2010年3月25日木曜日

ライヴを越える文章を書け

ロックライブに対峙できる文章(=ライヴレポート)は可能なのだろうか。

ライヴの温度、湿度、速度、粘度、そして時間の微分、積分…すべてがそこに流動するもの、流れとしてあるのに、さまざまなものがそこではオーディエンスを圧倒するのに、そのライヴのありさまをお題にもらってライヴに対峙できる、あるいはライヴをまったく違う姿に変えてみせる文章は書けるのだろうか。

いや、それを書けと命じられてしまった。
今、わたしには荷が重く感じられる。
断わればいいと思われるだろうが、そうはいかない。

ライヴに対峙できる、あるいはライヴをまったく違う姿に変えてみせる文章があるのだとDIR EN GREYというバンドの前でタンカを切ったのはわたしだからである。

今年の1月9日、10日とDIR EN GREYは武道館でライヴを行った。
即日完売のライヴであり、ライヴを演劇空間と見変えても素晴らしいといえるものだ。(わたしは、それを今、DVDで見ている)
ギター、ベース、ドラムのリズム隊がおり、それを幾倍にも効果的に聞かせるPAがあり、PAがいる。
そして、背後にはとんでもなくでかいLEDの映像が控える。
そういった演出を従え、フロントマンのヴォーカルの京が歌う。
グロウル、ミックスボイス、ホイッスルボイス、ガテラル、ファルセット…とあらゆる声を使い、オーディエンスの胸に何ものかを届けようとする。

音楽とは直線勝負で、ただただ観客の心の真っ只中にすべてを投げ入れようとするのだ。
それはただ聞くものではなく、見るものであり、触れるものであり、優れて感じるものなのであった。
DVDで見る会場の姿。
観客も演者も武道館の空間もすべてがそう主張している。

それをだ、どうやって文章で対抗しようというのだ。
いやいや文章には文章にしかない特性があって、それは1月9日、10日の武道館をまったく別の所にぶっ立てることができるのだ。

そう、あなたは言うだろうか。

わたしは、そう言おうと思っているのだが、目の前にそびえる壁はただただ空間に広がるだけでどれだけの幅か、どれだけの高さかもわからない。

越えなければ、見ることのできない壁の姿もある。
タンカを切るのも良し悪しだ。

この場合は…、良しとしようではないか、この職場での最初の大見栄は、そういうところにしか立地点はないとわたしは感じている。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム