2010年3月20日土曜日

自分を守るために

自分が自分であり続けるためには感じたものを受け入れる努力をしなければならない。
つまらぬ女の目つきに不快になればその不快さは感じ続けなければならない。
もし、その不快感に耐え切れなくなったらその女は抹殺しなければならない。
この場合、抹殺とはその女と二度と会わなくすることだ。(殺害も含め)

たとえばその女が飲み屋の女ならそこへ飲みに行かなければいいし、職場の女ならその職場を放棄すればいい。
長年付き合った女でも別れねばならないし、とにもかくにも何とかして不快を感じた自分を守り遠さねばならぬ。
痛みであっても同じことだ。
痛いと感じた自分を守り通さねばならない。
そうすることが唯一自分を守るすべとしてそこにある。

人は自分自身であっても自分が自分を生きているとは限らない。
都合のいいところだけ取って自分に対する当事者性まで捨て去ることもある。

自分が自分であり続けることは思いのほかの難しさがある。

ところで、わたしは金曜の夜にそういう目にあったのだが、その女を抹殺しようと思っている。
抹殺しないとしてもその女を憎まねばならない。

自分を守り通すためには理不尽を生き抜くのだ。

とにかつまらぬ輩と無駄な時間は過ごしてはならない。
その時間、相手に合わせて自分を殺しているのなら、それは自分を見捨てる第一歩だ。

当たり前のことだが、わたしにとってわたしを大事にすることが不可欠であるように、あなたにとってあなたを大事にすることは不可欠だ。
そのように自分自身であり続けたい。
自分の受け取ったすべてのものを深くこの身に刻み込み、いやなものはいやと言う。

時期は少し早いが、

夏痩せて 嫌ひなものは 嫌ひなり

なのである。

厳しい道だが、自分だけは捨てられない、そうじゃないのかな。

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