2010年3月31日水曜日

こんな微弱な風にも揺れる

人の心は弱いものだと実感する。

会社で贔屓にしている人間の行動に目くじらを立て始めたりする。
それも以前ならなんでもないような言動にだ。
どこかイライラしている自分を感じるのは、その一連の反応が続くあるときである。

そしてなぜイライラしているかを考え始めるとき、その贔屓にしている人間のイメージをわたしの内部に高く作りすぎたためだとか、イメージと現実の存在のギャップがなどと…あれやこれやと考えてみて、とうとう、これかとたどり着くのである。

それが、あの原発性アルドステロン症で副腎の一つをとらないといけない鬱陶しさから来ているものだとは。

なんやかんやと言っているわりには、随分、やわではないか。
たかが副腎一つで精神の均衡に異常を来たし始めているのか。

最初に「人の心」はと書いているが、そうではないだろう、「わたしの心」がこんなにも脆弱なのだと思う。
なんと脆弱で哀しいものだろうと思う。

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2010年3月30日火曜日

会社がくれた物

会社に通うようになって2ヶ月か。
いやだ、いやだと思っていたが、嬉しい贈り物もあった。

人と話すことができる。
気に入った人と話すことが出来るのはこんなにも精神にいいものだったのか。
堕落も含んで人と話すことは心地よい。
そのためにある人を話し相手に育てるのは不遜な行為だと思うが、相手も楽しんでいるのだし、それで新しい世界が見えるのだからこの場合は許してもらおう。
(言葉が世界を形作ることは何人もの人に指摘されている。
 それをひっくり返せば、新しい言葉の獲得が新しい世界の現出に繋がる)

日々新しい話をするとき、聞き手は育てた相手だけではない。
もう一人存在する。

それは自分自身だ。

自分は自分の話す言葉に耳をそばだてて、なるほどと頷いたり、そうではないと思ったり、それでは不明瞭だと感じたりする。
それはそのまま話し手である自分に伝わり、話し方に変化を及ぼす。

この話す自分と聞く自分が同居する人間には成長が担保されている。
自慢話しているのではない。
この両者が共存する時、人は自分を誇れなくなる傾向をもつ。
それが表現者へのとば口に立ったということかもしれない。

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2010年3月29日月曜日

原発性アルドステロン症

原発性アルドステロン症を説明するのは愉快でない。
それを押して少し書けば、この病気は副腎皮質にできた腫瘍、あるいは過形成によりアルドステロンが異常に分泌してしまうという病である.

アルドステロンの血中濃度が上がれば、血中のNa濃度が上昇し、血漿浸透圧も上昇する。
血漿浸透圧の上昇は循環血漿量の上昇につながり、行き着くところ血圧の上昇となる。

これが、なぜ「原発性」と呼ばれるかといえば、異常をきたした副腎皮質を取り去らなければ、血圧の上昇は食い止められぬところにその命名の根拠がある。

わたしは、この原発性アルドステロン症をもつのだが、もう一つ今日受けた健康診断でわかったことがある。
その際、医者とこの病状のことを話したのだが、わたしの飲んでいる血圧降下剤がもっとも強いレベルのものであることを指摘された。

ご存知のように薬は次第次第に身体が順応して、効きが弱くなる。
アルドステロン症をもっている限り、わたしの血圧が下がることはない。
生活習慣を変えたところで気持ち下がるだけのことだ。

いずれ、薬の効きがさらに弱くなり、サイレントキラーと呼ばれる高血圧症によってわたしは脳出血や脳血栓、あるいは他の臓器不全で倒れることになる。
だったら取ればいいじゃんということになるが、わたしの症状は特殊で腫瘍も過形成もないのだ。
だから、どっちの副腎を取っていいのか外見からはわからない。
取ったはいいが、こっちじゃなかったでは他者にとっては笑い話だが、わたしはとても困る。
それで、手術を伸ばしてきたのだが、薬の効きが弱くなってきていることを今日、医者に指摘された。

取らずばなるまい。

手術は行わなければならない。
今年中に。

それで今、憂鬱になっている。
鬱ではない。

とても憂鬱だ。

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2010年3月28日日曜日

さらに「遠まわりの雨」

大きなことは何も起こらない。
カット割りもやさしく、長回しや人物のアップを多用する。
ロングショットや俯瞰や移動の映像には背後に確かな絵コンテがあるとわかる。
丹念な作りを映像から十分に察した。
セリフの少なさも異常なくらいだ。

で、つまりどうだったの? と尋ねられれば、今どきのドラマではなかった、と答えるしかあるまい。

映画のごときカメラワーク。
俯瞰にしろパンにしろ移動にしろカメラの動きだけを見ても予算がかかっているのがわかる。
いい絵だったし、役者もそれに応えた。
渡部謙が夏川結衣がセリフのないアップに動きの極めて少ない表情での演技で応えた。
セリフは削ぎ落とされ、説明はほとんどない。
山田さんだな、と思う。
そして、今どきのドラマでないことを思う。

テレビは視聴率勝負だから視聴者に媚びる。
見ている者が簡単にわかるように作られる。
その結果、作品のレベルは落ち、さらに視聴者のレベルも落ち続けた。

視聴率を上げるのには「遠まわりの雨」ではダメなのだと思う。
視聴者にあまりに多くのものを期待しすぎているから。

多分、山田さんは視聴者もこれくらいは登って来てくれ、と妥協せずにシナリオを書いたと思う。
視聴率よりも大事なものがある。
金儲けより大事なものがある。
人と人との関係はこのドラマのようではなかったか?人はこのように誰かを思い続けることがある。
若者はこういう大人に感応する繊細な動物ではないのか?

いちいち、そうだよなとわたしは反応する。
けれども、このドラマは誰でもにわかるように書かれてはいない。
視聴率を無視している。
無視しなければ、コアな視聴者には届かないと書き下ろしたのだろう。
テレビ局にもいい奴がいて、それを受けたのだろう。山田さんの脚本だから。

見終わったとき、ああ、これではダメだろうなと思った。
そして、わたし自身にはいくつかの思いとドラマがスパークして何かか焼き付けられた。

日常にちょっとした事件が起こった、ただそれだけのことに大きなドラマが存在すると山田さんは言った。まことににそうだとわたしはうなす゛いた。
ついにはそれだけのドラマであった。

投げ出されたこのドラマを一体何人が受け取るのだろうか。

視聴者は変わることがあるのか?
変わらなければ、このようなドラマはもう見られなくなるのか。
描かれた下町の生活はなくなってしまうのか。
渡辺謙の娘はどうやって生きたらいいのだろう。

愛することがこんなにも不自由なとき、あなたの愛のDestinationはどこにあって、あなたはどうやってそこにたどり着くのか。
そもそもあなたは人がどのように人を愛するか知っていたか。

いいドラマだった。
そして、ダメと判断されるだろうドラマだった。
そうでない判断をわたしは切に願っている。

2010年3月27日土曜日

遠回りの雨

見てから書くのが本当だが見る前に書いておきます。

山田太一はわたしにとってそんな脚本家だ。
テレビドラマなど一切と言っていいほど見ないわたしがこんなにも夜を待っている。

山田太一の作品には何度も泣かされている。
一つひとつ書き上げる愚はしないが、一作だけ上げれば「早春スケッチブック」になるだろうか。
もちろん、個人の好みにすぎないわけで、「ふぞろいのリンゴたち」や「男たちの旅路」が劣っているはずもない。

ただ好みというのは恐ろしいもので、「早春スケッチブック」のなかの確か、沢田、山崎努演じるカメラマンの沢田が忘れられないのだ。

いくつものセリフが甦ってくる。
ああ、また作品のことを書きそうになっている。

さておき、今宵は山田太一が見られる。

幸せな夜になると、今しみじみ思う。

娘のくれたネクタイ

5年以上前に長女がくれたわたしの誕生日のネクタイを封も切らずに大切に取っておいた。

それをふと思い立ち、昨日会社に締めて出かけた。
なんとも軽い濃紺と金のレジメンタル-タイだ。
これは、いいなと嬉しくなっていたが、少し暑くなった午後、タイを緩める際にふむ? となった。
手触りにこれは…と気づいたのだ。

