2010年3月8日月曜日

考えるということ

ものを考えるということは考えることをさすのではない。
気になってしまったことを胸の中にしまいこみ、なにものかとスパークするのを待つということを意味している。
この時間だけが、考えを育て上げる。
そうでないと考えはありきたりのパターンとしてしか登場してくれない。
考えているようでいて思考停止状態であることは見回せば処々に見られる。
何かが訪れるのを待たなければ、考えが形をとることはない。
考えが個性を持つのは、その待ち方の違いによる。

あなたが、わたしのこの考えに与するとしよう。
さあ、そこでだ。
あなたはどのような待ち方をするのだろう。
ただ胸の中にしまっておくだけではまだ足りないかもしれない。
もっとも、なにもせずにただしまっておくことのしんどさには、ひとしおのものがある。
なにかをせずにはいられないものだ。
気になるものに答えを与えず、胸に抱きこみ、さてあなたはどうしますか。

繰り返すが、それが考えるという作業の姿だ。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム