須賀敦子の哀感
須賀敦子の結婚は遅い。
須賀は29歳のとき奨学金で再度イタリア留学を果たすが、それからしばらくして後に夫となるジュゼッベ・リッカと出会う。
結婚は1960年、須賀が32歳の時だ。
出会った翌年の11月に彼女は結婚するが、1967年にペッビーノ(ペッピーノというのが彼の愛称なのだが)は急逝する。
ほんにわずかな結婚生活であった。
その出会いや結婚生活、彼の死をめぐる話は須賀のエッセイのあちこちに顔を出す。
そういうわけで須賀のエッセイには夫に関わることが散在しているのだが、よく読んでいくと、散在などではなく夫の思い出は彼女のエッセイの世界に遍在しているのだとわかる。
須賀のよき読者であれば、須賀のエッセイにはある哀感がたゆたっているのがわかり、その哀感ゆえに須賀のもつやさしさの香をかぐことになる。
おそらく彼女が彼女の不幸を自分の身のうちに抱え続け、つきあい続けなければ哀感もやさしさも彼女の戸を叩くことはなかったろう。
彼女が夫の死とつきあうきっかけにはガッティという男の存在がある。(もちろん彼だけでなく、もろもろの要素のくみあわせ、絡み合いが彼女をそうしむけ、彼女はそれを選び取るのだが、にしてもどうやらガッティの存在は大きい。
須賀はそういうことをハッキリといわない。
ハッキリと書きつけることをよしとしない。
だから本当のところはわからないし、それでいいのだと思う。
須賀が何もかもをハッキリと書くことをなぜよしとしなかったかについては、またいつかこのブログに書くかもしれないが、それは書く人間であれば、当然正対しなければならない問題だろうとだけ書き記す。)
ガッティについては、須賀の「ガッティの背中」に詳しい。
そのエッセイのなかにはもう一つの哀感が面前に立ち現れる。
興味があれば読んでみるといい。
あなたに心があり、力ある読者ならば静かに涙するかもしれない。
夫が亡くなった須賀にガッティはこういったとそのエッセイには書かれている。
…ムスタキのかわりにレナード・コーエンをくれたガッティ、夫を亡くして現実を直視できなくなっていた私を、睡眠薬をのむよりは、喪失の時間を人間らしく誠実に悲しんで生きるべきだ、と私をきつくいましめたガッティはもうそこにいなかった。
書き写していながら不覚にも目を潤ませてしまいそうになるが、つけ加えておくことがひとつだけある。
須賀のこの文章は、そこに実際にいるガッティに対しての須賀の思いである。
ガッティは須賀の目前にいた。
目前にいながら須賀はガッティはもうそこにいないともらしたのだ、哀感を静かにこめて。
須賀は29歳のとき奨学金で再度イタリア留学を果たすが、それからしばらくして後に夫となるジュゼッベ・リッカと出会う。
結婚は1960年、須賀が32歳の時だ。
出会った翌年の11月に彼女は結婚するが、1967年にペッビーノ(ペッピーノというのが彼の愛称なのだが)は急逝する。
ほんにわずかな結婚生活であった。
その出会いや結婚生活、彼の死をめぐる話は須賀のエッセイのあちこちに顔を出す。
そういうわけで須賀のエッセイには夫に関わることが散在しているのだが、よく読んでいくと、散在などではなく夫の思い出は彼女のエッセイの世界に遍在しているのだとわかる。
須賀のよき読者であれば、須賀のエッセイにはある哀感がたゆたっているのがわかり、その哀感ゆえに須賀のもつやさしさの香をかぐことになる。
おそらく彼女が彼女の不幸を自分の身のうちに抱え続け、つきあい続けなければ哀感もやさしさも彼女の戸を叩くことはなかったろう。
彼女が夫の死とつきあうきっかけにはガッティという男の存在がある。(もちろん彼だけでなく、もろもろの要素のくみあわせ、絡み合いが彼女をそうしむけ、彼女はそれを選び取るのだが、にしてもどうやらガッティの存在は大きい。
須賀はそういうことをハッキリといわない。
ハッキリと書きつけることをよしとしない。
だから本当のところはわからないし、それでいいのだと思う。
須賀が何もかもをハッキリと書くことをなぜよしとしなかったかについては、またいつかこのブログに書くかもしれないが、それは書く人間であれば、当然正対しなければならない問題だろうとだけ書き記す。)
ガッティについては、須賀の「ガッティの背中」に詳しい。
そのエッセイのなかにはもう一つの哀感が面前に立ち現れる。
興味があれば読んでみるといい。
あなたに心があり、力ある読者ならば静かに涙するかもしれない。
夫が亡くなった須賀にガッティはこういったとそのエッセイには書かれている。
…ムスタキのかわりにレナード・コーエンをくれたガッティ、夫を亡くして現実を直視できなくなっていた私を、睡眠薬をのむよりは、喪失の時間を人間らしく誠実に悲しんで生きるべきだ、と私をきつくいましめたガッティはもうそこにいなかった。
書き写していながら不覚にも目を潤ませてしまいそうになるが、つけ加えておくことがひとつだけある。
須賀のこの文章は、そこに実際にいるガッティに対しての須賀の思いである。
ガッティは須賀の目前にいた。
目前にいながら須賀はガッティはもうそこにいないともらしたのだ、哀感を静かにこめて。
ラベル: 作品
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