あのとき、娘は中学に入るか入らないか、わずかな小遣いを工面してこのタイを選んで買ってくれたのだろう。
柄の趣味はいいものの薄手のポリエステルのタイ。
値段としては安いこのタイを娘は手のひらに握りしめた千円札で選んで買ってくれたのだろうか。
そのとき握りしめていた娘の千円札のぬくもりを思うと急に涙が溢れた。
有り難すぎてネクタイを締めているのがイヤになってくる。
その場にうずくまりそうになってしまう。

ひとは、自分を放り出したままでいると社会の組んだプログラム、物語が、簡単に刷り込まれてしまう。

あのころ、わたしが娘と握りあっていた手を離してしまったことを思い出す。
離れた娘は母親と一緒に水泳に夢中になっていった。
母親は社会の組んだプログラムの渦中にすでにどっぷりとつかっていた。
娘がプログラムの住人になるのにさほどの手間はかからなかったろう。

昨年、彼女は1年間のアメリカ留学を終えて日本へ帰って来た。
英語も十分上達したし、楽しい異国の学生生活を過ごしてきたと母親であるわたしの妻から聞いた。
見ようによっては順風満帆、何の不満もない生活が娘にはあった。

しかし、わたしは辛いのだ。ついつい娘が見えなくなったこの世界を思ってしまう。
あのとき、娘の手を握りしめていさえいたら、娘は今わたしの見る世界が見えていたはずだ。
日本社会のプログラムが刷り込まれて長い彼女に見える世界はどんなだろう。

そこでは要らぬ努力も必要なのだろうな。
人に勝つことも必要なのだろうな。
勝ち組や負け組があるんだろうな。

なあ、娘よ、キミには家の近所にある舗装の割れ目から成長して咲くあの雑草が見えているのか。
小さなうちの庭の西の隅、キミのおじいちゃんが植えた山椒があんなに大きくなったのに去年枯れてしまったことを知っているのか。あれは父さんがバカだから変な時期に剪定して枯らしてしまったんだよ。
ごめんな。
バカだったよ、おまえの父さんは。

また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子か゛返つて来るぢやない

不意に中也が聞こえてくる。

また、会えるかな、おまえに。
しっかり父さんが生きていれば、またおまえに会えるのかな。

こんなに近くにいるのに触れあえぬ娘よ。
父さんは、おまえのくれたネクタイを握りしめているよ。
こんなにもしっかりと握りしめているよ。
あのときも、こうやっておまえの手をしっかりと握りしめていたらよかったね。

娘よ、おまえは今、どんな風景を眺めているんだい?

その世界は楽しいかい?

その世界はおまえに十分優しいかい?

2010年3月26日金曜日

「上司は思いつきでものを言う」


橋本治の切れ味は、なかなかのものだと長く思っていた。
彼の源氏や枕や平家の古文訳も「桃尻娘」も読んでいないが、それでもときどき目にする彼の文章にはこちらを納得させるものがあった。
だから、「上司は思いつきでものを言う」(集英社新書)を放ったままにしていたのもたまたまで、意図していたわけではない。
わたしのずぼらが彼への評価に勝っただけのことである。

今回、読み出して彼の立ち回りのすばやさに目を見張るものがあった。
この新書はスピードを上げて読むに限る。
たぶん橋本治もずいぶん速いペースで書いたに違いない。
もちろん随所にある史実の確認には若干手間取っているだろうが、荒く言えばスピードの本である。

スピードを信条としているから読者もつき合ってページをめくるに限る。
さすれば、たちどころに彼の慧眼が目に飛び込んでくるはずだ。
その内容はわたしの思うところと一致するものがあるが、わたしのより深く、正確に書きとめてある。

この時代の信用できる筆者の一人だと思う。
この新書での彼の主張はなぜ流布しないのかと思うが、それは仕方のないことだとも思う。

ある人も語ったが、わたしもそう思っている、京極の「姑獲鳥の夏」のトリックもそうだ。
ひとは自分の見たくないものは見えないことになっている。
意識が無意識野まで下りてしまって、見たくないものは視覚を通して脳に伝達されなくなっているのだろう。
この本には見えないことばかり、つまりは見たくないことばかり書かれている。
なるほど流布しないはずだ。

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2010年3月25日木曜日

ライヴを越える文章を書け

ロックライブに対峙できる文章(=ライヴレポート)は可能なのだろうか。

ライヴの温度、湿度、速度、粘度、そして時間の微分、積分…すべてがそこに流動するもの、流れとしてあるのに、さまざまなものがそこではオーディエンスを圧倒するのに、そのライヴのありさまをお題にもらってライヴに対峙できる、あるいはライヴをまったく違う姿に変えてみせる文章は書けるのだろうか。

いや、それを書けと命じられてしまった。
今、わたしには荷が重く感じられる。
断わればいいと思われるだろうが、そうはいかない。

ライヴに対峙できる、あるいはライヴをまったく違う姿に変えてみせる文章があるのだとDIR EN GREYというバンドの前でタンカを切ったのはわたしだからである。

今年の1月9日、10日とDIR EN GREYは武道館でライヴを行った。
即日完売のライヴであり、ライヴを演劇空間と見変えても素晴らしいといえるものだ。(わたしは、それを今、DVDで見ている)
ギター、ベース、ドラムのリズム隊がおり、それを幾倍にも効果的に聞かせるPAがあり、PAがいる。
そして、背後にはとんでもなくでかいLEDの映像が控える。
そういった演出を従え、フロントマンのヴォーカルの京が歌う。
グロウル、ミックスボイス、ホイッスルボイス、ガテラル、ファルセット…とあらゆる声を使い、オーディエンスの胸に何ものかを届けようとする。

音楽とは直線勝負で、ただただ観客の心の真っ只中にすべてを投げ入れようとするのだ。
それはただ聞くものではなく、見るものであり、触れるものであり、優れて感じるものなのであった。
DVDで見る会場の姿。
観客も演者も武道館の空間もすべてがそう主張している。

それをだ、どうやって文章で対抗しようというのだ。
いやいや文章には文章にしかない特性があって、それは1月9日、10日の武道館をまったく別の所にぶっ立てることができるのだ。

そう、あなたは言うだろうか。

わたしは、そう言おうと思っているのだが、目の前にそびえる壁はただただ空間に広がるだけでどれだけの幅か、どれだけの高さかもわからない。

越えなければ、見ることのできない壁の姿もある。
タンカを切るのも良し悪しだ。

この場合は…、良しとしようではないか、この職場での最初の大見栄は、そういうところにしか立地点はないとわたしは感じている。

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2010年3月24日水曜日

やはりおかしな不眠

わたしの睡眠剤はマイスリーとサイレースを合わせ飲むといったものです。
このうちマイスリーは睡眠導入剤でこちらのほうは入剤として問題はなく、睡眠の入りはOKなのです。けれども、3,4時間で目が覚めてしまうのです。

ということは短時間型でもなく、長時間型でもないサイレース(中時間型となっている)の効きに問題があることになるのですが、もともとサイレースはベンゾジアゼビン系の睡眠剤でアメリカでは持ち込み禁止となっているくらいだからわりと強力なものなのです。

これが悩みのタネじゃん。

昨夜は12時前には眠ったが、今日は午前3時起き。
さらにマイスリー、サイレースを飲み足して眠るが、それでも7時過ぎに目が覚めた。
やはり4時間くらいで効き目が終了するらしい。

そこで小雨の中、散歩に出かけて、小学生の登校を見守るおじさん(学童保育の一環でしょうか)と愉快に話し込んだりしました。

それじゃあ睡眠不足なんかどうでもいいじゃないかということになるのですが、そう考えてみれば、確かに睡眠不足なんて、眠剤の効きが悪いなんて、取るに足らないことかもしれませんね。

