一服休憩、須賀敦子
こんな本を見かけたので読み出してみたのだが、あまり参考にならない。
新しい須賀敦子を教えてくれない。
どうしてこれを書いたのだろうと不思議になる。
これを読むなら須賀敦子を直接読んだほうが数段いい。
あとがきを見るとどこかのカルチャーセンターで須賀さんについて話をしたが、それでは不満なので書くことにしたとなっている。
須賀敦子については話すだけでは尽くせないから書く作業にしたわけだが、どうも代わり映えがしない。
もっともしゃべりのほうは聞いていないので話はもっとひどかったのかもしれない。
きついことを書くようだが、こういう本は読まずに直接著者に当たるに限る。
須賀敦子について語るのなら須賀をなぞってみても仕方があるまい。
何か工夫がなかったのか。
工夫がなくてよく本にしたものだ。
いやいや大半の本はその程度で本になっているのかもしれない。
編集者も含め読み手の能力は急降下している。
いま、須賀敦子を読める人がどれほどいるか。
読めれば胸を張っていいと思う。
念のためだが、自分をほめているのではない。
わたしが須賀敦子を読めるのは単なる果報というものだ。
今ごろになってようやく読めたという苦い気分は残っている。
ラベル: 作品
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