくてキャラ屋だ」と言っていたのではなかったか。
もちろん、そう言わざるを得ない理由もあった。
きわどい話がらみでオレと板垣はそのとき福本伸行の話をしていたのだ。
福本伸行を天才と呼ぶことをオレはしないが、まあたいしたもんだ。
そのストーリーテーラー振りを見せつけられて、板垣もオレはストーリーテーラーだとは言いにくかったろう。
なあ、板垣さん。
最もその福本にしても岩明均の「寄生獣」のまえで、オレはストーリーテーラーだと言えるかどうか。
そう言っているオレにしたところが、小三治のまえでは話し手として赤子のようなものだ。
そんなオレが愚痴を言う。
世の中に間抜けな男は事欠かない。
オレに対してさも当たり前のように説教のようなことをする奴がいる。
ハッキリ言ってすこぶる間抜けだ。
どうして自分が間抜けな話をしていると気づかんのだろう。
おそらくだ。
そいつは板垣を知らずに生きてきた。
もちろん、小三治も談志も志ん朝も、ましてや柳好なんぞはとんでもない。
そして、何より鶴見さんや塩沢さんや城戸さんに会ってこなかった。
そのことが、身のうちに自己否定の回路を引き込む可能性を捨てさせた。
悲しいことだが、仕方はない。
その男の間抜けさだけが眼前にある。
唾棄すべきものとして。
無知は怪物を作る。
その間抜けさ加減につき合わされるオレの悲劇もわかってくれ。
何でお前に説教されねばならないのだ。
稚拙な論理によるその説教は、反吐が出るようなものだが、その反吐よりも醜い。
人はそんなことが出来てしまうのだ。
なあ同志、お互い説教などというつまらぬ事は止めようではないか。
今描写した男は、そのまま生きていくのだろうが、そのことは仕方ない。
俺たちはそういった輩から逃げ去るだけだ。
オレのしゃべり相手は聞き上手か話し上手だ。
聞き上手は「我がいとしき、おふくろ」にとどめを刺す。
話し上手は、敬意を込めて板垣恵介としておこうか。
あと、少しのわたしの大切な男たち。
女性にはいない。
いや、いるか。
初老の域に入った女性のなかには。
そうでない女性は、手を握り合うだけの仲だ。
言葉より握り合った手の湿度や温度を信頼しているのがこのとんぼ丸と呼ばれている男の本質だ。
ラベル: 日常 考察
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