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2010年3月23日火曜日

あまりにも早い朝


睡眠剤が効かない。
今朝も5時半過ぎに目が覚めてしまった。
それでもそんなに不快な目覚めではなかったことを考えれば、これはこれでよいのかもしれない。
睡眠不足はは睡眠時間を知った時から始まる。
なんとつまらぬ感覚か。
もっと自分の肉体が持つ感覚を信じなければ…、なぜ信じない。
哀れだな、おまえは…
そういうことが一瞬、頭をよぎったが、そんなことはすぐに忘れ、早い出勤のため起き出した細君の姿に怯えて、これは一大事と表へ飛び出した。
後から彼女の立てていたコーヒーの香が追ってくる。
わたしはそのまま散歩に向かう。
そこで知ることになるのだが、
撮ろう撮ろうと思っていた白木蓮が散りゆく直前となっていた。
しばらく前であれば、上の写真のようになる。
(この写真は残念ながらわたしが撮ったものではない)
今年は不義理をしてしまった。
多摩川の疎水ベリを歩いていると川に沿ってソメイヨシノが両側からせり出している。
つぼみはふくらみ始め、そのいくつかは咲き始めている。
いつもの年のように白木蓮から桜へと季節は移ろう。
わたしは睡眠不足を不覚にも自覚してしまい、細君の姿におびえて散歩に出ている。
そういう不甲斐ないわたしを木々に宿る花花は素知らぬ顔で迎えてくれた。
あるものは花の時期を終えかけて、あるものは満開へと向かいながら。

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2010年3月22日月曜日

感謝感激雨霰

もうめったにお目にかからないが、「感謝感激雨霰」という表現がある。
激しく感謝をしていることを洒落て言っているのだがあまりよくわからないかな。だったら、ネットででも調べてみて下さい。

これを文庫版の「ものぐさ精神分析」のあとがき、最後の締めに岸田さんが使っているのを見て、ふいに枝雀を思い出した。

そう言えば枝雀師匠、「鷺とり」のニワカのシーンでこれを使っていた。
「機関車カンテキ網張られ」ってね。

お分かりにならないでしょうか、詳しくは「落語DE枝雀」ちくま文庫にてお読み下さい。

今回は期せずして2冊、いい本を紹介してしまいました。
読むのに慣れると本は面白い。
つまらぬ本は放り出せばいいのだから、畢竟いい本に出会う。
よろしいですな。

ここまで書いてきて、ふと淋しい気分になる。

枝雀の自殺を思う。
人に生きる意味はもともとないが、枝雀師匠は、わたしにとって大切なお人でした。

大切な人は離しちゃダメですよ。
オレのために生きて、側にいてくれと願うのです。

きっと叶いますよ、こんな真摯な願い。

実は、わたしも頃合いを見計らって、年甲斐もなくそう願うつもりです。
よろしいですかな、告白じゃダメなのですよ、じっと目を見て願うのです。

ダメならどうするかって。そりゃぁ、あなたに見込みがなかったということです。
今回の人生は見送るんですね。
すまない、残念賞。

恋と愛

恋と愛は違うと青臭い議論をする連中がいるが、気になさることはない。
どちらもあまり変わらず、決定的に違うが、それもこれも人を激しく思うことができなければ始まらない。
(恋と愛の違いなど暇なときに昼寝しながらたゆたわせるようなことだ)
大事なのは人を大切に思うことができるようになることである。

それには自分を大切にすることを覚えてほしい。

自分を大切にするにはどうすればいいのか。
残念ながら、それはあなたの問題だ。
気になればじっくりとこの問題に付き合えばいい。
その結果、自分を大事にすることの輪郭が見えれば素敵なことだ。

まず、自分を大切にし、人をやさしく見る目を育てる。
その後にだれかを激しく思ってほしい。

人を激しく思えば苦しくもなるし、至福も訪れる。
いい方も悪い方もとてもふり幅が大きくなる。
それは生きている醍醐味だが、多くの人はそれを放棄し、社会にたっぷりと盛られた刺激に身を任せている。

悪いけれど、それは自分自身を生きていることにならないだろう。
生きている限りは人を限りなく強く思っていたい。
苦しくはあるが、胸のなかには甘酸っぱい痛痒が満ちてくる。

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2010年3月21日日曜日

耳も進化するのだな

「聞く能力」というコトバをしきりに使っていたことがある。(わたしの造語だ)

そのコトバが耳から入ってきたから理解できるとは限らない。
難解なコトバのことを語っているのではない。
ひとは自分に不都合な内容を持つコトバをスルーしていく。
本人のせいではない。
そのように、なにものかによって、仕上げられたのだ。
そのなにものかをわたしは物語と呼んでいるが、わからない人は物語が見えないからこれもわからない。(ひとは見たいものしか見えない)

聴いたり見たりできるようになるためには努力がいるし才能もいる。
まさに聴くも見るも能力によってその容量を左右されている。
この能力のない奴に話しかけても無駄だ。
馬鹿だから、自分の状況さえもわかっていない。
もちろん彼は(彼女は)聞くことが能力だとは思っていない。

最近仕事でロックをいろいろ聴いているが、あまり長くはしんどいし、一部のものしか気に入ることはない。
たとえばパンクの気持ちはわかるが、パンクロックを長く聴く気は起こらない。
もちろん彼らを決して否定はしない。(少しの共感さえもつ)

で、そういうわたしが昔、友人がくれたマイルス・デービスをさっきから聴き始めているのだが、これがまことにどうも、いいのでゲス、いや、あなた、これは、もう…

ロックを聴いていたのも無駄ではなかった。
昔はうんともすんとも耳は反応しなかった。

わたしの音楽に対する耳が進化した…

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ネコと女は…

「ネコと女は呼ぶと逃げるが、呼ばないときにやってくる」

と書いたのは「カルメン」で有名なプロス・メリメだが、妙に信憑性のある雰囲気をもった文句で、たぶんに当たっている。
いままでのわたしの実人生ではそういうことになっている。

大きく当たっているのはネコの方で、女の方の確率はぐっと下がる。
本格的にネコの心を内に秘めたコケティッシュな女はそうそういるわけもないのだから先のメリメの文句は、男たちがあるときときめいた女のイメージを言い当てたものだろう。

その証拠にいまどきの娘ときたら呼んだら来るし、呼ばないときもやってくる。

けれどもそれをうれしく思うかと問われれば、言下に「 No! 」と答える。
それはそうだろう、その事実はわたしがもてていることを示しているわけではないからね。
それだけ安心なおじいさんになったというわけだ。

「ネコと女は呼べば逃げるが、呼ばないときにやってくる」
そう思っていた時期もあったし、そうであった時期もあった。

いまはさしずめ縁側でお茶をすすって日向ぼっこというところか。

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自己否定の回路

幼児は自分の腹痛をなぜお前はわからないと腹を立てる。
自他の区別がついていないのだ。
ついていないから自分の苦しみがなぜわからないと腹を立てる。

大人になれば自他の区別はつき、自分が絶対だなどとは思わなくなる。
幻想は消えてしまう。

ところが、自他の区別がつかずにいつまでも自分が絶対だと思っているマヌケがいる。

そういう人間は自分の気分の悪さをあからさまに顔に出す。
こちらのちょっとした勘違いに鬼のような目付きで睨み付ける。
単なる自分の気分で。

そういう気分は自分の中に隠し持っておくものだ。
ちょっとした勘違いに怒られては、こいつは正真正銘のクズだと判断せざるを得ない。
自己否定の回路を保有していないのだ。
憐れなる散乱。

そういう目に金曜日の夜に出会った。
いつもなら見逃すであろうその酒場の女を今回は見逃しはしない。
クソはクソとして自分の中にしっかりと刷り込んでおく。

我が魂のために。
いま、付き合い始めている娘の美しい魂のために。
今回は許しはしない。

2010年3月20日土曜日

自分を守るために

自分が自分であり続けるためには感じたものを受け入れる努力をしなければならない。
つまらぬ女の目つきに不快になればその不快さは感じ続けなければならない。
もし、その不快感に耐え切れなくなったらその女は抹殺しなければならない。
この場合、抹殺とはその女と二度と会わなくすることだ。(殺害も含め)

