2010年3月26日金曜日

「上司は思いつきでものを言う」


橋本治の切れ味は、なかなかのものだと長く思っていた。
彼の源氏や枕や平家の古文訳も「桃尻娘」も読んでいないが、それでもときどき目にする彼の文章にはこちらを納得させるものがあった。
だから、「上司は思いつきでものを言う」(集英社新書)を放ったままにしていたのもたまたまで、意図していたわけではない。
わたしのずぼらが彼への評価に勝っただけのことである。

今回、読み出して彼の立ち回りのすばやさに目を見張るものがあった。
この新書はスピードを上げて読むに限る。
たぶん橋本治もずいぶん速いペースで書いたに違いない。
もちろん随所にある史実の確認には若干手間取っているだろうが、荒く言えばスピードの本である。

スピードを信条としているから読者もつき合ってページをめくるに限る。
さすれば、たちどころに彼の慧眼が目に飛び込んでくるはずだ。
その内容はわたしの思うところと一致するものがあるが、わたしのより深く、正確に書きとめてある。

この時代の信用できる筆者の一人だと思う。
この新書での彼の主張はなぜ流布しないのかと思うが、それは仕方のないことだとも思う。

ある人も語ったが、わたしもそう思っている、京極の「姑獲鳥の夏」のトリックもそうだ。
ひとは自分の見たくないものは見えないことになっている。
意識が無意識野まで下りてしまって、見たくないものは視覚を通して脳に伝達されなくなっているのだろう。
この本には見えないことばかり、つまりは見たくないことばかり書かれている。
なるほど流布しないはずだ。

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