2010年3月30日火曜日

会社がくれた物

会社に通うようになって2ヶ月か。
いやだ、いやだと思っていたが、嬉しい贈り物もあった。

人と話すことができる。
気に入った人と話すことが出来るのはこんなにも精神にいいものだったのか。
堕落も含んで人と話すことは心地よい。
そのためにある人を話し相手に育てるのは不遜な行為だと思うが、相手も楽しんでいるのだし、それで新しい世界が見えるのだからこの場合は許してもらおう。
(言葉が世界を形作ることは何人もの人に指摘されている。
 それをひっくり返せば、新しい言葉の獲得が新しい世界の現出に繋がる)

日々新しい話をするとき、聞き手は育てた相手だけではない。
もう一人存在する。

それは自分自身だ。

自分は自分の話す言葉に耳をそばだてて、なるほどと頷いたり、そうではないと思ったり、それでは不明瞭だと感じたりする。
それはそのまま話し手である自分に伝わり、話し方に変化を及ぼす。

この話す自分と聞く自分が同居する人間には成長が担保されている。
自慢話しているのではない。
この両者が共存する時、人は自分を誇れなくなる傾向をもつ。
それが表現者へのとば口に立ったということかもしれない。

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