たとえばその女が飲み屋の女ならそこへ飲みに行かなければいいし、職場の女ならその職場を放棄すればいい。
長年付き合った女でも別れねばならないし、とにもかくにも何とかして不快を感じた自分を守り遠さねばならぬ。
痛みであっても同じことだ。
痛いと感じた自分を守り通さねばならない。
そうすることが唯一自分を守るすべとしてそこにある。

人は自分自身であっても自分が自分を生きているとは限らない。
都合のいいところだけ取って自分に対する当事者性まで捨て去ることもある。

自分が自分であり続けることは思いのほかの難しさがある。

ところで、わたしは金曜の夜にそういう目にあったのだが、その女を抹殺しようと思っている。
抹殺しないとしてもその女を憎まねばならない。

自分を守り通すためには理不尽を生き抜くのだ。

とにかつまらぬ輩と無駄な時間は過ごしてはならない。
その時間、相手に合わせて自分を殺しているのなら、それは自分を見捨てる第一歩だ。

当たり前のことだが、わたしにとってわたしを大事にすることが不可欠であるように、あなたにとってあなたを大事にすることは不可欠だ。
そのように自分自身であり続けたい。
自分の受け取ったすべてのものを深くこの身に刻み込み、いやなものはいやと言う。

時期は少し早いが、

夏痩せて 嫌ひなものは 嫌ひなり

なのである。

厳しい道だが、自分だけは捨てられない、そうじゃないのかな。

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2010年3月19日金曜日

ひと皮剥ける

ひと皮剥けるとか化けるとか言うではないか。
久保利明が化けたかどうかはわからないが、ひと皮もふた皮も剥けたのはどうやら間違いないらしい。
王将位獲得に続き、棋王位も角番から一番返し、最終局にもつれこんだ。

第35期棋王戦は久保から見ての1勝2敗から久保が一番返して3月30日の最終局へとなだれ込むことになる。
久保は先手ならば石田流(三間飛車)、後手ならばゴキゲン中飛車。
そのゴキゲン中飛車で、一昨日に羽生を本日佐藤康光を葬った。

棋王戦の最終局、久保が後手ならばゴキゲン中飛車の登板となる。
久保は負ける気がしない状態を月末まで持ち込むか。

しばらくは久保から目が離せないかもしれない。
これが彼の人生の最高であるかどうかは、ここしばらくでわかる。

ともあれ、久保はよかったなあとわたしは思う。
あやかりたいものである。

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片腕


先だって朝日新聞の書評コーナーで筒井康隆が書いていたものだから手に取った方もいらっしゃるだろうが、わたしもミーハーの端くれとして読んでみた。

随所に納得する表現が出てきてなるほどと思わせる小説の有り様だが、どうということはないといえばそうも言える、まことに文章というものは情けない存在感で、あるところは読み手に頼るしかないものだ。
けれども女が一晩ならお貸しするといった彼女の右腕を男が家に持ち帰ってひと晩過ごすだけの話が、読ませる小説になるまでの工夫は読んでいくうちにいくつかの技巧を示してくれている。
そういう技巧が虚構に重力を持たせていく過程は妙にわくわくさせる。
それはわたしが曲がりなりにも書き手の目を持っているからかもしれないが、今更ながら筒井の感動が書き手ならではの感慨だったことを確認する。
この小説は、SFであり、幻想小説であり、そして妙に写実性を感じさせるものだが、そういうところを楽しむのならとても短いけれど十分に参考になるものだと思う。
ただ、そう記して終わりとすることにします。

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2010年3月18日木曜日

久保が勝つ

久保利明が勝った。
よかったと思う。
勝てないと思っていた羽生に勝てた。
よかったなあと思う。

第59期王将戦を制し、久保利明は王将位を得る。
立派な棋王、王将の二冠王だ。
一方の棋王戦は角番に追い込まれての第四局を明日、金曜日に迎える。
相手は佐藤康光、久保は昨年この男から棋王位を奪った。
初のタイトル獲得だったが、この出来事が彼の背中を押したかもしれない。

今期王将戦第六局の終盤は難解なものだった。
いや、羽生にしてみればどうだったろうか。
見誤りやすい終盤で難解とは言えなかったかもしれない。
羽生は読み誤り、久保は正確に読み切っていて羽生を迷路に追い込んだ。
羽生はいくつかの勝利への道筋に入ることなく、ほんの小さな錯覚を信じてまっしぐらにラビリンスに突入していった。

久保の勝利はさばきのスペシャリストの仕組んだ、その名に似合わぬ邪悪なラビリンスよるものだ。
終局は昨日の18時43分。
羽生はその迷宮から抜け出せたろうか。

いずれにせよ、第59期王将戦第6局は羽生の威光に陰りが見え始めた一局となるかもしれない。

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電車の中の苦痛

外に出ることの多い日常だが、電車にも乗るようになった。
井の頭線、京王線、大江戸線というのが六本木へのルートだが、満員電車ではないとはいえ、人の中に放り込まれる状況は慣れたくもない。

なかでもわたしが辛いのは臭いだ。
わたしは嗅覚がいまだに鋭い。
遅い朝の井の頭線、昨日今日と隣からにんにくの臭いが襲った。
顔をそむけていたが、すぐ立って席を替わるのも嫌味だし、…いやはや困った困った。
好まぬ臭いはイヤなんだ。(当たり前か)

そう言えば、昨夜の大江戸線は六本木で乗り込むととても汗臭いお兄ちゃんの真横に押し込められた。
これも閉口した。
あれは腋臭かなんかだろうな。

本人にはほとんど責任はないのだが、その人自体がイヤになってしまうほどだ。
臭いって、実は本質的なものかもしれない。

振り返ってみれば、わたしも強烈な臭いを発しているのだろうな。
誰も人が近寄ってこないもの。

ラベル:

2010年3月17日水曜日

一本の矢印までも


遠い昔、池袋の西口と東口を結ぶ地下道に一人の若者を見た。
彼はスペインへのギター留学という夢を見て、クラシックギターを爪弾いていた。
その彼が、わたしに話した。
そうだ、わたしは彼が気に入ってしばらく語り合ったのだった。
「イエペスなら開放弦を奏でても自分にはわかると思う」
真率なコトバだった。
そういうものかもしれないと不意に納得した。
(ちなみにイエペスとはナルシソ・イエペスのことである)
その光景をふと思い出したのは、井上の展覧会のことを知ったからだ。
なるほどと得心がいった。
不意に納得したことが得心に変わるまで随分長いときが必要だった。
知らないうちにわたしはあのときの彼のコトバを抱え込んでいたのだなあ。
マンガにもそういうことは起こる。
ここでは、この展覧会では、一本の矢印までも井上雄彦なのだった。

ラベル:

たとえば、愛のことを話そうか

愛は慈しむもので
求められない
捧げられない

密やかに咲く
知らない森の奥深く
咲き誇ることを夢見る
寡黙な運動体
ああ、小さく揺れている

愛は誰にも知られぬ姿
たたずむ

知る人は
波戸場で
場末の暗闇で
天空の一隅で
通りすがりの道端で
待ち伏せする

待つ
待つ
待つ
待っている

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2010年3月16日火曜日

自傷文化

日本の自殺者の多さを説明するにはいろいろな説明があるだろうが、その大元にあるのは自傷文化かもしれない。
日本人を最大公約数的に考えれば、いまでも自分に責任を持っていく傾向がこの国にはある。
他者に責任転嫁する傾向は少ない。(そのなかでマスコミは特別で、離れて破廉恥だが、個々の問題をその当事者が自分自身で考える場合には自罰的になる向きが見られる)

およそその社会のひどさから見れば、アメリカが日本よりもよほどひどい。
だからこそ「アメリカンドリーム」という標語が生まれる。
このことについては「貧困大国アメリカ」を始めいくつかの著書が指摘している。
思いつくままにそのひどさを列挙すれば、


アメリカでは年収1万ドル程度であえいでいる貧困層、貧困家庭が相当数いる。

公の医療保険がないから病気になっても薬も飲めない、診療所にも行けない。つまり、人間の健康や生命にも市場原理が貫徹している。

子どもを学校にやれないとか、栄養状態が悪化している。
誘拐も多発して、行方不明になる子どもが何万人もいる。

文盲率が高い。

銃社会だから銃による年間の死者数は夥しい。

麻薬、薬物中毒者が顕著に存在している。

所得格差が天文学的に開いてしまっている。


ま、とにかくひどい状況なのだが、自殺者は日本よりぐっと少ない。
あやつらは、攻撃的で責任転嫁を好むから。(トヨタの故障車騒ぎも、自傷文化と責任転嫁文化の衝突となると危険水域にどっぷりと浸かるだろう)

さて、こういう状況であるが、日本人がどのようにしたらいいのかわたしにはよくわからない。
ただ、自分が自傷文化に生きているというのは知っておくとお守りになるかもしれないと思い、ここに書き留めることにしました。

あっ、それから自傷文化のもっとも結晶化したものが「切腹」と考えていますが、これは語るほどにわたしのなかで練られてはおりません。

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2010年3月15日月曜日

重力ピエロ


もちろんこれはわたしの偏見だけれど、活性してひとが生きていくためには、わずかな敬愛と全幅の信頼がいる。

どちらも欠けてはならない。

そしてもっと大事なことは、敬愛と信頼は誰でもがわたしにくれるわけではないという認識をもつことだ。
敬愛も信頼も発するにはそれ相応の資格がいる。
その資格をわたしとの相性と言い換えてもいいかもしれない。
とにかく、任意の人がくれるわけではない敬愛と信頼を間違った人にねだってしまえば、その行為は不幸を呼ぶ。

われわれは限られた人としか敬愛と信頼で結ばれる輪の中で共存できないのだ。
それは奇跡に近いことなのだが、そういった堅く閉じた輪のなかの人々が「重力ピエロ」では描かれる。
この小説はとてもスタイリッシュで、すばやく展開し、少しねじりの加わったしゃれた会話が横溢しているが、その実、書こうとしたものは、切なく生きるものがごくごく基本的に持つ願いが実現する姿だ。
この小説に感動を覚えるのならば、あなたの人生が満たされているのだろうし(満たされていると思っているだけなのかな?)、ある種の感慨を持つなら、あなたが淋しいからだ。
心配して余計なことをつけ加えてしまうが、淋しかったとしても気にすることはない。
まともに生きていればひとは淋しいものだ。
あなたが、淋しい人であっても何も問題ないと、わたしは思っている。
淋しくて、何、困ろう。
実際、この小説ではそういう淋しい奴らがときに手を取り合いそうになり、近くまで迫っていきながら触れあえぬ、触れあわないまでもお互いの触れあいたい気持ちを確認して、その手のひらにお互いの安堵と勇気を確かめ合っている姿が描かれる。

おそらく、あなたにもそういう人がいて、重力から逆らうように共に飛び始めることがあるだろうことを願う。
すべては、すぐそばまで来ている、そうじゃないか。

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小さな娘とその父親

今朝は早く起きたので散歩をしてみた。
睡眠剤を飲んで5時間も眠れないのだからどうかと思う。
マイスリー、サイレースのコンビから何かに変えようかと思案する。

で、散歩の話なのだが、私の家は住宅街なのでそこを抜けて神田川へと向かい疎水ベリをひと歩きというのが、一般にこのあたりのひとのコースになっている。

その住宅街を抜けるとき、挨拶された、見知らぬ男性に。
その男性は小さな娘二人を自転車の前後ろに乗せて、いままさに保育園か幼稚園へ送ろうとしていた。
そのとき、不信なわたしと目が合ったのだ。
彼はそのわたしになんとも自然に会釈をするではないか。
わたしもそのまま会釈を返したのだが、なんともはや…

それほど優しげに娘と父親の姿を眺めていたのか。
胸のあたりがチクリとした。

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2010年3月14日日曜日

インパラの朝

速いスピードで、巡った47ヶ国の事が書きつけられた旅行記である。
そのスピードとこじゃれたコメントが(これをセンスと呼んでもいいか?)このノンフィクションを支える。
けれどもその構造は脆弱である。
ぺらぺらと読むのに適した本で、買い求めてじっくりと読む本ではない。

クワジモードの詩を

「見かけはひじょうに口あたりがよくて美しげなのに、構造が弱く、情緒だけに終ってしまう作品が多い」

と酷評した人があったが(人ったって須賀さんのことなのだが)、それと同じような評を贈ってもいい作品かもしれない。
もう少し熟成させ構造をもつ作品にすれば作者のもつセンスも光るだろううにと惜しさを思う。

作品としては成り立っているだろう。

本屋で見かけたらペラペラと立ち読みしてください。

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2010年3月13日土曜日

ネトゲー

インターネットゲーム、略してネトゲー。
こいつが異常に流行っていて中毒者が問題になっているとニュースでやっていた。
その内容を流した後でキャスターが「現実の社会に戻ってきてもらいたいものです」と中毒者に対してコメントしていた。

ま、そういうことだろうと思った。

コメンテーターは現実社会がうまく機能していると信じきっているのだが、なかなかどうして、そんなに安穏とした状況ではないのです。

現実社会の物語が終末段階を迎えつつあるものだから(わたしの見解だが)物語から放出される人間たちが現象としていろいろな場面に顕在化されているのであって、問題は放出された人間にあるのではなく、壊れつつある社会を覆う物語というシステムにある、そういうことだと思っている。

もはや、勤め人として存在することも困難になってきている状態の物語をかざして、ここへ戻って来いとはよく言えたものだ。
しかしながら、この状況は続くだろう。
まだまだ大丈夫だという意見が蔓延している。

物語については気をつけてしっかりと書くようにしますが、ここにある物語とはいわば宗教のようなもので、正しい生き方を示してくれます。
物語に沿って生きれば順風満帆、何の問題もなく人生が全うされるはずだったのですが、それがあちこちガタがきて、物語が物語を信じた人びとを支えきれなくなってきています。
それだからこそ、放り出された人びとは、いろいろなものにアディクトされるわけです。

問題はアディクトされる人びとではなく、アディクトされる人びとを生産してしまうガタのきた日本社会の物語システムにあるのです。

どこかでしっかりとこの物語の持つ弊害は書くことにします。
雑な書きっぷり、お詫びします。

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一服休憩、須賀敦子


こんな本を見かけたので読み出してみたのだが、あまり参考にならない。
新しい須賀敦子を教えてくれない。
どうしてこれを書いたのだろうと不思議になる。

これを読むなら須賀敦子を直接読んだほうが数段いい。
あとがきを見るとどこかのカルチャーセンターで須賀さんについて話をしたが、それでは不満なので書くことにしたとなっている。
須賀敦子については話すだけでは尽くせないから書く作業にしたわけだが、どうも代わり映えがしない。
もっともしゃべりのほうは聞いていないので話はもっとひどかったのかもしれない。

きついことを書くようだが、こういう本は読まずに直接著者に当たるに限る。
須賀敦子について語るのなら須賀をなぞってみても仕方があるまい。
何か工夫がなかったのか。
工夫がなくてよく本にしたものだ。
いやいや大半の本はその程度で本になっているのかもしれない。
編集者も含め読み手の能力は急降下している。

いま、須賀敦子を読める人がどれほどいるか。
読めれば胸を張っていいと思う。

念のためだが、自分をほめているのではない。
わたしが須賀敦子を読めるのは単なる果報というものだ。
今ごろになってようやく読めたという苦い気分は残っている。

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会社は疲れる

暇つぶしとしてはどうだろうか。
あまりストレスがなければ、いいほうの部類に入るかもしれない。
けれどもストレスのたまらない職場など早々ないのだからこれは絵空事になる。

わたしのいまある職場は、ずいぶんいい職場だろうが、わたしにはつらいところもままある。
何しろわたしはひとりでいたい人間で、都合のいいときだけ誰かそばにいてほしい身勝手さがしみついている。
会社でだれかと話すのが億劫で仕方がない。
そのくせ目の前に人が来ればサービスしてしまう。
だめだだめだと思っても目前の人をだれよりも大切にしてしまい、その挙句の精神的な深い疲労だ。

書き連ねてみれば、職場がどうのこうのでなく自分の問題なのだが、それにしてもだ、会社は疲れる。

こんなことなら自分のなかから自分を投げ出してしまえばいいと思うのも無理からぬことで、ふと見回せば深刻げな人間はあまりおらず、楽しそうに動き回っている。
本当に愉快かどうかはわからないが、もし自分を放り出しているのならそんなことは関係なく気楽なものだ。
真似のできないスタイルだとしみじみ思う。

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2010年3月12日金曜日

須賀敦子の哀感

須賀敦子の結婚は遅い。

須賀は29歳のとき奨学金で再度イタリア留学を果たすが、それからしばらくして後に夫となるジュゼッベ・リッカと出会う。
結婚は1960年、須賀が32歳の時だ。
出会った翌年の11月に彼女は結婚するが、1967年にペッビーノ(ペッピーノというのが彼の愛称なのだが)は急逝する。
ほんにわずかな結婚生活であった。
その出会いや結婚生活、彼の死をめぐる話は須賀のエッセイのあちこちに顔を出す。
そういうわけで須賀のエッセイには夫に関わることが散在しているのだが、よく読んでいくと、散在などではなく夫の思い出は彼女のエッセイの世界に遍在しているのだとわかる。

須賀のよき読者であれば、須賀のエッセイにはある哀感がたゆたっているのがわかり、その哀感ゆえに須賀のもつやさしさの香をかぐことになる。
おそらく彼女が彼女の不幸を自分の身のうちに抱え続け、つきあい続けなければ哀感もやさしさも彼女の戸を叩くことはなかったろう。

彼女が夫の死とつきあうきっかけにはガッティという男の存在がある。(もちろん彼だけでなく、もろもろの要素のくみあわせ、絡み合いが彼女をそうしむけ、彼女はそれを選び取るのだが、にしてもどうやらガッティの存在は大きい。
須賀はそういうことをハッキリといわない。
ハッキリと書きつけることをよしとしない。
だから本当のところはわからないし、それでいいのだと思う。
須賀が何もかもをハッキリと書くことをなぜよしとしなかったかについては、またいつかこのブログに書くかもしれないが、それは書く人間であれば、当然正対しなければならない問題だろうとだけ書き記す。)

ガッティについては、須賀の「ガッティの背中」に詳しい。
そのエッセイのなかにはもう一つの哀感が面前に立ち現れる。
興味があれば読んでみるといい。
あなたに心があり、力ある読者ならば静かに涙するかもしれない。

夫が亡くなった須賀にガッティはこういったとそのエッセイには書かれている。

…ムスタキのかわりにレナード・コーエンをくれたガッティ、夫を亡くして現実を直視できなくなっていた私を、睡眠薬をのむよりは、喪失の時間を人間らしく誠実に悲しんで生きるべきだ、と私をきつくいましめたガッティはもうそこにいなかった。

書き写していながら不覚にも目を潤ませてしまいそうになるが、つけ加えておくことがひとつだけある。
須賀のこの文章は、そこに実際にいるガッティに対しての須賀の思いである。
ガッティは須賀の目前にいた。
目前にいながら須賀はガッティはもうそこにいないともらしたのだ、哀感を静かにこめて。

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2010年3月11日木曜日

サッカーの話

かつてリオデジャネイロのエスタジオ・ド・マラカナンが世界最高の観客動員数を誇る頃の話である。
当時マラカナンは観客動員数20万人を誇っていたし、実際22万4000人の観客を動員したこともあった。                     
            
その日もマラカナンは超満員の群衆が埋め尽くしていた。
そこへ突然の雷雨が襲い、観客席を雷が直撃した。                                 観客の何人かはそのため死亡した。
怪我人ももちろん出た。
けれども、まわりの観客は微動だにしないでサッカーを見つめ続けた。                          
それが、ブラジルのサッカーの姿だ。

勝てるわけがない。
闇雲にワールドカップでベスト4をぶち上げる日本サッカーチームの監督は何を思って、あんなことを言ったのだろうか。 
哀しくなるではないか。

現在、マラカナンは1992年のブラジル全国選手権決勝、フラーフル(フラメンゴ対フルミネンセの伝統の試合)戦でのスタンド落下事故により大幅にキャパシティを小さくした。                                     全席椅子席、約95000人は、バルセロナの「カンプ・ノウ」スタジオに劣る。
劣らないまでも世界最大とは言い難いが、20万人というかつてあったあまりの規模にいまだに世界最大規模のサッカー専用スタジアムと呼ばれている。 
スタジアムは、いまは、リオのクラブチーム、フラメンゴのフランチャイズとして使用されている。

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2010年3月10日水曜日

よかったな

久しぶりに女に会う。
3月3日に乳がんの検査結果を聞くため病院へ行った女性である。
結果、乳がんではなかった。

この報告を聞く前に何回かわたしは彼女の乳がんの話を人に語った。
それも面白おかしく。
その態度が不遜だと初老の女性からなじられたこともある。

なじられた時わたしは何とまあと思った。
彼女のことをどう思っているのかと詰問されたりもした。
まったく煙たい話だと苦笑せざるを得なかった。

人の口から飛び出るコトバが本心ばかりだとでも思っているのか。
人は、ある場合にはその心根のあり方とのバランスをとるためにコトバを吐いたりする。
もちろんその際のコトバは虚飾にまみれている。
そのようにしなければ過ごせない日々もあるのだ。

女の報告に安堵して、わたしは別れた。
人間関係に大事なものは、女に限らず距離だ。
その距離を守るために嘘で作った話をしてしまうこともある。
それを露悪趣味と呼んでもいいし、ただ嘘つきと浴びせかけてもいい。

そのようにわたしは生きている。

女の仕合せに手を合わせたい。

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素晴らしきコピー

1914年、探検家のアーネスト・シャクルトン卿がロンドンの新聞に広告を出したが、その広告のインパクトは衝撃だった。

南極探検隊員募集広告は以下のようだ。


探検隊員求む。
至難の旅。
わずかな報酬。
極寒。
暗黒の長い月日。
絶えざる危険。
生還の保証無し。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。


歴史的に非常に有名なこの広告は、わかりやすくただちにとび込んでくる。
コピーの見本ともされる上のフレーズはしびれるところがあるし、ダイレクトである。
広告とはそうありたい。

けれども、文章となるともう少し厄介になる。
須賀敦子がほめる書簡を紹介してみたい。

イタリアの国民的詩人カルドゥッチの後継者としてボローニャ大学のイタリア文学教授にパスコリを慫慂するもので、当時の大学総長が出したものである。


「親愛なるパスコリ、単刀直入に聞く。
もし君がカルドッチ君から直接、ボローニャ大学のイタリア文学正教授のポストを継ぐように選ばれたとしたら、君は任命およびポストを受諾するだろうか。
条件だの躊躇だのと言わずに、ただ簡潔に諾否をこたえてもらいたい」


これに対し須賀さんは「感動をさそう」とのみ書き記しているが、わたしにはそれが絶賛のように聞こえる。

彼女は何ゆえにこの書簡をほめたか。

そこが、それ、あなた、文章というものなのですよ。

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2010年3月9日火曜日

美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる

「美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる」と言うが、問題はそれからだ。
このコトバを訳知り顔で喋っている奴を嘲りたい。

すべてはそれから先にあるだろう。

美人もブスも出会いのときだけに有効な武器だ。
それ以降、三日が経つ。
なるほど一方は飽き、一方は慣れたのだろう。

さて、それからどうなる。

それからが長い旅の始まりだ。
もし、両者の物語が一致していたら、もし、両者が物語を持っていなければ、もし、両者が自分の持つ物語に固執していなければ。

物語同士に軋轢が生じてしまったら、取り返しは、ほぼ、つかない。
たとえ、美人でもブスでもわが息子でもわが娘でも。

あなたの話、いつも物語ばっかり。

そうなんですよ。
物語の存在を知らない前、それを知らないがためにどれほど痛い目にあったか数えきれないんです。
それを取り戻すためにこんなに物語のことを書き続けているんです。
取り戻すことなんて出来ないのに…

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大切な人の手は握ったまま離すな

一軒おいた隣のアパートから出火し、今朝はとんでもない騒ぎだった。
風が丁度こちらの方に向かっていたので、じきに警官が来て非難するようにと言いおいていった。
わたし自身、そう慌ててはいなかったが、それでも消防団の到着前、出火もとのアパートの二階から小さいながらも業火の噴出すシーンを見たときは恐ろしさを感じた。
消防団の怒声も含め次第次第にまわりは騒然とし始め、それぞれの人の体から主体が失われていくのが感じられたのは、自分の主体も揺れ動いたからだろう。

こういうときだ。
一人称である自分が一人称を捨て去る時が訪れるのは。
そのとき自分は自分であって自分でなくなる。
群衆は群衆として動き、個々の主体はそこにはない。
そういうときがくる。

ちょうど家にいた娘と息子に避難するように伝えたが、何も伝わらない。
そういえば、遠い昔、わたしが彼らを捨て去ったことを思い出した。

彼らの小さい時、彼らの母(つまり、わたしの妻なのだが、今もその関係は哀しいことに続いている)の慕う物語(それを彼女は社会システムによって供給されたことを自覚していない)とわたしの物語の不毛な対決を避け、彼らを彼女に渡してしまった。
もちろん、息子も娘もわたしと一緒にはいたが、徐々に母親から物語を引き継いでいった。
それをわたしは見過ごした来た。

近所の火事の日に、いかに遠くまで彼らが行ったかをしみじみと思う。
たとえどんなにいやな戦いであったとしても、わたしはかれらをこの社会の持つ物語から守らなければならなかった。

その頃はまだこの世を覆っているシステムを知らなかった。
システムを守るがためにシステムの物語がこの世を席巻していることが見えていなかった。
それでもと哀しく振り返る。
わたしは、彼らを守らねばならなかった。
もう戻ることはないだろうが、それでもまた彼らと出会いたく思い、胸をかきむしることもある。

ふと思う。
あのとき手を握っていてあげていればと。

離せば取られる。
誰かに取られるのではない。
この社会を覆う物語が取っていってしまうのである。

その物語は、もちろんあなたも巻き込んでいこうとしていたし、いまもしている。
あなたの学校時代を思い出せば、その物語の具体的なイメージを教えてくれるだろう。
長い年月、学校教育はその物語を刷り込もうとしてきたはずだ。
それに対抗しようとする教師も生徒も数は少ない。

我々の仲間は数少なく、まわりを静かな海のような敵が囲んでいる。

嗚呼。
大切な人の手は握ったまま離さぬことだ、何があっても。

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面白い話など…

内田樹が「日本辺境論」で新書大賞をとった。
そういう事情で、対象のサイトにいけば、彼のスピーチが聞ける。
かなり長いもので40分ほどあるが、聞いてみた。

本人、ユーモアも混ぜて楽しく話しているようだが、面白くもない、てんでダメな話であった。
それで思うのだが、日ごろわたしが人の話を面白くないと思いながら聞いてしまうのはどうやらわたしのせいであるらしい。

受信者のわたしが、多くの話芸を聞きすぎていおり、そういったレベルでないと極端に退屈してしまうのだ。
内田先生だとて師匠と思わなければ、そこそこの話と認めるべきで、書いたものによって期待したわたしが馬鹿であった。

ご存知のようにわたしは小三治を愛する人間だが、そのレベルの欠片ほどでもあればと思うのがないものねだりの極で、そういうことが生じるはずもない。

念のため付け加えれば、内田氏の書くものは面白いことがある。
それは事実だ。
けれども彼の話に何の面白みもない。
彼は彼の仲間とつまらぬ話をしていればいいだろう。
おそらくその話が、彼の書き物のような話題に入ったとき、時として光るのだろう。

そうどこにも小三治や枝雀がいては困るわけだ。

それにしてもひどい話芸であった。
芸人ではないと思ってもそう感じる。
何しろ人前で喋っているのだから。
いやいや、そういう思いを持つわたしを反省するべきなのだろう。

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2010年3月8日月曜日

物語と偏向

Bookishな人間と参与観察する人間とどちらが優れているかという問は無意味だ。
大切なことは自分にどういう傾向があるかを知ることであり、どういう偏向を持っているかを知ることである。
それを個人の偏差であるクセやそこから少し進んだ個性にまで広げるかどうかはあなたにお任せする。
ここでは以下のことを書きとめておきたい。

自分の偏向は推進力に変わるが、そのときに偏向を自覚しているかどうかが大きな問題になってしまうことがある。
(それは歴史観にも応用できるかもしれない。)

自分が考えることには大いにこの偏向が関わってきているわけだからよくよく注意していて、まずいことはない。
自分の踏んで立つ土台を知らずに物を言う連中との話は悲しくなるほど無意味で消耗する。
あなた一人くらいは自分がどのようなグランドと偏向の上に物申しているか知っておいてもいいではないか。
もし、そのような認識をもたれているのなら、いざとなったときに偏見を捨てられる。

意識していないもの、見えないものに対してわたしたちは立ち向かう術をもたない。
しかも、人は自分の見たいものしか見ることはできない。
見えなくしているのは持ってしまった偏見によるし、どっぷりと使ってしまったあなたの物語のせいによる。

あなたが、その物語を知らないとすれば、それは不幸せであり、幸せである。
もしあなたが幸せであれば、あなたは自分の埋もれた物語を意識する必要はいまのところはあるまい。
もしあなたが不幸せであれば、あなたの不幸せはあなたの嵌ってしまった物語を知らないで解消はされないだろう。

多くの物事はかように言い切れないものなのだ。
だから、わたしもこのように二つのことを言わざるを得ない。
正確にいえば、あれもこれもずっと先にあるあれも、あっちにあるあれも、こっちにあるあれも、…みんなみんなについて述べなくてはならないのかもしれない。

整理されたものには大きな問題が宿っている。

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考えるということ

ものを考えるということは考えることをさすのではない。
気になってしまったことを胸の中にしまいこみ、なにものかとスパークするのを待つということを意味している。
この時間だけが、考えを育て上げる。
そうでないと考えはありきたりのパターンとしてしか登場してくれない。
考えているようでいて思考停止状態であることは見回せば処々に見られる。
何かが訪れるのを待たなければ、考えが形をとることはない。
考えが個性を持つのは、その待ち方の違いによる。

あなたが、わたしのこの考えに与するとしよう。
さあ、そこでだ。
あなたはどのような待ち方をするのだろう。
ただ胸の中にしまっておくだけではまだ足りないかもしれない。
もっとも、なにもせずにただしまっておくことのしんどさには、ひとしおのものがある。
なにかをせずにはいられないものだ。
気になるものに答えを与えず、胸に抱きこみ、さてあなたはどうしますか。

繰り返すが、それが考えるという作業の姿だ。

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2010年3月6日土曜日

「霧のむこうに住みたい」読了

いくつもの巧みとそれを表立てて見せない慎ましやかな表現、まあまことにどうも、いくつもの感動を覚える。

急に太陽が顔を出して陽が差してきたカフェに来た男ふたりと女ひとりの三人組。
男のひとりが、陽のあたる方がいいかな、、と女に訊くと、マ・ノン・トロッポと彼女。
うん、でも、あんまりじゃないほうがいい。
見事に日焼けした女の腕には金色のうぶ毛とおなじ色のブレスレットがきらきら燦いている。
これまでずっと、中庸ということを無視して生きてきた私のあたまの中を、マ・ノン・トロッポという言葉が独り歩きをしはじめる。
あんまりじゃないほうがいい、か。

という具合だ。
まことにもってどうもと思う。

え、おわかりにならない。
それはお気の毒に。

まあ、ひとそれぞれに出会いはある。
わたしは須賀敦子という書き手に出会ったということだ。

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2010年3月5日金曜日

文章の切れ味

ひとは、一時期文章の切れ味に憧れることもあるだろうが、切れ味など児戯に似ている。

「児戯」という言葉は語弊があって、このように使うものではないように思うが、一般に使われているのだから分別なく書いてしまった。(浅薄ナリ)
実際は、技量もない者が技量の成果と見まちがっている技術を「児戯」と示したかったのだ。

切れ味を出すことは意外と簡単に出せるが、問題はその先にある。
切れ味が出たところで、その先に何の内容もなければ…So what ? と相成る。
事実その種の文章は多い。

向田邦子あたりは、切れ味を持ちながらある種の滋味を持ち合わせていた。
ぱっと出て、すぐに天才 ―― とかいうフレーズは正解で彼女の文章は早々真似できない。
そう言えば、向田さんのエッセイは飛び飛びの三つの挿話が最後に一挙に吹き寄せられるというスタイルをよく取っていた。
その吹き寄せの構成に才能が見えた。

ときに須賀さんはその才能をも見せない。
十分すぎる文章への思いと修行の結果備わったものをひたすら表立った文章からは消し去った。
こういう作家はあまりいない。

無理に思えば、幸田文がいるだろうか。
男は総じてこの手の文章が苦手だ。
吉田健一は一つの対極だろうか。

なに、単なる趣味を述べているのだ。

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須賀敦子の文章

彼女の文章をわかるようになっているのは、わたしもそれなりの熟成を重ねたからだろう。
彼女が彼女の文章を書けるようになったのも、彼女の人生の随分後になってからのことだ。
そのことを彼女はこんなふうに語っている。

「線路に沿ってつなげる」という縦糸は、それ自体、ものがたる人間にとって不可欠だ。
だが同時に、それだけでは、いい物語は成立しない。
いろいろな要素を、となり町の山車のようにそのなかに招きいれて物語を人間化しなければならない。
脱線というのではなくて、縦糸の論理を、具体性、あるいは人間の世界という横糸につなげることが大切なのだ。
たいていの人が、ごく若いとき理解してしまうそんなことを私がわかるようになったのは、老い、と人々が呼ぶ年齢に到ってからだった。

須賀敦子の文章はしみいる。
彼女は自分のエッセイを物語だと思っている。
事実、彼女のエッセイは物語である。

ほんとうで始まってうそで終わるお話のような。

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2010年3月4日木曜日

コルシア書店の仲間たち

「コルシア書店の仲間たち」の最後に須賀敦子は書いている。
「コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた」

そして、その仲間の一人と結婚した須賀さんは、十年も経たないうちに彼と死別する。
そのこともこの本で触れられるが、過剰な書き方はしない。
須賀さんの文体はいつも物静かで、たくらみを感じさせない。
(もちろん彼女には十分なたくらみがあるのだが、それも静かに流れていく)

作品はこう結ばれる。
 「若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちは少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う」

なんとなく涙がこぼれそうになる。
こういうときしかないのだろう。
人がふと涙を流すのは。

人が涙流すときさえも奪う喧騒の時代、この場所。
ときにわたしは自分の置かれた状況をうらむ、うらむ対象もなく。

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ジーンズ


ジーンズはイタリアの都市「ジェノバ(ジェノワ)」のフランス語読みからきた名称。              ジェーヌが語源で「ジェノワ綿布」を意味し、むかし、ジェノワからアメリカに輸出された木綿地だった。

そういう話をさらりと書いてのけるのが須賀敦子で、彼女はイタリアの発音に近い「ジェノワ」と書き、「ジェノバ」と使わない。                                                      そういった話からそのエッセーは始まる。

こういう語り口にエッセーの旨味を感じるには少々時間がかかる。

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2010年3月3日水曜日

音楽ライターは紋切り型を生きる

音楽ライターはことごとく紋切り型になる。

なぜ?

なぜなら、その様式が文章によって再現不可能な音楽を再生させる唯一の道だからである。
何故に紋切り型が音楽を再生させるのか。

すでにその問自体に嘘は隠されている。
紋切り型は音楽を再生させているのではない。
読者に彼の聞いた音楽を思い出させているのである。
彼の体験したライヴを彼の記憶の中で再生させているのである。

そのことを読者がことごとく文章による音楽の再生と誤読するためにライターは紋切り型に徹し、音楽を再生しているようにみせるのである。
その結果、ライターには似た仕事が舞い込み続け、彼はその仕事をこなすことであたかも生き生きと創造しているかのように振舞うのである。

けれどもナット・ヘンホフは違った。
彼が「ヴィレッジ・ボイス」に無償で長年コラムを書きつづけたのは、ジャズから離れるためだった。
それだから彼はコラムを書くたった一つの条件としてジャズについては書かないとしたのである。
その結果、彼はジャズに対しての紋切り型から逃亡した。

ヘントフの自伝的な著書「BOSTON BOY」のなかで引用したビックス・バイダーベックの言葉は以下のようである。

「小僧、私がジャズを好きなわけのひとつはだな、次になにが起きるのかわからないってことさ」

おわかりのようにこれはジャズを語った言葉ではない。
ヘントフは、いつも自分自身を自分の言葉で語っているだけだったのである。

ラベル:

しばらくは彼女に助けられて

須賀敦子には「ウンベルト・サバ詩集」もあれば、ギンズブルグの翻訳「ある家族の会話」もある。
それに「ミラノ 霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」とエッセイ群は続く。

いま読んでいるのは「霧のむこうに住みたい」で、おそらく集め損ねた彼女のエッセイを探し求めた最後のアンソロジーなのだろうが、何も語っていないようで静かに浸透する語り口がうれしい。

ここしばらくは彼女を頼って生きていければいいと思っている。

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須賀敦子

須賀敦子を読む。
ほっと救われる。

日常の状況から静かなところに誘うのは、わたしを遮断してくれる彼女の文章のせいだろうか。
音楽のライブレポートとは違う静けさが横溢する。
これが文章というものではなかったか。

落語の速記ものが、ある噺家を思い出させるように、ロックコンサートの再現を意図して書いているのだろうが、明らかにそれとは違う。

商売だから仕方はないが、音楽業界に文章が降り立つのは至難の技かもしれない。

もちろん、ナット・ヘントフや吉田秀和がいるにはいるのだが。

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2010年3月2日火曜日

乳がんの発症率

乳がんの発症率は高いとはいうけれど、また二人目の乳がん患者がそばに出現した。
その人はもう治さない、死んでもいいといっているから死んでしまうのだと思う。
一人目も西洋医学に頼らずにいるうちに大腿骨移転の憂き目を見て亡くなってしまった。
乳がんの患部は女性にとって特別なものだからややこしい判断になってしまう。

彼女たちにどうしても治してほしいとわたしが言えないのは、酷薄さが透けて見えるわたしの心持による。
翻って、わたしにガンが発生したとしたらどうするのだろう。
痛いのは嫌だくらいのことを思うのだろう。

それにしてもまた乳がんかと思えば、薄暗い気持ちになる。
こんなわたしでも陽気にはなれないのである。

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2010年3月1日月曜日

悲しいほど遠い自分

わたしはときに制御不能になる。
そのとき、わたしはとても遠いところにいることがわかる。
もはや触れることの出来ないわたしはひたすら暴走し、振り返りたくもない結末を迎える。
なんともはや。

人は連続性の中を生きているようにいうが、実のところは断続の集積の中を歩んでいるに過ぎない。
信じた自分などどこにもいないのだ。

金曜日の夜から、酒を飲んだ。
つまらぬ人生を繰り返し、もうすぐ鬱がやってくる。
それは津波のように押し寄せるだろう。

なんということをしているのだろう。

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